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February 2006

Feb 28, 2006

『荷風!』神保町特集の飲食店

 関心のある方はとっくに読んだことと思うが,『荷風!』の神保町特集号(→参照)に登場する飲食店をリストアップしておく。

 まず,カレー店の記事には,ボンディ共栄堂エチオピアムガール・マハールの4店。それぞれ店主に取材している。錦華通りのMには取材拒否されたという。カレーと関係のないエチオピアがなぜ店の名になったかも語られている。

 それから,レストランでも食堂でもなく「キッチン」という視点で,キッチン南海キッチンジローキッチングランが挙がっている。ジローの会長の小林二郎氏へのインタビューがおもしろい。昔,創業の地・南神保町店(今の店より少し東にあった)でよく見かけた丸顔がなつかしい。
 70年代前半だと思うが,そのジローに入ろうとして小銭がないのを思い出し,「1万円札でいいですか」と聞いたことがあった。当時,2品の盛り合わせは300円台だったと思う。二郎サン(名前は知らなかったが)に「どうぞ,どうぞ。いやあ,そういうこと聞いてくれるお客さん,ありがたいですよ」と言われて,かえって恐縮した。

 それから,別格として独立の記事になっているのが,ランチョンさぼうるの2店。さぼうるのマスターへのインタビューも内容豊富である。さぼうるの記事には,ラドリオ,ミロンガ・ヌオーバ,エリカを紹介するコラムもある。

 居酒屋エッセイの名手,太田和彦の「神保町居酒屋探検」では,銘酒居酒屋さらさらいちこう菊水兵六浅野屋を訪ねる。ほかに,名前だけ出てくるのは,みますや,鶴八,八羽。このうち,さらさらというのは入ったことがなかった。
 飲食店を紹介しているわけではないが,なぎら健壱の「神保町とアタシ」というエッセイも,神保町への入れ込み具合がおもしろく語られている。スタバ脇の路地のモノクロ写真が,今どき珍しく裏焼きになっているのがご愛嬌。フィルムから手作業で現像したのだろうか。

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Feb 26, 2006

三木稔『愛怨』の初演

 先週の週末の新国立劇場は,三木稔『愛怨』の初演だった。新国立劇場の委嘱新作は次の4作に続く5作目である。
  團伊玖磨『建・TAKERU』(1997)
  原嘉壽子『罪と罰』(1999)
  一柳 慧『光』(2004)
  久保摩耶子『おさん』(2005)

 このうち,『罪と罰』以外は見たが,その中で今回の『愛怨』はもっともよくできていて,楽しめる上演だった。何年かして再演されるならまた見たいと思う。
 音楽は,團伊玖磨よりは新しい響きがするが,おおざっぱにいえば保守的で,美しいメロディもあり,特にとがったところはない。スパイス不足の感もあるが,大劇場の観客を一応楽しませるのにちょうどいい線を狙ったものだろう。

 『愛怨』は,台本が瀬戸内寂聴の書き下ろしということも話題のひとつだった。ストーリーは日中の歴史をふまえてスケールが大きく,また,合唱が適度に配され,悲劇の中にコミカルな場面もあって,変化に富む。『建』『おさん』のつまらなさは,台本が作曲者によるものだったことも要因のひとつだろう。
 それから,歌詞がほぼ聞き取れる職人的なオーケストレーションも,台本を生かすのに役立っていた。

 ストーリーでひとつ問題なのは,囲碁の対局での「不正手段」として,負けそうになった猛権が相手の石を飲み込もうとするという点だ。「公式戦」なら記録係や立会人がいるはずだし,まして対局者は手順と石の配置をすべて覚えているから,物理的に石が消えても意味がないと思うのだが。

 休憩時のロビーでは,紫色の僧衣の瀬戸内氏が多くの人に囲まれていた。カーテンコールでも,出演者以外では瀬戸内氏が真っ先に壇上に登場した。

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Feb 23, 2006

特報 その後

 2/14に「錦町更科に酒が登場!」と書いたが,営業時間は変わっていないらしく,4時半に通りかかったら閉まっていた。したがって,飲むには午後休暇をとる必要があり,幸か不幸か入り浸る心配はない。定年後の楽しみとしよう。

