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January 2005

Jan 30, 2005

初台の伏魔殿

 新国立劇場の1月公演『マクベス』は,野田秀樹演出による再演だった。黄色い花が咲き乱れる中を走り回る魔女たちの動きがおもしろく,タイトルロールのカルロス・アルヴァレスも熱演で(初日は代役だったらしいが),良い舞台となった。

 その『マクベス』公演中の1月19日に突然,同劇場の2月公演『ルル』が,予定の3幕版から2幕版に変更になり,アルヴァ役が交代する,という発表があった。新演出の準備中に歌手が交代することはいくらでもあるし,指揮者の交代もないわけではないが,初日20日前の時点で上演版の変更というのは聞いたことがない。
 オペラ芸術監督のトーマス・ノヴォラツスキー氏の声明では「非常に高度な芸術的レベルが要求される作品であり、新国立劇場といたしましては高い水準を維持した公演を聴衆の皆様に観劇いただくため」,(1)3幕版から2幕版への変更,(2)アルヴァ役の交代,という措置をとったという。
 Yomiuri Online ではもっとはっきり「歌手の水準低くオペラ短縮」という見出しを掲げ,「一部の歌手が芸術的に満足できる水準に達していないことを理由に,当初予定していた全3幕完成版から全2幕版に急きょ変更して上演すると発表した。これにより出演者が一部変更となるほか,公演時間も1時間半近く短縮される。」と書いている。

 『ルル』にそれほどなじみがあるわけではない者としては,第3幕でアルヴァというのがどのぐらい重要な役なのかはわからないが,同役の歌手のレベルが最大の原因だとすると,基本的には歌手を選んだ方の責任だろう。なにしろノヴォラツスキー氏は「(日本人・外人を区別せず)世界的基準でオーディションを行う」というスローガンを掲げていたのだから。(同氏は上記の声明の中で,某放送局の会長と違って,「このような結果となりましたことを大変遺憾に思っております。この責任は芸術監督である私にございます。心よりお詫び申し上げます。」と述べ,またチケット代の払い戻しにも応じている。)
 一方で,タイトルロールのしのぶサンは,ポピュラリティのない曲への客寄せのために,他のオーディションとは別に決まっていたような節もあるが,どうなのだろう。(ルルなら他の曲のヒロインよりは似合っているような気も(少しは)するが。)
 気の毒なのは,出番がなくなってしまった人たち。ギャラはある程度出るのだろうが,このために他の仕事を断ったりしたのではなかろうか。

 オペラハウスの「伏魔殿係数」でも世界的基準に近づいているのかも。

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Jan 28, 2005

指揮者なしでデュカ

 26日の東京都交響楽団の第601回定期演奏会は,指揮者のジャン・フルネ氏(92歳!)が倒れ,指揮者なしの演奏となったそうだ。曲は,モーツァルトのピアノ協奏曲(23番)と,何とデュカの交響曲ハ長調(予定されていたマスネの序曲はカット)。
 関係者の話によると,21日の600回記念定期は無事に終わり,その後601回のための3日間のリハーサルのうち2日目が終わったところで倒れたという。デュカ(普通の人は「魔法使いの弟子」しか知らない)の交響曲は,都響はフルネ氏指揮を含め何度が演奏していて,他のオケよりはなじんでいるが,近年の入団で初めてのメンバーもけっこういたとのこと。

 昨年秋,N響の演奏会の最中に指揮者のアシュケナージ氏が指揮棒を左手に刺してしまい,後半のチャイコフスキーの4番を指揮者なしで演奏したのに続く指揮者なし事件である。しかし,チャイコの4番なら突然でもまあ何とでもなりそうな感じがするが,よりによってデュカの交響曲を指揮者なしとは,たいへんなハメになったものだ。
 結果としては,コンマスの山本友重氏のリードで,何とかきちんとフルネ氏の意を伝える演奏となって万雷の拍手が贈られ,山本氏はメンバーが退出した後もステージに呼び戻されたという。(ちなみに,コンサートマスターのことをイギリス英語では concertmaster とは言わず,leader というのが普通である。こういう事態を想定したわけではないだろうけど。)
 考えてみれば,3日間のリハーサルのうち2日目まで終わっていたということは,フルネ氏の音楽がかなり浸透していて,しかも,3日目には「指揮者なし」の練習ができたわけで,絶妙のタイミングだったともいえる。
 いや,ほんとにお疲れさまでした。

