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August 2006

Aug 30, 2006

東アジア,ヨーロッパ,そして…

 少し前に豊洲から「ゆりかもめ」の延長部分に乗ったところ,空き地に「東京オリンピック選手村予定地」という看板があって,ちょっと驚いた。
 今日30日に,日本の候補地として東京か福岡かを選ぶ「国内予選」があるとのこと。2016年といえば「前回」から48年,まあ50年に1回ぐらいあってもいいのかもしれないとは思うが,あまりたいした関心は持てない。その間に,冬のオリンピックは2回もあったわけだし。
 ただ,どちらになったとしても,なぜ2016年なのだろうと思う。2008年の北京との間が短かすぎて,「本選」での当選の可能性は非常に少ないのではないだろうか。2008年東アジア,2012年ヨーロッパときたら,次は他の場所にというふうに,普通は考えると思うのだが。

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Aug 28, 2006

ホルライザーの死去

 指揮者のハインリヒ・ホルライザーが7月に死去したことを,『音楽の友』を見て1か月遅れで知った。オペラファン以外にはあまり知られていなかったためか,新聞には訃報が載らなかったように思う。ORFのサイトでは,亡くなったのは24日,年は94歳となっているが,26日/93歳とするサイトもあった。

 昔々,初めて外国に行ったときウィーンで見た『タンホイザー』の指揮者がホルライザーで,以後,ウィーン国立歌劇場の日本公演で『サロメ』(80年),『トリスタン』(86年),『パルシファル』(89年) を聞いた。
 正直言って,ホルライザーの指揮がどうだったかを考えたことは,あまりなかったが,オーケストラを基礎にどっしりと安定したアンサンブルで,常に安心して舞台を見ていられた。オペラには事故やハプニングがつきものだが,ホルライザーなら何があっても大丈夫,という感じで,現代では希有のカペルマイスターだった。
 上記『パルシファル』のときは76歳だったことになる。あの長丁場を思い,今さらのように頭が下がる。

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Aug 26, 2006

冥王星とホルストの『惑星』

 惑星の定義が変わり,冥王星が惑星から外された。
 冥王星は1930年,つまり昭和になってから発見された。ホルストの組曲『惑星』は冥王星発見以前の1916年の作曲で,当然,「海王星」で終わりである。「海王星」では,舞台裏の精妙な女声6部合唱が加わり,最後にはドアをゆっくり閉めて音を消していくようスコアに指示があったと思う。終曲にふさわしい印象的な結尾となっている。
 ホルストが死んだのは1934年だから,冥王星発見のニュースを知っていたはずだが,「続き」を書くことはなかった。ホルスト自身は『惑星』はそれほど良い作品とは思っていなかったのに人気作となって,とまどっていたらしい。

 後に,マシューズ(Colin Matthews;1946-)という作曲家が「冥王星」(Pluto, the renewer)を書いた。しかし,それがいい曲だったとしても,あの「海王星」の神秘的な終わりの後に続けて演奏するわけにはいかないにちがいない。
 冥王星が惑星でなくなって,マシューズはがっかりしたかもしれないが,ホルストはようやく安心して眠れることだろう。もって冥すべし――あ,こちらは「瞑」だったか。

 planet には「惑星」のほかに「遊星」という訳語があり,今も辞書に載っている。昔,東大系の学者が「惑星」を用いたのに対し,京大では「遊星」を用いることが多かった,という話をどこかで読んだことがある。
 学生オーケストラの名門である京都大学交響楽団でホルストを演奏することがあったら,組曲『遊星』と表記してはいかがですか。

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Aug 22, 2006

幽霊列車

 テレビをふと見たら,家城(いえき)というなつかしい駅名が出てきたので何だろうと思ったら,8月20日の午前0時過ぎ,名松線の家城駅から無人の列車が勾配のある線路を下り始め,8.5キロ以上走って上り坂になるところで止まったというニュースだった。

 三重県を走る名松線は,かつて関西へ行った帰りにわざわざ乗りに行って,初めて写真付きの報告を本拠地の「鉄道の章」に書いたことがある。名松線は,松阪から名張を目指したが途中で行き止まりになった地味な線で,家城駅には腕木式の信号機があることで,一部のファンには知られている。

 走り出したのは家城駅に留置してあった車両で,沿線の人によると,夜中に踏切の警報機が鳴ったので何かと思って外に出てみたら,無灯火の車両が走っていくところだったという。
 都会の明るい夜と違って本当に暗い中を列車が走っていくのは,『さまよえるオランダ人』の幽霊船のようで,不気味な風景だったことだろう。
 こういうのも「事故」ということになるのだろうが,警報機がけなげに働いてきちんと鳴り,何も被害・損害がなかったのは幸いだった。いたずらっ子が,たまには自由に走ってみたいと思ったのかもしれない。

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Aug 20, 2006

7月の横須賀

 先回書いたように,横須賀では7月15日ごろに花火大会があった。花火は,明治時代の埋め立て地の先の海の上から打ち上げられた。今は埋め立て地はその向こうに広がっている。
 この少し前の7月4日,すなわちアメリカの独立記念日には,米海軍基地の花火大会があった。もちろん,「日本側」から見えるところで打ち上げる。

