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December 2007

Dec 31, 2007

年末恒例

 30日は,友人宅で持ち寄りパーティだった。
 私が持参したのは,毎年同じゆで豚で,前日夜に作った。前は豚のブロックを自分でタコ糸で縛ったが,このごろはちゃんと縛ったものを売っているので,それを長ネギとショウガといっしょにゆでるだけのものである。先にお湯をかけて油を出しておくのが唯一のコツで,1時間ぐらいゆでたら,あとはさましておけばよい。
 付け合わせはゆでキャベツで,これは友人宅の台所を借りてゆでた。タレは市販の中華ごまドレッシングで,ほかに長ネギの千切り(ちゃんと細く切るのはかなり難しい)を添えた。次回は,タレにニンニクのみじん切りなどを入れてみようかと思った。

 本拠地の「神保町の昼食」ページ恒例の1年の昼食リストの整理をした。2007年の神保町近辺での昼食は210回で,行った店は128軒(異なり)だった。1月3日ごろに掲出する。

 今日31日は,信州の某所へ出かける。前回は正月に台湾に行ったのでパスしたが,20年ぐらい前からの恒例である。(そういえば,台湾の旅行記をブログに書かずじまいだった。)

 本年はこれにて打ち上げ。皆さま,おつきあいいただき,ありがとうございました。来年もよろしくお願いいたします。

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Dec 29, 2007

DVD『ナクソス』『ドン・カルロス』『3つのオレンジ』

 最近買ったオペラのDVDから――
 まず,ベーム,グルベローヴァ,ウィーン・フィルの『ナクソス島のアリアドネ』。サンユスト演出・装置の舞台(プレミエは76年)を基にしているが,舞台ではなくセットで撮影した「映画仕立て」で,1978年の収録だから,80年の日本公演より前である。グルベローヴァは収録時32歳,テノール歌手/バッカスのルネ・コロも40代初めで,姿も声も若々しい。先に書いた『フィガロ』と共に,ウィーン国立歌劇場日本公演の思い出につながる。
 字幕は中国語があるのに日本語はない。

 次はパッパーノ指揮パリ・シャトレ座のフランス語5幕版の『ドン・カルロス』(小学館の「魅惑のオペラ」シリーズの13)。5幕版はナマで見たことがなく,昔LPを持っていたような気がするが,映像を見たのは初めて。96年収録。
 第1幕がフォンテンブローの森で出会う場面で,広い森の中でどうしてこう都合良く出会って,そこへ都合良く王との結婚に「変更」の知らせが来るのだろうと思わないでもないが,ドラマ全体は首尾一貫する。
 タイトルロールはアラーニャでこれはもちろん若いが,エリザベート役はたいして年は違わないのに老け顔で損をしている。

 もうひとつはケント・ナガノ指揮リヨン歌劇場の『3つのオレンジへの恋』。1月末にマリインスキーオペラが上演するので,予習用に買った。プロコフィエフの乾いたユーモアが,こうした寓話劇にはもっとも効果をあげる。

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Dec 27, 2007

続・神保町の師走

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 既報のとおり,2003年末以来4年間にわたって神保町三井ビルに仮住まいしていた会計検査院が霞が関に帰って行った。中央官庁が神保町付近に置かれたのはたぶん初めてだった。

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 26日昼,京城園前に救急車が出動していた。

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Dec 26, 2007

数独解析プログラム

 前回数独のことを書いたのはちょうど1年前のことである。そのとき新しく始めたと書いた新書版の本に,その後も断続的に取り組んでいるが,まだ終わっていない。全部で111問あるうちの94問目まできたところである。

 ネット上には,数独を解くPC用プログラムもいろいろあるようだ。しかし,数独はマス目を埋めるプロセスがすべてだから,プログラムに解答を教えてもらってもまったくありがたくない。
 ひとつだけたまにお世話になっているのは suudo9.xls というプログラムである(→所在地)。これは,単純に基本ルールを適用していくだけでどこまで解けるかを,Excelのシート上で解析するものである。(したがって,あるレベルまでの問題は完全に解けてしまう。)
 上記の本の問題で,通常の方法で埋めていき,空白があと27マスになったところでそれ以上どうしても進まないということがあった。そこで,この問題の解析を suudo9.xls に命じたところ,私がたどりついたのと同じ状態で止まった。これで,ここから先は「仮定法」(→参照)を用いないと解けないとわかる。すなわち,suudo9.xls と「見解」が一致すれば,安心して(?)仮定法の適用を始めることができる。
 プログラム作者の言葉では「解析レベルは90%ぐらい」ということだが,実感としてはもっと精度は高い。しかし確かに100%ではなく,私の方が(仮定法を使わずに)一歩先まで行ったこともあった。

