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June 2006

Jun 23, 2006

スポーツ新聞はつらいよ

 今日23日のスポーツ新聞は,スポニチが「中田 引退白紙」,ニッカンスポーツが「中田 引退か」と対照的な見出しを1面トップに掲げた。

 考えてみると,今日のスポーツ新聞ほど作りにくいものはない。読者はみな未明のブラジル戦の結果を知っているのに,それ以前の内容で記事を作らなければならない。しかも,プロ野球は交流戦終了後の谷間でゲームがないこともあり,やはりこの時期サッカー以外の記事をトップにするわけにもいかない。
 そんな中で,今大会後の引退を示唆するような以前の中田ヒデの発言を,この時点でどうとらえるかを,両紙が少し違う見方で記事にしたわけだ。ただし,記事の内容は,見出しほど正反対というわけではない。

 朝日新聞の夕刊は,その中田が試合後フィールドに倒れた写真を1面に掲載した。

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Jun 22, 2006

Friday monrning headquarters

 W杯ブラジル戦について,スポーツ新聞に「ブラジル,日本戦手抜きなし」という見出しが出ていたが,一方では「日本戦は消化試合と明言」という報道もある。実際どうなんだろうと思うが,なまじっか主力選手を休ませたりすると,控え組が張り切って華麗な個人技を見せたりして,それもしんどい。

 試合開始は23日(金)朝4時。終わった後,寝るべきか寝ざるべきか,それが問題だ。終わるのは6時前だから,まあ寝ない方がいいのだろう。
 でも,よりによってその夜は高いオペラがある。オペラで1分寝ると360円ほど損をする。昼寝をしたいところだが。

 米語に Monday morning quarterback という言葉がある。日曜日に行われたアメリカンフットボールの試合について,素人が月曜の朝に主に戦術の批判をすることに由来する表現で,事が終わってからあれこれ批判する人のことをいう。
 23日にはたぶん Friday morning headquarters が日本中にあふれることだろう。

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Jun 21, 2006

リゲティと岩城宏之

 先週,作曲家リゲティと指揮者岩城宏之の訃報が同じ日に新聞に載った。

 リゲティは,N響の演奏会などで実演を聞いたこともあったと思うが,その音楽については記憶がない。にもかかわらず,リゲティの名が思い出深いのは,ずっと前に音楽についてのあるレファレンスブックの翻訳の手伝いをしたときに,リゲティについての部分の下訳をしたことがあるからである。後で見たら,その部分についてはほとんど下訳のまま完成品になっていて,ひそかに赤面した。

 岩城氏は,中学生のときぐらいから長年,テレビでもっともおなじみの指揮者だった。しかし,その割りに,実演に接したことは少なく,たぶん片手で数えられるぐらいである。最後に聞いたのはもう15年前,1991年3月の歌劇『金閣寺』(黛敏郎)だった。
 岩城氏のエッセイはずいぶん読んだ。「天声人語」氏が書いていたうまいビールの注ぎ方のことはよく覚えている。音楽の裏方さんたちのことを書いたシリーズで,ハープ専門の運送屋さんの車に同乗して知り合いのハープ奏者の家に行き,「○○運送です」と言って顔を出した話には,爆笑させられた。

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Jun 20, 2006

禮華楼と楽々 ――神保町'70s (8)

 すずらん通りの中ほどには,北側に「禮華楼」,南側に「楽々」という中華の店があった。いずれも古い建物の1階だけの小さな店で,大柄のおばさんが一人で接客していたのも共通する。

 禮華楼は,昔からの2軒の楽器屋の間で,いまは古本屋になっている場所にあった。のれんに(記憶が定かではないが)「ラーメン」と書いてあるだけで店名の看板がなく,常連でも店名を知らない人もいた。メニューはラーメン,タンメン,チャーハン,中華丼などのほか,カレーライスがあった。安くて量はかなりあったが,時には「ラーメンとカレー」といった注文をする若者もいた。カレーは,豚肉がちらほら,福神漬がついた日本的なカレーだった。おばさんは元気のいい肝っ玉母さんふう,客は圧倒的に男が多かった。
 閉店したのは90年代の始めの方だっただろうか。その後,一時信州ラーメンの店になっていたこともある。

 楽々は東京堂書店の右隣,いまは箱形のスペースを店舗として貸す店がある場所にあった。いかにも昔の中華料理屋という感じの赤い枠の外装で,ドアを開けるとコンクリートの床の上にテーブルが5,6個あった。こちらのおばさんはのんびりゆったりで,低めの声の独特のイントネーションで「ありがとざんした」と言った。
 メニューに,普通の軟らかい焼きそばと別に「ソース焼きそば」があるのと,「サンマーメン」があるのが少し変わっていた。店・地域によっていろいろなサンマーメンがあるようだが,ここのはもやしうま煮の載った麺だった。ここも客は男が多かったが,禮華楼よりは女性も入っていた。
 閉店したのは90年代前半だったか,禮華楼よりは後だったと思う。最後のころはずっといたおばさんは姿を消して,小柄な上品なおばさんが店に出ていた。

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Jun 14, 2006

オーストラリアとクロアチア

 朝からなんとなくそわそわ,夕方は10時までに帰宅できるよう計算して飲む,というのが,W杯日本戦の行われた12日の非・非国民の行動だったに違いない。
 今日焼鳥屋で「昨日(12日)はどうでした?」と聞いたら,やっぱり「9時半に(客が)2人になって,それっきりでしたよ」

