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May 2008

May 31, 2008

バイエルン国立歌劇場1974 (1)――70/80年代の外来オペラ

 海外のオペラハウスの本格的な引っ越し公演は,1963年のベルリン・ドイツオペラが最初である。このオペラはその後66年,70年にも来日したが,そのころはまだオペラにはあまり興味はなかった。金もなかった。
 初めて本格的なオペラを見たのは就職してからで,1974年のバイエルン国立歌劇場(当時の日本語表記は「ミュンヘン・オペラ」)の初来日公演だった。このときは,友人から「関係者を通じて『ばらの騎士』の切符が買えるんだけど」と言われ,それじゃあということで行ってみることにした。
 パンフレットを入手して見ているうちにほかの曲も見たくなり,一般発売の前夜から竹橋の毎日新聞社に並んだ。電話予約もなく,プレイガイドに徹夜で並ぶのが普通のことだった時代である。毎日新聞は後援社のひとつなので,普通のプレイガイドよりは買いやすいと推測された。未明の点呼にはやむを得ずタクシーでかけつけたりして,結局『ワルキューレ』の切符を買った。

 このときの演目は上記のほか『ドン・ジョヴァンニ』『フィガロの結婚』で,東京では4演目が各3回(いずれも東京文化会館),大阪では『フィガロ』が3回,『ワルキューレ』『ばらの騎士』が各1回,ほかに特別演奏会が4回あった。指揮は『ばらの騎士』がカルロス・クライバー,他がサヴァリッシュとフェルディナント・ライトナーで,クライバーは「第3の指揮者」だった。サヴァリッシュはこのときすでに音楽総監督で,日本では1964年以来N響の指揮でおなじみになっていた。
  (この項続く

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May 25, 2008

短信 来日オペラの予定

 ウィーン・フォルクスオーパーの来日公演のプログラム上で,2009年~2011年のNBS主催公演の予定が発表されている。
 2009年秋スカラ座,2010年秋ロイヤルオペラ,2011年春フィレンツェと続き,最後は2011年秋のバイエルン国立歌劇場である。バイエルンの曲目は『ローエングリン』『ドン・ジョヴァンニ』『ナクソス島のアリアドネ』で,いずれも2008年~2009年にプレミエを迎える演出だという。
 2011年にはほかにメトとキーロフが予定されている。それぞれ,前回の公演最終日のカーテンコールで降臨した垂れ幕に書かれていた。
 この年になると,たった3年後,という感覚になる。

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May 22, 2008

副都心線 開通秒読み

 6月14日の地下鉄副都心線開通まで,20日あまりになった。山手通り(環6)地下の高速道路・中央環状線が昨年末に開通したのに続き,明治通り(環5)地下の副都心線が開通すれば,山手線の東西の道路で長年続いていた工事がようやく終わることになる(ただし,中央環状線の新宿以南はまだ工事中)。
 この線は,「東京13号線」として計画されていたもので,今後地下鉄の新線建設の具体的な予定はなく,当面「最後の地下鉄」となる。昨年開業日が決まって以来,東京メトロでは何種類もポスターを作って宣伝に努めている。

 小竹向原―池袋間は有楽町線と2階建て構造になっている。有楽町線といっしょに建設されたので,駅や線路は1983年にできていたが,地下2階は「(有楽町)新線」として後から開通した。途中の要町・千川駅にもホームは造られていたが電車は通過で,車内から見ると,暗い中に丸い柱が立ち並び,宮殿の廃墟のようで不気味だった。
 それが,先日通ってみたら,照明はまだ明るくないものの,内装がほぼ完成しているのが見えた。有楽町線の要町・千川駅では,副都心線ホームへ降りる階段・エスカレーターの工事のための覆いが,昨年から通行のじゃまをしていたが,連休明けにこの覆いが外された。小竹向原駅では,ホームに副都心線の路線図もすでに掲げられている。
 地下鉄の他の駅でも,副都心線が書き込まれた新しい路線図があちこちですでに掲出され,「6月開通予定」という注意書きのステッカーをはがせばよいようになっている。準備は着々と進んでいる。

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May 20, 2008

ある日記

 2006年から「アルコール日記」をつけている。Excelの表で,酒の種類ごとに量を記入し,アルコール量を算出するようにしてある。あと,ついでに,飲み代と歩いた歩数も記録している。
 そこで困るのは,生ビールのジョッキの容量が正確にはわからないことである。よく行く店のジョッキを,たとえば「大」は大びん1本より少し少ないと見て600mlとしておき,初めての店では,見た感じおよび値段をこれと比較して推定する。日本酒のお銚子は,多くの場合どう見ても1合は入っていないと見て,150ml としている。(もちろんきちんと1合入っていそうな店もあるし,逆に正直に150ml のびん詰めで出てくる店もある。)
 しかし,もっとわからないのは,グラスに入ってくる焼酎の量である。グラスの底の半径は見当がつくが,上にむかって広がっているし,何より氷が入っているために高さをどう見るかは判断が難しい。(その点,前回書いたFという店では,焼酎も1合のとっくり型のびんで出てくるから,分量がはっきりしているし,濃度の調整も自由にできる。)

