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June 2008

Jun 28, 2008

突然入院

軽い気持で目の診察に行ったら、今夜手術ということになり、入院しました。手術は無事終わり、経過は一応順調で、当初予定(1週間)より早く退院できるかも。片目眼帯でヴォータンのように院内さすらい人状態です。(初めて携帯から書いています。)

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Jun 22, 2008

ウィーン・フォルクスオーパー3連発(下)

承前
 フロトーはもちろん,「軽騎兵」序曲で中学生のころからおなじみのスッペも,オペラは初めてだった。共に他愛のない話としかいいようがないが,ミュージカルに連なる無類の楽しさだった。
 この2曲のうち,『ボッカチオ』の方が登場人物も多く,なによりボッカチオという大詩人を主人公にしていることで話に「厚み」がある。タイトルロールはアルトが歌い,非常に自然だった。これは戦後ずっと男が歌っていたのを,この演出で原曲通りのズボン役に戻したのだという。
 第1幕の舞台はフィレンツェの広場だが,ステージの奥行きの関係か,広場には見えず,街角の狭いスペースにぎっしり人が集まっていた。そこで「ベアトリねえちゃん~三馬鹿の歌」(浅草オペラでの題名)を歌う間抜け男トリオの1人は,シャンドール・ネーメットだった。ネーメットは,1985年に『チャールダーシュの女王』のフェリ・バーチ役で「ヤイ・ママン」の熱唱を聞いて以来,深く記憶にきざまれている歌手で,今回はこの日のみの出演。もう70歳近いはずで顔はさすがに老けたが,身のこなしは若い。

 フロトーはスッペより7歳,ワグナーより1歳年上で,しかも『ボッカチオ』がスッペ60歳のとき(1879)の作品なのに対し,『マルタ』はフロトー37歳のとき,つまり1847年初演という「古い」曲である。
 このオペラの「主題歌」は「夏のなごりのばら」,つまり「庭の千草」である。(字幕では終始「庭の千草」というタイトルを表示していたが,「夏のなごりのばら」としないとその前後の歌詞との関連がわかりにくい。) ほかに冒頭その他で歌われる合唱の曲は,日本では昔「じいさん酒飲んで酔っぱらって死んじゃった」という歌詞で知られていた。
 物語の焦点となる上流階級と庶民の交錯がおもしろく描かれていた。歌手もそれぞれ良かったが,マルタ役が非常に「庶民的」で,あまり「実は高貴」という感じがしなかった。

 この『マルタ』のすぐあと,新国立劇場の07ー08シーズンが終わった。あとは演奏会形式の『ペレアスとメリザンド』で今年前半のオペラは終わりの予定である。

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Jun 21, 2008

ウィーン・フォルクスオーパー3連発(上)

 まとめて書こうと思っているうちに旧聞になってしまったが,5月24日から毎週土曜日に3回連続で上野に通い,ウィーン・フォルクスオーパーの来日公演を見た。演目は,超定番の『こうもり』と,初めて見る『ボッカチオ』(スッペ),『マルタ』(フロトー)。
 フォルクスオーパーは,79年の初来日以来,以前は3,4年おきに来日していたが,今回は9年ぶり8回目だという。私の記録では7回目なのだが,99年(確かに9年前)の前が93年なので,たぶん96年ごろに私の見ていない「6回目」があったのだろう。(この間,2005年にウィーンの本拠地で1度見た。[→参照])