 10日ちょっとの間隔で花火大会があり,同じ丘の上から見るから,どうしても見比べることになる。1960年代の初めごろまでは,子供の目にもはっきりわかるくらい,アメリカの花火は華やかで,景気が良かったのだが,その後いつのまにか「逆転」し,仕掛け花火でフィナーレを飾る「15日」の優位は,高度成長の中で揺るぎないものとなった。
 米軍基地には,ナイター設備のある野球場がある。7月4日の花火は,この野球場の照明2基に明かりがつくのが終了の合図だった。

 7月25日前後には,地元の神社の夏祭りがあった。山車を引いたり,子供御輿をかついだりして,町内を歩いた。休憩のときの甘ったるいジュースや,人工着色料いっぱいのかき氷が,ごちそうだった。夜になると,東京からやってきた芸人が,屋外の仮設舞台で漫才をやったりした。
 あとから考えると,戦後の混乱から立ち直り,ベビーブームで生まれた子供を中心にして,祭りがかなりの規模で行えるようになったころで,大人たちにとっても祭りは楽しい行事だったことだろう。

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Aug 17, 2006

お盆新旧

 ささやかな夏休みは早めにとったので,今週も通常通り出勤している(ブログの方は夏休み状態だが)。14~16日の3日間,電車は空いていて,神保町も人が少なかった。
 神保町の昼食については,必要とする人はもちろんふだんよりずっと少ないが,提供する店はさらに少なく,開いている店ではあちこちで12時半過ぎまで行列ができていた。
 夜の神保町も,それほど広く歩いたわけではないが,閑散としていた。この時期,魚河岸も青物市場休みだから,やっている店でもいろいろ不自由なこともあろう。飲み屋では,兵六,いちこうが,例年通り2週間休んでいる。

 関東全部かどうかはわからないが,少なくとも東京周辺では,お盆はもともと7月15日とその前後である。私の故郷・横須賀では,昔7月15日にお盆の花火大会が行われていた。一時期,対岸の木更津といっしょに,「東京湾架橋促進花火大会」と銘打っていたこともあった。
 今のように,旧暦のお盆が,ある意味では正月以上の帰省シーズンとなったのは,そう古いことではないような気がする。新盆には提灯を出すといった年中行事としてのお盆はすたれ,企業の夏休みがこの時期に定着した結果なのだろう。

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Aug 05, 2006

シュワルツコプフ死去

 4日の朝は,前の記事に書いたモルについての記録を調べたりしてから出かけ,夜遅く帰って夕刊を広げたら,エリザベート・シュワルツコプフの訃報が載っていた。享年90歳。
 シュワルツコプフは生で聞くことはできなかったから,最初に強い印象を受けたのはカラヤンの『ばらの騎士』の映画でだった。1960年のザルツブルク音楽祭での収録だから,当時44歳だったことになる。
 レーザーディスク登場前の時代,この映画は,フルトヴェングラーの『ドン・ジョヴァンニ』やベルイマンの『魔笛』と並んで,東京ではヤマハホールでほぼ定期的に上映されていた。各地の市民会館のような場所での上映もあって,ある友人がそんな上映会に出かけたら,なぜか子供がたくさんいて,退屈してロビーに出て走り回っていたという。どうも「りぼんの騎士」か何かと間違えたらしい。

 CDの時代になって,LP初期の録音がいい音で蘇り,それ以前よりもシュワルツコプフを聞く機会が増えた。「4つの最後の歌」(R.シュトラウス)は大事なCDのひとつである。
 ちなみに,クレンペラーの『魔笛』では,上記『ばらの騎士』の4年後の録音で紛れもない大歌手だったはずなのに,第1の侍女を歌っている(第2の侍女はクリスタ・ルートヴィヒ!)。映画でよくある「友情出演」だろうか。まあ,3人の童子よりは大役だが。

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クルト・モル引退

 ミュンヘンからの便りによると,名歌手クルト・モル氏がオペラを引退することとなり,7月31日,バイエルン州立劇場のフェスティバル最終日,恒例の『ニュルンベルクのマイスタージンガー』で最後の舞台をつとめたという。役は,なんと,第2幕終わりに出てくるちょい役の夜警。
 モルは,1984年,ハンブルク州立歌劇場来日公演の『魔笛』のザラストロを聞いたのを皮切りに,ポーグナー,騎士長,オックス男爵,マルケ王,ロッコ,グルネマンツなどで,深々とした声を堪能させてくれた。
 思い出の中で頂点をなしているのは,1988年秋のバイエルン州立歌劇場が当時のミュンヘンのフェスティバルと同じ超豪華メンバーで上演した『マイスタージンガー』のポーグナーと,1994年のクライバー=ウィーン国立歌劇場『ばらの騎士』のオックス男爵である。共に,もはや伝説の舞台となった。

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