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January 2006

Jan 30, 2006

三都物語――(9) 『ローエングリン』補遺

 帰国後,ウィーンの『ローエングリン』についてネットに何かないかと検索していたら,「K&Kの生活」というブログにめぐりあった。見ると,なんとウィーン・フィルおよびウィーン国立歌劇場のオーケストラのメンバーである青い文字のKさんと,ウィーン国立歌劇場の合唱団のメンバーであるピンクの文字のKさんの夫妻によるブログだった。
 「22回目の結婚記念日」と書いてあるので,あれ,かなり年配なのかと思ったら,毎月結婚記念日を祝っているという。
 12月3日の『ローエングリン』のプレミエについては,出演していたピンクのKさんが舞台上で「鳥肌が立ち,涙がたまった」と書いている。

 ウィーンのオペラの合唱には,東洋人も,特に女声にはけっこういた。その中で,『ローエングリン』の4人の小姓の1人として Yoko Ueno さんという名が配役表に載っていた。

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Jan 28, 2006

ゲルギエフの圧縮リング 後半

 ゲルギエフの『ニーベルンクの指輪』の後半は,上演自体よりも,上野の雪景色で記憶に残るかもしれない。『ジークフリート』のあった1月21日は,ほとんど一日中雪が降り,古い防寒靴をはいて出かけた。長年上野に通っているが,東京文化会館の中から雪景色を見るのは初めてだった。最初の休憩のときはまだ明るかったが,2度目の休憩のときはかなり暗く幻想的で,舞台上の原色の世界と好対照だった。0601ueno-snow1


 ジークフリートは「怖れ」を知らないが,オーケストラは疲れというものを知らず,2日続きの超大曲を大音響で奏でた。前の来日の時も感じたが,ここのオーケストラは,木管,特にクラリネットとオーボエの音が異様に大きい。しかも,力が有り余っているとみえて,休憩の時にモーツァルトのクラリネット協奏曲などを聞かせてくれた。
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 全体に荒っぽいのは前半と同じだが,後半は大部分が既知のモチーフばかりだし,耳が慣らされたために,思ったより疲れなかった。歌手は,『ジークフリート』のジークフリートが若々しく,やんちゃ坊主という感じで役に合っていた。さすらい人は序夜と同じニキーチンで,序夜より良く,『ワルキューレ』のヴォータンよりはるかに良かった。『神々のたそがれ』の歌手は,総じて小粒,ブリュンヒルデは『ジークフリート』の日の人の方がましだった。
 舞台装置は,巨大な石像4つを中心としたもので,これ自体は特にいいとも悪いとも思わなかった。だいたい,ワグナーの舞台装置は,どんな形でもそれなりのやり方はあると思う。
 しかし,人の動きについては,舞台空間の「高さ」が生かされていなくて単調だった。小鳥さえ,のそのそ歩いて登場した。そして,もっとも問題だと思ったのは照明だった。ほとんど原色でしかも突然変わり,その割に炎があまり燃えなくて,最後までなじめなかった。

 不満足なところが多い今回のリングだったが,それでもナマで見てよかったと思ったのは,結局はワグナーの音楽の力によるところが大きい。リングの作曲は,『ジークフリート』の途中で10年中断し,この間に『トリスタンとイゾルデ』『マイスタージンガー』が生まれた。リング後半の長大な2曲が,ずっと同じモチーフを使っていながら音楽の表情が多彩で飽きさせないのは,この10年の間の円熟の成果だろう。

 見たオペラの指揮者をカウントしてみたところ,前回のキーロフオペラ来日の時点でゲルギエフがトップになっていたのだが,今回さらに伸びて17回となり,2位のサヴァリッシュ,若杉弘(10回)に大きく差をつけた。サヴァリッシュはもう増えないだろうから,しばらくは独走が続く。
   (1/29 写真を追加)

