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November 2007

Nov 25, 2007

歓迎 琥珀ヱビス

 前に愛飲していた「琥珀ヱビス」が,「今だけの限定発売」で戻ってきた。
 「第三の男」のテーマをフルオーケストラが演奏するTVコマーシャルでは11月21日発売となっていたが,その2日ぐらい前にスーパーで手に入れることができた。「今だけ」というのがいつまでなのかは明示されていない。
 ホームページによると,飲食店用の樽もあり,こちらは通年販売となっている。置いてある店をさがさなくては。
 「緑一色」だった空き缶が2色になった。

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Nov 24, 2007

ギャルド――管弦楽曲の編曲

(承前)
 ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団は,管弦楽曲の編曲を多く演奏する。普通の吹奏楽団も音楽の糧である管弦楽曲を編曲して演奏するが,その場合原曲を尊重しながらも,吹奏楽の響きを用いて「再創造」をしようとするのに対し,ギャルドは可能な限り原曲をそのまま再現しようとする。
 その方法は実にシンプルで,管楽器・打楽器・弦バス(コントラバスを吹奏楽ではこういう)のパートは原曲のままで手を加えず,弦楽器をクラリネット群,サクソフォーン群,サクソルン(中低音金管楽器)で置き換える。そのため,原曲のクラリネットパートの奏者は,ヴァイオリンの役をするトゥッティの奏者と別で,オーケストラと同じく正面中段の右の方に座る。
 「ボレロ」ではテナー・サックスとソプラノ・サックスのソロがある。このソリストはもしかしたらオーケストラのときと同様ソロ・クラリネットの左に座ったりするのかなと思ったが,それはさすがになくて,「弦楽器席」の奏者が吹いた。

 さて弦楽器役の楽器だが,クラリネットはEsクラ2本が入るだけで,アルト・クラもバスクラもコントラバスクラもなく,サクソフォンはアルト,テナー,バリトンのみでソプラノはない(「ボレロ」のソプラノのソロはアルトの首席奏者が持ち替えで吹いた)。素人考えでは,中低音のクラリネットを使えば,弦楽器群に対応する音色の統一が得られるし,クラリネット群にソプラノ・サックスを加えればヴァイオリンに似た音の厚みが出ると思うのだが。どうもそこにはギャルドの意地があるようだ。
 でも,なぜそんなにしてまで,管弦楽曲を演奏するのだろう。先日の演奏会は十分楽しんだし,ギャルドへの尊敬の念は変わらないが,以前は意識しなかったそんな疑問が頭の片隅に残っている。

 なお,今回のプログラム冊子のメンバー表では,サクソフォンが書いてなくてびっくりした。よく見ると,Saxhornes(7名),Saxhornes Basses(4名),Saxhornes Contrabasses(2名)と並んでいるので,最初の Saxhornes がサクソフォンの誤りらしい。

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Nov 23, 2007

ドレスデンの『タンホイザー』『ばらの騎士』

 ドレスデン国立歌劇場の『タンホイザー』『ばらの騎士』を,共に神奈川県民ホールの1階の6列という席で見た。6列といっても,ピットを使うときは5列までは「欠番」で,最前列なのだった。
 5メートル先であのオーケストラが演奏しているというのは贅沢の極みだった。管楽器の呼吸まで感じられた。近すぎてバランスが悪いし,ずれて聞こえることもあったが,金管楽器のそばでも決してうるさくないのには感嘆するばかりである。

 『タンホイザー』はペーター・コンヴィチュニーの演出で,すでに10年たった演出でもあり,コンヴィチュニーとしては先鋭的ではない。なんだか変なところもあったが,まあわかりやすくできている。何度も見たいとは思わないけれど。
 動きの軽いやんちゃなタンホイザーがおもしろかった。ヴェヌスブルクの場面にはバレエがなく,ヴェーヌスの周りの女性は合唱団の人たちで,タンホイザーの人形をもてあそんでいた。最終場面では,ヴェーヌスがタンホイザーとエリーザベトを抱きかかえたまま幕となる。
 歌手ではエリーザベトのシュヴァンネヴィルムスが声・姿とも吉。

