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April 2006

Apr 28, 2006

ネットで注文,ブログが本に

 3月14日の項に予定ということでちょっと書いたが,ブログの内容を手ごろな値段で印刷・製本して本にするサービス MyBooks がスタートした。
 ネット経由で注文し,PDFファイルで仕上がりを確認してから製造するというやり方である。本の大きさ,縦か横か,文字の書体・大きさ,表紙のデザイン・色,序文・目次の有無,コメント・トラックバックを含めるか,など多様な選択肢がある。
 料金は,基本料金+ページ単価で,1冊から注文できるが,冊数が増えればかなりの割引がある。

 知人の依頼で,その開発のためのサンプルデータとしてこのブログの内容を提供したところ,いろいろな試作を経て,このほど,写真のB6判のおしゃれな本ができあがり,MyBooks サービス開始の発表の席で関係者に配布された。
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 タイトルは『Bloghissimo―神保町便り』とした。Bloghissimoというのは「とってもブログ」というような感じの造語である。内容は2004年3月14日の開始から2006年4月11日までのもので,まったく一過性の記事は除いたが,244ページの立派な本になった。
 ネット上に浮かんでいる言葉がこうして手に取れる形になるのは,何ものにも代え難い喜びである。思いがけず「著書」が誕生して,昨夜は一人祝杯を上げた。

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Apr 23, 2006

三省堂パーラー ――神保町'70s (7)

 三省堂書店神田本店の西側,「兵六」のはす向かいあたりの位置の1階に,かつては「三省堂パーラー」があった。書店の当時の建物の一部なので天井が高く,荘厳とまではいかないが落ち着いた雰囲気の「洋食店」で,学生にはちょっと敷居が高い感じだった。
 もはや断片的なシーンしか記憶にないが,白髪のボーイ長がいて,昼に集中する客を各テーブルに割り振っていた。メニューにはある程度高級なものもあったのかもしれないが,昼食に食べたのはカレーやスパゲッティナポリタンだった。ここで知った料理としてはドライカレーがある。
 これは店のせいではないが,タバスコが指についていたのに気づかず,手で目をこすってひどい目にあったこともあった。

 三省堂書店は,大震災後復興すると,文具,学生服,靴,帽子などの売り場や洋食堂を作り,「学生のデパート」を標榜していたという。その後かなり変化があったが,70年代になっても,洋服部,レコード店,それにこのパーラーは健在だった。
 先述の『荷風!』の神保町特集の記事によると,旧本店は1937年の建築で,1980年まで使われた。この取り壊しと共にパーラーも消えた。

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Apr 22, 2006

ふるさと銀河線の終焉

 北海道ちほく高原鉄道「ふるさと銀河線」が20日限りで100年近い歴史に幕を閉じた。前身は池田と北見を結ぶ旧池北線で,140kmの長大路線の廃止という例のない事態となった。
 私が乗りに行ったのはちょうど5年前で,このときは最北の稚内から襟裳岬に近い様似まで,S字形のルートで旅をした。連休の北海道は早春の風情だった。[参照:「北海道大S字紀行――宗谷・ちほく・日高」(本拠地 「鉄道の章」の「『車窓伴影』後の断章」にあり)]

 私が乗ったことのある線が廃線になったのは,北海道では深名線に続いて2つめになる。深名線はまあ純粋にローカル線だったが,このたびのふるさと銀河線は,最初は札幌と道東をを結ぶ「本線」として開通した歴史を持つ。
 遠くまで鉄道に乗りに行くようになったのがだいぶ年をくってからだったのでやむを得ないことだが,北海道には,私が乗らないうちに廃線になった鉄道がたくさんある。今回,北海道の中央部に大きな空白が広がった。

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Apr 19, 2006

手書きの定期券

 通勤定期の表示では,この5年間,年をとらなかった。申込書には,その都度,正しい年齢を書いていたのだが,係のおばさんはいつも前の定期を見て入力していたらしい。
 ところが今春は,久しぶりに正しい年齢が入力され,玉手箱を開けたわけではないが一気に5年年をとった。

