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May 2005

May 26, 2005

揚げひばり

 19世紀後半から20世紀にかけて活躍したイギリスの3人の作曲家のうち,エルガーには「威風堂々」,ホルストには「惑星」という「看板商品」があるのに対し,ヴォーン=ウィリアムズについては,まあ強いてあげれば「グリーンスリーブズによる幻想曲」ということになる。3人の中でもっとも小さな看板だが,実際は,オペラ5曲,交響曲9曲を残していて,作品目録は3人の中でもっとも充実している。

 そのヴォーン=ウィリアムズに,「揚げひばり(The Lark Ascending)」という曲がある。ヴァイオリン独奏と管弦楽のための美しい小品である。
 揚げひばりというのは歳時記にも春の季語として載っている言葉だが,私の場合,この言葉を見るとついつい油で揚げたヒバリを思い描いてしまう。揚げナス,揚げ餅,揚げ麩などからの「順当」な類推だと思うのだが。またスズメ焼きからの連想もあるかもしれない。

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May 16, 2005

ラジオで落語

 今は昔,家にテレビがなかったころ,実によくラジオを聞いた。
 「一丁目一番地」「赤銅鈴之助」「お笑い三人組」(これはテレビでもやっていたが,ラジオが「元祖」)「話の泉」「とんち教室」「二十の扉」などと並んで思い出深いのは,ラジオ東京(TBSの前身)の「素人寄席」という番組だった。素人が落語や漫才をやるもので,細部は忘れたが,勝ち抜きで挑戦者が決まり,チャンピオンに挑戦する,といった形式だったように思う。
 この番組で,あるとき,小学生がかなり長いことチャンピオンだったことがあった。その小学生は,最初に出たとき通信簿のことを聞かれて,「5もあるよ。1もあるよ。でもいちばん多いのは3だな」と言ったので,通信亭三助という芸名だった。
 通信亭三助はけっこうませていて,今から考えるとどの程度のものだったかわからないが,郭噺などもやっていた。同じく小学生だった私は,肝心なところはさっぱり理解できないものの,なんだか奥の深い世界があるらしいなと思っていた。

 ラジオでは,ちゃんとした寄席中継もたくさんあった。録音する手段もないのに,小学生の記憶力はたいしたもので,いつのまにか,当時全盛の林家三平の話のほかに,古典落語をいくつか覚えてしまった。
 小学校6年生の時,2泊3日の修学旅行があった。そのとき催された演芸大会(?)で,私はぶっつけ本番で「時そば」をやった。扇子などというものはなく,たまたまあったハーモニカで蕎麦をすすった。10分ぐらいだったのだろうか,文字通りの「一人舞台」だった。
 後に楽器をやるようになったわけだが,管楽器だから伴奏なしというわけにはいかない。まったく一人の舞台というのは,その後二度となかった。

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May 08, 2005

コとりのあるニスフレッノ

 4月某日,仕事で関西に泊まった翌日,久しぶりに小浜(おばま)線に乗ってみようと思い立ち,京都から小浜まで直通の特急「まいづる」に乗った。山陰本線を行き,綾部で向きを変えて舞鶴線に入り,そのまま東舞鶴から小浜線となる。松尾寺(まつのおでら)を出てトンネルで峠を越えると若狭の国に入り,まもなく海が見えてくる。
obama2_stluke
obama1_nanohana
 小浜で下車した。初夏を思わせる暖かい日だった。観光案内所で自転車を借り,川のそばに建つ木造の「聖ルカ教会」へ。まったくの日本家屋に,ちょこんと塔が乗っていて,目の前の土手の一面の菜の花をまぶしそうに見下ろしていた。

 港のそばの観光客用の海鮮レストランで昼食をとると,もう隣の温泉に入る時間はなかった。
 帰り道,市内某所で見かけた喫茶店で,ガラス上の表示の剥落が生み出したキャッチコピーの曰く,
  コ と りのあるニスフレッノコーヒー
  目家工房の告るフラン ケーキをどう 
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May 03, 2005

「骨粗鬆症」考

 きわめて限られた数の熟語でしか使われない漢字というのは,「貿」「逓」「郵」などけっこうある。このうち「郵」は,熟語の数はある程度あるが,いずれも近代以降の「郵便(制度)」の意味の合成要素として使われていて,この意味の訓読みはない。
 「鬆」という字も,普通には「骨粗鬆症」でしかお目にかからない。「粗鬆」という言葉(および「鬆」を使う他の熟語)は,専門語としては前からあるのだろうが,骨粗鬆症という言葉が一般に知られるようになったのは比較的最近のことであり,それに伴って「鬆」という字が復活したという点で,やや珍しい例といえそうだ。この字には「す」という訓読み(「すが入る」の「す」)もあるという点でも,「郵」とは趣を異にする。
 それにしても骨粗鬆症というのは発音しにくい言葉だ。

 十数年前のこと,ある分野での師匠筋にあたる人の奥さんが,自宅で転んで骨折した。当時,五十代後半ぐらいだったその奥さんは,医者に尋ねたという。
「あのう,こんなに簡単に骨折するなんて,やはり骨粗鬆症でしょうか」
 するとお医者さんは穏やかな笑みを浮かべて,
「いや,骨はかなり丈夫でな方ですよ。まあ,奥さんの場合は,骨粗鬆症ではなく,粗忽症ですね。」

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May 01, 2005

鶴見と三河島

 福知山線の事故のニュースを聞いて反射的に思い出したのは,1963年11月9日の横須賀線鶴見事故である。横須賀線は,神奈川県南東部にいた私にとって,京浜急行と並んでもっとも身近な鉄道だったから,その衝撃は大きかった。家族や知人が乗っていてもまったく不思議はない状況であり(本拠地の「横須賀線私記」参照),実際死者161名の中には私の高校のOBも何人かいた。
 テレビで初の米国からの衛星生中継放送が行われ,ケネディ大統領暗殺のニュースが飛び込んできたのは,その2週間後,23日のことだった。

 世間的に鶴見事故の衝撃が大きかったのは,その前年5月3日に常磐線三河島事故があって死者160名を出してからわずか1年半後であり,しかも,夜9時半過ぎに貨物列車が脱線したところに上下2本の電車が衝突するという事故の状況がよく似ていたからである。
 三河島では,電車から乗客が線路に降りたところに別の列車がやってきて被害を大きくした。そのため(だったと思うが),非常時にドアを開けるコックの脇に「車外に出る場合には他の電車に注意してください」というようなステッカーが貼られるようになった。しかし,皮肉なことに,非常用ドアコックというのは,乗客が車外に出ることができなかったために多数の乗客が焼死した「桜木町事件」を教訓に,乗客にわかる位置に設置されるようになったものだという。

 数年前から仕事の関係で三河島駅で乗降することが何度かあり,あるとき同行していた取引先の若い人に「三河島駅というとまず三河島事故を思い出しちゃうんですよ」という話をした。三河島事故の死者では,1人だけ身元のわからないまま近くのお寺に葬られた人がいると聞いたことがある。

 福知山線の事故の2日後の夜,埼京線に乗ったところ,ダイヤが乱れていて,「5分ほど遅れての到着です。ご迷惑をおかけして申しわけありません。」というアナウンスがあった。ふだんなら乗客の間には「急いでるのに困るんだよなあ」というJR非難の雰囲気がひろがるのだが,このときばかりは「いいよいいよ,もうスピード出して取り返さなくていいからね」と一同暖かく見守った(ような気がした)。

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