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September 2006

Sep 30, 2006

首相と音楽――ABE

 BACH のように,ローマ字綴りがドイツ音名に使う文字からなる苗字というのがある。要するに A~H の文字のみを使うということなのだが,日本人では非常に少ない。
 このたび初めて私(および団塊の世代)より若い総理大臣となった安倍氏は,その少ない例のひとつである。歴代総理大臣では,戦前の同じ読みの阿部さんという人に次いで2人目である。惜しかった(?)のは羽田さんで,ハダという読みなら「合格」だったのだが。(S に Es をあてはめるというやり方もあるが,総理大臣では該当者は増えない。)

 バッハは,遺作の「フーガの技法」の中の未完に終わった1曲で,最後に自分の名の B-A-C-H という音で始まる主題を既出の主題と組み合わせて,壮大な3重フーガとする計画をしていたという。
 それで思ったのだが,半音上がって減5度下がる(または増4度上がる)A-B-E という音の並びは,なかなか思わせぶりだ。少なくとも,B-A-B-A とか E-B-E よりも音楽のネタになる。

 その都度書いたように,前任の小泉首相とは,オペラで4回(注↓)出会った。退任が残念だとはまったく思わないが,オペラ好きであることと,同郷だということで,私としては他の政治家とは違う関心があった。退任して,これからはもっと顔を合わせるかもしれない。

[注]1) 05/6 サンカルロ『ルイーザ・ミラー』
   2) 05/10 バイエルン州立『タンホイザー』
   3) 06/4 ホール・オペラ『トゥーランドット』
   4) 06/6 ボローニャ『アンドレア・シェニエ』

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Sep 29, 2006

3か月持ち歩いた文庫本

 6月下旬から3か月かかって,1冊の文庫本が終わった。本の端(小口)は手あかで汚れ,書店でかけてもらったカバーはすり切れそうになり,ページの間には消しゴムのかすが挟まっている。

 それは数独(別名ナンバープレース)――9×9のマス目の各行・各列,およびそれを区切った3×3の9ブロックすべてにおいて,1~9の数字を重複しないように入れるパズル――の本である。数字を扱っているが,計算をするわけではなく,並べるだけである。(だから本当は数字である必然性はなく,A~Iでも,い~りでも,9種の記号であればよい。)
 「読み終えた」のではなく「やり終えた」その本の構成は,

超初級編  10問      初級編   20問
中級編   30問      上級編   40問
プロ級編  30問      超プロ級編 10問

となっていて,中級編までは一部省略したが,上級編以降は全部解いた。

 かなりの期間を要したのは,主に電車の中で取り組んだからだった。通勤時間が(東京にしては)比較的短いので,時間が小間切れになり,効率が悪かった。ただし,数字をひとつ仮定した上で先に進むというテクニック(上記の区分でいうとプロ級編以降で必要になる)を使う場合,消しゴムでたくさん消してやり直したりすることになるので,電車の中ではやりにくく,終盤は家や会社の机の上でもやることになった。

 数独の本は山のようにあるので,次はどんな本にしようかと思案中。他の読書もしたいので,少し休んでからということになるだろう。

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Sep 17, 2006

新国立劇場『ドン・カルロ』で開幕

 メト以来約3か月ぶりのオペラは,「06/07シーズン・オープニング」の小旗が飾られた新国立劇場の『ドン・カルロ』だった。

 舞台に最初に大きな十字架が現れた。しかし,十字架に見えたのは壁のすき間だった。4枚の壁を田の字型に並べ,その間にすき間を空けると,後方からの光が十字架のように見えるのだった。以後,壁が自在に動き,すべての場面の舞台装置となる。

 第2幕第2場でも,アトーチャ聖母教会の華麗な姿はなく,ただ火あぶりの台が突出して具象的だった。
 バンダは舞台裏の非常に遠くで演奏していた。もう少しはっきり聞こえるようにしてほしいところだ。
 フィリッポと修道士たち以外の登場人物は,すべてフランドルの使節と共に歌い,王に嘆願する。このとき,エリザベッタが人々の先頭に立って王に向かって歌っていた。これまでに見た舞台では,ここでの演技が印象に残るようなことはなかったので,「主張するエリザベッタ」は少し新鮮だった。
 このときエボリ公女がいなかったので,後でリブレットを見たら,あまり関係なさそうなテバルドは出ているのに,エボリは確かに登場しないことになっている。静かな楽屋でのんびりできることだろう。
 「天の声」の歌手が舞台で歌うのは初めて見た。なぜか赤ん坊を抱いていた(もしかして慶祝?)。