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Feb 22, 2006

三都物語――(17) 地下鉄とトラム

 これまで時間の順で概要を記したが,以下,「テーマ別」の補遺を少し書く。

◇3路線
 3都市とも,地下鉄を軸に,トラム(路面電車)とバスが絡み合う形で市内交通を担っている。
 プラハとブダペストの地下鉄は共に3本の路線があり,規模も同じくらいである。ブダペストでは3本の路線がデアーク・フェレンツ・テールという1つの駅で交わっているのに対し,プラハでは中心部で3本の路線が小さな三角形をなしていて,2路線の交わる駅が3つある。
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◇エスカレーターの速度
 最初に乗ったプラハでは,1日券はタバコ屋で買うようになっていた。タバコ屋とはいっても,飲み物だの新聞だのちょっとしたお菓子もあって,ミニコンビニだった。
 改札口に日付を入れる機械があるので,そこに切符を通して入場する(これは3都市共通)。最初に乗った駅で,エスカレーターが速いのに驚いた。感覚としては日本の地下鉄駅の1.6倍ぐらいのスピードだ。エスカレーターで歩く場合は左を歩き,止まっている人は右に立つヨーロッパ(および大阪!)式だったが,これだけ速いと,歩く人はさすがに少数派のようだ。E0512_4-2

 ホームは広く,トンネルの幅が広い。大阪の御堂筋線の天井を低くしたような感じである。路線ごとにラインカラーがあって,乗り換えも迷うことはない。しかし,(4)で書いたように,外へ出たときにそこがどこなのかがわからなくて困った。地図つきの出入り口案内図がほしいところだ。

 ウィーンでも1日(24時間)券,ブダペストでは3日券を,駅の窓口で買った。いずれも,トラムやバスにも乗れる。
 どこも,普通は切符をチェックしない。ブダペストで1回だけ,ホームへ入ったところで検札があった。

◇銀座線E0512_4-3
 ブダペストの地下鉄1号線は,メインストリートのアンドラーシュ大通りの下を走っている。これはなんと,ロンドンに次いで世界で2番目に古い地下鉄だという。駅は,古風だが,きちんと手入れされていた。古いから浅いところを走っていて,駅間は短く,ラインカラーはオレンジがかった黄色,駅はタイル張りで,あらゆる点で東京の銀座線(これは「東洋初」の地下鉄というのが開業時の宣伝文句)と似ている。
 3線の乗換駅デアーク・フェレンツ・テールは,銀座線との対比では銀座駅のような存在で,乗り換えはけっこう遠い。

 各線の車内に『ハウルの動く城』のポスターがあった。駅のエスカレーターでは,着物の女性の写真があるなと思ったら,アラーキー(荒木経維)の写真展のポスターだった。
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Feb 21, 2006

トリノの新種目

 トリノ・オリンピックは,あっという間にあと3分の1となった。
 ウィンター・スポーツをナマで見たことがないのだが,スキーやそりでは,コース全体が見える観客席というのは存在しないのだろう。とすると,観客席では,オーロラビジョンのようなもので前半をみて,後半を双眼鏡で見る,ということになるのだろうか。それ以前,映像がなかった時代というのはそれほど昔ではないが,全体の様子はラジオ中継を聞くしかなかったはずだ。
 そもそも,同時に滑るのが1人というのが,他の競走と違う点である。

 トリノではいろいろ新種目があるが,今まで見た中では,3人のチーム2組で滑るスケート追い抜きと,4人が競走するスノーボードのクロスがおもしろかった。
 ことにクロスは,ふつう1人ずつ滑るスキー,スノーボードの中にあって,4人が同時に滑るというのは鮮烈な見ものだった。スタートダッシュが重要なのだろうと思うが,その後も狭いコースでいろいろな駆け引きがあり,一瞬のうちに前の2人が転倒したりする。4人のうち2人ずつが勝ち進むというのも他の競技にないやり方だ。

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Feb 18, 2006

『魔笛』――土俵入りと代役

 新国立劇場は昨シーズンからモーツァルトのシリーズをやっているが,生誕250年の今年,1月に『魔笛』,2月になって『コジ・ファン・トゥッテ』を見た。『コジ』は昨年プレミエになったものである(→参照)。