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Jan 26, 2006

三都物語――(8) 『ローエングリン』

◇白熱灯
 いったんホテルに戻る。途中,市庁舎前の広場でクリスマス市をやっていて,イルミネーションが美しかった。E0512_2Wien_11

 少し休み,着替えてから,トラムを乗り継いで国立歌劇場へ向かう。
 歌劇場は,昼間は雪空のもとに沈んでいたが,暗くなると共に息を吹き返し,ガラス越しに白熱灯がまばゆく輝いている。「手動」の扉を押し開けて中へ入り,暖かさにほっと息をつく。

◇バルツァ
 (6)で書いたように,今回唯一あらかじめインターネットで切符を確保してあったのが,この日の『ローエングリン』だった。Parkett(平戸間)の席で,1枚157ユーロである。
 人気のサイモン・ビシュコフ指揮,バリー・コスキー演出のこの『ローエングリン』は12月3日にプレミエになったばかりで,ウィーンではこの曲の新演出は30年ぶり。この日は最初の6回の上演の最終回だった(次は3月に4回上演される)。オルトルート役は予告ではアグネス・バルツァで,月間予定のパンフレットでも表紙を飾っていたが,当日のポスターにその名はなかった。(後で聞いたところによると,ゲネプロ直前で降板し,結局一度も出演しなかったという。)

◇スポンサー
 クロークは有料で,「定価」が表示されていた。以前は「お志」だったように思うが。平戸間なので,階段をほんの少し上がるともう客席である。E0512_2Wien_12

 ドア係からプログラムを買う。新書を細長くしたようなサイズは昔と同じだが,表紙がカラーになっていた。100ページあるが大部分ドイツ語で,あらすじのみ英語・イタリア語・フランス語・日本語で書いてある。プレミエなのに,ちゃんと実際の出演者が実際の舞台で歌っている写真が入っているのは,ドレスリハーサルのとき撮って急いで入れたのだろうか。
 なお,今シーズンの筆頭スポンサーは Lexus,つまりトヨタであり,プログラムの表紙裏は Lexus の広告だった。

◇巨漢歌手
 6時開演,ビシュコフは上着なしでチョッキのようなものを着て登場した。第1幕は暗い色彩の抽象的な舞台,現代の服装で,合唱は椅子に座っていて最初はほとんど動かず,オラトリオ状態だった。
 前の座席の背に取り付けられた液晶字幕装置(ドイツ語・英語選択可)は初体験である。画面の視野角を狭くして,他の席の字幕が気にならないようにしてあるらしい。舞台とは方向が違うので視点の移動が大きいのが難だが,文字は見やすい。

 音楽はきわめて充実していた。ビシュコフの指揮はみずみずしく,ワグナーの若さと円熟の調和点にあるこの曲の若さの方を強調しているように思った。オーケストラも非常に張り切っていて,エルザが大聖堂に歩んでいく場面など,ウィーンならではの息をのむ美しさだった。
 タイトルロールはヨハン・ボタ(Botha)という相撲取りのような体型の巨漢で,見かけによらず美しい声だった。この巨体でどんな殺陣を演じるのかと思ったら,決闘では武力でなく念力で闘っていた。エルザはイソコスキ,オルトルートはヤニア・ベクレ(と仮に書いておく;Baecleという綴り),テルラムントは日本でも何回か接したシュトゥルックマンで,いずれも高水準だった。(イソコスキは,たまたま12月のテレビで,N響のウィーン演奏会に独唱者として出ていたのを見たばかりだった。)

◇蛍光色
 演出は,一言でいうと珍妙だった。それは舞台装置が奇妙だからという要素が大きい。舞台は大部分は暗く,その中でわずかな舞台装置は黄緑色の蛍光色。白鳥は登場せず,蛍光色の鎖が人々の頭の上でヘビのように動くのみ。合唱はその後椅子からは立ったが,ほとんど動かず,婚礼の合唱はカーテンの向こうで歌われていた。新婚のベッドもなく,2人は椅子に座っていた。
 そして,最大の特徴は,エルザを盲目にしてしまったことである。これはもしかしたらいいアイディアなのかもしれない。しかし,舞台装置や照明と合わせて総合力を発揮するには至らなかった。最後の場面の弟ゴットフリートは胎児の形で半透明の袋に入ってぶらさがっていた。