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Dec 25, 2007

神保町のイルミネーション

今年のイルミネーションの記録――
 ◆三井ビル東側:
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 ◆パークタワー南側:
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 ◆学士会館:
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 ◆パークタワー西側:
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 ◆101ビル前の「新色」ツリー:
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Dec 24, 2007

中央環状線初乗り

 首都高速中央環状線の熊野町ジャンクション・西新宿ジャンクション間が22日午後開通したので,翌日通行してみた。
 5号線板橋本町から入った。板橋ジャンクションで王子方面からの中央環状線が合流し,あわただしく1kmで熊野町ジャンクションとなり,西新宿への新しい道が右に分岐する。ここは高松出口(21日廃止)への道だったところである。
 透明の壁に囲まれた道を下り,要町交差点手前で地下にもぐり,山手トンネルとなる。ずっと前に聞いたところでは,当初の計画では地下にもぐるのはもっと南の方だったが,要町交差点を南に少し行ったところにあった○進社ビルに本拠を構えていた○核派が周囲の住民を「組織」した結果,地下化が実現したのだという。
 トンネルに入ったら,カーナビが未知の道に困ってしまってぴたりと止まった。「内装」のコンクリートはやや緑色がかっている。途中の西池袋入口は右からの合流,西池袋出口,中野長者橋出口も右への分岐である。

 交通量は少なく,快適だったが,中野長者橋手前でさっそく事故があったため,車線が片方ふさがって少し渋滞していた。
 初台の手前で地上に出てそのまま高架となり,オペラシティを右に見ながら(実際にはほとんど見えないが)カーブして4号線と平行し,やがて合流する。まことにあっけない初乗りだった。

 帰りは一般道を走った。工事のために車線がくねくね曲がり,それがしょっちゅう変更になって走りにくかった山手通りは,少しすっきりしたが,本格的な後始末を終えるまでにはまだしばらくかかりそうだ。

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Dec 23, 2007

中島敦と岩田一男

 だいぶ前のこと,神奈川県立近代文学館へ中島敦展を見に行ったことがある。
 その展示物の中に,岩田一男あてのはがきというのがあった。中島敦が横浜の女学校の教師をしていたのは知っていたが,そのときの同僚の英語教師に岩田一男がいたのをそのとき初めて知った。
 岩田一男は,一般にはもう忘れられているようで,Wikipedia に項目がないが,60年代前半の大ベストセラー『英語に強くなる本』の著者である。長いこと一橋大学の教授をしていた。

 『英語に強くなる本』は,たぶん出てすぐ父が買ったとみえて家にあったので,ちょっと開いてみたらこれが子供にもおもしろく,当時中学に入る前で英語は何も知らなかったのに,英語のところは抜かして読んでしまった。トイレに入っていてノックされたときに「だれかがいます」というのだとか,道に迷って「ここはどこですか」ときくには「私はどこにいますか」という,といった導入部は,今も記憶に残っている。
 今思うと,肝心の英語を抜かして読んでもおもしろいというのは希有のことであり,それだけ本の出来が良かったのだろう。ずっと後に知ったのだが,その功績のかなりの部分は,カッパブックスを創刊した神吉晴夫の功績のようだ。

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Dec 20, 2007

死のアリアによる変奏曲

 ミステリーをあまり多く読んでいるわけではないが,クラシック系の音楽家・音楽界が出てくるものでおもしろかったものに,ポール・マイヤーズ(Paul Myers)の2冊

  『死の変奏曲』創元推理文庫 1989
  『死のアリア』創元推理文庫 1990

がある。イギリス情報部から足を洗って音楽マネージャーとなったマーク・ホランドを主人公とするシリーズである。ミステリーとしては,前に書いたトマス・ハウザー『死のシンフォニー』より正統的で,すぐれたエスピオナージュである。登場する音楽家の行動や発言が実にリアルで,生き生きしていると思ったら,それもそのはず,訳者の解説によると,作者はかなり高名なレコード・プロデューサーだという。
 いま手元に『死の変奏曲』の方がなくて確認できないが,この本の解説を書いていたのが,推理小説作家の息子でかつ音楽評論家というまさに「適役」のYR氏だったと思う。