 オーストラリアでは,元来 football といえば Australian Rules,つまり楕円形のフィールドで行う18人制のものである。そのオーストラリアでサッカーを育てたのはクロアチア人が主だった,という話を最近読んだ。
 そういえば,上記の焼鳥屋で前にたまたま会ったオーストラリア人は,両親がクロアチアから来たと言っていた。(と思ったが,マケドニアだったような気もしてきた。)(参照:An American in Bukuro [偶然,ちょうど2年前])

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Jun 12, 2006

ボローニャ歌劇場『アンドレア・シェニエ』

 10日(土)午後,ボローニャ歌劇場の3つめの演目『アンドレア・シェニエ』を見に出かけた。開演時間ぎりぎりに東京文化会館に着くと,楽屋口の前にカメラマンが大勢待機している。経験上これはたぶん…,とおもいつつ入場。開演時間になって1階左の入り口から登場したのは,やっぱり小泉首相だった。約20名の一行である。客席から拍手とブーが起き,オーケストラの人も興味深そうに立ち上がって見ていた。
 オペラで首相に出くわすのは,去年6月のサンカルロ,10月のバイエルン,今年4月のホールオペラに続いて1年間で4回目である。お主も好きよのう――退任したらオペラ三昧したいと本気で思っているのではなかろうか。

 『アンドレア・シェニエ』もホセ・クーラ,グレギーナ,グエルフィと歌手が揃い,全体に日本の舞台にも慣れて充実した上演だった。クーラは前のボローニャ来日(2002)のときにはカヴァラドッシを聞いたが,そのときよりも声につやがあって好調だった。ただ,音程によっていちいち音色が違うのが少々気になった。
 この曲,権力者が若い女に手を出そうとする構図は『トスカ』と同じ,時代も1789年から1795年で,『トスカ』の1800年と非常に近い。ただし,『トスカ』での権力者スカルピアが旧体制側なのに対し,この曲のジェラールは革命側である。そして,ヒロインが進んで獄に入って最期を共にするのは『アイーダ』と同じだ。ただし,今回の舞台の牢獄は,すぐ脱出できそうな目の粗い格子だった。

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Jun 11, 2006

ボローニャ歌劇場『連隊の娘』『イル・トロヴァトーレ』

 ボローニャ歌劇場の4回目の日本公演が,3日に始まり,3日(土)の『連隊の娘』(ドニゼッティ),続いて4日(日)の『イル・トロヴァトーレ』を見た。

 『連隊の娘』は初めて見る演目で,オペラの合唱曲集によく入っている「ラタプラン」以外はほとんど曲を知らなかったが,ドニゼッティらしい単純で美しいメロディの洪水だった。初日だったせいか,アンサンブルはいまひとつまとまりを欠いたが,タイトルロール(と言うのかどうか)のボンファデッリは細くて美人,コロラトゥーラも巧み,相手役トニオのフローレスもまあまあ鮮やかで,楽しい上演だった。
 予告されていたのによく見ていなくて当日びっくりしたのは,伯爵夫人役がオブラスツォワだったこと。18年前のメトのアズチェーナを聞いて以来で,たぶん六十代半ばだろう。もちろん貫禄十分。
 オーケストラが,金管・打楽器の入ったトゥッティでも伴奏のリズムが軽やかなのが印象に残った。

 『イル・トロヴァトーレ』は,これまたダニエラ・デッシー,ロベルト・アラーニャ,アルベルト・ガザーレという豪華メンバーだった。デッシーはボンファデッリほど細くはないがかなりの美人で,適役かつ「適声」,ナマで聞くのは初めてのアラーニャも良かったが,もう少しリリカルな役の方がいいのかもしれないと思った。プログラムに掲載されているインタビューによると,どんなタイプの役でも歌うということだが。
 舞台は,最初と最後が城壁と大階段でいかめしく,左上に大きな月(Luna伯爵を象徴?)が出ていて,人々を見下ろしていた。途中,すぐ後ろの席にスコットランドのキルトをはいている人がいるなと思ったら,それが演出家だった。
 この曲,いつも思うのだが,最後,マンリーコが連れて行かれてから処刑されるまでの時間が短すぎて,あっけない。もう少し時間がある方が,最後のアズチェーナの言葉が生きると思うのだが。

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Jun 06, 2006

人口37万人の町ボローニャのオペラ

 ワールドカップ本番前最後の親善試合の相手をつとめてくれたマルタ共和国は,人口39万人だそうだ。

 あれ,これに近い数字をごく最近見たな,と思ったら,4度目の来日公演中のボローニャ歌劇場のプログラムでだった。ボローニャ市の人口は37万人であり,定員約1000人の Teatro Communale では年間8つぐらいのオペラが計50公演ほど行われているという。
 もちろん,ボローニャ市内だけではなく,周辺地域からの客もいるのだろうし,観光客も来るだろうが,それにしてもこれだけの規模のオペラを数十万の人口で支えていくのは容易ではなかろう。
 しかも,質的にも相当なものである。今回の日本公演は,フローレス,アラーニャ,クーラという旬のテノールに加え,ボンファデッリ,デッシー,グレギーナという名花が競う豪華版で,これだけ揃うのはまあ超よそ行きモードだが,かといって,決して単に金でかき集めたわけではない。みなボローニャには縁のある人たちであり,劇場が若い人材を発掘し,育ててきた実績が,貴重な蓄積となっているようだ。これは,現地での公演予定に,しばしばかなり名のある人が登場していることでもわかる。

 6月3日は今回の初日で,『連隊の娘』(ドニゼッティ)が上演された。『連隊の娘』は初めて見る演目だった。
 ボローニャ,メトが集中する恐怖の(?)オペラ月間の開幕である。

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Jun 04, 2006

「神保町の昼食」ページ更新

 「本拠地」に月刊「神保町昼食ニュース」6月号を掲出しました。
 5月もいろいろ動きが多くて,やや長編となりました。

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