 『魔笛』はミヒャエル・ハンペの演出で,3回目の上演。しかし,まったく見覚えのない場面ばかりだったので,後で調べたらこれまでの上演はなぜか見ていなかった。
 抽象的な美しい舞台装置に古典的な服装で,特に刺激的ではないが,歌手もまあ一応の水準で,十分に楽しめた。冒頭の大蛇は妙にリアルだった。

 『魔笛』は,70~80年代には1年半に1回ぐらいの割合で見ていたのだが,90年以降は頻度がぐっと落ちて,今回は6年ぶりだった。
 今回もそうだが,ザラストロの神殿の司祭たちは,円形の台の縁に並ぶことが多い。昔見た二期会の舞台では,1列で出てきて,円形の台の縁をぐるっと歩いて位置に着いたので,思わず同行者に「土俵入り!」とささやいてしまった。

 これまでに見た中では,1984年のハンブルク歌劇場が持ってきたものがいちばん変わった演出だった。魔法の鈴で浮かれて踊り出す動物たちが,開幕前のロビーでうろうろしていた。その「動物」が客の後ろから肩をたたいて振り向いかせ,ぎょっとさせるといういたずらが行われていた。
 このとき,夜の女王役の2人が共に不調で,急遽釜洞祐子が呼ばれ,開演40分前に歌うことが決まって,非常に立派に代役を果たしたということがあった。その前年に日生劇場の主催公演の『魔笛』で初めて聞いた釜洞がすばらしかったので,また聞きたいと思っていたところだった。
 私は行かれないが,今来日中のシュトゥットガルト歌劇場の『魔笛』はかなり「新しい」演出らしい。

 「魔笛」は「魔弾」と共にオペラ専用の単語である。かつて二期会が『魔法の笛』というタイトルで上演したことがあったが,世の趨勢は変わらなかった。

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Feb 16, 2006

誕生日の偶然

 個人情報を公開することになってしまうが,わが家は1988~89年の宮崎勤事件と深い関わりがある。
 以下は,4件の幼女誘拐事件が起きた日付である。

 1989年  8月 △日  埼玉県入間市 真理ちゃん
     10月 ○日  埼玉県飯能市 正美ちゃん
     12月 □日  埼玉県川越市 絵梨香ちゃん
 1989年  6月 ☆日  江東区東雲  綾子ちゃん

 これらの日付が,当時の4人だったわが家のメンバーの誕生日とみごとに近似している。すなわち,2人は誕生日が上記のうちの2件の日付と一致,他の2人はそれぞれ1日違いなのである。これの確率って,(1/365)×(1/365)×(3/365)×(3/365)ですか?――あまり考えたくないけれど。

 長いこと忘れていたのだが,先日の判決のニュースを見て思い出してしまった。

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Feb 14, 2006

特報: 錦町更科に酒が登場!

 更科布屋直系の創業130年の老舗「錦町更科」の前を通りかかったら,外に貼り出した(というより立てかけた)季節ものメニューの端に,なんと「2時よりお酒をお飲みいただけます」として,ビールや酒,つまみのメニューが少し書いてある。神保町近辺の食事と酒に関して,ワタシ的には近年最大のニュースだ。
 前に本拠地の「昼食ニュース」2004年2月号に「この店はご飯ものなし,酒なしという本当に「純粋なソバ屋」である(うどんはある)」と書いたが,その一角が突然変更になったわけだ。
 ただし,入りびたってしまいそうで怖い。

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屋根の形――神保町の元5軒長屋

 前に靖国通り南側の5軒長屋のうちの3軒が取り壊されたことを書いたが,その場所で新築工事が始まっている。残った2軒の側面を斜めから見ると,後ろが少し複雑に折れた腰折れ屋根の形がよくわかる。隣に建物のない今だけの眺めである。J060214a

 下記の『荷風!』の神保町特集に,「11軒長屋」だったころの威容を示す写真(1953年)が載っている。
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Feb 08, 2006

三都物語――(16) フィナーレ

◇普通の日曜日
 リスト博物館が休みというのは知っていたので他の所へというわけで,再び地下鉄に乗り,エステルハーツィ家のコレクションを中心にした国立美術館を目指した。昨日のガイド氏は,今日は「普通の日曜日」だと言っていたのだが,行ってみると扉は閉ざされていた。E0512_3BP_16

