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Sep 02, 2006

呼び出しの電話史

 Eメールやケータイが当たり前になって,固定電話しかなかった時代はずいぶん昔のことになったような気がする。しかし,固定電話にしても,一人暮らしの若者の自室に電話があるのが当たり前という状況になったのは,それほど古いことではない。

 1950年代のかすかな記憶では,当時,商店以外で電話のある家は少なくて,名簿などでは,多くの人の電話の欄に「2-1234 (呼)」などと書いてあった。「(呼)」というのは「呼出電話」で,書いてあるのは当人の隣とか近所の家の電話番号である。そこへ電話をすると,その家の人がバタバタと走って「○○さーん,電話ですよ」と呼びに行ってくれるのだった。
 隣の町にあった私の親戚の家には,半畳の「電話室」というものがあり,そこには,「自動化」以前なのでダイヤルのない壁掛け式の直方体の電話が鎮座していた。近所の人がよく電話を借りにきて,私設公衆電話ともなっていた。(都内はもっと早くから自動化されてダイヤル式だった。普及率も都内の方が高かったかもしれない。)
 そのほか,急用はしばしば電報によって伝えられた。

 1970年ごろでも,電話は,寮とか下宿屋全体で1台というのが普通で,「電話の取り次ぎは11時まで」などと決められていた。当然,かけてもしばしばお話し中,そもそも電話のできる時間内には帰っていなかったりして,一人暮らしの学生に連絡をするというのはなかなか大変なことだった。
 ある女子大の寮では,寮生が交代で夜の一定時間電話番をし,電話がかかると指定の通話相手を館内放送で呼び出すことになっていた。「伝説」によれば,そのとき,男性からの電話だと「△△さあーん,電話でーす」(「オ」を強調する)と言い,女性からだと事務的に「△△さんにメ電話です」と言って呼び出していた,という。
 喫茶店やデパートに電話して,待ち合わせ相手を呼び出してもらうということも,よく行われていた。

 公衆電話は,同一市内は10円でいくらでも話せた(ある時から3分10円になった)が,市外通話はできなかった。市外通話は,赤電話やピンク電話のある店で店の人にカギをまわしてもらって100番で申し込み,終わったあと料金を知らせてもらって店に払う,という必要があった。
 「都外」に住んでいた者としては,たぶん70年代半ば,公衆電話で10円玉を数枚持っていればダイヤル直通の市外通話ができるようになったときは,本当にうれしかった。さらに,テレホンカードが発売されて10円玉もいらなくなったのは82年だった。

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Comments

読んでいて、懐かしい思い出が次から次へとわき上がってきて、フ〜ッとため息が出てしまいました。なんだかタイムマシンにでも乗ったような数分間でした。ありがとう。(^_^)

Posted by: 【篠の風】 | Sep 10, 2006 at 03:02 AM

コメントありがとうございました。タイムマシンネタはまだまだありそうです。
ちょうどトスカーナの日記をようやく読み終わってフ~ッとため息をついたところでした。

Posted by: 家主IZK | Sep 14, 2006 at 08:43 AM

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