 駅の改札が自動化されてからずいぶんたって忘れかけていたが,磁気化される前の定期は,有効期限や駅名がゴム印で押されていた。女性の定期には,名前の下に赤鉛筆で線が引いてあった。
 私は学生のときの一時期,3線にわたる定期を持っていた。ちゃんと1枚で発行されたが,2度乗り換えて行く下車駅の名のゴム印の用意がなく,駅名は片方手書きだった。

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Apr 16, 2006

京都御所――雅楽と桜

 用事で京都に出かける日が,ちょうど京都御所の一般公開期間中だったので,午前中のうちに見ることにし,少し早く東京を出た。ふだんでも事前に申込みをして見学することはできるのだが,年に2回,春と秋の各5日間は申込みなしで見学できる。20年ぐらい前の秋の公開を見て以来,2回目である。
 地下鉄の京都駅ですでに「京都御所の一般公開に行かれる方は今出川でお降りください」というアナウンスがあり,今出川ではかなりの人が降りた。平均年齢の高い人の流れに乗って門をくぐると,満開のしだれ桜が出迎えてくれた。玉砂利の上を歩き,特設テントでの手荷物検査を経て,宜秋(ぎしゅう)門という門から御所内に入ると,以下は順路に従って一筆書きで歩くことになる。0604gosho1

 建物はすべて平屋である。床が高く,屋根も高いが,高楼はない。しかも,建物の中は向こうに屏風があったりはするが,あとは畳が広がっているだけで,前のときにも思ったのだが,まことにあっけらかんとした空間である。「御所」は英語では palace とするほかないが,同じ palace でも西洋の宮殿とはまったく違う。
 現在の建物の大部分は幕末のものだという。例えば枕草子に出てくる清涼殿の姿をどの程度伝えているのかはわからないが,庶民の家が掘っ立て小屋程度なら,まあ一応そびえ立ってはいたのだろう。
 「正殿」にあたる紫宸殿(上の写真)には,「左近の桜」「右近の橘」があって,桜は満開だった。右近・左近というのは,中から見て右左だということを初めて知った。
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 庭の丹塗りの欄干のある舞台で,予告されていた雅楽の公演が始まった。舞台は舞のためのもので,楽員は奥のやはり欄干のある台の上で演奏していた。色とりどりの衣装が春の日に鮮やかである。
 隅に座っている鞨鼓のおじさんがマイクで曲目を紹介し,簡単な説明をする。曲によって編成はいろいろだったが,最後は13人のトゥッティだった。笙3名,篳篥(ひちりき)3名,笛4名,打楽器3名である。笛と篳篥がメロディ楽器だが,斉奏でこれが西洋風のユニゾンを意図しているのか,微妙にずらしているのかがどうもよくわからない部分もあった。
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 見学コースは清所門という門から出て終わる。あらためてしだれ桜を見た。東京より1週間遅い花見だった。
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Apr 11, 2006

ホール・オペラ『トゥーランドット』――「リューの死」のあと

 さて,3日に「速報」だけ書いたホール・オペラ『トゥーランドット』だが,演奏もなかなかよかった。
 サントリー・ホールのこのシリーズは89年ごろ始まり,少しずつ形を変えながら続いている。最初はほぼ純粋に「演奏会形式」で,歌手は譜面台を立てて普通の服装で歌っていたが,93年の『ラ・ボエーム』あたりからしだいに「オペラ化」していったように思う。
 今回は,オーケストラが舞台にのっているのと,合唱がオルガン下の席で動かないのを除いては,衣装・照明・簡単な舞台装置ありの「ほとんどオペラ」である。合唱も人民服のような衣装を着ていた。ソリストの衣装はほぼ伝統的。
 合唱で唯一動いたのは,第1幕で「夕焼け小焼け」みたいな歌を歌う児童合唱で,ハメリンの笛吹きのように,アルト・サックス(この楽器用法はもちろん原曲通り)に先導されて舞台を横切っていった。