 しかたなく,トラム,バス,徒歩でホテルへ戻る。コーヒーを飲んで暖まり,預けておいたトランクを受け取った。

◇空港へ
 予定の4時半より少し早く,漢字で「……様」と書いたボードを持った運転手がやってきた。現地の交通のうち,最初と最後の市内・空港間の車だけは,ツアーの一部としてセットされている。(行きのプラハ着のときは,飛行機が遅れて利用できなかった。)
 もうすっかり暗くなった街を,車は空港へ走る。運転手は英語を話す人で,「こんどは夏に来たい」と言ったら,「いや,夏は暑いよ」という。データでは真夏の平均気温は21度ぐらいなのだが。
 30分足らずで空降着。残ったハンガリー・フォリントをユーロに交換してから(日本円はなかった),チェックイン。こぢんまりした免税店でハンガリーワインを仕入れた。

◇意気阻喪
 以後,ほぼ予定通りで,パリ・シャルルドゴール空港で乗り継ぎ,日本時間の翌日夜7時に成田に到着した。結局,都市間の交通で遅れなかったのは帰りの日本への飛行機だけだった。
 成田で飛行機から出てきたカミさんのトランクは鍵がこわされ,中が荒らされていた。荒らされていたが,何も盗られていなかったのは,泥棒氏が,あまりがらくたばかりなのですぐ意気阻喪したに違いない。それでもいろいろな手続きに,思わぬ時間がかかった。
 スカイライナーで9時半上野着。その12時間後には出勤していた。
    (このあと,少し「補遺」を記す予定)

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三都物語――(15) ミサ,それ無にす,雑念を

◇青空
 翌朝,クリスマスの日,早めに朝食を食べて,急いで荷造りの仕上げをし,チェックアウト。しかし,夕方このホテルに空港までの車の迎えがくるので,トランクを預ける。E0512_3BP_11

 地下鉄とバスを乗り継いで王宮へ行く。昨日までと違って,クリスマスの朝を祝福するように,青空が広がり,日があたっていた。この旅行で唯一のちゃんとした青空だった。バスが着いたのは王宮の南東の端の方で,昨日見た中心部の方まで歩く。王宮といっても店があり,人家があって,街と融合している。
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◇ミサ曲 ハ長調
 マーチャーシュ教会に着いたが,ミサのことは書いてない。ただ「tourist は13:00まで入るな」という掲示があり,ミサがあるらしいということはわかる。ガイド氏の情報のようにベートーヴェンのミサ曲が演奏されるのかどうかはわからなかったが,ともかく入ってみる。
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 昨日「準備中」だった内部に,ほぼ「満員」の人が集まっていた。10時になり,神父と助祭が入場し,後ろの聖歌隊席からオーケストラが鳴り響いて,ミサが始まった。ベートーヴェンのミサというのは,『ミサ・ソレムニス』以外にたしか1曲 C-dur のがあったような記憶があったが,聞いたことはなかった。しかし,聞こえてくる音は,まぎれもなくベートーヴェンの音だった。(帰国後,CDを買った。確かに 作品86の C-dur のミサというのがこの時の曲だった。)
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 定型どおり,ミサは進行した。神父はラテン語で祈りを唱え,ハンガリー語で説教をし,またラテン語でミサ曲を導入する聖歌を歌った。良い声というわけではなかったが,音程は正確で,ミサ曲の各曲への導入をきちんと果たした。神父さんには絶対音感が必要らしい。オーケストラは,少なくとも管楽器はプロが中心ではないかと思う。要所を締めた端正な演奏だった。E0512_3BP_15


◇ラザニア
 12時少し前にミサは終了した。一応カトリック系の学校の出身者の私にとって,なつかしく,また心の洗われる時間だった。英語を教わったハンガリー人のN神父のことを思ったりもした。
 外へ出ると,青空は消えていて,また曇り空が広がっていた。人々は晴れやかにクリスマスのあいさつを交わしている。
 王宮の地域にはいくつかの博物館・美術館があるのだが,いずれもクリスマスで閉まっていた。北西の端まで歩き,モスクヴァ広場からトラムに乗った。橋を渡ってペスト側へ行き,地下鉄に乗り換えてで中心部へ行く。
 レストランはやはりクリスマスで休みのところが多く,かなりあちこちさまよった末,1時半ごろ,やっと見つけたイタリア・レストランに入る。スープとラザニア,サラダ各1人前を頼んだら,ラザニアはちゃんと2つに分けて持ってきてくれた。