 歌手は全体に水準以上で,特にエボリは,呪うほどの美貌ではなかったけれど(なにしろ名前が「我,ブスか?」――いや失礼,ヴァレヴスカです),力強い声が光っていた。

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Sep 16, 2006

イングリッド・ビョーナーの死去

 ヴァルナイについては日本の新聞にも訃報が載っていたが,イングリッド・ビョーナーが同じ9月4日に死去していたことを,ミュンヘンからの便りで知った。

 ヴァルナイはほとんど名前しか知らないが,ビョーナーは1974年のバイエルン州立歌劇場の初来日公演のときの『ワルキューレ』でブリュンヒルデを歌ったのを聞いた。当時47歳だったことになる。私の本拠地にある「見たオペラ」リストの2番目の公演で,初めて生で見るワグナーにただただ圧倒された。ブリュンヒルデがどうだったかはほとんど記憶がないが,みなすごかったというかすかな印象があり,その6人の歌手(テオ・アダム,ジェームズ・キング,ギネス・ジョーンズ,ビョーナー,ブリギッテ・ファスベンダー,カール・リッダーブッシュ)の名は忘れがたい。

 その後,日生劇場で,『トリスタンとイゾルデ』第2幕を演奏会形式でやったことがあり,そのイゾルデがビョーナーだったと思っていたのだが,ネットを検索してもわからない。幻だったか。

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Sep 09, 2006

銀鱗――アジ・サバ・ホッケ

 このところかれこれ十数年ごぶさたしているが,かつては水族館にときどき行っていた。水族館では,熱帯の色とりどりの魚もきれいだし,エイがひらひらと泳ぐ姿も楽しいが,見るたびに印象に残ったのは,アジやサバなどの平凡な魚が泳ぐ姿の美しさだった。
 アジ・サバを「平凡」というのは,もちろん食べる魚としてなじんでいるからだが,その姿は精悍で,バランスのとれた機能的な形をしていて,銀鱗が微妙な色合いにきらめいている。文字通り光りものである。

 だいぶ前だが,テレビで礼文島の自然を扱った番組があり,海の中も撮影されていた。そこで初めて見たのが,ホッケの泳ぐ姿だった。ホッケは,ともすれば開きで泳いでいるんじゃないかという錯覚を起こすほど,なにしろ開きしか見たことがない。それが,これまたひときわ美しい銀鱗を輝かせて,群れをなして泳いでいる姿は,感動的だった。

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Sep 02, 2006

呼び出しの電話史

 Eメールやケータイが当たり前になって,固定電話しかなかった時代はずいぶん昔のことになったような気がする。しかし,固定電話にしても,一人暮らしの若者の自室に電話があるのが当たり前という状況になったのは,それほど古いことではない。

 1950年代のかすかな記憶では,当時,商店以外で電話のある家は少なくて,名簿などでは,多くの人の電話の欄に「2-1234 (呼)」などと書いてあった。「(呼)」というのは「呼出電話」で,書いてあるのは当人の隣とか近所の家の電話番号である。そこへ電話をすると,その家の人がバタバタと走って「○○さーん,電話ですよ」と呼びに行ってくれるのだった。
 隣の町にあった私の親戚の家には,半畳の「電話室」というものがあり,そこには,「自動化」以前なのでダイヤルのない壁掛け式の直方体の電話が鎮座していた。近所の人がよく電話を借りにきて,私設公衆電話ともなっていた。(都内はもっと早くから自動化されてダイヤル式だった。普及率も都内の方が高かったかもしれない。)
 そのほか,急用はしばしば電報によって伝えられた。

 1970年ごろでも,電話は,寮とか下宿屋全体で1台というのが普通で,「電話の取り次ぎは11時まで」などと決められていた。当然,かけてもしばしばお話し中,そもそも電話のできる時間内には帰っていなかったりして,一人暮らしの学生に連絡をするというのはなかなか大変なことだった。
 ある女子大の寮では,寮生が交代で夜の一定時間電話番をし,電話がかかると指定の通話相手を館内放送で呼び出すことになっていた。「伝説」によれば,そのとき,男性からの電話だと「△△さあーん,電話でーす」(「オ」を強調する)と言い,女性からだと事務的に「△△さんにメ電話です」と言って呼び出していた,という。
 喫茶店やデパートに電話して,待ち合わせ相手を呼び出してもらうということも,よく行われていた。

 公衆電話は,同一市内は10円でいくらでも話せた(ある時から3分10円になった)が,市外通話はできなかった。市外通話は,赤電話やピンク電話のある店で店の人にカギをまわしてもらって100番で申し込み,終わったあと料金を知らせてもらって店に払う,という必要があった。
 「都外」に住んでいた者としては,たぶん70年代半ば,公衆電話で10円玉を数枚持っていればダイヤル直通の市外通話ができるようになったときは,本当にうれしかった。さらに,テレホンカードが発売されて10円玉もいらなくなったのは82年だった。

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