 今は日本でもアイリッシュバーなどでおなじみだが,イギリスのビールのジョッキは容量が半パイントまたは1パイント(1 pint=568ml)に決まっている。昔初めてイギリスに行ったときこれを知って,これは明快でよいことだと思った。

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May 17, 2008

厚揚げストーリー

 豆腐はどういう料理でも好きだが,つまみとしていちばん愛用している豆腐家族のメンバーは厚揚げである。これは,私の母語では「生揚げ」であり,今もおでん屋では生揚げと呼ばれることが多いような気がするが,飲み屋での名称は圧倒的に「厚揚げ」である。
 神田駿河台3丁目,三井住友海上の南側の地域には良い和食店がいろいろあるが,その一つのの「藍」で,先日昼に「本日の定食」を食べた。そのおかずに厚揚げが入っていたのだが,これがなんと注文を受けてから豆腐を揚げて作っていた。ざるの上に水切りした豆腐が並んでいて,定食の注文があるとその1丁を縦長の半分に切って,衣をつけて揚げるのである。揚げている時間は長いわけではないが,揚がってから薬味を添えたりするし,もちろん他のおかずを並行して用意するわけで,その手のかけ具合は申しわけなくなるほどだった。

 飲み屋では厚揚げは網で焼くから「焼きもの」だが,池袋の大衆的な居酒屋では厚揚げは「揚げもの」に分類されている。ただし,豆腐を揚げているわけではなく,既製品の厚揚げをさらに揚げているもので,これはこれでうまい。安いつまみなのに,ありがたい。
 厚揚げの薬味は,ネギ,ショウガ,かつおぶしが定番だが,店によっては大葉やミョウガが加わる。同じく池袋のでは,5月になって店長が交代したのをきっかけに,ありがたいことにメニューに厚揚げとポテトサラダが登場した。ここの厚揚げは薄い直角三角形のものを4片串に刺して網で焼き,ネギ,かつおぶしのほかにちょっと酸味を加えた味噌が添えられている。これもなかなか乙なものだ。

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May 11, 2008

鳩山会館・野間記念館・あしかが・ベニバナトチノキ

 連休中のある日,文京区音羽の鳩山会館に出かけた。鳩山一郎はじめ,五代にわたって政治家を排出してきた鳩山家の邸宅を修復したものである。地下鉄有楽町線の江戸川橋から護国寺方向へ進んだ右側に門があり,坂を上がっていく。Img_1080
 1924年,関東大震災の翌年完成した建物で,旧岩崎邸(池之端)よりスケールは小さいが,内外装とも落ち着いていて趣味の良い邸宅である。2階には鳩山薫子,鳩山威一郎の記念室もある。庭は西洋風の一部を和風にしたような感じで,ツツジが品良く咲いていた。庭に面した1階の部屋では無料の緑茶(給茶器によるものだが一応香りがあった)が飲める。Img_1084

 鳩山会館のあとは,野間記念館に行った。江戸川橋方向に戻ってから目白坂を上がり,椿山荘を過ぎたところにある。講談社の創業者・野間清治のコレクションを展示する美術館で,横山大観とその周辺の画家の展示をやっていた(これは5月18日まで)。大観もいいが,小杉放菴など6人の十二ヶ月図がおもしろかった。
 記念館の玄関の前の植え込みにベニバナトチノキがあって,少しピンクがかった淡い朱色の花を咲かせていた。ベニバナトチノキは神田神保町のすずらん通りにあって,会社の先輩に木の名を教わった。(「本拠地」の「神保町の昼食の章」の「神保町昼食ニュース」2000年6月号参照)

 その数日後,こんどは栃木県足利市のあしかがフラワーパークで,ベニバナトチノキにまた巡り会った。最初は別のところに行こうとしていたのだが,駅のポスターを見て方向変更した。こういうとき Suica はありがたい。Img_1132
 藤色・白・黄色のフジが盛りを迎え,1年分を2週間で稼ぐというほどではないかもしれないが,大賑わいだった。ここは入場料が「変動相場制」で,季節・天気・花の咲き具合によって変動する。後で見たホームページによると,料金は当日朝7時に決めるとのこと。Benibanatochinoki0805a
 フジのほかにツツジやクレマチスなどが所狭しと咲いていたが,そこに混じってベニバナトチノキがあった。これが,都内の何か所かで見たものよりずっと色が濃くて,新緑の中で鮮やかだった。