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Feb 06, 2006

三都物語――(14) 閉ざされたクリスマス・イブ

◇特ダネ
 市内ツアー中,ガイド氏から重要な情報を得た。クリスマスイブは,すべての公共交通が4時で終わり,レストラン・商店も,ホテル以外は午後は休業だという。商店や劇場が閉まるというのは聞いていたが,地下鉄まで止まってしまうとはどこにも書いてなかった。泊まっているホテルは地下鉄でないと帰れない場所なので,もしこのツアーに参加しなかったら,市内で立ち往生するところだった。
 もうひとつ,ガイド氏によると,翌日は王宮のマーチャーシュ教会でクリスマスのミサがあり,ベートーヴェンのミサが演奏されるという。これは,ホテルにあったどのパンフレットにも書いてなかった特ダネである。E0512_3BP_09a
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◇ホッと,ワイン
 プラハと同様に,広場にはクリスマス市の店がたくさん並んでいた。昼食の場所を求めて繁華街をうろついたが近くには何もなく,クリスマス市まで戻って,屋台でソーセージと豚肉・タマネギ炒めを買い,野外のテーブルで食べた。油をかなり使って大きな鍋で豪快に炒めていた。プラハの屋台にもあったホットワインを飲んで暖まった。E0512_3BP_10
 ブダペストにも名物のカフェがいろいろあるので,入ってみたいと思っていた。しかし,どこもすでに閉店して後かたづけをしている。マクドナルドさえ,同様だった。しかたなく,高級ホテルのコーヒーラウンジでコーヒーにありついた。

◇夜長
 「終電」が迫り,3時半にホテルへ帰った。部屋にクリスマスのチョコレートが置いてあった。
 しかたなく,午睡。
 夕食はホテルのレストラン以外に選択肢がない。それも8時までだというので,7時に夕食に行き,少ないメニューの中からグーラッシュとランプステーキを食べる。ランプステーキは日本でもまあありうるくらいの大きさだったが,付け合わせのフライドポテトや温野菜が皿からあふれそうに盛ってあった。これはそれまでの経験から予想していたので,メイン・ディッシュは1人前にしておいてちょうどよかった。
 「冬の夜長」は,テレビでクリスマスの歌番組を見たり,写真データの整理をしたりしたりし,合間に荷造りの準備をして過ごした。

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三都物語――(13) 市内周遊

 ブダペストには,2泊したあと夕方出発なので滞在はまる2昼夜で,3都市のうちでもっとも時間がある。しかし,ちょうどクリスマス・イブだったために,予想外のことに遭遇することになる。E0512_3BP_06

◇バシリカ
 『コシ・ファン・トゥッテ』の翌朝,9時発の市内観光バスに間に合うようにホテルを出た。パンフレットでは市内観光バスは聖イシュトバン大聖堂(バシリカ)前から出発すると書いてある。しかし,大聖堂を1周しても,それらしいものは何もない。
 とりあえず,という感じで大聖堂へ入ってみたのだが,その壮大さに圧倒された。旧市内では国会議事堂と共にもっとも高い建物だという。祭壇ではクリスマスのミサの準備が行われていた。日本人の団体が来たので,ガイドの説明を少し離れて聞く。

◇寒風の丘
 地下鉄の乗換駅デアーク・フェレンツ・テール駅まで戻ったところ,広場に Budapest Sightseeing と書いたバスが止まっていた。日本語を含む12か国語イヤホンガイドつきの3時間の市内ツアーがまもなく出発だというので,乗ることにする。E0512_3BP_07

 30代ぐらいの男性ガイドが登場,非常にきれいな発音の英語・フランス語で説明が始まる。中学校で英語とフランス語の教師をし,休日だけガイドをしていると自己紹介があった。旧市街をゆっくり走り,英雄広場,ゲッレールトの丘,王宮で下車する手軽なコースだった。必見とされる国会議事堂は含まれないが,今日は閉まっているとのことで,どっちみち外からのみである。