 このシリーズは,90年当時,すでに5点が出ていたとのことだが,翻訳が出たのは上記の2冊だけのようである。

(参考情報:音楽ミステリーのかなり完備したリストはここ

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Dec 17, 2007

舞うか,東洋のタクト

 前項と同じ1969年に『夕刊フジ』が創刊された。初めてのタブロイド判の夕刊紙だった(それまでにもすぐ消えたものはあったようだが)。
 創刊から間もないころの同紙1面トップに「舞うか,東洋のタクト」という時代がかった見出しが踊ったことがあった。ニューヨーク・フィルハーモニックの次の常任指揮者の候補に小澤征爾が挙がっているという記事だった。同年に辞任することになっていたバーンスタインの後任探しが行われていたのである。
 当時小澤は34歳,トロント交響楽団指揮者の任期を終えたところだった。その前に,バーンスタインに認められてニューヨーク・フィルの副指揮者をしていたこともあり,ある程度可能性のある話だったのだろうと思う。しかし,日本人指揮者の欧米での実績がほかにはほとんどないころだから,随一の名門とされていたニューヨーク・フィルの常任にという話が出たということだけで非常にびっくりした。その驚きは,後に小澤がウィーン国立歌劇場の音楽監督になると聞いたときを上回るものだった。

 結局このときは常任指揮者は空席となった(しばらくしてからブーレーズが就任する)。小澤にとっては結果的にこれが幸いし,サンフランシスコ交響楽団を経て,1973年から29年にわたりボストン交響楽団の音楽監督をつとめることになる。

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Dec 16, 2007

赤頭巾ちゃんの登場

 1969年春のこと,友人が「日比谷高校の生徒を主人公にした変な小説が『中央公論』に出てる」という。借りて読んでみたら,都立日比谷高校(その2年前まで東大合格者数トップだった)の男女の生徒(と近所の女医さん)が出てきて,たいした物語があるわけではないのにやたら饒舌にとめどなく言葉があふれてくる。しかも登場人物は同世代で,時代は同時代――ほんとうに「変な小説」だと思った。それが庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』の初出である。

 「学校群」前の日比谷高校は大学のような高校で,2期制で90分授業,個性的な名物教師が揃っていた。『赤頭巾ちゃん気をつけて』にもそのあたりのことがいろいろ書かれているが,文芸雑誌がいくつも出ているというのと並んで「馬鹿でかいオーケストラがあってしょっちゅう演奏会をやっている」というくだりには笑ってしまった。もちろん,当時,高校のオーケストラというのは非常に貴重な存在だったが,関係者によると,日比谷のオーケストラは馬鹿でかくはないし,しょっちゅう演奏会という状況ではなかったという。
 その年の夏,『赤頭巾ちゃん気をつけて』がなんと芥川賞に選ばれて再び驚いた。(その5年後,庄司薫が中村紘子と結婚したというニュースに,三たび驚かされた。)

 ずっと後で知ったのだが,庄司薫は,日比谷高校で塩野七生と同級生だった。(ちなみに,私は中村紘子さんと郷里で一時ご近所だった。)

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Dec 15, 2007

神保町の師走

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 今年は,東京の町中のイチョウの黄色が鮮やかだった。写真は神保町交差点の少し北,白山通り(7日撮影)。

 先日,神保町三井ビルの会計検査院の東側入り口に引っ越しのトラックが来ていた。そろそろかな,と思っていたら,13日に「会計検査院は,平成19年12月20日から千代田区霞が関中央合同庁舎の第7号館に移転します」というお知らせがホームページに掲出された。

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Dec 09, 2007

ジョン・カルショーと『ゴールデン・リング』

承前
 ジョン・カルショーの手記『ニーベルングの指輪――リング・リザウンディング』には,このレコーディングを題材にしたBBCテレビのドキュメンタリー番組のこともかなりのスペースを割いて記されている。記録する立場であるプロデューサーが,ここでは記録される立場になって,とまどいつつ楽しんでいるようだ。

