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August 2008

Aug 30, 2008

トロンボーンのスラー

 今のNHKの朝の連ドラ『瞳』のテーマ音楽は,トロンボーンのソロで演奏されている。
 トロンボーンはオーケストラでは常に3本1組(ビッグバンドではたいてい4本1組)で,時に「タンホイザー」序曲のようにユニゾンで他を圧倒することもあるが,通常はハーモニーを受け持ち,ソロを聞く機会は非常に少ない。すぐ思い出すことができるのは,モーツァルトの『レクィエム』の「不思議なラッパの響き」と,マーラーの交響曲第3番の第1楽章ぐらいである。

 『瞳』のテーマ音楽はソロで,しかもスラーの多い曲である。
 管楽器は通常スラーの途中ではタンギング(舌をつく)しないで滑らかに音を続ける。しかしトロンボーンの場合は,スラーだからといってタンギングしないでいると,スライドを動かす間に短時間他の音が入ってしまうので,軽くタンギングして間に余分な音が入らないようにするという。スライドという構造は,傍目にはスラーに適しているように見えるが,実はスラーは難物なのである。
 こうして演奏されるトロンボーンのスラーは,ちょっと鼻が詰まってフガフガいっているような感じで,よく言えば独特の味がある。しかし,吹奏楽を知る者にとっては,トロンボーンに苦労させるよりも,音域が同じユーフォニウムで吹けばいいのに,と思ってしまう。

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Aug 27, 2008

ミシェル・ルグランと『シェルブールの雨傘』

 デュマ・フィスの『椿姫』の物語によるミシェル・ルグランの新作ミュージカル『マルグリット』が今年ロンドンで初演され,来年は日本でも上演されるらしい。『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』などのヒットを飛ばしてきたルグランは今年76歳,『オテロ』を74歳で書いたヴェルディを思わせる。

 ミシェル・ルグランは何よりもまず『シェルブールの雨傘』(1964) の作曲者である。昔,レーザーディスクで出たときには飛びついて買った。ふつうは「ミュージカル映画」に分類されるこの映画,語られるせりふは一切なく,すべてが歌われる「完全なオペラ」である。当然,歌はすべて歌手が歌い,俳優は口パクである。
 製作時作曲者は32歳,どちらかというと意欲が先立っていて,オペラとして十全なまとまりがあるとはいえないのかもしれないが,あふれる才能を美しい画面に注ぎ込んでいる。作曲の師はブーランジェだとのこと。
 オペラといえば,映画中に『カルメン』を見に行く場面があった。

 ミシェルの姉クリスティエンヌ・ルグランは歌手で,『シェルブールの雨傘』でも声で出演している。また,スウィングル・シンガーズの初代メンバーだった。70年代初めごろ,スウィングル・シンガーズの(初?)来日公演に行ったことがあるが,このときクリスティエンヌが歌っていたのかどうかは記憶にない。

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Aug 25, 2008

横須賀から北京へ

 北京オリンピックは昨夜閉幕,閉会式ではプラシド・ドミンゴが登場した。

 少し前に日暮里駅を通りかかったら,JR駅の中に,地元の北島康介応援の横断幕が出ていた。これは北島が100メートル平泳ぎで金メダルを獲ってから見たものなのだが,「おめでとう」になってはいなかった。Img_1519


 夏の一日,郷里の横須賀に立ち寄ったところ,京浜急行の横須賀中央駅の前に写真のような横断幕が出ていた。おやこんなに,と驚くと同時に,横須賀とどういうご縁かはわからないが,ソフトボールと女子サッカーで活躍した選手の名もあったのがうれしかった。Img_1568

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Aug 24, 2008

右回りと左回りの循環バス

 いま住んでいるところは,鉄道駅からの循環バスの便に恵まれている。循環線は右回り・左回り両方あり,その右回りと左回りで,コースが少し違う。図式的に書くと,下のようになる(等幅フォントで見てください;記号A~Rは1つまたは2つの停留所と対応している),

[右回り循環]
 C→D→E
 ↑   ↓
 B   F
 ↑   ↓
 A←H←G
 ↑
 T

[左回り循環]
 C←D←E←R
 ↓     ↑
 B     Q
 ↓     ↑
 A→H→G→P
 ↑
 T

 共に,起点・終点のターミナル駅Tを出発して,Aから循環ルートに入るのだが,図の右側部分のコースが異なる。たぶんE→F→Gの部分の道が狭くてすれ違いにくいので,左回りは広いP→Q→Rを通っているのだろう。
 両方向が通るCの付近も道が狭く,しかも四つ角を直角に曲がる。泉麻人が愛する「きりきり感」のある方向転換である。