 冷たい風に吹かれながら丘から川と街を見下ろす。川を挟んで西側の丘の上に城があり,東側の平地に街が広がっているという構造が,プラハと共通している。そのため,思い出の中でプラハかブダペストかが混乱し,結果としてプラハの印象が薄くなってしまった感じもする。E0512_3BP_08
 王宮では,オーストリア=ハンガリー二重帝国の皇帝としてのフランツ・ヨーゼフとエリザベートの戴冠式が行われたマーチャーシュ教会も見ることができた。

 出発した広場に予定通り1時に戻った。

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Feb 05, 2006

三都物語――(12) 『コシ・ファン・トゥッテ』

◇4夜連続
 同行者が客席に忘れ物をしたりという「事件」もあったが,充実した内部見学ツアーは45分ほどで終わった。
 内部の華麗な姿や舞台の準備風景を見てしまうと,やっぱり今夜もオペラ,ということになり,当日売りのチケット売り場で『コシ・ファン・トゥッテ』のチケットを買った。平土間で,1枚Ft9800だった。4夜連続のオペラとなる。
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 外へ出るともう真っ暗で,街はクリスマスのイルミネーションに飾られている。といっても,色とりどりというわけではなく,白熱灯を街路樹に飾ったものが中心である。
 何はともあれ,食べ損なった昼食を,というわけで,すぐ近くの気軽な中華の店に飛び込み,炒め物と焼きそばを食べ,さらに歌劇場向かいのカフェに入って,ほっと一息つく。E0512_3BP_04

◇まばゆい明かり
 歌劇場に入ると,まばゆい明かりに照らされ,ツアーのときは静かだったところに人があふれ,華やかな雰囲気になっていた。クロークにコートを預け,平土間9列目の席へ。プログラムはモノクロ16ページの簡単なもので,英語とドイツ語であらすじが書いてあった。
 7時開演。ハンガリー語の字幕付きだった。見学ツアーで見たアール・ヌーヴォー風(?)の舞台装置に照明が当たり,表情を一転させていた。装飾は優美だが,写実的に作ってあるわけではなく,適度にモダンな舞台装置である。
 6人の歌手のうち2人はイタリア人らしい名前で,他はハンガリー人,若者役の5人はみな細く,まあ若くて,快調。台本にはないコメディア・デラルテ風な助演者3人と,舞台を転換させる黒子が登場した。E0512_3BP_05

◇夜食
 10時に終演となった。
 上記のクリスマスの飾りを見たり,ウィンドウ・ショッピングをしつつ街を少し歩いたが,手軽にちょっとだけ食べるような店が見あたらず,やがて地下鉄の終電の時間が迫ったので,やむを得ずホテルに戻った。
 ホテルのバーは誰も客がなくがらんとしていたが,ピザがあるというので,ピザとビールで夜食とした。

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三都物語――(11) ブダペスト国立歌劇場

◇昼食抜き
 国立歌劇場の内部見学ツアーが4時からある。国立歌劇場では今夜は『コシ・ファン・トゥッテ』があるが,見るかどうかはなりゆきまかせということにして,見ることになっても一応対応できる服装にし,休む間もなくホテルを出た。
 ホテルのすぐ前に地下鉄3号線の駅があり,3日間チケットを買った。窓口のおばさんは「今日からのチケットか」となぜかドイツ語で訊いてきた。ブダペストの地下鉄3路線がすべて集まるデアーク・フェレンツ・テール駅で1号線に乗り換え,オペラ駅で降りると,国立歌劇場が目の前にそびえていた。色合いはくすんでいるが,手の込んだ華麗な装飾がほどこされている。とうとう昼食を買うひまもなかった。E0512_3BP_02

◇靴にカバー
 内部見学ツアーは英語・ドイツ語・イタリア語・フランス語があり,それぞれのガイドのところに集合する。最初に,靴にビニール袋のカバーをするよう求められた。英語のガイドは美人の学生だった。
 まず,平土間の客席に座った(他のガイドと重ならないように見学の順番が調整されているらしい)。ガイドが「みなさんはどこのオペラハウスに行ったことがありますか」ときき,アメリカ人が「Houston Grand Opera!」と陽気に答えた。うーん,カルチュラルお上りさんめ! 私が「Vienna」と言うと,それを受けて「この劇場の建設にあたっては,その少し前にできたウィーンやパリのオペラの影響を受けています」と「概論」の説明が始まった。
 馬蹄形の古典的なオペラハウス仕様で,プラハのスタヴォフスケー劇場よりは大きく,ウィーン国立歌劇場よりは小さい。舞台では,今夜の『コシ・ファン・トゥッテ』の舞台装置の組み立てをしている。バックステージも含めたステージの大きさは,ロンドンのロイヤル・オペラハウスの次に大きいという。
 続いて,2階正面の貴賓室とお付きの部屋,シシィ(皇妃エリザベート)愛用の部屋(下手,オーケストラピットの真横),優美な曲線を描く階段などを回った。天井や壁面の絵や装飾も美しく,さらにいろいろな曲の初演ポスター,リストやコダーイなどの胸像もあって,見所いっぱいだった。

