May 11, 2008

鳩山会館・野間記念館・あしかが・ベニバナトチノキ

 連休中のある日,文京区音羽の鳩山会館に出かけた。鳩山一郎はじめ,五代にわたって政治家を排出してきた鳩山家の邸宅を修復したものである。地下鉄有楽町線の江戸川橋から護国寺方向へ進んだ右側に門があり,坂を上がっていく。Img_1080
 1924年,関東大震災の翌年完成した建物で,旧岩崎邸(池之端)よりスケールは小さいが,内外装とも落ち着いていて趣味の良い邸宅である。2階には鳩山薫子,鳩山威一郎の記念室もある。庭は西洋風の一部を和風にしたような感じで,ツツジが品良く咲いていた。庭に面した1階の部屋では無料の緑茶(給茶器によるものだが一応香りがあった)が飲める。Img_1084

 鳩山会館のあとは,野間記念館に行った。江戸川橋方向に戻ってから目白坂を上がり,椿山荘を過ぎたところにある。講談社の創業者・野間清治のコレクションを展示する美術館で,横山大観とその周辺の画家の展示をやっていた(これは5月18日まで)。大観もいいが,小杉放菴など6人の十二ヶ月図がおもしろかった。
 記念館の玄関の前の植え込みにベニバナトチノキがあって,少しピンクがかった淡い朱色の花を咲かせていた。ベニバナトチノキは神田神保町のすずらん通りにあって,会社の先輩に木の名を教わった。(「本拠地」の「神保町の昼食の章」の「神保町昼食ニュース」2000年6月号参照)

 その数日後,こんどは栃木県足利市のあしかがフラワーパークで,ベニバナトチノキにまた巡り会った。最初は別のところに行こうとしていたのだが,駅のポスターを見て方向変更した。こういうとき Suica はありがたい。Img_1132
 藤色・白・黄色のフジが盛りを迎え,1年分を2週間で稼ぐというほどではないかもしれないが,大賑わいだった。ここは入場料が「変動相場制」で,季節・花の咲き具合によって変動する。後で見たホームページによると,料金は当日朝7時に決めるとのこと。Benibanatochinoki0805a
 フジのほかにツツジやクレマチスなどが所狭しと咲いていたが,そこに混じってベニバナトチノキがあった。これが,都内の何か所かで見たものよりずっと色が濃くて,新緑の中で鮮やかだった。

| | Comments (0) | TrackBack (2)

May 10, 2008

ケルンとローマ

 70年代に当時は西ドイツのケルンに行ったことがある。ドイツはその後も南の方しか行ったことがなくて,ケルンが今まで行ったドイツの「北限」である。
 有名な大聖堂の向かい側にローマ博物館があった。細かいことは覚えていないが,わかりやすく展示する工夫がこらされ,非常によく作られた古代史博物館だと思った。その地下展示室では,ローマ時代の遺跡の発掘現場をそのまま保存してガラス越しに見られるようになっていた。
 今のドイツ地域は,『ゲルマニア』などの書物に記録された北方の辺境であり,そもそもケルンという地名はラテン語の colonia(植民地)に由来する。

 その数日後,ローマへ飛んだ。
 ローマでは,町中に古代の遺跡・遺物があるのを見て目がくらむような思いがした。古代ローマの中心をなすフォロ・ロマーノはちょっと別格にしても,ケルンで大切に保存・展示されていたようなものが,そこらじゅうにごろごろしているのだった。「永遠の都」というのは,永遠に遺跡で食っていける街,でもあった。

 ローマからは南回りの飛行機で23時間半かかって帰ってきた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 05, 2008

おおさか東線初乗り

(承前)
 JR王寺駅は関西本線(大和路線)と和歌山線が合流する要衝で,構内は広大である。近鉄とJRは競合関係にあるが,おもしろいことにホームに近鉄の広告があった。Img_1063