◇無秩序
 休憩は2回。そういえば前のときも同じだったが,休憩が何分なのかは表示されない。終演時間は,パンフレットにもポスターにも律儀に書いてあるのだが。
 休憩の時,売店に客が無秩序に群がるのも,以前と同じである。ビールはそれほど高くないが,つまみはけっこう高かった。

 終演は10時半。盛大な拍手が続いた。プレミエのときは演出家へのブーが激しかったという。
 ラストオーダー直前のレストランに飛び込んで,遅い夕食をとった。

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Jan 21, 2006

ゲルギエフの圧縮リング

 怒濤の「指輪ウィーク」の最中である。マリンスキー劇場(サンクトペテルブルク)の,というよりはゲルギエフの『ニーベルンクの指輪』,今回の第2チクルスは,水木土日という前代未聞の condensed Ring である。
 以前このブログの2004年5月の項で考察(?)したように,『指輪』上演の最短日程は「RWやSやG」だと思っていた(先週の第1チクルスもこの形)が,今回は後半の超大曲の間に休みの日がない。しかも,第1チクルスの後,中1日しかなかった。

 ロシアの体力勝負のオーケストラならまあ可能なのだろうと思っていたのだが,前半の2曲を聞いたところでは,オーケストラ以外も含めて,やっぱりかなり大ざっぱな演奏だった。さらに大変な今日・明日,集中力を保つのは困難だろう。もっとも,これは聞く方も同じだが。
 序夜『ラインの黄金』は,歌も演出もごたごたしていて,休憩なしで座っているのがつらかった。『ワルキューレ』は,曲のせいもあるが,少しはまとまっていた。第1幕では,ジークムントとジークリンデが声・姿とも若くてなかなかよかった。しかし,ヴォータンが,特に第3幕では声が響いてこなくて,最後がちっとも盛り上がらなかった。
 新国立劇場の「指輪」(2001~2004) の不思議な明るさがなつかしくなった。

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Jan 13, 2006

三都物語――(7) 雪のウィーン

◇トラム
 翌日,8:30を過ぎてやっと朝の明るさになった町へ出た。まずは概観というわけで,地下鉄と違って外が見えるトラム(路面電車)に乗って,リンクを4分の3周してみた。ヨハン・シュトラウスの像でおなじみの市立公園も冬枯れで寂しげだ。一方で,そこらじゅうにあるクリスマスの飾りつけが華やかさを提供している。
 途中で雪が降ってきた。E0512_2Wien_4

 リンク南西部のブルク門でトラムを降り,王宮へ。名物の観光馬車を引く馬もコートを着ていて,中には耳にもカバーをした馬がいた。

◇伊万里焼
 ハプスブルク家の銀器・食器コレクションの展示と,シシィ博物館の共通チケットを買って王宮内に入った。日本語を含むいくつかの言語のイヤホンガイドがあり,ありがたいことに無料だった。客に食事を「ほどこす」など,おかしな日本語も聞こえてきたが。E0512_2Wien_5

 銀器・食器の展示では,華麗なヨーロッパの食器の間に伊万里焼のコレクションの部屋があり,落ち着いた雰囲気でほっとした。
 シシィ博物館は,フランツ・ヨーゼフ1世とエリザベート(愛称シシィ)の成婚150年の2004年に開館したもので,実際に皇帝夫妻が使っていた部屋をそのまま利用している。新しい施設なので,映像や音声を駆使したわかりやすい展示になっている。

◇50年
 外へ出ると,雪はますます激しくなっていたので,コートのフードをかぶって歩いて国立歌劇場へ。当日券売り場で,インターネット購入した当夜のチケットを受け取った。ユーザーIDを提示するだけで,まったくスムーズに発券された。E0512_2Wien_6