 タイトルロールのアンドレア・グルーバーは,かつてワグナー歌手がこの役を歌ったときのような迫力・威圧感はなかったが,筋の通った声で,「人間的」なトゥーランドットだった。ラ・スコーラは意外なことにカラフを歌うのは初めてだそうで,姿よりも若々しい声は健在だった。
 ただし,舞台上のオーケストラの前で歌う歌手にとって,この曲の壮大なオーケストレーションに対抗するのは難しく,歌が聞こえにくい箇所もあった。指揮者・オケもずいぶん気を遣っていたようだが,やたらと抑えてはつまらないし,まあやむを得ないところだろう。2日目・3日目は少し状況が変わったかもしれない。
 リューのスヴェトラ・ヴァシーレヴァは姿も美しく,「儲け役」であるこの役できちんと儲けていた。

 いつも思うのだが,トゥーランドットの歌う歌にはたいしたメロディがない。オーケストラがいろいろやっているから曲になっているが,伴奏無しで歌ったとすると何の曲だかわからないような非個性的な音の動きである。プッチーニは,完成できなかった最終場面で,トゥーランドットをもっと大きく変身させる計画だったのでは,と想像したりする。
 今回のホール・オペラでは,プッチーニ自身が完成させた「リューの死」までとそれ以後とで衣装を替えるなど視覚的に区別していた。これは確かに普通のオペラ上演ではやりにくいことで,ホール・オペラならではである。しかし,見る方にとっては「成立事情」を表現してくれてもたいしてありがたくはない。

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Apr 06, 2006

羅生門 ――神保町'70s (6)

 神保町パークタワーの北側の商店街の中ほどあたりの位置に,とんかつ専門店の「羅生門」があった。「再開発」に伴って閉店した店のひとつである。
 昼だけ営業の店で,入って右に調理場をL字型に囲むカウンター,左に小上がりがあった。メニューはロースライスとヒレライスのみ(ただし,もっと昔はその下にトンカツライスというのもあった)。みそ汁はなく,キャベツの漬け物がついていた。ヒレライスがオイルショック前には300円ぐらいで,新米社会人にとっては少し高めの昼食という感じだった(最後のころは1000円だった)。
 カツは薄目でカラッとしていて,長年のファンも多かった。

 先代のおやじさんのことは記憶になく,思い出すのは,坊さんにしたら似合いそうな柔和な顔立ちの2代目である。彼はほとんどしゃべらない。小上がりの客にはおふくろさんが運ぶが,カウンターの客には,盆にのせた料理を彼がだまってぬーっと出す。
 閉店は1999年の6月で,「34年間お世話になりました」という貼り紙が出た。ということは1965年の開店ということになる。

 羅生門のあと,「庄太郎」(駿河台下交差点から南すぐの左側半地下)もやがてなくなり,昨年「駿河」(自遊時間脇を上がった左側路地)がなくなり,とんかつの店は「いもや」「ニューポート」「まんてん」が残っている。

(このシリーズ,(5)からだいぶ間があいてしまったが,またぽつりぽつりと書いていきたい。)

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Apr 04, 2006

速報――首相が荒川静香と『トゥーランドット』

 3日夜,ホール・オペラ『トゥーランドット』(サントリーホール)に出かけたところ,開演直前に2階上手側ドアから入ってきたのは,去年オペラで2回出くわした小泉首相。しかし今回はなんと,『トゥーランドット』ゆかりの金メダリスト・荒川静香といっしょに現れた。
 2階の後ろの方の席だったので,2階最前列の席に向かう一行の姿がよく見えた。荒川は黒一色のかなりフォーマルな服で,意外と大人っぽくてサマになっていた。
 カーテンコールではリュー役の歌手がイナバウアーのポーズ!をしたりするとおもしろかったのだが,そういうことはなかった。
 首相一行は,終演後もけっこう長く拍手をしてから去っていった。首相は元々オペラ好きだからいいけど,権力の行使で(?)つきあわされた静香さん,お疲れさまでした。

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