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Jan 27, 2005

明治と慶応

 もうずいぶん前のこと,休日に東京郊外に向かうかなり混んだ電車の中のことである。すぐ後ろにいる学生のカップルの会話が聞こえてきた。
 東京に出てきて間がないらしい女性に,男が東京事情を説明している。曰く,「明治大学と明治学院大学は別の大学なんだよ」うん,それは正しい。ところがしばらくして,「慶応大学と慶應義塾大学は別の大学だ」と言っている。思わず振り返ったが,2人だけの世界にいる当人は気づかない。(「けいおうぎじゅく」と入れたら,ATOK君はまず「應」の字を出してきた。)

 もっと前,本拠地内にも書いたが,横須賀線の中で,車窓から見える大船観音を指さして「あれが有名な鎌倉の大仏だよ」と娘に言っているお父さんがいた。遠くから来た人のようだったこともあり,このときは横から口を出して,鎌倉の大仏は電車からは見えない場所にあることを説明した。

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Jan 25, 2005

ベサメムーチョ

 先日,タンゴの帝王アルフレッド・ハウゼが死んだのにはたいして驚かなかったが,「ベサメムーチョ」の作曲者コンスエロ・ベラスケスの訃報(24日朝刊)には驚いた。いや,死んだことに驚いたのではなく,古典的名曲として40年も前から知っている曲の作曲者がまだ生きていたことに驚いたのである。
 82歳から84歳まで,年齢の報道はいろいろだが,「ベサメムーチョ」の作曲は1941年で一致している。要するに20歳前後である。「カチート」などほかにもヒット曲はあり,決して「一発屋」ではないのだが。
 思えば,英語名 Kiss me much ほど即物的でないスペイン語のタイトルの雰囲気が,日本での「ラテン音楽」の地位確立に役立ったのかもしれない。

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Jan 19, 2005

母から娘へ

 同級生の女性宅でパーティがあって,家族で出かけたことがあった。次々に出されるおいしい料理が話題になったとき,その家主の彼女曰く「うちでは家庭の味が母から娘へ伝えられているの」。
 一瞬なるほどと思ったが,よくよく聞いてみると,実は「自分の母」から「自分の娘」に伝えられている,という話だった。つまり「自分」は素通りなのである。
 ――いや,それでも立派なことです。

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Jan 16, 2005

A Donkey in Tokyo

 4,50分時間をつぶすため,ドンキホーテ某店に入った。ドンキホーテには今までに2回ほど入ったことがあるが,売り場の大部分を見て歩いたのは初めてだったので,ジュエリーから野菜まで,狭いところにほんとに何でもあるのに驚いた。
 悪名高い陳列の密度は,これでもたぶん放火事件前より低くなったのだと思うが,15分もすると息苦しくなった。もちろん,ふとん売り場には警備員がいた。
 ドンキホーテは英語では Don Quixote だが,この会社の横文字社名はスペイン語綴りの Don Quijote を使っている。ただし,愛称(?)は Donki となっていた。

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Jan 13, 2005

Once upon a time――ケータイの黎明

 あるとき会社で,昼休みから戻った某中年男が後輩に「おい大変だ,アンケート書いたらケータイもらっちゃたよ。これ,どうやって使うんだ?」と言った。携帯電話は,今も新規だと0円とか1円の機種があるが,一時期,タダの方が普通で,よくアンケートの景品やクイズの賞品になっていたのである。きかれた後輩が答えて曰く,「これをですね,公衆電話の受話器をはずしてそこに掛けて,それから十円玉を入れるんですよ」
 その中年男も,その後もちろんケータイを使っているが,メールは今も受信のみである。

 ケータイの普及と共になくなろうとしているのが,「お呼び出しアナウンス」と駅の伝言板である。
 今でもデパートでは「先ほど○○売り場で△△を3150円お買い求めのお客様」とか「緑のチェックのワンピースをお召しの3歳ぐらいのお嬢様のお母様」が呼び出されることがあるが,昔は個人を指名した呼び出しアナウンスがしょっちゅうあった。万引きが発生したとか,雨が降り始めた,といった情報を全店員に伝えるのにも,特定の呼び出しアナウンスを符牒として使っていたと聞いたことがある。
 野球の中継をテレビで見ていても,「杉並区○○の△△一郎様,ご自宅にお電話をお願いいたします」といったアナウンスがほとんどイニングの合間ごとにあった。時には「ご自宅が火事です。至急お帰りください」などという放送もあったという。
 私は一度だけ,ある演奏会場で,呼び出しアナウンスでご指名を受けたことがある。受付で聞いた伝言に従って実家近くの親戚に電話したところ,父親が急に倒れたということを知らされたのだった。