 ケルントナー通りの店で昼食をとって暖まったあと,歌劇場裏に新しくできた国立歌劇場博物館で,戦後の劇場再開50年の展示を見た。入場料は3ユーロしたが,展示は1部屋だけだった。

 1980年の初の日本公演のポスターもあってなつかしい。50年前のものとしては,当時総監督だったカール・ベームが,ブルーノ・ワルターあてに送った出演依頼の電報があった。バレエ関係では,ヌレエフの衣装などが展示されていた。E0512_2Wien_7


 雪は小やみになったが,風は強く,少し歩いただけで体が冷える。やむなく,カフェに入ってコーヒーとケーキとする。

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Jan 12, 2006

ビルギット・ニルソン死去

 他の新聞では見あたらなかったが,東京新聞11日夕刊に,ソプラノのビルギット・ニルソンの訃報が出ていた。享年87歳。(不思議なことに,東京新聞のサイトの訃報欄にも出ていない。)

 ショルティの『指輪』で親しんだニルソンを唯一ナマで見たのは,1980年のウィーン国立歌劇場日本公演の『エレクトラ』のタイトルロールだった。その前に,1974年のバイエルン州立歌劇場初来日のときのブリュンヒルデ(『ワルキューレ』)として予告され,プログラムにも載っているが,実際には来日しなかったと思う(私が聞いた日はイングリッド・ビョーナーが歌った)。

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Jan 08, 2006

三都物語――(6) 『ヘンゼルとグレーテル』

◇ダメもと
 今回の旅行では,ウィーン2泊めの国立歌劇場の『ローエングリン』については,最初から予定して切符の手配をしておいた。インターネットで,座席表を見て席の位置まで確認して予約することができた。
 それ以外は特に予定はしていなかったが,プラハでオペラを見た勢いで,ウィーンの第1夜も,ダメもとでフォルクスオーパーに行ってみようということにした。この日の出し物は,クリスマス・シーズンの定番『ヘンゼルとグレーテル』である。
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◇当日券
 地下鉄で「四角形の他の3辺」をたどってヴェーリンガー通り・フォルクスオーパー駅で降りた。ウィーンの庶民的なオペラハウスであるフォルクスオーパーは,前に来たときと比べて外壁の色が変わって,少し華やかになっていた。当日券売り場へ行ってみたところ,案の定「売り切れ」の表示が出ている。しかし中に人がいるので念のため聞いてみたところ,なぜか2枚あるといって1枚56ユーロの切符が出てきた。
 フォルクスオーパーはここ数年,オペレッタ以外の演目が増えていて,今シーズンの予定を見ても『カルメン』『蝶々夫人』『フィガロの結婚』など「普通のオペラ」が多く並んでいる(一方でミュージカル『サウンド・オブ・ミュージック』もやっている)。
 普通の平日は10時か10時半に終了するような時間設定だが,今日は子供向けに9時に終わるよう7時開演である。少し時間があったので,両替をし,軽食をとった。
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◇因縁の歌手
 会場へ入ると,子供でいっぱいだった。親や祖父母に連れられ,多くはきちんとした服装をしてきている。結局,客席の半分ぐらいは子供で,かなり騒がしかったが,序曲が始まると一応静かになった。
 往年の名歌手カール・デンヒの演出で,リアルなお菓子の家が出てくる楽しい舞台だった。しかも魔女役はマーラ・ザンピエリで,この日がフォルクスオーパー初登場だった。ザンピエリは,二十数年前にいわゆるひとつのハネムーンでウィーンに来たとき,国立歌劇場のヴェルディ『マクベス』でマクベス夫人を歌っていた。その後は聞く機会がなかった因縁の歌手に,思いがけない形で再会した。