 大和路線の快速は6両編成,かなり混雑していた。ノンストップ12分で久宝寺着。3月15日に開通したばかりのおおさか東線のホームへ行く。しかし,時間になっても前の電車が居座って動かない。やがてアナウンスがあって「飛来してきた布団が電車に接触,現在運転を見合わせております」という。「布団が飛来する」という発想はなかったから最初「飛来」ということばが聞き取れず,何度か繰り返されてやっとわかった。

 結局5分の遅れで発車した。旧山手線の緑色の電車で,おおさか東線区間のみを学研都市線の放出(はなてん)まで走る。おおさか東線は貨物線の線路をかなりの部分流用したもので,全部で9.2キロ,途中駅は5つ。このあと新大阪まで建設される予定になっている。Img_1066
 出発してまもなく高架となり,以後ずっと高架を行く。5つの途中駅のうち,3つに駅名に「JR」がつく。近鉄の駅が先にあったためだろう。連続する3駅の真ん中のJR俊徳道では,ひらがなの表示「じぇいあーる」が3つ並んでいた。Img_1067

 高架で見晴らしはいいが,要するに都会の景色でなんということはない。ただ,電車の窓が横長のワイドスクリーン形なのはちょっと新鮮だった。終点の放出はJR東西線の行き先のひとつとなって駅名を読めるようになった。14分でその放出着,4月3つめの新線初乗りとなった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 04, 2008

田原本線――スルッといかない近鉄線

 4月某日,関西に出かけたときに,空いている時間を利用して近鉄・田原本線とJR・おおさか東線に乗りにでかけた。
 田原本(たわらもと)線は,近鉄の長大な路線の中でまったく孤立している短い線である。初めは別のところへ行くつもりだったが,所澤秀樹『鉄道地図は謎だらけ』(光文社新書)を読んでいるうちに,起点の西田原本は橿原線田原本駅から少し離れ,終点の新王寺は生駒線・JR関西本線の王寺駅から少し離れているというちょっとすねたようなこの線に乗ってみようと思い立った。

 京都から近鉄に乗車,そのまま大和西大寺から橿原線に入る。大和西大寺駅では路線図上は京都線・橿原線と奈良線が十字交差しているが,実際の線路はカッコを背中合わせにくっつけたような状態だった。56分かかって田原本に着。到着直前に,田原本線への連絡線が右に分かれていくのが見えた。Img_1045
 出口は田原本線とは反対側だった。Uターンするように踏切を渡って150メートルほど先に西田原本駅があった(位置関係は右の写真参照)。両駅の間は駅前広場整備の工事中だった。
 西田原本駅の自動改札で,迷わずスルッと関西(ICカード)を入れたら,通れない。駅員さんに言ったら,なんと田原本線では使えないのだという。「どこまでですか」と聞かれ,新王寺までと答えると,京都からの通算の切符を手動で発行してくれた。Img_1049
 田原本線は,全線で 10.1キロの単線,途中駅は6つ,ワンマン運転の3両編成の通常の近鉄の車両が走る。路地裏のようなところも通るし,田園地帯という感じのところもある。大まかにいえば平らだが,川を渡るところなどで細かいアップダウンはけっこうある。箸尾と大輪田で交換があった。Img_1050
 大輪田駅を出ると築堤に上り,左へ大きくカーブしながらJR関西本線と和歌山線を乗り越える。「この電車は次まででございます」という関西的なアナウンスが入り,終点の新王寺に到着した。重ねて「この駅まででございます」。Img_1058

 頭端式のホームからまっすぐ改札を出ると,左は大規模なJRの王寺駅である。その駅前広場を横切っていった先に,近鉄・生駒線の王寺駅がある。JRが近鉄の両駅を左右に従えているかっこうだ。
 今回は生駒線には乗らず,その隣の改札からJR駅に入った。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