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May 10, 2008

ケルンとローマ

 70年代に当時は西ドイツのケルンに行ったことがある。ドイツはその後も南の方しか行ったことがなくて,ケルンが今まで行ったドイツの「北限」である。
 有名な大聖堂の向かい側にローマ博物館があった。細かいことは覚えていないが,わかりやすく展示する工夫がこらされ,非常によく作られた古代史博物館だと思った。その地下展示室では,ローマ時代の遺跡の発掘現場をそのまま保存してガラス越しに見られるようになっていた。
 今のドイツ地域は,『ゲルマニア』などの書物に記録された北方の辺境であり,そもそもケルンという地名はラテン語の colonia(植民地)に由来する。

 その数日後,ローマへ飛んだ。
 ローマでは,町中に古代の遺跡・遺物があるのを見て目がくらむような思いがした。古代ローマの中心をなすフォロ・ロマーノはちょっと別格にしても,ケルンで大切に保存・展示されていたようなものが,そこらじゅうにごろごろしているのだった。「永遠の都」というのは,永遠に遺跡で食っていける街,でもあった。

 ローマからは南回りの飛行機で23時間半かかって帰ってきた。

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May 05, 2008

おおさか東線初乗り

(承前)
 JR王寺駅は関西本線(大和路線)と和歌山線が合流する要衝で,構内は広大である。近鉄とJRは競合関係にあるが,おもしろいことにホームに近鉄の広告があった。Img_1063

 大和路線の快速は6両編成,かなり混雑していた。ノンストップ12分で久宝寺着。3月15日に開通したばかりのおおさか東線のホームへ行く。しかし,時間になっても前の電車が居座って動かない。やがてアナウンスがあって「飛来してきた布団が電車に接触,現在運転を見合わせております」という。「布団が飛来する」という発想はなかったから最初「飛来」ということばが聞き取れず,何度か繰り返されてやっとわかった。

 結局5分の遅れで発車した。旧山手線の緑色の電車で,おおさか東線区間のみを学研都市線の放出(はなてん)まで走る。おおさか東線は貨物線の線路をかなりの部分流用したもので,全部で9.2キロ,途中駅は5つ。このあと新大阪まで建設される予定になっている。Img_1066
 出発してまもなく高架となり,以後ずっと高架を行く。5つの途中駅のうち,3つに駅名に「JR」がつく。近鉄の駅が先にあったためだろう。連続する3駅の真ん中のJR俊徳道では,ひらがなの表示「じぇいあーる」が3つ並んでいた。Img_1067

 高架で見晴らしはいいが,要するに都会の景色でなんということはない。ただ,電車の窓が横長のワイドスクリーン形なのはちょっと新鮮だった。終点の放出はJR東西線の行き先のひとつとなって駅名を読めるようになった。14分でその放出着,4月3つめの新線初乗りとなった。

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May 04, 2008

田原本線――スルッといかない近鉄線

 4月某日,関西に出かけたときに,空いている時間を利用して近鉄・田原本線とJR・おおさか東線に乗りにでかけた。
 田原本(たわらもと)線は,近鉄の長大な路線の中でまったく孤立している短い線である。初めは別のところへ行くつもりだったが,所澤秀樹『鉄道地図は謎だらけ』(光文社新書)を読んでいるうちに,起点の西田原本は橿原線田原本駅から少し離れ,終点の新王寺は生駒線・JR関西本線の王寺駅から少し離れているというちょっとすねたようなこの線に乗ってみようと思い立った。

 京都から近鉄に乗車,そのまま大和西大寺から橿原線に入る。大和西大寺駅では路線図上は京都線・橿原線と奈良線が十字交差しているが,実際の線路はカッコを背中合わせにくっつけたような状態だった。56分かかって田原本に着。到着直前に,田原本線への連絡線が右に分かれていくのが見えた。Img_1045
 出口は田原本線とは反対側だった。Uターンするように踏切を渡って150メートルほど先に西田原本駅があった(位置関係は右の写真参照)。両駅の間は駅前広場整備の工事中だった。
 西田原本駅の自動改札で,迷わずスルッと関西(ICカード)を入れたら,通れない。駅員さんに言ったら,なんと田原本線では使えないのだという。「どこまでですか」と聞かれ,新王寺までと答えると,京都からの通算の切符を手動で発行してくれた。Img_1049
 田原本線は,全線で 10.1キロの単線,途中駅は6つ,ワンマン運転の3両編成の通常の近鉄の車両が走る。路地裏のようなところも通るし,田園地帯という感じのところもある。大まかにいえば平らだが,川を渡るところなどで細かいアップダウンはけっこうある。箸尾と大輪田で交換があった。Img_1050
 大輪田駅を出ると築堤に上り,左へ大きくカーブしながらJR関西本線と和歌山線を乗り越える。「この電車は次まででございます」という関西的なアナウンスが入り,終点の新王寺に到着した。重ねて「この駅まででございます」。Img_1058