 終演後,ステージに背広の人が出てきて,なにやらセレモニーが始まった。プログラムに挟まれたメンバー表をよく見ると,兄妹の父親ペーター役のウィクス・スラッバートという人の告別公演と記されていた。感謝状(?)が贈られ,本人のスピーチがあり,子供たちも神妙に聞いて拍手をしていた。上手側バルコニーにはテレビカメラも入っていた。

 終わって,こんどは四角形の1辺をトラムで帰り,ホテルの近くのイタリアンの店で夕食とした。

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Jan 07, 2006

三都物語――(5) プラハからウィーンへ

◇大劇場
 プラハからウィーンへ移動の日となった。
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 朝,少しだけ時間があったので,「新市街」地域も見てみようと,地下鉄のムゼウム(博物館)駅で降りた。少し高いところに国立博物館のいかめしい建物がそびえ,町を見下ろしていた。
 国立博物館を背にしてちょっと歩いたところに,国立歌劇場があった。前日のスタヴォフスケー劇場を小劇場とすれば,こちらが大劇場にあたり,バレエや演劇も含めて幅広い演目が上演されるらしい。ただし,これも定員1058人である。
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◇雪の峠越え
 あわただしくホテルに戻り,チェックアウトして,ホレショヴィツェ駅へ向かう。中央駅と違ってこぢんまりしていて,かなりうらぶれた雰囲気だが,国際列車が発着するだけの風格を備えている。昼食用にサンドイッチなどを買い込む。

 ウィーン行きの列車は,定刻の10時26分に発車した。定員6名のコンパートメントで,真ん中の2席が空席だったので,そこにトランクを置かせてもらった。発車してまもなく草原となり,北海道ほどではないが,本州よりはスケールの大きな風景が広がる。やがてかなりの雪のある峠となって,列車は少しずつ遅れ始めた。オーストリア国境の前後でパスポートチェックがあり,EU共通のデザインのスタンプが押された。
 定刻より20数分遅れて,14時54分にウィーン南駅に着いた。E0512_2Wien_1

◇一時解放
 (3)で書いたように,ウィーンにはある程度なじみがあり,初訪問の土地の緊張から一時解放された。
 ホテルは,リンク北側からトラムで1駅のところだった。小さなホテルだが,プラハのよりは少しグレードが高い。少し休んでから,4時半を回ってもうすっかり暗くなった町へ出た。
 地下鉄の駅でまず市内交通の24時間チケットを買った。30年前に初めてウィーンに来たときは地下鉄はまだなく,町の中心部では大らかに露天掘りで地下鉄工事をしていた。今は,5路線が整備されていて,このうち,U1~U3が純粋の地下鉄,U4,U6は大部分高架の市街電車を市内鉄道網に組み込んだものである。

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Jan 03, 2006

三都物語――(4) 『ドン・パスクワーレ』

◇5分前
 一度ホテルに帰ってしばし休んでから,オペラに出かけた。

 地下鉄の最寄り駅で降りたのだが,地上へ出てみると自分の居場所がわからなくなった。ウィーンでは,角の建物には必ず通りの名が書いてあったという記憶があるが,ここはそうではなく,さんざん歩き回り,人に聞いたりもした。かなり余裕を持って出かけたはずなのに,7時開演の5分前にやっとスタヴォフスケー劇場にたどりついた。

