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July 2004

Jul 28, 2004

ノミのほう,いかースカー

 繁華街での呼び込みは,店の個性を競ってこそ効果が上がると思うのだが,現実にはきわめて画一化していて,池袋での男の客引きはほとんど「飲みのほう,いかがですか」と声をかけてくる。「ノミもシラミも用はないよ」と言いたくなるが,一方で,動詞(この場合は「飲む」)の連用形から名詞を作る造語力は健在だなあ,などと講釈してみたりする。
 細かく言うと,客引きはたいていは「いかがですか」とはっきり言うわけではなく,「いかースカー」という感じである。

 この発音は少し前からあった。むかし,東京ドームの開業イベントのひとつとして,イギリスのわけのわからない団体が『アイーダ』をやりにきたことがあった。それを見に行った友人の話によると,会場のアルバイトは,当然,野球のときと同じ人たちで,さすがに上演中は来なかったが,休憩ともなると,「プーログラム,いかースカー?」という調子だったという。

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Jul 22, 2004

千代田区便り

 東京で観測史上最高の39.5度を記録した7月20日,会社の女性が予定日どんぴしゃりで出産した。あらかじめわかっていたとおり,男の子だった。
 このところ,当社の社員の家では9人連続で女の子が生まれていた。これはどうも,同じ千代田区内にお住まいのいとやんごとなきご家族の「気」が漂ってきているのではないか,などという噂も出ていた昨今だった。

 21日も38度だったのに対し,今日22日はたった32度だった。

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Jul 21, 2004

私の見たカルロス・クライバー

 ふだん,特に夜はあまりテレビを見ないので,カルロス・クライバーの死去を知ったのは,20日の朝刊でだった。

 私が見たオペラの記録は,1974年9月,バイエルン州立歌劇場初来日公演のクライバー指揮の『ばらの騎士』に始まる。(それ以前にもオペラを見たことはあったが,記録も記憶もはっきりしない。)このときは,常任のサヴァリッシュの補助という感じで,特に大きな話題になることもなかった。私は,初めて見る華麗な舞台に見とれ(あのときほど,東京文化会館の舞台が広く見えたことはない),渦のようにわき上がり波のように寄せては返すR.シュトラウスの音楽に魅惑されて,オペラとはこんなにすごいものなのかと思ったが,正直なところ,「指揮者の音楽」を意識する余裕はなかった。

 その後のカリスマ化はかなり急速だったような気がする。DGへの録音や,スカラ座のシーズン初日の『オテロ』(ドミンゴ主演)が,その大きな要因になっていると思うが,詳しい経過はわからない。

 次に見たのは,1981年9月のスカラ座来日公演の『オテロ』『ラ・ボエーム』,共にフランコ・ゼフィレッリの名舞台である。クライバーとドミンゴの音楽の奔流は,NHKホールの3階まで押し寄せた。強引なドライブだが,非常にしなやかで,ヴェルディの音楽にぴったり沿ったものだった。
 翌年の4月だったと思うが,クライバー指揮バイエルン州立劇場の『ばらの騎士』がテレビで放映されるという予告を見て,あわててビデオデッキを買いに走った。

 1986年には,バイエルン国立管弦楽団(歌劇場のオーケストラがコンサートのときにこう称した)を率いて来日,初めてステージの上のクライバーを見た。プログラムは,ひとつは『魔弾の射手』序曲,モーツァルト33番,ブラームスの2番,もうひとつはベートーヴェンの4番と7番,共に後にレーザーディスクでも見ることになる曲目である。
 アンコールは,私の行った日は両日とも『こうもり』序曲と「雷鳴と電光」。特に雷電でのはじけ具合は奔放で,空前絶後のポルカ演奏だった。
 88年9月にはスカラ座と共にやってきて,『ラ・ボエーム』を再演した。

 その次が1994年10月のウィーン国立歌劇場との『ばらの騎士』である。ウィーンではその年の春上演され,たいへん話題になった。私の友人も何人か,ウィーンへ見に出かけた。世界中からうらやましがられたのは,ウィーンでは3回の公演だったのに対し,東京では6回上演されたことである。
 このとき,私は6回のうちの最後の回のチケットを買った。果たして最後までちゃんと振ってくれるかと心配だったが,公演はすべて無事に行われた。このときは,期待が大きすぎたせいか,またクライバーが「軽み」を追求したせいか,ちょっと肩すかしを食ったような感じがした。もちろん,それはきわめて高度な次元での話で,音楽の密度と充実感は比類のないものだった。
 私の見た日は,オペラのツアー最終公演でもあったので,カーテンコールでは,ステージにオーケストラや裏方も登場し,紙吹雪が舞い,Sayonaraの看板も降臨し,やがて樽酒が運び込まれてクライバーが上機嫌で「鏡割り」を行った。そう,子どものような笑顔だった。
 クライバーは大の日本酒好きで,ミュンヘンでも日本酒を常備しているという話を聞いたことがある。

 というわけで,私はオペラ5回,コンサート2回に接することができた。これはまあ,世界的に見ても幸せな方なのだろう。ちなみに,クライバーは日本ではドタキャンをしたことはない。
 公式の来日は上記の5回がすべてだと思うが,この他に,日本酒飲みたさに来日して伊豆で日本人の女性と温泉にしけこんだというような噂もあった。
 近年は,カナリア諸島(?)で演奏したとか,ドイツの自動車工場で演奏した,といったニュースの一方で,病気の噂もあり,再び演奏に接するのは無理なのだろうなと思っていた。