◇後日談
 帰国後,1月にNHK BSでベルリン・フィルの2005年ヨーロッパ・コンサートの放映があり,なんとこのブダペストの国立歌劇場での公演だった。客席や天井画も映ったので,食い入るように見てしまった。しかし,あの小さなホール(客席は1300ほど)でベルリン・フィルの大音響を聞いたらもう音が充満してしまうのではないかと思った。

 それから,われわれの1週間ぐらい前にブダペストで歌劇場を見学し,帰国後このBSの放送を見たmitsukoviolaさんの sotto voce というブログを発見した。順序は違うがプラハ,ウィーンにも行き,ウィーンの『ローエングリン』も見たとのこと。
 われわれにはまったく無縁だった快晴のブダペストの写真がまぶしい。

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三都物語――(10) ウィーンからブダペストへ

◇トランクは廊下
 『ローエングリン』の翌朝,荷造りをしてから朝食をとり,タクシーでウィーン西駅へ行く。行き先のブダペストは南東方向だが,列車は西駅から出発する。12:30にブダペストに着くからと思って昼食を買わなかったのが,後で災いを招くことになる。
 10:03 発予定の列車IC345ベオグラード行きは,遅れて10:10ごろ入線してきた。プラハからの列車もそうだったが,「何号車」というような単純な表示はなく,トランクを押しながら右往左往してやっと指定の席を見つけた。6人のコンパートメントに6人乗ったのでトランクは入らず,廊下に置いて手すりとハンカチで結びつけた。

◇風車の丘
 しかし,車両トラブルがあったとのことで,なかなか発車せず,動き出したのは10:55ごろだった。ウィーンを出ると大部分は平原で,雪はほとんどない。途中初めて青空も少しのぞいた。風景でちょっと目立っていたのは発電用の風車。30~40基(と数えるのだろうか)密集している丘もあった。
 出国・入国手続きがあり,またEUマークのスタンプが押された。途中少し遅れを取り返したが,ブダペスト直前でまた遅れた。腹が減って,隣の夫婦がパンに野菜をはさんで食べているのがうらやましい。12:28着の予定だったのが,1時間以上遅れて13:40にブダペスト東駅に着いた。E0512_3BP_01

◇good taxi
 頭端式のプラットホームを歩いていくと,タクシーの運転手が客引きにやってくる。ハンガリーのタクシーはあまり安心して乗れないという情報もあったが,トランクをかかえて乗らないわけにもいかず,一生懸命 good taxi だと主張する運転手の案内でまず駅構内で両替してから,空腹をかかえたままタクシーに乗った。地図と見比べてみたが,妙な回り道をすることもなく,ホテルに到着,メーター通りの額を請求されたので一安心し,チップを加えて支払った。
 ホテルはプラハ,ウィーンのホテルより大きく,部屋が9階だったので景色もよかった。日本語のパンフレットも置いてあり,「ハンガリーでいちばん有名な日本人は指揮者の小林研一郎さんです」という一口知識が書いてあった。

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Feb 02, 2006

2誌で神保町特集

 『自遊人』3月号(隔月刊 発行:カラット)が「神田神保町」を特集している,と書こうとしていたら,『荷風!』Vol.7(日本文芸社)の「神田神保町,御茶ノ水の究極」という特集の号が出て,競演となった。

 『自遊人』は古本屋・古書および文士との係わりが中心である。食べ物屋も文士に縁があった店がとりあげられている。
 『荷風!』の方は幅広く何でも(アダルト関係もあり),という感じで,飲食関係だけでも,カレー,キッチン・ストリート,居酒屋,ビヤホール,喫茶店,といった項目が並んでいる。

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