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March 2006

Mar 29, 2006

神保町桜だより

 神保町三井ビル南側のアンズが咲いてから10日たって,東京の桜の開花となった。三井ビル東側の桜(写真は28日午後)はよく見るとまだつぼみが多いが,見て美しいのはこのころだという気がする。
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Mar 22, 2006

「宮川泰の」恋のフーガ

 作曲家の宮川泰氏が死去した。

 各新聞の訃報では「恋のバカンス」「宇宙戦艦ヤマト」が代表作として挙がっていたが,個人的には「若いってすばらしい」「何もいわないで」(園まり)「涙のかわくまで」(西田佐知子)「銀色の道」(ダークダックス)などもなつかしい。――こうしてみると,昔はけっこう「歌謡曲」を聞いていた。

 しかし,これらと同様に重要だと思うのは「恋のフーガ」である。これは作曲はすぎやまこういちで,宮川氏は編曲者だったのだが,ティンパニが印象的なイントロを含め,宮川氏の手腕で「名曲」となった。すぎやま氏もこの功績を認め,この曲の印税の一部を宮川氏に分配しているという。

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Mar 21, 2006

オペラ劇場で野球中継

 今日21日(祝日)午後の新国立劇場『運命の力』に出かけた。
 開演15分前ぐらいに会場に入ったところ,切符もぎりを入ってすぐ左に異様な密度で人が集まっている。見ると,ふだんは劇場内部を映している液晶モニター(かなり大画面)で,なんとワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝の日本―キューバ戦の中継を放映していた。
 実は6―3になったところまでラジオを聞いていたのだが,その後食事をしているうちに,10―5になっていた。9回裏キューバの攻撃で,1点返されて10―6となり,なかなか決着がつかない。まだ終わらないようだと開演を遅らせてもらわないと,などという声も聞こえていたが,大塚がなんとか踏ん張って最後のバッターを三振にとり,ロビーに大きな拍手がわいた。開演2分前だった。

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Mar 15, 2006

一人文化の日 (3)――横須賀「銀次」

 ゆっくり見たので,見終わるともう閉館時間だった。五島一族の屋敷群を見ながら駅へ戻る。日が長くなって,まだ明るいが,そろそろ居酒屋文化探訪の時間である。
 多少迷った末,ふるさと横須賀の「銀次」に行くことにし,東横線に乗った。太田和彦『居酒屋味酒覧』(新潮社)に横須賀で唯一載った店が銀次で,前から気になっていた。
 乗り換えは非常に接続が良く,京急で横須賀中央に着いたのは5時半過ぎだった。昨年夏のホッピー探訪に続く「帰省酒」である。横須賀ではたいして飲んだことはないのだが,「銀次」という看板は見たことがあったような気がしていた。行ってみたら,それもそのはず,知人のやっているとんかつ屋の向かいだった。

 引き戸をがらりと開けて入ると,そこは太田氏が書いているように「時の止まった空間」だった。まず,横須賀名物のホッピー。「横須賀風」に当然三冷(グラス,焼酎,ホッピーを冷やす)で,冷蔵庫の一升びんに入った焼酎をグラスに注いで出てきた。ただしここでは,氷を入れるかどうかを聞かれた。
 かなり広い厨房を囲んでL字型のカウンターが十数席,テーブルが数卓。厨房はおじさん1人とおねえさん4人で,注文が入ると必要な人数が一瞬のうちに連携して動き始め,多くの注文は20秒足らずで出てくる。揚げ物も,純粋に揚げている時間プラス10秒ぐらいしかかからない。

 つまみは300円から400円が大部分で,シコはなかったがアジがあったのでアジ刺と,大根煮,菜の花辛子和えなどを食べた。大根煮は大3切れ,小1切れで,煮え方の段階がいろいろで色とりどりだった。アラも少し付いていて,内容豊かである。
 ホッピーの後,燗酒を頼んだら,店名と「招徳」という酒の名の入ったとっくりで出てきた。
 となりで食べていたモツ揚げというのがおいしそうだったが,この日は昼間すでに揚げ物(カキフライ)を食べているので,やめておく。