 『こうもり』は,ハインツ・ツェドニクの伝統を重んじながらスピード感のある演出。去年の新国立劇場も同じツェドニクの演出でこれも良かったが,舞台装置が違うのと,今回はツェドニク自身がフロシュ役で出演していたことで,新鮮だった。(なお,91年末にウィーンで『こうもり』を見たときには,ツェドニクがアイゼンシュタイン役だった。)
 開幕して最初に声が聞こえるアルフレート役には,オペラ歌手としては引退したルネ・コロが特別出演した。70歳になったはずだが,10年ぶりに聞く声は,ときどきかすれ気味にはなるが,往年の輝きが十分に残っている。演技と併せて若い役を若く好演。考えてみるとワグナー以外の曲で聞くのは初めてだった。コロは確か,父も祖父もオペレッタ作曲家だから,先祖返りでもある。
 オルロフスキーはカウンターテナーによるこの役を確立したヨッヘン・コワルスキー。こちらは94年のウィーン国立のときに比べるとあの不思議な迫力は衰えていた。なお,この94年のときにアデーレだったリーンバッハーが今回はロザリンデを歌っていた。
  (続く

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Jun 17, 2008

緊急地震速報を初体験

 6月14日(土)の朝,テレビをつけたままパソコンに向かっていたところ,テレビでなんだかチャイムの音がして「緊急地震速報です。強い揺れに警戒してください」という録音済みメッセージが流れた。ときどきテスト放送をやっているのは見たことがあったが,一瞬ピンとこないままテレビを見たところ,すぐナマ放送画面となり,アナウンサーが登場して対象地域を言い始め,それが文字でも出た。「あれ,これ,もしかしてホンモノだ」と言っているうちに,東京にもゆうらりゆうらりという揺れがきた。
 チャイムの音がしてからナマ放送に切り替わるまではほんの数秒だった。アナウンサーはネクタイをしていた。緊急事態担当のアナウンサーが24時間待機しているということなのだろう。(このときのNHK総合テレビの様子は YouTube で見ることができる。)
 その後はずっと地震のニュースをやっていたが,その間,余震についても緊急地震速報が何回か流れた。

 その後の報道によれば,震源が浅かったので震源地に近いところでは速報とほとんど同時に地震が起きたが,仙台では15秒ほど間があったという。15秒ならとっさの対応をすることが可能な時間ではある。
 今回,一応「現物」を見たので,「次」はとりあえずテーブルの下に入るぐらいはできそうな気がする。しかし,私の場合,そもそもテレビを見る時間が短いので,その間に速報が出る確率はかなり低い。

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Jun 15, 2008

客家料理の系譜――西巣鴨「来佑」

 1990年前後の数年間,西池袋の立教大学脇の小道に「東江楼」という中華料理の店があった。看板に大書してあるわけではないが,この店は珍しい客家料理の店で,会社の有志で「東江楼ツアー」が実施されたこともあった。
 閉店後久しく名前を聞かなかったが,今春,知人のSさん(ブログではeijyoさん)が,東江楼の厨房にいた人がやっている店を,それも2軒見つけた。ひとつは,千歳烏山の「福満楼」。Sさんが墓参の帰りに数人でそこで食事をし,豚の角煮を蒸しパンで包む料理を食べながら「池袋の東江楼と同じくらい美味しい」と話したら,女将さんが調理場のマスターを呼び「この人,東江楼にいました」というのでびっくりしたとのこと。

 その女将さんが,東江楼にいた人がやっている店がもう1軒ある,といって教えてくれたのが西巣鴨の「来佑」である。Sさんのブログでこれを知り,「西巣鴨は神保町からわずか12分だし,ぜひ行きましょう」ということで,5月の連休の合間と下旬の2回,Sさんと私の周囲の人々による「来佑ツアー」が行われた。
 Sさんはその前に下見に出かけたのだが,そのときは夜の営業の前で閉まっていて,しかも外観はちょっとうらぶれていたので,その後電話で予約したものの,きっとがらがらなのでは,と思っていたという。しかし,行ってみると,家族連れやグループ客,そして1人客でいっぱいで,大盛況だった。もちろん,普通の中華料理店としても,失礼ながらその店構えからは想像できないほど高水準なので,客家料理という意識はなく来ている客も多いのだろう。
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 2回とも数人のグループだったのでずいぶんいろいろ食べたが,2回とも食べたのは東江楼伝来の「客家風豚肉角煮込みパン付」「客家 白玉子スープ」。前者の中身の豚角煮は,東坡肉と同じく八角も入っているのだと思うが,高菜が色と味を決めていて,白い蒸しパンとの色の対照が鮮やかである。
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 1回目の帰り際,店主のYさんがあいさつに出てきた。Sさんが「家宝」として保存していた東江楼のパンフレットのカラーコピーを見て,その温顔をますますほころばせた。
  (→参照)    [6月21日に写真を追加]