 読了後,その番組『ゴールデン・リング』のLD(learning disabilitiesではない)を取り出して久しぶりに見た。たぶん,買った直後に見て以来である。ちょっと見るだけのつもりだったが,おもしろくて結局全部見てしまった。本の中で,BBCのチームが,デッカのレコーディングチームの熱気を目の当たりにして,次第にそこにのめりこんでいく姿が印象的だったが,その「結果」がモノクロ90分の中に凝縮している。
 ニルソン,ホッターらの名歌手,ショルティ,およびウィーン・フィルのウィリー・ボスコフスキー(コンサートマスター)やベルガー兄弟らの姿が見られるし,録音中のもっとも愉快なエピソードである「グラーネ事件」(このことは,『指輪』LPの解説書にも写真入りで載っていた)の模様も出てくる。(『ゴールデン・リング』は今はもちろんDVDで出ている。)

 その後,カルショーのもうひとつの著書『レコードはまっすぐに』(学研)も見つけた。『リング・リザウンディング』以上の大冊である。来週あたり集中的に読むようにしよう。

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Dec 08, 2007

ETCカードとカーナビ

 まったくの遅ればせながら,この夏にETCカード車載器とカーナビを車に取り付けた。
 そもそも年に3000キロ足らずしか走らないから,ETCカードによる割引ですぐに「元を取る」のは難しいが,料金所で何もしなくてよいのはまことに快適である。ただ,車を止めてキーを抜くといちいち「カードが残っています」と男性の声で警告されるので,「それはわかっています」と答えたくなる。

 カーナビの方は,女性の声だ。ちょっと逆らって案内と違う道に進むと,必死になって新しいルートを探す姿はなかなかけなげである。時に少し変なルートを案内されることもあるが,概して鉄道の乗り換え案内ソフトより「現実的」な解を示してくれる。
 検索できる施設名にはいろいろムラがあるようで,横浜の「神奈川県民ホール」が検索できず,なぜか「県民ホールチケットセンター」というのがあった。まあこれでも到着できたが。
 普通に右や左に曲がるときはいいのだが,「斜め右」へ行けという場合,実際の交差点で右折扱いなのか,直進の扱いなのかがわからなくて迷うことがある。高速道路では「次の分岐を右へ」などと言われるが,実際には右へ分岐する道はなくて「直進」であることが多い。このへんの表現は一工夫してほしいところだ。

 首都高速中央環状線の熊野町(5号線)から初台(4号線)までが12月22日に開通する。大江戸線の建設工事以来十数年にわたって続いてきた山手通り地下の工事が,やっと一段落することになる。

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Dec 07, 2007

ショルティの『指輪』とジョン・カルショーの手記

 ショルティ指揮,ウィーン・フィルによる『ニーベルングの指輪』の録音(1958-65)のプロデューサー,ジョン・カルショーの手記『ニーベルングの指輪――リング・リザウンディング』(学研)を,寸暇を惜しんで読んだ。読むのを中断するのが惜しくて,最後はJR東京近郊区間の「大回り乗車」をして電車内で読んだ。
 同じ本の翻訳は,昔,音楽之友社から出ていたが,今回のはそれとは別の訳である(旧訳の訳者が序文を書いているのもおもしろい)。旧訳は長いこと絶版になっていて,何度か神保町の古賀書店(音楽書専門の古書店)で聞いてみたが,手に入らなかった。
 録音開始のときカルショーは34歳,準備を始めたときは30そこそこだった。この大プロジェクトを,こんな「若僧」にやらせてしまうデッカの太っ腹は見事というほかはない。ただ,『指輪』全部を録音するかどうかは最初はまったくわからなかったようだが。

 録音は1958年の『ラインの黄金』で始まった。戦後のウィーン国立歌劇場は,それまで『指輪』は仮小屋での『ワルキューレ』以外はやったことがなくて,ウィーンフィルの戦後のメンバーはこの録音が『ラインの黄金』初体験だったというのを初めて知った。考えてみれば,戦後劇場を再開したのがその3年前の1955年だったから,それも当然なのだが(戦後初めての『指輪』はその直後に始まったカラヤンによるものだとのこと)。