 そのエリーザベトが,『ばらの騎士』では元帥夫人になって登場した。ラウフェンベルクという人の演出で,舞台は20世紀半ばという設定らしいが,第1幕では古い『ばらの騎士』の舞台の元帥夫人の部屋がはめこんであり,貴族の没落が台本では「予感」だったのが,現実のものとなっている。
 オックス男爵は久しぶりのクルト・リドルで,かなりの年だと思うが声はつややか。非常に上品なオックスだった。ゾフィーは森麻季で,役にふさわしい透明な声と細い身体の持ち主。カーテンコール時のブーには賛成できない。オクタヴィアンも,あまり男役っぽい声ではなかったが立派。
 『ばらの騎士』は1981年の来日時にも上演された。まだゼンパーオーパーが再建される前で,舞台装置は簡素,歌手も超一流とは言い難かったが,オーケストラは当時も超一流だった。ホルンのペーター・ダムやオーボエのクルト・マンなどが活躍していたころである。

 ドレスデンで初演された演目ばかりの今回の公演,残るは『サロメ』である。

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Nov 18, 2007

宗谷遠望

 南極観測船「しらせ」が最後の航海に出たというニュースを見て,初代の観測船「宗谷」を見た日々を思い出した。
 中学のころ,海のそばにあった学校から,「宗谷」が湾の向かい側にときどき停泊しているのが見えていた。南極観測船としては引退した後で,朱色の塗装が古びているのはともかくとしても,なにしろ小さくて頼りない姿で,こんな船でよく氷の海に分け入ったものだと思わずにはいられなかった。

 最初に宗谷が南極に出かけたのは1956年だった。翌年1月,昭和基地を建設し,越冬隊を送り込んでの帰路に,宗谷は氷に閉じこめられて動けなくなった。無線での要請に応えて,ソ連の砕氷艦オビ号が正義の味方のごとく登場し,氷を割って水路を作り,小さな宗谷を頼もしく先導していった。小学生のあいだでもこのニュースは大きな話題になり,オビ号の名は忘れがたいものとなった。同じ年,ソ連は最初の人工衛星スプートニクを打ち上げたことも加わり,日本でのソ連の株は大いに上がった。
 翌1958年に宗谷は再び氷に閉じこめられ,こんどは米国のバートンアイランド号に救出されている。樺太犬タロ・ジロほか十数頭が置き去りにされたのはこのときのことである。(オビ号とバートンアイランド号が競争で救出に向かったような記憶があったのだが,諸サイトの情報では確認できなかった。)

 後継の南極観測船は「ふじ」,3代目は「しらせ」である。もともと戦前に建造された船を改造した宗谷とは比べものにならないほど立派な「しらせ」も来年引退する。
 次の観測船は「しらせ」を襲名するという。

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Nov 17, 2007

大投手・稲尾和久の時代

 13日夜,駅の売店で夕刊紙の「稲尾和久氏死去」という大きな見出しに思わず足を止めた。その新聞を手に入った居酒屋で,向かいの若い人(といっても三十ぐらい)に「この人誰ですか」と聞かれた。

 昭和30年代の首都圏の子供が巨人以外のファンになるのは非常に困難だった。私も30年代半ば過ぎまでは大勢に従っていたから,日本シリーズでの稲尾・西鉄に「3連勝のあと4連敗」したのは口惜しかった。しかし,あんなすごいピッチャーが相手ではしかたがないという気もした。街の商店の店先に置かれていた白黒テレビ(家にテレビはなかった)のニュースで見た捕手・日比野の背番号12が妙に印象に残っている。