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Jun 11, 2008

ベルリン国立歌劇場1977 (2)――70/80年代の外来オペラ

承前
 『フィガロの結婚』は,NHKホールを避けて上野の1月29日夜にした。この日は昼夜2回『フィガロ』という大変な日で,スウィトナーはすでに帰国していて,指揮はハインツ・フリッケという人だった。
 1974年バイエルンの『ワルキューレ』でヴォータンを歌ったテオ・アダムがこの公演の演出をつとめ,かつ自ら伯爵を歌った。伯爵夫人がアンナ・トモワ=シントウ,フィガロがジークフリート・フォーゲルという布陣だった。『フィガロ』を見るのは初めてだったので,一生懸命予習をしたつもりだったが,2幕・3幕のドタバタはけっこう複雑だし,4幕は夜の場面でしかも変装があり,ストーリーの展開を追うのがなかなか難しかった。それでも,チェンバロの伴奏によるレシタティーヴォをはさみながら,歌と芝居がテンポ良く運んでいく喜劇を楽しんだ。

 このベルリン国立歌劇場の招聘元は総合文化社という会社だった。当時の最大手の「呼び屋」は新芸術家協会で,ウィーン・フィルやベルリン・フィルの招聘を次々に手がけていたが,総合文化社は,その新芸術家協会に追いつけ追い越せとばかりに急速に事業を拡大していた。プログラムの冒頭に同社社長のあいさつがあり,そこでは7年間このオペラの日本公演の実現にすべてをかけてきたことについての感慨を述べ,最後を「苦難の状況の中で協力し続けてくれた総合文化社の仲間にも厚くお礼を述べたい」と,異例の身内への言葉で結んでいる。
 また,プログラムの後ろの方には

  とうとう日本にやってくる
   ウィーン国立国民歌劇場(フォルクスオーパー)
     1978年8月~9月
     指揮(予定):カルロス・クライバー
             オトマール・スウィトナー

という予告が出ている。
 しかし,ベルリン国立歌劇場でよほど無理をしたと見えて,総合文化社は1977年秋にあえなく倒産してしまう。11月から12月にかけて予定されていた同社主催のズビン・メータ指揮ロサンジェルス・フィルハーモニーの公演は中止になった(メータは結局,単身来日して読響を指揮した)。ウィーン・フォルクスオーパーの初来日は延びて1979年になった。
 さらにその4年後の1981年,業界トップとして強気の商売をし,高額の入場料で非難を浴びていた新芸術家協会も,ムラヴィンスキー指揮レニングラード・フィルハーモニーの来日中止をきっかけに倒産した。
  (この項終わり)

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Jun 09, 2008

ベルリン国立歌劇場1977 (1)――70/80年代の外来オペラ

 バイエルン来日の翌年(75年),初めてヨーロッパへ出かけ,ミュンヘンで『ボリス・ゴドゥノフ』,ウィーンで『コシ・ファン・トゥッテ』『タンホイザー』を,いずれも立ち見で見た。翌年二期会がこの3演目をすべて上演したのはおもしろい偶然だった。(ウィーンでの2本については,「本拠地」の「昔のエッセイ」の中の「立見席から――あるヴィーン便り」参照)

