« オーストラリアとクロアチア | Main | リゲティと岩城宏之 »

Jun 20, 2006

禮華楼と楽々 ――神保町'70s (8)

 すずらん通りの中ほどには,北側に「禮華楼」,南側に「楽々」という中華の店があった。いずれも古い建物の1階だけの小さな店で,大柄のおばさんが一人で接客していたのも共通する。

 禮華楼は,昔からの2軒の楽器屋の間で,いまは古本屋になっている場所にあった。のれんに(記憶が定かではないが)「ラーメン」と書いてあるだけで店名の看板がなく,常連でも店名を知らない人もいた。メニューはラーメン,タンメン,チャーハン,中華丼などのほか,カレーライスがあった。安くて量はかなりあったが,時には「ラーメンとカレー」といった注文をする若者もいた。カレーは,豚肉がちらほら,福神漬がついた日本的なカレーだった。おばさんは元気のいい肝っ玉母さんふう,客は圧倒的に男が多かった。
 閉店したのは90年代の始めの方だっただろうか。その後,一時信州ラーメンの店になっていたこともある。

 楽々は東京堂書店の右隣,いまは箱形のスペースを店舗として貸す店がある場所にあった。いかにも昔の中華料理屋という感じの赤い枠の外装で,ドアを開けるとコンクリートの床の上にテーブルが5,6個あった。こちらのおばさんはのんびりゆったりで,低めの声の独特のイントネーションで「ありがとざんした」と言った。
 メニューに,普通の軟らかい焼きそばと別に「ソース焼きそば」があるのと,「サンマーメン」があるのが少し変わっていた。店・地域によっていろいろなサンマーメンがあるようだが,ここのはもやしうま煮の載った麺だった。ここも客は男が多かったが,禮華楼よりは女性も入っていた。
 閉店したのは90年代前半だったか,禮華楼よりは後だったと思う。最後のころはずっといたおばさんは姿を消して,小柄な上品なおばさんが店に出ていた。

|

« オーストラリアとクロアチア | Main | リゲティと岩城宏之 »

Comments

禮華楼、懐かしいですね。
1986年当時学生だった私は、神田錦町でダイレクトメール発送のアルバイトをしており、そこの仲間とよく禮華楼に昼飯を食べに行きました。
建物が古かったので、仲間内では「ボロ中」呼ばれていて、正式な店名が「禮華楼」であると知ったのはかなりたってからでした。
懐かしいです。

Posted by: でべそ | Jul 13, 2007 at 10:40 PM

コメントありがとうございます。「ボロ中」ですか。ちょっと気の毒だけど,まあ確かにボロでしたね。

Posted by: 家主IZK | Jul 14, 2007 at 10:55 PM

たぶん禮華楼だと思うのですが、
生姜とにんにくがよく効いたタンメンを出していて
確か値段は330円だったと思うのですが、
正しいでしょうか?
1986-1987年ごろすずらん通りのあたりに通っていて
よくたべた記憶があります。
あのタンメン以上のタンメンに出会ったことがなく
もう一度食べたいなと懐かしい思いとともによく思い出します。

Posted by: たくたく | Sep 09, 2013 at 10:07 PM

コメントをいただいていたのに気づかず,失礼しました。値段は忘れましたが,禮華楼である可能性が高いですね。同僚に,カレーとタンメンを1人で食べる猛者もいました。

Posted by: 家主IZK | Sep 14, 2013 at 02:21 PM

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23118/10602751

Listed below are links to weblogs that reference 禮華楼と楽々 ――神保町'70s (8):

« オーストラリアとクロアチア | Main | リゲティと岩城宏之 »