 駅の伝言板は,かつては「駅前の喫茶店○○にいる」とか「1時間待った。帰る。バカ!」といった書き込みでにぎわっていたが,今や絶滅寸前の状態である。ただし,本当に問題なのは,伝言板と共に,待ち合わせの時間を守るという習慣もなくなりつつあることだろう。

 80年代だと思うが,自動車電話を車から外し,肩に掛けて一応持ち歩ける電話となったのが,ケータイの「第1世代」である。当時は使用料が月10万円ぐらいして,とても普通の勤め人が使えるようなものではなかった。
 そのころの東海林さだおの漫画に今も覚えているシーンがある。電車の中で,若きエグゼクティブ(?)の肩掛け電話に電話が入る。周りの人は珍しいので聞き耳を立てる中,彼は「うん,よし,3億で手を打とう」などと言う。少ししてまた電話が入り,こんどは「えっ何? ブタのこま切れ300? (急に小さな声で)わかった」

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Jan 09, 2005

東京日和

 去年秋ごろから出ている東京メトロ(東京地下鉄株式会社)の「東京日和」のポスターがおもしろい。

 最初はたぶん9月ぐらいに出た「…に行くのはやめた」シリーズで,ニューヨーク,パリ,ヴェニスへそれぞれ行くのをやめる3種類である。

 次は,11月ごろ始まった「…もいいが,…もいい」というシリーズ(コピーの言葉は少しずつ違う)で,気がついた限りでは,「ビッグベン/銀座の時計塔」「自由の女神/西郷さん」「ロンドンのパブ/有楽町の焼鳥屋」の3種類がある。
 この第2シリーズは,大きな字で長めのコピーがどかどかと書いてあって,わざと野暮ったく作ってあるのがミソである。

 せっかくのおもしろいポスターなのに,東京メトロのホームページでは何も言及がない。「ポスター」のページにあるのは「マナー・ポスター」だけである。

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Jan 06, 2005

成田と掛布――回文考

 上述の,じゃなくて見る方にとっては下述の,というべきだが,宮城県の作並では「回文コンクール」を行っていて,入選作品を収めた小冊子が販売されていた。

 長い間,私にとって回文とは何よりも,70年代末から80年代始めにかけて一世を風靡した雑誌『ビックリハウス』の重要アイテム,という認識だった。そこに載っていたもので,いまでも回文の最高傑作だと思っているのは,

 (1) 理解の足りない成田の怒り

である。
 これは,成田空港建設反対運動という時代背景があったから大きな価値があるのだが,それゆえにその後の人にとってはピンとこないものになっているのだろう。
 ほかに,
(2) あたいらポ○ノのルポライタア

というのもあった。最後の「ア」がちょっと苦しいけれど,「あたいら」という蓮っ葉な言い方に似合っている。

 『ビックリハウス』以外で記憶に残る傑作としては,

(3) ぷつりとすたれたスト○ップ

(4) 掛布の頭はまたあのフケか

(5) 酢豚作り,もりもり食ったブス

がある。(4)も,掛布という珍しい苗字の名選手を皆が知っていたという時代背景に負っている。
 (3)と(5)は,「つ」と「っ」を同一視しているのが難ではあるが,清音と濁音を同一視するよりはまだ許せる。

 回文のみを扱った本の嚆矢は,土屋耕一の『軽い機敏な子猫何匹いるか』だったと思う。手元にある角川文庫版(1986)のあとがきによると,初版は1971年という早い時期で,もちろん『ビックリハウス』以前である。このタイトル自体も回文で,この本では全体に清音・濁音をきちんと区別している。(実は,上記(3)は『ビックリハウス』が出典だと思っていたのだが,今見たところ,この土屋耕一の本に出ていた。もっとも,このぐらいの長さのものだと,別々に「新制作」される可能性はある。(2)の「中心部」をなす「ポ○ノのルポ」というのもこの本にある。)
 回文の「専門書」はその後何冊か出ていて,そこではタイトル(例:『禁煙永遠延期』『読むの頼むよ』『まさかさかさま』)も著者名(例:イブ藪医/つかさまさかつ/まさに何様/闇から神谷)も回文になっていたりする。