◇バルコニー席
 劇場の内部は,古典的なオペラハウスの様式をよく保っていて,小さいながらまことに華麗である(定員は638)。
 席は2階(日本式にいえば3階)の「個室」で,中にはコート掛けと鏡がある。ゆったりしているし,上演中に多少体を動かすこともでき,快適である。椅子は3つあるが,1席は後ろで,伸び上がって前の人の間から舞台を見るような感じで,3人まとめてのときにのみ売るようだった。バルコニー席はみな同様(ただし,3+1,3+2,4+2などいろいろな大きさがある)で,この後ろの席を除いた座席数は570ぐらいとなる。
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◇発明家の家
 この日のパヴェル・ミクラーシュティクという人の演出の『ドン・パスクワーレ』(ドニゼッティ)は,その前々日が初日だが,この日も「プレミエの2回目」と表示されていた。1日目とは少しメンバーの入れ替えがあったようだ。指揮者はオリヴェル・ドホナーニで,95年・97年に東京で見た『ドン・ジョヴァンニ』の指揮をしていた人だった。
 プログラムはチェコ語と英語で書いてあったが,始まってみたら,字幕もチェコ語と英語だった。ドン・パスクワーレは発明家という設定で,歯車で動く道具や自転車などいろいろな「近代的」な機械に囲まれている。原作にはない(と思うが)バレリーナ6人が夢の中の人物として登場し,はね回るのがおもしろい。歌手はいずれも芸達者で,喜劇を喜劇らしく,軽やかにこなした。
 劇場は小さくても,休憩時のビュッフェはなかなか充実していて,無秩序に人が群がるのはウィーンと同様だった。

◇小雨の町
 9時半に終わると,外は小雨が降っていた。
 旧市街広場まで歩き,レストランに入る。チェコ風の料理が大部分「品切れ」だったのは残念だったが,スープで暖まり,チェコのビールを飲み,充実した1日をしめくくった。
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三都物語――(3) One Day@プラハ

◇充実の1日
 「三都」のうち,ウィーンは,これまでに私は3回,同行者(カミさん)も2回訪れたことがあるので,「なつかしい街」なのに対し,プラハとブダペストは今回が初めてである。
 プラハ滞在は,到着の翌日1日とその次の日の朝だけで,3都市中もっとも短かった。しかし,町の中心部は狭いのでざっとは見ることができたし,思いがけずオペラを見たし,食事も昼夜それぞれちゃんとしたものを食べ,内容は充実していた。
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◇クリスマス市
 中心部の旧市街広場やムーステク広場にはクリスマス市が立ち,クリスマスの飾りや冬の日用品,軽食などの「屋台」が並んでいた。クリスマス休暇の子供たちが先生に連れられてやってきて,屋台をひやかして歩いていた。
 『ドン・ジョヴァンニ』が初演された劇場があった。いろいろな変転をとげたようだが,今の名はスタヴォフスケー劇場(英語表記では Estate Theatre)という。見ると,今夜そこでドニゼッティの『ドン・パスクワーレ』があるという。裏の方の国立劇場チケット売り場へ行ってきいてみたら,バルコニー席があったので買う。1人600コルナ(1コルナは約5円)だった。
 旧市街広場で昼になり,広場を囲む教会の鐘がなり,からくり時計が時を告げた。
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◇カレル橋
 ヴルタヴァ川を渡る有名なカレル橋は,車が通らないので雪が積もり,どろどろになっていた。寒風の橋上ではディキシーランド風のジャズバンドが演奏していた。「カレル橋」は,英語の表示では Charles Bridge となっていた。そりゃまあ,そうですが…。
 橋のたもとのスメタナ博物館はこの日休みだった。
 カレル橋を渡り,西側の丘の上の城に登ると,ヴルタヴァの向こうに「百の塔の町」が広がっていた。

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Jan 02, 2006

80回

~~~あけましておめでとうございます~~~

 年末は,ヨーロッパに出かけ(報告は連載中),帰ってから時差ぼけのまま2日間仕事をし(うち1日は大掃除だったが),1日置いて信州某所に出かけて中高年スキーをし,年越しをして,元日夜帰宅した。

 定期的に読んでいるブログで,留守中の分をまだ読めていないものもあり,三が日でなんとか追いつきたい。

 数えたら,2005年のこのブログ,書き込みは80回で,ほぼ週1.5回ペースだった。10日ぐらい空くこともあった割りにはまあまあの回数になった。
 ブログ3年目を迎えた今年,これ以上ペースを上げるのは難しいが,上記のヨーロッパの報告のほか,「神保町70's」の連載が進行中だし,短くてもこまめに書きたいと思う。

 本拠地ともども,今年もよろしくお願いいたします。

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