 次の外来オペラは,1977年1月のベルリン国立歌劇場。その後2007年までに計8回来日して25回の上演に接することになるこの劇場の初来日である。この劇場は当時はベルリンの壁の向こうにあり,レコードも少なく,長い伝統を誇るオペラハウスということ以外何も知らなかった。
 演目は『フィガロ』『ドン・ジョヴァンニ』『コシ』のモーツァルト3本で,東京,横浜,新潟,名古屋,大阪,札幌を転戦しながら,25日間に21公演(1日2公演の日が2回あり)が行われた。東京の会場は『フィガロ』『ドン・ジョヴァンニ』の各初日がNHKホール,地方公演後の1月下旬の公演は東京文化会館,『コシ』は郵便貯金ホール(今のメルパルクホール)だった。
 私は10日の『コシ』初日と29日夜の『フィガロ』最終回を見た。

 1月10日の『コシ・ファン・トゥッテ』はオトマール・スウィトナーの指揮だった。スウィトナーは当時この劇場の音楽総監督で,すでにN響への客演でおなじみになっていたスウィトナーというのはこんなに偉い人だったのか,と思った。
 当日配られたメンバー表が,プログラムの間に挟まれて残っている。ワープロのないころで,ガリ版(死語か)のような筆跡の手書きのコピーである。セレスティーナ・カサピエトラ(フィオルディリージ),ペーター・シュライヤー(フェルランド),レナーテ・ホフ(デスピーナ),ジークフリート・フォーゲル(ドン・アルフォンソ)など,後に何度も聞くことになる東独の名歌手たちの名が並んでいる。特にフォーゲルは,いちばん最近の来日時(2007)の『モーゼとアロン』にも出演しているから,30年の長きにわたって接してきたことになる。
 上演の様子についてはこれまたほとんど覚えていないが,簡素ながら美しい舞台だった。
  (この項続く

 ◇注:見たオペラの記録は「本拠地」に作曲家曲目別・年代順リストがあります。

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Jun 07, 2008

都会の神社2景

 Img_1029神田には,別格の神田明神以外にも,神社がけっこう多い。神保町周辺にもいくつかあるが,これはそのひとつで,小川町のビルの2階に鎮座している。外階段から上がれるようになっている。

 こちらは新宿区某所。神社自体は普通だが,境内を銀行の駐車場として貸していて,車は鳥居をくぐって出入りする。Img_1204

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Jun 05, 2008

『オーケストラの向こう側――フィラデルフィア管弦楽団の秘密』

 このごろ,以前よりは映画を見る回数が増えている。まだ単独でシニア割引になる年ではないが,50歳以上の夫婦の割引があればありがたく利用させてもらっている。
 先日行った映画館で表題の映画の予告編を見た。「予告編」は英語で trailer というらしいが,文字通りこれに引っ張られて,夜9時から始まる「レイトショー」で見てきた。原題は Music From The Inside Out で,フィラデルフィア管弦楽団のメンバーへのインタビューをモザイクのように構成したドキュメンタリーである。
 オーケストラ(サヴァリッシュ,エッシェンバッハなど指揮)と室内楽の演奏の断片を挟みながらインタビューが続く。ただそれだけなのだが,オーケストラではチームプレーに徹している彼らが,淡々と仕事をこなすスレた職人ではなく,音楽を楽しんでいる様子が伝わってきて,どんどん引き込まれてしまう。
 今回の上映は13日まで(7日以降は朝だけ)なので,とり急ぎ報告した次第(→参照先