 うーんすばらしい,と一人つぶやいて,そろそろ満席になった店をあとにする。外はもうすっかり暮れていた。
 充実した半日の「文化の日」だった。

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Mar 14, 2006

ブログ記念日

 今日3月14日はブログ記念日である。2004年の3月14日に,このブログを始めた。意識としては13日なのだが,実際に最初の記事をアップロードしたのは日付が変わって14日になってからのことだった。
 2年間で書いた記事は187本,平均すると3.9日に1本ということになる。

 ブログの内容を印刷・製本して本にするサービスを始めようとしている知人からの依頼で,このブログのデータを提供したところ,簡素ながらきれいな本が試作品としてできてきた。ゆったりと組んであるので,今年2月14日の記事までで248ページにもなった。0603blogbook1

 毎日書いている人も多い中で3.9日に1本というのはたいした頻度ではないが,めくってみると,ブログという手段がなければ書き留める気もしなかったことが文字として残っていることに,いろいろな感慨がわく。
 それにしても,昔の人が日記や身辺雑事の記録に費やしたエネルギーの大きさには,あらためて感嘆するばかりである。

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Mar 12, 2006

一人文化の日 (2)――源氏物語絵巻

 交通博物館を出て,古い洋食の店・松栄亭で遅い昼食とする。食べたのは,いかにも手作りの不揃いなパン粉に包まれたカキフライ。貼り紙のメニューには「3月末日までです」と注記がある。
 万世橋駅の時代から続く旧連雀町の古い店のたたずまいを眺めてから,地下鉄の駅へ向かう。

 この日のもうひとつの目的地は,「よみがえる源氏物語絵巻」展を開催中の世田谷の五島美術館だった。下車駅は大井町線の上野毛。駅の真ん前は環八の喧噪だが,それを渡って数十メートル入ると静かなお屋敷町で,樹木も多い。
 美術館に着くと,入り口に「ただいま入場は40分待ちです」という貼り紙が出ている。切符を買うのに並ぶわけではなく,展示室内の人数を調整しているのである。どうしようかと思ったが,平日に来ることはもうできないだろうし,ほどなく「30分待ち」に貼り替えられたのをきっかけに,やっぱり切符を買って並ぶことにした。

 25分ぐらいで中へ入れた。入れたが,ちゃんと見るには順序通り1列で行くしかなく,きわめてゆっくりした歩みで進む。
 展示は,1)絵巻の現在の姿のディジタル技術による複写,2)昭和30年代の復元模写,3)このほど完成した平成の復元模写の3種を,各面ごとに並べて対比できるようにしたものがメインである。復元模写というのは書かれた当時の色合いを推定して描いたもので,平成の復元模写にあたっては,すっかり退色して見えなくなっていた模様を,蛍光X線分析で明らかにし,また使用している絵の具を分析して元の色を推定するなどしたという。ただし,あくまで「模写」,つまり日本画家が筆で描いたものであり,CGではない。

 混んでいてゆっくり進んだおかげで,解説を読み,じっくり見比べることができた。
 全部で19面のうち,「使用前・使用後」がいちばん大きく違うのは,最初の「蓬生」である。本物の現状は大部分が泥の海のような状態だが,中央部は実は藤の花と蓬の庭で,左の源氏と惟光は涼しげな夏の装束だった。それだけに,右上の末摘花の家のあばら屋ぶりが目立つわけである。
 その他の絵も,青系統の方が退色している度合いが大きく,それを復元したものは非常にさわやかな印象である。
 ほかにも,江戸時代の古模本,剥落模本(剥落した状態を模写したもの),木版刷りによる複製などがあり,1室だけの展示だが,充実した内容だった。