May 03, 2008

暗譜――器楽の場合とオペラの歌詞

 指揮者は必ずしも暗譜で振らなくてもよいし,器楽のピアノ伴奏の演奏会などでも楽譜が置かれていることは多いが,オペラの歌手・合唱は必ず暗譜しなければならない。ミュンヘンの篠の風さんのブログを読んでいると,そんなあたりまえのことにあらためて気づかされる。ことに去年の『モーゼとアロン』の暗譜のことは何度も記されていた。
 器楽の独奏曲などは,それだけで完結した構成を持っているから,暗譜するのは難しくない。若いころなら,練習しているうちに自然に覚えてしまう。ちょっとした落とし穴はロンド形式のフィナーレやバロックの曲で,同じフレーズが戻ってくるたびに次にどこへ行くかで迷うことがある。
 昔,国内オーケストラの演奏会で,指揮者R氏(現在は同楽団名誉指揮者)の夫人がピアノ独奏者として登場,モーツァルトの d-moll の協奏曲を演奏したことがある。そのフィナーレの後半,ロンドのテーマが長調に変わっていくところで,ソリストが長調になるタイミングを間違えて混乱に陥り,R氏は夫人にいろいろ合図を送っていたようだが,混乱は次のトゥッティまで続いた。

 オペラでの暗譜というのはもちろん歌詞,それに演出上の動きも含めて「暗譜」する必要がある。しかも自分の歌うところは部分であり,その間や前後も頭に入れないといけないから,シーズンに登場するすべての曲を暗譜するのは大変なのだろうなと思う。
 たぶん有名な話だと思うが,1950年代ぐらいのこと,オペラの本番の途中で藤原義江が予定の動きをしないで前に出てきた。指揮者の森正はそのまま振りながら「違う,違う」と合図をするのだが,なおも出てくる。よく見ると,いや正しくはよく聞くと,藤原は森の方を見て,旋律は正しいまま「なんだっけなあ~」と歌っていたという。歌詞を忘れたのだった。プロンプターもいなかったのだろう。

 暗譜とは関係ないが,こちらは友人が実際に見た話。二期会の『ドン・ジョヴァンニ』(70年ごろ?)の大詰めで,騎士長の石像がドン・ジョヴァンニに向かって悔い改めるよう最後の警告をするところで,騎士長の故・大橋国一が「ドーン・ヴァジョーンニー」と歌ってしまい,そばにいた伊藤京子は吹き出しそうになるのを懸命にこらえていたという。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

May 02, 2008

non-reversible Reverse――リヴァースが閉店

 本拠地に「神保町昼食ニュース」の5月号を掲出した。
 そこにも書いたが,「<ダイニングバー>リヴァース」(マクドナルドの脇から錦華通りに入って2本目を左へ上がった左側)が4月末で閉店してしまった。ホームページにも closed の札がかけられている。
 昨年はリヴァースの昼食を5回食べた。5回というのは回数ランクで堂々の2位であり,気持ちとしては「愛用」の店だったのだが。サンドイッチと共に,紅茶がおいしいという点で希有の店だった。(→参照

 話は変わるが,少し前に昼食に入った某和食店で,たいした年ではない板前が新人店員を叱責していた。それが「何考えて仕事してるんや」「ぼやーとしてるんやないよ」などとねちねちしつこい叱り方で,断続的に5分以上続いた。そのときに一度注意してあとは客のいないときにしてほしい。食事は良かったが,不愉快になった。
 店主が客の前で奥さんを叱りつけることでは,神保町地区の某和食系の古い店が,ごく一部では有名である。奥さんの方は柳に風と受け流しているのだが,愉快なことではない。店主は愛想よくすることはほとんどなく,安いランチサービスの品を頼んだりするとますます不機嫌になる。それならサービス品などやめればいいと思うのだが。
 ずっと前,その店で葬式をやっていた。おお,やっとあのオヤジが,と思ったら,亡くなったのは引退していた先代だった。

 変な比較になってしまって申しわけないが,そこへいくと,上記リヴァースの西山夫妻の手を携えての奮闘ぶりは快い。そして,閉店の日には感動のクライマックス――最後の日々の「ドタバタ奮戦記」を涙と笑いと共に読んだ。
 西山さん,またどこかで活躍されますよね。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Apr 21, 2008