 日本でこのLPがセットで出たのは1968年だった。そのころの私はワグナーはいくつかの序曲・前奏曲以外何も知らなかったが,この豪華なセットが大きな話題になったのはかろうじて覚えている。たしか定価は45,000円,当時の初任給を大きく上回る額で,学生が買うなど考えられなかった。
 私が買ったのは,70年代後半に定価30,000円で発売になったときである。「ライトモチーフ集」3枚がついて,だぶん22枚組だった。解説書(歌詞対訳入り)の厚さは1cm以上もあり,友人と「これはリブレットじゃなくてリブロだね」などという話をした。
 その後,前世紀末ごろに輸入盤CDで買い直したときは2万円ぐらいだった。感覚的には,最初のLPの10分の1以下の価格である。
 今や『指輪』全曲の録音は十何種類もあるが,この最初のものが今も「現役」であり,しかもしばしば最良のものとされているのは,草葉の陰のカルショーも誇らしく思っていることだろう。

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Dec 03, 2007

カキフライ始めました

 東海林さだおが書いていたように,飲食店の「…始めました」という貼り紙は,都会で季節感を感じさせる重要な存在である。11月には,多くの店でカキフライ,鍋物などが始まった。
 今シーズンの神保町の昼食では,まず「ムガールマハール」(五十通り;小川町3-7)のカキカレーを食べた。カキは,フライではなく,たぶん薄い衣をつけて炒めたものだと思う。インドにカキはなさそうな気がするが,なんでも入れてしまうのがカレーのおもしろいところ。
 続いては「鷹ばん」(駿河台3-3)である日,かき味噌せいろというのがあったので飛びついた。せいろ飯にカキがのり,八丁味噌のたれがかけてあった。カキと味噌の組み合わせは土手鍋でおなじみだが,八丁味噌との組み合わせは新鮮だった。(以上2軒とも日替わりのメニューのひとつなので,毎日あるわけではない。)
 「翠園」(錦町1-14)では以前はカキと野菜のうま煮風の炒め物が楽しみだったのだが,2006年以降,登場しなくなってしまった。

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 「本拠地」の「神保町の昼食の章」に昼食ニュース12月号を掲載した。初訪問の店が9軒というのは新記録である。

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Dec 02, 2007

ドレスデンの『サロメ』

 ドレスデン歌劇場の3つめの演目は『サロメ』。10月のベルリンの『モーゼとアロン』,2001年バイエルンの『フィデリオ』に続くペーター・ムスバッハの演出である。(『フィデリオ』はまったく印象に残っていないが。)
 開幕前の舞台上の下手脇にハーモニウムとオルガンが見えていた。これは元々ピット内ではなく off stage という指定なのだが,逆に on stage である。目障りだなと思ったのだが,実は手前が尖った三角形の装置の上ですべてが進行し,舞台全体の3分の1以下しか使わないので,まったく邪魔にならないのだった。その三角形は急坂になっていて,ナラボートの血がなくても滑りそうだった。

 これまでに『サロメ』は7種類の演出で見たが,今回はそのどれとも違う点が多い「変わったサロメ」で,息つく暇もなかった。その主な点:

・小姓を男役にしている(メゾが男装で歌う)。
・ヨカナーンが地下牢にいないでずっと姿を見せている。
・七つのヴェールの踊りで,サロメはヘロデを激しく誘惑し,ヘロデを脱がようとする。(自分は脱がない。)
・踊りの最中にヨカナーンに触り,ついには縛る。
・ヘロディアスも対抗上(?)ストッキングを脱ぎ,ヘロデを縛るのに加わる。
・ヨカナーンの首は出てこず,サロメはその死体(ナラボートの死体があったのと同じ場所にころがる)と共にシーツにくるまる。

 タイトルロールはカミッラ・ニールント,ヨカナーンはアラン・タイトスで,共にこの6月に初台で歌ったばかりの人たちだった(元帥夫人とファルスタッフで)。2人とも全体としては立派だったが,ニールントは後半少し疲れが出たような感じだったし,タイトスはサロメを魅惑する若い男という感じはしない(ファルスタッフだったらそのままでいいような体型だし)。

 これで,ベルリン州立,ドレスデンと続いた旧東独の団体によるドイツオペラ強化月間が終わった(『ドン・ジョヴァンニ』は「イタリアオペラ」だが)。

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