 五島美術館に前に来たのは2000年秋,やはり源氏物語絵巻で,徳川美術館と五島美術館に分かれて所蔵されているすべてが一度に見られる展示のときだった。
 このとき売店で買い物をしたら,お釣りに2000円札が入っていた。この年の7月に発行された2000円札が「実用」に供されるのを初めて体験した。しかしよく考えたら,2000円札の図柄は源氏物語絵巻で,しかもこの五島美術館所蔵の「鈴虫二」であり,これはいわば「ご当地もの」なのだった。

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Mar 11, 2006

一人文化の日――旧万世橋駅

 昨年2月と同様,某平日の午後,休日出勤の代休をとって個人的な文化の日とすることにした。

 まず出かけたのは,今年5月14日限りで閉館になる交通博物館(東京・神田須田町)。閉館に伴うイベントとして開催されている「旧万世橋駅遺構特別公開」に出かけた。平日は1回20分で17回,土日祝日は1回15分で26回開催されていて,この日の13:10の回を予約しておいたものである。0603mansei1
 明治末から大正にかけて,万世橋駅は中央線の終点で,繁華街にそびえる赤レンガの大ターミナルだったが,やがて中央停車場(東京駅)ができて万世橋はターミナルでなくなり,関東大震災で焼失した。簡素な2代目駅舎のあと,1936年に3代目の駅舎ができたが,そのときにそれまでの万世橋駅の基礎を利用して駅に併設されたのが交通博物館の前身の鉄道博物館だった。万世橋駅の廃止は戦時中の1943年である。0603mansei2

 20分のツアーの割には,30分前からものものしく予約のチェック,集合,点呼,注意事項の説明などがあった。定刻となり,ぞろぞろと展示室を横切り,脇の廊下の途中のドアをくぐると,石組みのアーチが見える部屋になっていた。ここで6分間の解説ビデオを立ち見してから,ホームへ通じる古い階段を登る。階段のへりが欠けているのは,戦時中に金属を供出したためだという。0603mansei3

 登った先は,ホームの上に顔を出したガラスの小部屋になっていて,春の日差しがまぶしい。中央線の上下線の間にあるあの古いホームである。すぐ脇を中央線のレンガ色の電車が地響きをたてて通過していくのを,二度と見られない位置から写真に撮って,あっけなく終了となった。

 交通博物館に初めて入ったのは,小学校3年の夏で,その夏休みの最大のイベントだった。宿題の絵日記の中で,この日の項は,模型鉄道パノラマの絵など4ページの「特大号」だった。
 新しい「鉄道博物館」が大宮に開館するのは,2007年の鉄道記念日の予定である。

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Mar 06, 2006

いづれの御時にか

 何年先からかはわからないが,「次の御時」には天皇誕生日は2月23日になる。2月は短い上にすでに11日が休日なので,23日も休日になると「この忙しいときに,まったくもう…」という感じになるかもしれない。特に月末締めといった1か月サイクルの仕事の人には,年度末も近いし,2月はきついことになりそうだ。

 イギリスの君主の「公式誕生日」(Official Birthday)は,実際の誕生日と関係なく,6月の第2土曜日で,旧英連邦諸国では祝賀行事がある。
 日本でも大正時代には,天皇の誕生日は8月31日だが,天長節の行事は10月31日に行われていたそうだ。8月では学校が夏休みだし,暑いから正装で式典をするのがたいへん(紅白まんじゅうがすぐ傷む!)ということがあったのではないかと想像する。
 ちなみに,戦前,地久節(皇后誕生日)は女学校だけ休みだった。

 もし,実際の誕生日と関係のない祝日を設けるとしたら,祝日のない6月にするのはどうだろう。もっとも,そのころには私にはもう曜日は関係ない可能性が高いが。

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Mar 03, 2006

オペラ400回

 本拠地の「オペラの章」に書いたように,記録のある1974年以降,オペラを見た回数が,昨年末でちょうど400回になった。ダブルビルは2回と数えながら,プッチーニの三部作は1回と数えるなど,統一のとれないところがあり,厳密な回数は意味がないが,12月のヨーロッパでの4回が加わって年末にちょうど区切りの数になって,スロットマシンで当たりが出たような気分である。