 このときの稲尾は「4連投4連勝」といわれることがあるが,実際には第3試合にも投げているから5連投であり,さらに第1戦にも先発しているから,7試合のうち6試合に登板したことになる。うち4回は完投だった。
 「神様・仏様・稲尾様」というのは,第5戦で自らサヨナラホームランを打った稲尾にファンが思わず手を合わせたところから生まれたことばだそうだ。「打撃の神様」「大魔神」など神様扱いされた選手はほかにもいるが,仏様まで加わったのは細い目の温顔の稲尾ならではのことである。

 この翌年の日本シリーズで,巨人は南海の杉浦に再び4連敗を喫することになる。当時の大投手では,この杉浦も阪神の村山も,すでに鬼籍に入ってしまった。

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Nov 10, 2007

ギャルド――夢の楽団との再会

 先日,ギャルド・レピュブリケーヌ吹奏楽団の演奏会に出かけた。ギャルドを聞くのは1993年以来で2回目になる。
 吹奏楽におけるギャルドは,たとえていえば,管弦楽におけるウィーン・フィルの256倍とは言わないが,まあ3倍ぐらい特別な,唯一無二の存在である。「ギャルド・レピュブリケーヌ」というのは republic の guard,すなわち「(フランス)共和国防衛隊」であり,軍服を着て演奏するが,その入団資格はパリ音楽院首席卒業(またはそれと同等)で,超一流の管楽器・打楽器奏者の集団である。
 当日の客席は,自分を棚に上げて言うが,異様に平均年齢が高かった。

 演奏されたのは,トゥーランドットのセレクションを除いてはフランスの管弦楽曲の編曲で,「ローマの謝肉祭」序曲,「ダフニスとクロエ」第2組曲,「ラ・ヴァルス」,「ボレロ」など。その暖かく豊麗なサウンドはやはり独特のもので,特別な存在としてのギャルドを大いに楽しんだ。先代の楽長ブトリー時代にはやや乾いた響きになっていたが,ある意味ではその前のブラン楽長またはそれ以前の響き(レコードでしか知らないが)に回帰したともいえる。
 「ボレロ」の各ソロはまことに鮮やかで,ぜいたくな音の宴だった。
 ただし,管楽器の音色がインターナショナル化しているのはフランスでも顕著で,昔なら独特のヴィブラートがかかっていたホルンもかなりおとなしかった。ただ,バソン(フランス式のファゴット)は,楽器が独特だということもあって,「健在」である。

 指揮者のブーランジェは後半暗譜だったが,アンコールになって譜面台が出てきた。何をやるのだろうと思っていたら,まずは譜面台と関係なく,「熊蜂の飛行」。これが史上最高速ではないかと思われるスピードだった。譜面台が必要だったのはその次で,なんと「涙そうそう」。トランペットが,それまでとはまったく違う音色でメロディを吹いていた。でも,何もギャルドにこれをやらせなくてもと思わずにはいられなかった。(たぶん,トランペットのナカリャコフがソリストとして他のプログラムでは登場するので,彼を入れたアンコールとして用意したものだろうとは思うが。)
 その後,前楽長時代からのアンコールピース「カルマニョル」(フランス民謡によるマーチ)でパワーを全開してお開きとなった。

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Nov 07, 2007

長崎からは東京より上海の方が近い

 長崎からは東京より上海の方が近いということを知ったのは,一度だけ80年代に中国へ行った帰りのことだった。上海から成田行きの機内で航空路の地図を見たら,国際線なのに行程の半分以上は日本の領土の上を飛んでいるのだった。

 そんなことを思い出して,地図を広げてみた。ある特定の図法の地図の上で直線距離を測ったので誤差はあると思うが,大ざっぱには下記のようなことがいえる。

  (1) 福岡からは東京よりピョンヤンの方が近い
  (2) 福岡からはソウルと京都が等距離である
  (3) 鹿児島からは仙台より台北の方が近い
  (4) 鹿児島からは旭川とフィリピンのルソン島北端が等距離である