初演から27年後の『ポーギーとベス』

 先日,友人のヴィオラ奏者が,ピアノ伴奏の編曲作品による演奏会を開いた。その曲のひとつに,ガーシュイン=アーノルド編「『ポーギーとベス』による大幻想曲」というのがあった。すぐれた歌の作り手であるガーシュインのメロディの魅力を伝える編曲・演奏だった。

 『ポーギーとベス』は,中学の時に吹奏楽で演奏した思い出の曲である。「サマータイム(Summertime)」「ああ、おれにはないものばかり(Oh, I Got Plenty O' Nuttin')」「ベス、お前はおれの女だ(Bess, You Is My Woman Now)」「いつもそうとは限らない(It ain't necessarily so)」などからなるハイライトで,こうした曲名も,オペラのかなりひどいあらすじも,そのときは知らなかった(聞いたところでとてもぴんと来なかったと思うが)。
 それまで行進曲以外では「軽騎兵序曲」などを演奏していたが,個人的にもまた部にとっても,本当にジャズ的なハーモニー・リズムの曲は初めてだった。結局のところ,どたどたした行進曲かジンタのような演奏になったのはやむを得ないことだろう。2拍を3つに分ける三連音符にも,ここで初めて出会った。
 前に,『ウェストサイド物語』のハイライトを,その初演の7年後に演奏したと書いたが(→参照),調べてみると,その前年に演奏した『ポーギーとベス』もそのとき初演からわずか(!?)27年の新しい曲だった。

 その後,『ポーギーとベス』は,いくつかの曲がジャズ・ナンバーとして演奏されるのを聞いたことはあったが,オペラとしての全容に接したのは上記の演奏から30年近くたった1991年2月のゴールドマン・カンパニーという団体の上演が初めてだった。続いて,その5年後にはヒューストン・グランドオペラが上演した(このとき,いとやんごとなき家の次男の奥方が来場した)。
 サイモン・ラトルとグラインドボーン音楽祭のメンバーによるLDが出たのも92年ごろだった。ちなみに,このLDは15000円だった(今はもちろんDVDになっている)。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Apr 20, 2008

横浜グリーンライン初乗り

 続いて,南北線・東横線で日吉へ。日暮里・舎人ライナーと同じ3月30日にグリーンラインという名で開通した横浜市営地下鉄4号線に初乗車した。(既存の1・3号線は「ブルーライン」となった。なお,2号線は計画中止になったため欠番である。)
 東横線の日吉駅で降りたのは20数年ぶりだった。駅構内はまだ工事が続いていて,片隅の地下鉄の入口は目立たなかった。しかし,後で見ると,地下の改札口は大きく,東横線の地下改札からすぐ乗り換えられるようになっていた。
 両端を含めて10駅,13キロを21分で快走した。こちらは新交通システムではなく普通の地下鉄だが,途中のセンター北,センター南あたりでは地上に出て,ブルーラインと並行する。ただし,それほど景色が見えるわけではない。

 終点の中山はJR横浜線との連絡駅である。横浜線は,かつては本数も少なく,首都圏の田舎電車というイメージがあったが,今は昼間も1時間に8本(うち2本は快速)の電車が走る。せっかくなので横浜線に乗り,町田で小田急に乗り換えて,藤沢方面を歩いた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Apr 19, 2008

日暮里・舎人ライナー初乗り

 3月30日に日暮里・舎人ライナーと横浜市営地下鉄グリーンラインが開通した。しかし,開通当日は東京を離れていて行かれず,数日後に初乗りに出かけた。

 日暮里・舎人ライナーの起点は日暮里駅。JRの駅の改札付近も天井の高いホールに変身していた。舎人ライナーの駅は東口,JR改札階からさらに上がったところにある。駅前の桜を見下ろすことができた。Img_0967