 作曲家別の回数は,長い間モーツァルトがトップだったのだが,97年にヴェルディが追いつき,以後抜きつ抜かれつの熱戦を繰りひろげた。2001年のヴェルディイヤー(没後100年)で決定的に差が広がり,ヴェルディの1位はゆるがない。

 次に熾烈になったのが,モーツァルトとワグナーの2位争いで,昨年9月から10月の『マイスタージンガー』2つと『タンホイザー』『オランダ人』で,モーツァルトに2ゲーム差に迫った。このあと,予定ではウィーンの『ローエングリン』で1ゲーム差になるはずだったが,予定外の『コジ・ファン・トゥッテ』(ブダペスト)が入って2ゲーム差のまま2005年は暮れた。
 今年になって,ゲルギエフの「リング」で一気にワグナーがトップに出たが,その後新国立劇場のモーツァルト2本が加わり,今ふたたび同数で2位に並んでいる。

 このあと今年前半は,モーツァルトとワグナーは各1回で2位同数のまま,ヴェルディは3回で盤石の1位という予定である。

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Mar 02, 2006

『Asahiパソコン』休刊

 いつものように,駅の売店で『Asahiパソコン』を買った。これまでとまったく違う赤1色の表紙で,春の模様替えだと思ったのだが,見ると真ん中に「終了しますが,本当によろしいですか」というダイアログ・ボックスがあり,「はい(Y)」「いいえ(N)」というボタンがある。なんだか様子がおかしいなと思いながら中を開けると,扉ページになんと休刊のあいさつがあった。
 休刊の予告は実は前々号(つまり1か月前)に出ていたのだが,うかつにも気づかなかった。朝日新聞にも出たらしい。

 創刊は1988年11月だから約17年半前である。私が初めてパソコン(NECの98note)を買ったのが91年暮れで,この雑誌はたぶんそのころ買い始めたから,14年以上読んでいたことになる。
 毎号買っていたのは,まあ惰性でということもあるが,理由を挙げるなら,薄くて軽いこと,月2回刊で情報の鮮度がいいこと,初心者向け・中級者向けの内容のバランスがよいこと。そして振り返ってみると,いちばん重要なのは,オジサンにも抵抗がない比較的落ち着いた言葉遣い・レイアウトだった。

 終刊号では,パソコンについての情報はまさにパソコンによってネットから得られる状況で,パソコンを扱う雑誌というものの限界が語られている。
 しかし,情報の垂れ流しでなく,時間というフィルターと編集という過程を経て届けられる雑誌という形態は,存在意義を失っていないと思うのだが。

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Mar 01, 2006

神保町の「パンツ店」

 前述の『荷風!』神保町特集号に,靖国通り沿いの商店街のいろいろな時期の写真があるが,その中の戦前のもの2枚に,「Oda's Pants」というしゃれたロゴを掲げた店が写っている。三省堂書店の向かって右隣,いまCDショップのある場所だと思う。
 その店の店名は,真ん中が電柱に隠れていて見えないのだが,右横書きでどうも「小田パンツ店」と書いてあるらしい。店名の上に取扱品目とおぼしきものが3行縦に書いてあり,そこにも右の行に「パンツ」と書いてある。(他の2行のうち,左の行は「制服」のようだが,中の行は読めない。2字で,下の字は「匹」か「匠」のように見えるが。)

 この店の「パンツ」はまさか下着ではあるまい。「パンツ」という言葉の用法の変化が話題になったのは80年代だったような記憶があるが,そのはるか昔から下着でない用法があったことになる。もちろん,モダンな名称として店名にしたのだろう。

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