 こうして見ると,日本はかなり広い。長さを測ると四島だけでも1970km,知床から与那国島までだと3000km近くある。3000kmというと,ヨーロッパでは南西端のジブラルタルからオスロとかリトアニアまでの距離である。
 面積についても,隣に中国やロシアがあるので,日本の国土は狭いという感覚があるが,ヨーロッパの国々と比べると日本は決して狭くはない。旧ソ連以外のヨーロッパで日本より広い国はスウェーデン,スペイン,フランスだけである。

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Nov 05, 2007

美しき山々

 先日の『モーゼとアロン』の作曲者シェーンベルクについては,「十二音音楽」というスローガンばかり先に知っていたが,長い間,聞く機会はめったになかった。オーケストラの演奏会では,むしろベルクやウェーベルンの方が時々は演奏されていて,オペラでもベルクの『ヴォツェック』には接する機会があった。

 たぶん1976年~78年ごろだったと思うが,マウリツィオ・ポリーニのリサイタルを聞きに行った。メインプロはブーレーズのピアノ・ソナタ第2番だった。なんだかすさまじい響きで,しかも40分かかる大曲,技術的には超難曲だとのことで,圧倒されっぱなしでわけのわからなまま終わった。
 その後でアンコールに演奏されたのがシェーンベルクの小品で,ブーレーズの後で聞くと,実にかわいらしく,美しく,ロマンチックにさえ聞こえた。

 もっと前,学生時代に,おもしろいところがある,と先輩に連れて行かれたのが中野にあった古い名曲喫茶「クラシック」だった。ギシギシいう階段を上ると,店の中は叙情纏綿の弦楽の響きに包まれていた。だれの曲だろう。マーラーを知っていればマーラーかなと思っただろうが,当時マーラーはかろうじて「巨人」をちょっと知っているという程度だった。
 終わって曲名が告げられた。シェーンベルクの「浄められた夜」の弦楽合奏版だった。

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Nov 02, 2007

自転車――傘・人感・両手離し

 少し前に,たまたまテレビをつけたら,自転車に関する交通法規を話題にした番組をやっていた。自転車でも飲酒運転が御法度なのは知っていたが,傘をさして乗るのも違反だというのは初めて知った。たしかにあれは,とっさのときにコントロールしにくくて非常に危険だから,少しでも降っていると自転車では出かけないようにしているが,帰りに降られたりすると,正直なところ,やっぱり傘を使いたくなることもある。

 自転車で帰宅するとき,ある家の前を通りかかると,その2階のベランダにある電灯が自動的につくようになっている。道のどこを通っても,いろいろな速さで走ってみても(もちろん徒歩の場合でも)ちゃんとついて道を照らしてくれる。こういうセンサーは「人感センサー」というらしい。漢語的には「感人」というべきかも。

 両手離しで自転車に乗る練習をしていたことがある。練習すると距離が伸び,道の事情によっては曲がることもできるようになった。しかし,これも違法なのだろうか。
 後から思うと,そのころ乗っていた自転車はハンドルの「固さ」が適度で,両手離しがやりやすかったようだ。四十男が街中で両手離しなどやっていると,振り返る人もいた。

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Nov 01, 2007

神保町の「パンツ店」再び

 神保町の三省堂書店のそばに,戦前に「小田パンツ店」という店があった,という話を前に書いた。このとき見た写真では,看板に書かれた品目3つのうち,真ん中の行が不鮮明で読めなかったが,このほど出た『にちぶんMOOK 決定版! 神保町』(日本文芸社)に載っている写真では,それが「背広」だと読める。
 すなわち,小田パンツ店の看板品目は「パンツ/背広/制服」だった。「パンツ」は背広と並ぶ存在だったわけである。

 この本,古本まつりに合わせて発売されたようで,神保町の昔と今の写真を対比したものと,古書店案内が中心だが,川本三郎の神保町の映画館についてのエッセイなど,読み物も多彩である。カレーの店の紹介もある。

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