 頭端式のホームからまっすぐ改札を出ると,左は大規模なJRの王寺駅である。その駅前広場を横切っていった先に,近鉄・生駒線の王寺駅がある。JRが近鉄の両駅を左右に従えているかっこうだ。
 今回は生駒線には乗らず,その隣の改札からJR駅に入った。

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May 03, 2008

暗譜――器楽の場合とオペラの歌詞

 指揮者は必ずしも暗譜で振らなくてもよいし,器楽のピアノ伴奏の演奏会などでも楽譜が置かれていることは多いが,オペラの歌手・合唱は必ず暗譜しなければならない。ミュンヘンの篠の風さんのブログを読んでいると,そんなあたりまえのことにあらためて気づかされる。ことに去年の『モーゼとアロン』の暗譜のことは何度も記されていた。
 器楽の独奏曲などは,それだけで完結した構成を持っているから,暗譜するのは難しくない。若いころなら,練習しているうちに自然に覚えてしまう。ちょっとした落とし穴はロンド形式のフィナーレやバロックの曲で,同じフレーズが戻ってくるたびに次にどこへ行くかで迷うことがある。
 昔,国内オーケストラの演奏会で,指揮者R氏(現在は同楽団名誉指揮者)の夫人がピアノ独奏者として登場,モーツァルトの d-moll の協奏曲を演奏したことがある。そのフィナーレの後半,ロンドのテーマが長調に変わっていくところで,ソリストが長調になるタイミングを間違えて混乱に陥り,R氏は夫人にいろいろ合図を送っていたようだが,混乱は次のトゥッティまで続いた。

 オペラでの暗譜というのはもちろん歌詞,それに演出上の動きも含めて「暗譜」する必要がある。しかも自分の歌うところは部分であり,その間や前後も頭に入れないといけないから,シーズンに登場するすべての曲を暗譜するのは大変なのだろうなと思う。
 たぶん有名な話だと思うが,1950年代ぐらいのこと,オペラの本番の途中で藤原義江が予定の動きをしないで前に出てきた。指揮者の森正はそのまま振りながら「違う,違う」と合図をするのだが,なおも出てくる。よく見ると,いや正しくはよく聞くと,藤原は森の方を見て,旋律は正しいまま「なんだっけなあ~」と歌っていたという。歌詞を忘れたのだった。プロンプターもいなかったのだろう。

 暗譜とは関係ないが,こちらは友人が実際に見た話。二期会の『ドン・ジョヴァンニ』(70年ごろ?)の大詰めで,騎士長の石像がドン・ジョヴァンニに向かって悔い改めるよう最後の警告をするところで,騎士長の故・大橋国一が「ドーン・ヴァジョーンニー」と歌ってしまい,そばにいた伊藤京子は吹き出しそうになるのを懸命にこらえていたという。

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May 02, 2008

non-reversible Reverse――リヴァースが閉店

 本拠地に「神保町昼食ニュース」の5月号を掲出した。
 そこにも書いたが,「<ダイニングバー>リヴァース」(マクドナルドの脇から錦華通りに入って2本目を左へ上がった左側)が4月末で閉店してしまった。ホームページにも closed の札がかけられている。
 昨年はリヴァースの昼食を5回食べた。5回というのは回数ランクで堂々の2位であり,気持ちとしては「愛用」の店だったのだが。サンドイッチと共に,紅茶がおいしいという点で希有の店だった。(→参照

 話は変わるが,少し前に昼食に入った某和食店で,たいした年ではない板前が新人店員を叱責していた。それが「何考えて仕事してるんや」「ぼやーとしてるんやないよ」などとねちねちしつこい叱り方で,断続的に5分以上続いた。そのときに一度注意してあとは客のいないときにしてほしい。食事は良かったが,不愉快になった。
 店主が客の前で奥さんを叱りつけることでは,神保町地区の某和食系の古い店が,ごく一部では有名である。奥さんの方は柳に風と受け流しているのだが,愉快なことではない。店主は愛想よくすることはほとんどなく,安いランチサービスの品を頼んだりするとますます不機嫌になる。それならサービス品などやめればいいと思うのだが。
 ずっと前,その店で葬式をやっていた。おお,やっとあのオヤジが,と思ったら,亡くなったのは引退していた先代だった。

 変な比較になってしまって申しわけないが,そこへいくと,上記リヴァースの西山夫妻の手を携えての奮闘ぶりは快い。そして,閉店の日には感動のクライマックス――最後の日々の「ドタバタ奮戦記」を涙と笑いと共に読んだ。
 西山さん,またどこかで活躍されますよね。

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