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March 2008

Mar 30, 2008

夜行の時代

 3月14日限りで東海道本線を走る寝台急行「銀河」が廃止になった。昨年(2007年)1月,大阪発の新幹線「のぞみ」の最終に乗り遅れて,予定外の上り「銀河」乗車となったのだが,これが「銀河」への最後の乗車になった(→参照)。「銀河」の下りには2回乗ったことがあったが,上りに乗ったのはこれが最初で最後となった。

 高校生のころ,年上の従兄弟に連れられて,初めて関西へ出かけた。このときは客車急行の夜行に乗った。ボックス席を従兄弟と2人で使って,一応横になることができた。当時,東海道新幹線はすでに開通していたが,在来線にも優等列車が多数走っていたし,夜行もあって,特に若者は在来線に乗る方が普通だった。
 その2年後の東北への修学旅行も,夜,上野駅に集合し,夜行の座席車で出かけた。朝の平泉の陽光がまぶしかった。
 その後,東海道ではさすがに新幹線が普通になったが,他の線区では,遠くへ出かけるときは,少なくとも片道は夜行に乗ることが多かった。

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Mar 22, 2008

シルヴィ

 久しぶりにシルヴィ・バルタンの名を目にした。近く来日公演があるという。
 シルヴィ・バルタンは,1965年ごろ「アイドルを探せ」でブレークした。レコードなんて買えず,ラジオで聞くだけだったが,フランス語の響きというのを初めて知った。「ラプバリプアレドスィー」という歌詞の断片は今も耳に残っている。
 続いてもう少し子供っぽいフランス・ギャルの「夢見るシャンソン人形」がヒットした。こちらはたしか,日本語バージョンも出たと思う。

 フランス語の歌がひとつのきっかけになって,高校2年の春,ラジオのフランス語講座を聴き始めたが,これは二十日坊主ぐらいで終わった。
 それから十数年後,伯父の法事で行った鎌倉のお寺で,そのラジオ講座の担当だったA先生の名を寄進者名の掲示の中に見つけた。

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Mar 18, 2008

カササギ飛んだ

 このブログを開設してすぐ書いたのが藤原歌劇団の『アルジェのイタリア女』のことだったが,それ以来ちょうど4年ぶりに再び藤原歌劇団のロッシーニを見た。演目は,小太鼓で始まる序曲のみ有名な『どろぼうかささぎ』
 分類では「セミ・セリア」というのだそうで,全体としてはシリアスなドラマであるが,随所にブッフォの要素がある。
 ロッシーニのテノールのスペシャリスト,アントニーノ・シラグーザを初め,歌手は好調,指揮はアルベルト・ゼッダも鮮やかだった。ゼッダは学者でもあり,ここ40年あまりの「ロッシーニ・ルネサンス」に大いに貢献してきた人だという。

 今回の上演で大活躍したのはタイトルロール(?)のカササギだった。ラジコンのカササギが舞台上を自在に飛び回ったのである。オペラグラスで見るとプロペラがついているのがわかるが,回っているとあまり目立たず,非常にリアルだった。カーテンコールでは,鵜匠のような姿をした「かささぎ匠」がラジコンのコントローラーを持って登場し,カササギは客席の上空を旋回した。

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Mar 14, 2008

3月14日はブログ記念日――diarists and bloggers

 今日3月14日で,当ブログは開設4周年を迎えた。開設以来の記事の数は348本。平均して4日に1本だから,ときどきブランクがあった割にはそこそこの頻度といってよさそうだ(という気がする)。だいぶ前に,「ブログ:3か月続く人は全体の55%どまり」というニュースがあったが,今はどうなのだろう。
 最初の2年分は,ブログを本にするサービス MyBooks の試作の題材となり,きれいな本にしてもらった(→参照)。ここはひとつ,次の2年分も本にしてみるか。

 昔は,藤原定家,藤岡屋由蔵,サミュエル・ピープスなど,日々の見聞を克明に記録した日記をつける人がいた。彼らが日記を書くのに費やしていた時間は,たぶん1日に1時間ではすまなかったのではないかと思う。これらはたまたま今に伝えられているが,実際には,戦乱や災害で失われた日記というのもきっとたくさんあったに違いない。
 現代の日記作者=ブロガーは,昔よりずっと恵まれた環境にあるとはいうものの,何年もの間ほぼ毎日書き続けている方々(例:篠の風さん,HIDAMARIさん,iioさん)のエネルギーには感服するばかりである。

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Mar 12, 2008

バッハの「トラベルセット」

 昔の私の周囲のアマチュアオケ関係者の間では,「トラベルセット」という言葉は,バッハの無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番 E-dur のガヴォットを指す。
 1970年ごろだと思うが,資生堂のテレビ・コマーシャルで,このガヴォットの初めのところを女声のグループが「トラベルセットがあ・た・る~」という歌詞で歌っていたのである。