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Jun 04, 2008

バイエルン国立歌劇場1974 (3)――70/80年代の外来オペラ

承前
 徹夜して切符を買った『ワルキューレ』は『ばらの騎士』の2日後だった。指揮は当時51歳のサヴァリッシュ(音楽総監督),演出はギュンター・レンネルト(総監督)。こんどは5時開演なので,やむを得ず午後は休暇とした。
 イングリッド・ビョーナー死去のときにも書いたが(→参照),歌手は,ジェームズ・キング(ジークムント),カール・リッダーブッシュ(フンディング),テオ・アダム(ヴォータン),ギネス・ジョーンズ(ジークリンデ),ビョーナー(ブリュンヒルデ),ブリギッテ・ファッスベンダー(フリッカ)という音楽祭並みの豪華メンバーだった。予定ではブリュンヒルデは,当時の私でも名前を知っているビルギット・ニルソンだった(ビョーナーとのダブルキャスト)が,このときニルソンは結局来日しなかった。
 ピットの中は,たぶんワグナーの指定通りの人数(ヴァイオリン8プルトずつ)のオーケストラであふれ,後ろの仕切りを外して,ハープをちゃんと6台並べていたと思う。後に知り合いになる日本人ヴィオラ奏者I氏はすでに在籍していた。

 当時,オペラで字幕は出ない。家庭用ビデオもまだなかったので,「名曲解説全集」などを読んで「予習」する必要があった。会場にはレコード(CDでなくLP)に付属の対訳書を持ってきている人がたくさんいた。
 演奏・歌唱についてはこれももはやほとんど覚えていないが,音楽の力にもっとも動かされたのは,第3幕,ブリュンヒルデがジークリンデに,あなたは高貴なるヴェルズング族の後裔を胎内に宿していると告げる場面で,「英雄ジークフリートの動機」が登場するところである。「ジークフリートの葬送行進曲」の中のメロディとして以前からなじみ深かったので,旧知の友人に会ったような感じがした。ここは,4夜にわたる『ニーベルンクの指輪』の中でこの動機が初めて鳴り響くところなので,まったくの本末転倒ではあるが。
 この贅沢すぎる『ばらの騎士』『ワルキューレ』に圧倒されたことが,私のオペラ史の始まりになった。
  (この項終わり)

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Jun 03, 2008

旭化成,東京堂書店――神保町の5月

 神保町三井ビルでは,仮住まいしていた会計検査院が12月に退去したあとけっこう長い改装工事を経て,5月19日に旭化成グループの本社がオープンした。まだ入居していない部門もあるようだが,全体では1階から9階と14階の広大な面積を占め,近く勤務人口は2000人になるという。神保町随一の大企業の到来である。

 東京堂書店が数日休業してリニューアルし,5月16日に開店した。基本的な構造は変わらないが,通路を広げて余裕を持たせている。

 東京堂を話題にしようとして,久しぶりに思い出したことがある。
 80年代後半か90年代前半ごろのこと,たぶん毎日,たぶん昼前からかなりの時間,東京堂書店の3階のすずらん通りに面した窓のそばにじっとたたずみ,カーテンに隠れるようにして下を見ている小柄な男がいた。ただ立ってじっとしているだけで,他人に特に迷惑になるようなこともない。
 当時,社内の少なくとも数人と目撃談を交換した覚えがあり,おそらく半年とか1年というような期間続いたと思う。心理派ミステリーのネタになるかもしれない,などと思った。

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Jun 02, 2008

ビアフェス2008

 六本木ヒルズで「ビアフェス2008」というのがあると聞き,前日の肌寒さから一転して晴れてビール日和となった1日(日)昼過ぎに行ってみた。六本木ヒルズ玄関口の円筒形のビルが,ビールジョッキの飾り付けをほどこされていた。Img_1246

 入口で20歳以上であることの証明書の提示を求められた。「顔パスじゃだめ?」と聞いたが許してもらえず,運転免許証を見せて「証明済み」の意味の黄色いリストバンドを受け取った。国内5社(大手4社とオリオンビール)が集まっていて,ビールのチケットは1杯500円均一。各社のレギュラーのビールが中ジョッキ,プレミアムが少し小さい「オリジナルグラス」で供される。プレミアムというのは,プレミアムモルツ,熟撰,ブラウマイスター,ヱビスで,カウンターがレギュラーとは別になっていた。
 つまみは,屋台式の店で現金で買うようになっている。それで,まずつまみを1つ買い,そのままビールのカウンターに行ってビールを受け取り,席を探す,というサイクルになる。Img_1249