 「インターネット前」に伝説の存在となった人への別れの時が訪れた。

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Jul 15, 2004

神保町の不夜城

 神保町1丁目南地区の「再開発」によってできた3つのビルのひとつ,神保町三井ビルの1~9階に,会計検査院が「入居」したのは昨年末のことだった。中央合同庁舎7号館建設のための仮住まいとのこと。それまで,夜になるとこのビルは下の方は真っ暗だったが,今は上から下まで,かなりの不夜城ぶりである。
 この付近では,多くの雑誌をもつ小学館のビルが,昔ほどの「密度」ではないようだが,最大の不夜城として君臨している。近くの24時間営業のファミレスや,朝までやっている中華など,深夜になってもかなりの盛況である。

 ところで,会計検査院の会計検査って,だれがやるんですかね。ホームページを見たけれど,わからず。
 (なお,会計検査院の「こども見学デー」というのが8月にあるそうです。それから,会計検査院の設置は憲法で決まっていたんですね。)

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Jul 11, 2004

意外と若かった人々

 1998年に阪神の名投手・村山実が死去したとき,たった61歳だったのに驚いた。
 子どものころから知っている「有名人」は,当然,当時大人だったわけで,すべて自分よりはるかに年上の,少なくとも自分の親の世代のように思っていた。そのまま感覚的に「平行移動」して,こちらが中年になったのだから,そういう昔からの有名人は,私の中では70代・80代になっているような感じがしていた。
 それが,村山の場合,実は一回りとちょっとの違いだった。
 長島・王は村山より少し上だが,こちらはずっと「消息」を知っているから,自分といっしょに年をとっているという感じがあるが,若いころから活躍して死亡記事で久しぶりに目にする人というのはその年齢に驚くことになる。

 もっと年が近くて驚いたのは,2000年7月に死んだ歌手の青江三奈だった。青江三奈は,私が高校生のころ「恍惚のブルース」でデビューした。最初から大人のムードで売っていたこともあり,まあこれは「はるかに上」ではないにせよ,8~9歳ぐらい上のような感じだったのだが,実はデビュー時21歳だったのだった。

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Jul 08, 2004

作曲家の没年

 ドヴォルザーク没後100年にちなみ,先日,弦楽器奏者(プロ)の友人がドヴォルザークの室内楽の演奏会を開いた。そこに集まった同世代の仲間たちの間で,「今年没後100年ということは,われわれが生まれたころはまだ没後50年にもなっていなかったんだなあ」ということが話題になった。
 50年というのも決して短い年月ではないが,たとえば1870年代生まれの私の祖父母だったら,ドヴォルザークの「現役時代」を大人として知っている世代ということになる,と考えると,ずいぶん「身近」な感じがする。彼らは,ドヴォルザークどころか,ブラームス,ブルックナー,ヴェルディの晩年を知ることができたはずだ。

 私が生まれたときは,リヒャルト・シュトラウスやプフィッツナーは何か月かの差で,もう死去していた。それ以後死んだ主な作曲家には,まず,

  チレア(1950)
  シェーンベルク(1951)
  プロコフィエフ(1953)
  カールマン(1953)
  オネゲル(1955)
  エネスコ(1955)
  シベリウス(1957)
  ヴォーン=ウィリアムズ(1958)
  ヴィラ=ロボス(1959)
  ブロッホ(1959)
  ドホナーニ(1960)
  イベール(1962)
  ヒンデミット(1963)
  プーランク(1963)

といった人たちがいる(かっこ内は没年)。ここまでは,生きている時間が重なっていたということに少し感慨があるというだけである。
 「音楽的物心」がついてから以降だと,

  ストラヴィンスキー(1971)
  マルタン(1974)
  ジョリヴェ(1974)
  シュトルツ(1975)
  ショスタコーヴィチ(1975)
  ブリテン(1976)
  ハチャトゥリアン(1978)
  オーリック(1983)
  カバレフスキー(1987)
  メシアン(1992)
  ロドリーゴ(1999)

といった人々があげられる。これらの人々は新聞で死亡記事を見た。
 実際には,もちろん,若いころヒット作を生み出した場合は,それはその時代の音楽であり,死亡の年代と直接の関係はない。また,常に時代の流れを意識していた人もいれば,若いころに身につけた(多くはそのころすでに古くなりつつあった)語法で通した人もいる。

 上記の祖父母のことに戻るが,考えてみると彼らの生まれたころというのは,ベートーヴェンの没後50年前後にあたり,ちょうど私の世代にとってのドヴォルザークと同じ「時代間隔」になる。

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Jul 03, 2004

Linguistic Trivia

 前述の「トリネコ」の件は,文字を見て,「トリ」「ネコ」という語と結びつけて誤って記憶してしまったものだが,文字を介するかどうかに関わらず,次に言おうとしている音を先取りして音の順序が入れ替わる誤りというのは,かなり頻繁に起こる言い誤りである。
 昔,雑誌の記事でアナウンサーの言い間違いの例にあがっていたのも,この類が多かった。その記事で印象に残っているのは「ナンボジアカンミン」――

 うちの子どもたちが小さいときの言い間違いでも「お墓参り」→「おかまはいり」,「魔法使い」→「まつほっかい」といった「傑作」がある。後者を聞いたすぐあとで,相撲で「陸奥北海」という力士がいるのを知って笑ってしまった。

 音の順序が入れ替わる現象を術語ではmetathesis(音位転換)といい,最初は言い間違いであっても,言語の変化のきっかけとなる場合がある。例えば,「あたらしい」は「あらたし」が変化したものだし,英語のbirdは古くはbridだったという。

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神保町昼食ニュース7月号

本拠地」の「神保町昼食ニュース」の章に,7月号を掲出しました。(こちらはほとんど純粋に「昼食ニュース」)

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