 先日,たぶん十数年ぶりにこの無伴奏ソナタとパルティータ(各3曲)のCDを聞いた。
 パルティータは舞曲からなる組曲である。その第2番の終曲が有名なシャコンヌで,確かにシャコンヌは舞曲だが,第2番のそれまでの4曲を合わせたのと同じくらいの長さがあり,なんともアンバランスで,もはや舞曲集の枠を大きくはみ出している。
 ソナタの方はいずれも第2楽章がフーガになっている。昔初めて聞いたときに,ヴァイオリン1つだけで精巧なフーガになっているのに驚いたが,その後何度聞いても感嘆するほかはない。重音を使って2つめ,3つめの声部を奏するわけで,その書法はきわめて不自由なのだが,骨格を示して聞き手の想像力を刺激し,スケールが大きい。特に好きなのは「ロンドン橋フーガ」――というのはソナタ第3番 C-dur の第2楽章で,「ロンドン橋が落ちる」に似たテーマによる壮麗なフーガが繰り広げられる。

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Mar 08, 2008

ジョン・カルショーの自伝

 デッカのレコード・プロデューサーだったジョン・カルショーの自伝『レコードはまっすぐに』(山崎浩太郎訳;学研)をようやく読み終えた。昨年12月に同じ著者の『ニーベルングの指輪――リング・リザウンディング』(学研)を読んだあとすぐに入手し,12月に「来週あたり集中的に読むようにしよう」などと書いた(→参照)が,はっきり言って前著ほどおもしろくなくて,読むのに思わぬ時間がかかってしまった。
 自伝のつもりだから,デッカ入社前のことが長い。戦勝国イギリスの軍隊にも多くの不合理・不条理があったことを知ったのはまあ有益だったが,物語としてはおもしろくない。しかも未完となったので,まとまりは悪いし,データの誤りもある(訳注でいろいろ指摘がある)。

 前著のようなひとつのテーマによるものではないので,少なくともレコーディングに関しては「指輪以外」の落ち穂拾いである。それでも,その中のエピソードには,カラヤン,デル・モナコ関係のものなど,印象に残るものが多い。ジュゼッペ・ディ・ステファノも何度も登場するので,先日の訃報を目にしたときに,知人が亡くなったような気がした。

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Mar 05, 2008

ホール・オペラのヴェルディ

 サントリーホールの「ホール・オペラ」のシリーズは,89年以来何度も聞いた。最初のころはほぼ「演奏会形式」で,歌手と譜面台がずらっと前に並んでいたが,次第にオペラらしくなり,オーケストラがステージ(のやや後方)にいることを除いては「ほとんどオペラ」になった。
 今年からは路線が変わってモーツァルトのシリーズだが,ずっとヴェルディとプッチーニが主だった。

 90年の『シモン・ボッカネグラ』は,1989年末のルーマニア革命の直後だった。たまたまルーマニア出身の歌手がいたこともあって,プロローグで合唱が「貴族を倒せ」とさけぶあたりは妙に現実感があった。

 91年の『オテロ』では,指揮者がステージにいるホール・オペラならではのできごとがあった。終演後盛大な拍手がひとしきり続いた後,指揮者のグスタフ・クーンが指揮者用譜面台の上に置かれていた青緑色のスコアを手にして,高く掲げたのである。それは「演奏者に対する拍手をありがとう。でも,いちばん偉いのは作曲者のヴェルディ。讃えられるべきはヴェルディです。」という意味であることが「文脈」から直ちに聴衆に理解され,ホールはさらに盛大な共感の拍手に包まれたのだった。

PS ジュゼッペ・ディ・ステファノの訃報が昨日の夕刊に出た。

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Mar 02, 2008

植え込み通過作戦

 小学校のとき,校門と校舎の間に植え込みがあって,そこは入ってはいけないことになっていた。しかし,そこを通れば近道になる。
 そこでわれわれは一計を案じた。下校するとき,じゃんけんで負けた者が悪者になって,まず1人で植え込みに入っていき,残りが「こら,待て~」といいながら追いかけて,結局全員通ってしまうのである。
 何回かやっているうちに担任の先生に見つかった。ガキの浅知恵に先生は苦笑しつつ,「あしたからダメだぞ」と宣告した。

 ずっと後で知ったことだが,その小学校の校舎は,海軍機関学校の校舎が払い下げられたものだった。植え込みもたぶん海軍時代以来のものだろう。
 海軍機関学校といえば,かつて芥川龍之介や内田百閒が教官をしていたことがある学校だが,その建物はさすがに芥川のころより後のものだったのではないかと思う。

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