 客席はそれこそ老若男女で,おじさん1人も多いが,女性だけの2,3人連れも負けずと多い。ステージでは,6人編成の今風のジャズバンドの演奏があり,後からブラスバンド(ただし純粋にブラスではなくサックスも加わっていた)がパレードしてやってきた。
 久しぶりの完全休日を楽しんだ。

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Jun 01, 2008

バイエルン国立歌劇場1974 (2)――70/80年代の外来オペラ

承前
 さて,『ばらの騎士』当日の9月24日,5時半開演なので5時に会社を飛び出し,神田駅まで小走りに歩いて山手線に乗り,上野へかけつけた。
 席は4階センターの2列目あたりで,まず前奏曲が4階席までわき上がるような音の奔流で始まった。切符を斡旋してくれた友人から聞いた説によると,前奏曲の途中のホルンのプルルルン・プルルルン・プルルルンという三連音符は,幕が上がる直前に進行している(はずの)シーンのある種のクライマックスの描写だというが,それを過ぎて穏やかな音楽になり,鳥の声が聞こえるといよいよ幕が開く。そこは,後にレーザーディスクで見ることができるユルゲン・ローゼの装置による豪華な室内だった。窓から朝の光がふりそそぐのがことのほか美しく,その後上野ではたくさんの舞台を見てきたが,このときほど舞台が広く見えたことはない。
 4年前のクライバー死去の時に書いたように(→参照),指揮者の音楽を意識する余裕はなかった。豪華な舞台と寄せては返すように流れていく豪華な音に圧倒されるばかりだった。

 ところが第1幕の後半で,オペラ用の緞帳でない幕が突然するすると降りてきて,音楽が止まった。事故にしてはヘンだなと思ったらアナウンスが入り,爆破予告の電話があったので念のため爆弾の捜索を行うので,ロビーへ出ろという。開幕前からの「予定の行動」だったようだが,それならなぜ開演を遅らせて捜索しなかったのだろうと思った。あるいは予告の爆発時刻が7時,というようなことだったのかもしれない。結局40分ぐらいの中断の後,再開された。

 この『ばらの騎士』の歌手は,ギネス・ジョーンズ(元帥夫人),ブリギッテ・ファスベンダー(オクタヴィアン),カール・リッダーブッシュ(オックス男爵)といったメンバーだった。
 後にワグナーを何度も聞くことになるギネス・ジョーンズはこのとき36歳,ホフマンスタールの設定した元帥夫人の年齢32歳とあまり違わない年で,もちろん二十代前半の者から見ると堂々たるプリマドンナだったが,十分に若い姿・声だった。『音楽の友』の表紙を飾ったジョーンズの写真を自室の壁に貼っていた友人もいた。
 ファスベンダーも同年配で,なるほどズボン役というのはこういうものなのかと思った。
 このうち,ファスベンダーとリッダーブッシュには,翌年ウィーンで再び出会う。
 そして,その後のクライバーのカリスマ化は急だった。

 『ばらの騎士』は,次に実演を見るのは1981年のドレスデン歌劇場初来日でのことになる。それまでの間には,カラヤンのザルツブルク音楽祭の映画(1960)を2回ぐらい見た。
 1982年春,クライバー=バイエルンの『ばらの騎士』がNHK教育テレビで放送されるという予告が出たのを見て,あわてて秋葉原へ走り,それまで買うのを躊躇していたビデオデッキ(モノラル)を買った(当時は教育テレビはモノラル)。タイトルが出てすぐ演奏が始まり,最後も幕が降りたあと数秒で番組が終わるという3時間の枠ぎりぎりの放映だった。この映像も,上記カラヤンの映画も,後にレーザーディスク(今はDVD)で発売された。
  (この項続く

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