 鉄のレールではなくいわゆる新交通システムで,コンクリートの壁に誘導されて走る。両端を含めて13駅,9.7キロ,所要時間は20分。中黒(・)を含む線名は珍しい。
 日暮里を出ると左へ直角に曲がり,尾久橋通りに入る。以後,ひたすらこの通りの上を走る。最初の駅は西日暮里だが,JRの駅とは150メートルぐらい離れているようで,その間に千代田線の駅が直行している。以後,熊野前で都電と連絡する以外,他の鉄道との乗換駅はなく,行き止まり路線である。熊野前の次の足立小台(おだい)を出ると荒川を渡る。高架なのでまことに眺めがいい。Img_0970

 路線の半分を過ぎた西新井大師西で,東側を走っている東武伊勢崎線がもっとも近づく。地図で見ると,その支線の大師前駅(これは非常に大規模な無人駅!)とは1キロほどである。都内はどこまで行っても住宅が密集しているが,それでもだんだん「平地」が広がるようになり,菜の花のじゅうたんのある舎人公園を経て,終点の見沼代親水公園は埼玉県に入る直前,東武の谷塚駅から西へ3キロほどのところである。

 駅周辺を少しぶらぶらして,折り返す電車に乗る。5両編成の無人運転で,クロスシートとロングシートが細かく組み合わされている。試し乗車の人も多く,すれちがう電車には立っている人もたくさん乗っていた。Img_0972

 長い間工事が続いていた日暮里駅前は,再開発ビルのひとつが完成したようだが,まだいろいろな工事が行われている。駅では開通記念の「日暮里マップ」が配られていて,「北島(康介)のメンチカツ」の場所もイラストで示されていた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Apr 17, 2008

怒濤の週末

 土曜日,車で出かけ,午前中にひとつ用事をすませた。続いて,午後,某ターミナル駅の駐車場に車を置いてから,旧友のヴィオラ奏者が主宰する室内楽の演奏会へ。大いに楽しみ,かつ休憩のときには久しぶりに会った友人何人かと言葉を交わした。
 終わって駐車場にとって返し,途中で黒いネクタイをして,伯父の通夜にかけつけた。ぎりぎりになってしまい,お坊さんの入場と同時に着席。親戚の食事にも出席した。

 翌朝,再び車で同じ葬祭場へ。こんどは葬式で,前夜はお坊さんがデュオだったが,この日はカルテットだった。
 昼に出棺になったあと,火葬場は失礼して,こんどは新国立劇場へ急ぎ,『魔弾の射手』を見た。充実した合唱に支えられた演奏だったが,第1幕はだいぶ居眠りをしてしまった。序曲の前にセリフによるプロローグがあった。
 早い夕食のあと,夜はさらにちょっとした打ち合わせがあった。長い2日間だった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Apr 09, 2008

悲しくない短調

 昔の日本の歌には,「美しき天然」「鎌倉」(七里ヶ浜の磯伝い…)「嗚呼玉杯に花受けて」「リンゴの唄」「青い山脈」など,特に悲しい内容ではない歌詞に短調のメロディーがついているものがけっこうある。特に「リンゴの唄」「青い山脈」のように,短調の曲が戦後の「明るい日本」を象徴する歌とされていたのは,後の感覚とはだいぶ違う。
 たとえば「同期の桜」など軍歌に短調が多いのは,日本人的感覚としてはよくわかるが,童謡にまで「仲よし小道」「うれしいひなまつり」「りんごのひとりごと」「ないしょ話」「かわいい魚やさん」など「楽しい短調の曲」があるのは不思議だ。ただし,このうち前の3つと後ろの2つはそれぞれ同じ作曲者だから,作曲者による偏りはあるのだろう。
 ずっと昔,珍しい短調の校歌を聞いたことがある。確か,伊豆大島の中学校の校歌だった。
 バロック時代には,短調はそれほど暗いものとされてはいなかった,という話を読んだことがある。こうした感覚は意外と短期間に変化するのかもしれない。

 ところで,短調の曲が長調になって終わるのはよくあるが,長調の曲が短調で終わるのはメンデルスゾーンの4番《イタリア》しか思い浮かばない。この曲の第4楽章は舞曲サルタレロで,これも悲しい短調ではないが。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Apr 06, 2008