 自分でも,かつて電車の中などで回文作りに励んだことがある。当時,周囲に比較的おもしろがってもらえたのは,仲間でも有名人でも,人の名を入れたものだった。

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Jan 04, 2005

二市物語――仙台と山形

sakunami_stn1 すこし前,JRのみどりの窓口で「仙山線の作並までの乗車券を」と言ったら「仙台市内行き」の切符を渡されてちょっととまどった。観光客誘致のために市内駅の範囲を広くしているのかなと思ったのだが,帰って地図をみたら,山形県との県境に近い山あいの作並駅(写真)は,仙台駅西側の繁華街や仙台市役所と同じく,仙台市青葉区にあるのだった。
 となりの山の中の秋保(あきう)温泉,もっと山の中の二口温泉は仙台市太白区であり,仙台市は,太平洋から県境の面白山まで,直線距離で東西約42kmの広がりを持っている。

 地図によると,仙山線は,仙台駅を出発してから,作並の2つ先の奥新川(おくにっかわ)まで40分以上,ひたすら青葉区内を走り(正確には,最初の3kmほどは宮城野区との境界を走る),次いで太白区を少し通って(駅はない)面白山トンネルに入る。
 トンネルを抜けた面白山高原駅は山形県である。そこでなおも地図をよく見ると,面白山高原も次の山寺も山形市なのだった。つまり,全線62.8km(奥羽本線に合流してからの4.8kmを含む)の仙山線は,仙台と山形の2市のみを走っているということになる。

 かつて深名線が幌加内町を延々と走っていたことなどはあるが,2つの市,それも県庁所在地のみを数十キロ走る鉄道というのは,ほかにあるのだろうか。

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Jan 02, 2005

ゆく年きた年

 大みそかの夜遅く,一日降っていた雪がやんだので,初詣の代わりに丸の内の東京ミレナリオを見ようと家を出た。実は29日には荒天で中止になったということを聞いていたので,出る前に公式ホームページを見たが,何も書いてなかった。
 東京ミレナリオは,31日夜9時にいったん「消灯」したあと,1日午前0時~3時に点灯して最後となる予定だった。しかも,東京駅駅舎の修復工事などの影響で来年以降は「休止」だという。
 で,地下鉄に乗ろうとしたら,「東京ミレナリオは中止です」という手書きの紙が貼ってある。念のため,地下鉄のいくつかの改札口を見てみたら,「雨天のため」とか「31日夜,1日0時とも」とかいう説明の入った貼り紙もあった。中には「東京ミネラリオ」と書いたものもあった。あ,鉱石の展示会ですか。041231tobu
041231yuki
 しかし,スイッチを入れればいいだけなのに,なぜ天気が悪いと中止になるのかはナゾ。
 [写真 左:大みそかの池袋暮雪 東京芸術劇場をのぞむ
     右:池袋東武のミニ・ミレナリオ]

 で,あけましておめでとうございます。

 3年ぶりで信州へ行かない正月を迎え,すまし汁に鶏肉,鳴門,ほうれんそう(伝統的には小松菜だろうが),焼いた切り餅の関東風シンプル雑煮を作った。

 街は初詣の人以外まばら,年賀用品を売るたばこ屋だけが開いていてあとはひっそり,というのがウン十年前の正月だった。少なくとも三が日は食べ物が補給できないから,おせち料理と餅を食べ続けるしかなく,雑誌や新聞には「おせち料理に飽きたら洋風のお餅はいかがですか」などという記事がよく出ていた。
 しかし今は,街を歩いてみると,コンビニはもちろんだが,ドトール,スタバ,ベローチェなどのチェーンは営業しているし,ラーメン屋や飲み屋もいくつかやっている。デパートや多くの食べ物屋チェーンは2日からだし,ふだんの休日とさほどの違いはない。

 元日は,「本拠地」の方で,2004年の昼食の総まとめデータを作成し,オペラのデータの更新をして,ひとまずすっきりとした気分になった。

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