キャンディーズ短信

 カラヤン生誕100年の前日は,キャンディーズの解散コンサート30周年だった。このコンサートの日については,前に書いたように,ちょっとした思い出がある。
 しかし,キャンディーズ自体には特に深い思い入れはない。70年代後半はテレビを持っていない生活をしていて,日常的には流行歌に接する機会がなかった。それでも耳に入ってくる「トシシータの男の子」とか「もうすぐはーるですねえ」とかいう曲はきっと大ヒット曲なんだろうな,と想像するばかりだった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Apr 05, 2008

カラヤン生誕100年

 今日(4月5日)はカラヤン生誕100年の日だそうだ。
 1966年の来日のときの初日は,今では考えられないが,NHKの総合テレビで夜7時から2時間にわたって生中継された。曲は,ベートーヴェンのコリオラン序曲,6番,5番だった。このときは5日間にベートーヴェンの交響曲が全曲演奏され,FMでは毎日生放送があったので,当時高校生だった私は,部活(吹奏楽)のあと,間に合うように走るようにして帰った。
 生で聞いたのは1回だけ,1970年の日比谷公会堂で,曲はベートーヴェンの2番と5番。抽選で2000円ぐらいで聞ける青少年のための特別演奏会だった。どちらかというと,カラヤンより,ベルリン・フィル,特にそのダイナミック・レンジの広さに感嘆した。

 レコードでは,70年代のすべすべなでなでという感じの音が何とも不自然に思えて,気に入らないことが多かった。しかし,オペラをよく見るようになると,あらためてすごい指揮者だと思うようになった。特に印象的なのは,『サロメ』のLPと,『ドン・カルロ』のLDである。「別格」は古い方の『ばらの騎士』で,最初はヤマハ・ホールでの上映を見たが,後にLDで発売になったときは飛びついて買った。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

Apr 02, 2008

桜回廊・桜街道

 29日の土曜日,東京は絶好の花見日和だった。家の近所にも大小の桜が何本か点在し,特徴のない町並みもひとときの華やぎを見せていた。
 用事があって車で出かけたついでに,小石川の播磨坂へも行ってみた。酒盛りの人であふれかえっているかと思ったら,意外と静かだった。車で花のトンネルを一往復した。
 翌日,関西へ出かけた。東海道新幹線からは,ずっと見ていたわけではないが,ほとんど途絶えることなく桜が見えた。

 右は今年の東京の桜の記録,神保町関係は上の2つ(①はお茶の水小学校,②は神保町三井ビル)。
  ①
08sakurakinka_2
 
 
  ②
08sakuramitsui_2
 
 
  ③
08sakurauniv_2
 
 
  ④
08sakuram_2

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Mar 30, 2008

夜行の時代

 3月14日限りで東海道本線を走る寝台急行「銀河」が廃止になった。昨年(2007年)1月,大阪発の新幹線「のぞみ」の最終に乗り遅れて,予定外の上り「銀河」乗車となったのだが,これが「銀河」への最後の乗車になった(→参照)。「銀河」の下りには2回乗ったことがあったが,上りに乗ったのはこれが最初で最後となった。

 高校生のころ,年上の従兄弟に連れられて,初めて関西へ出かけた。このときは客車急行の夜行に乗った。ボックス席を従兄弟と2人で使って,一応横になることができた。当時,東海道新幹線はすでに開通していたが,在来線にも優等列車が多数走っていたし,夜行もあって,特に若者は在来線に乗る方が普通だった。
 その2年後の東北への修学旅行も,夜,上野駅に集合し,夜行の座席車で出かけた。朝の平泉の陽光がまぶしかった。
 その後,東海道ではさすがに新幹線が普通になったが,他の線区では,遠くへ出かけるときは,少なくとも片道は夜行に乗ることが多かった。

| | Comments (0) | TrackBack (1)

«シルヴィ