 私の最寄りバス停はFなのだが,普通は,それより少し遠いが両方向のバスに乗れるEから乗っている。
 どちら回りでも時間的に大差がないバス停B~Eでは両方向のバスが利用できるが,B,Cでは両方のバス停が角を挟んでいたりして見通しが悪く,「先に来た方に乗る」ということが難しい。D,Eのみが,道の両方向を見通すことができ,広くない道を渡って反対方向のバス停にすぐ行かれるので,先に来た方に乗れるという特権を有している。
 両方向とも,通常1時間に5本走っているから平均6分ごと,朝はもっと多くて約4分ごとにバスがやってくる。

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Aug 23, 2008

『スウィング!』での遭遇

 オペラは夏枯れの旧盆のある日,ブロードウェイ・ミュージカル『スウィング!』(31日まで上演;→参照)を見に行った。ミュージカルといっても,物語がはっきりあるわけではなく,スウィング・ジャズの名曲を集めて踊りをつけたもので,ミュージカル・ショウとでもいうべきものである。
 かなりビッグバンド風の音を出す8人編成のバンドがステージ奥に座り,かつて子守歌のように聞いていた「シングシングシング」「キャラバン」「スウィングしなけりゃ意味ないね」など,なつかしいスウィングの曲を休みなく演奏する。その前で,20名ほどのダンサーが,これまた休みなくダイナミックな踊りを繰り広げるのは,夏の一夜のまことに上質のエンターテインメントだった。
 見たところ,客の年齢層は通常のミュージカルよりずっと高く,オペラ並みだった。

 終わって,会場を出たところで,確かに顔を知っているおばさんからあいさつされた。えーと誰だっけ――そうだ,前に住んでいたところでビールの配達をしてくれていた酒屋のおばさんだ。酒屋さんだからバーボンやジンもあるが,日本酒を非常に多く取りそろえている店ということもあり,およそミュージカルとは結びつかない。「意外な文脈」での遭遇だった。

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Aug 16, 2008

第4のコース――アナログ以前の水泳

 北京オリンピックは日程の半分を終えた。競泳は明日17日で終わる。
 水泳のテレビ中継で,スタートのとき各コースの水面(?)に名前が出たり,途中から世界新記録をペースを示す緑のラインが出たりするようになったのは,いつごろからなのだろう。
 電子計時・判定についても最先端を走っていて,途中および最後のタイム・着順も,一瞬で表示される。昔はストップウォッチを持ち寄って集計していたわけで,結果が出るまでにけっこう時間がかかっていたように思う。

 昔,日本の水泳の場内アナウンスで,独特の口調で選手を紹介する人がいた。

   「だいよんのコース,ヤマナカ君,にっぽーん」

 文字ではうまく書けないけれど。
 山中毅は東京オリンピックにも出ているけれど,この口調になじんだのはそれより前のことである。

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Aug 13, 2008

バイロイト,ビール,お盆――夏の3B

 夏はふらんすものいとをかし 蔵人どびゅっし涼しげにてさらなり――

 一方で,夏といえばワグナー@バイロイト。もっとも,バイロイトの夏はさわやかなのだろうなと想像ずるばかりだが。
 しかし,ワグナー=バイロイトといえば年末,という感覚も,わずかに残っている。今はネット経由のラジオでナマで聞くこともできるが,かつてはバイロイトといえば年末の NHK FM での放送で聞くものだったからである。オープンリールのテープデッキで録音に励んだりもした。

 夏といえばビール。冬でもビールを飲んでいるので,ビールの消費量が夏冬で何倍も違うということはないが,やっぱり夏は問答無用でビール。
 夏の夕方,暗くなってきてやっと少し風が涼しくなったころ,きちんと管理された真っ当な生ビールを飲む楽しみは,やはり何物にも代え難い。

 かつては,夏の始まりはお盆だった。どういう地域分布なのかは知らないが,少なくとも東京近辺では,お盆は元々7月15日である。子供のころ,わが家では,お盆には提灯を出して仏壇の脇に置き,お坊さんがやってきてお経を上げた。先日も,今春不幸があった伯父の家の新盆(にいぼん)に際し,親戚で提灯代を集めて持って行った。
 しかし,先祖の霊を迎える伝統行事としてのお盆は急速に衰退し,いつのまにかお盆といえば旧盆で,その時期が企業の夏休み,すなわち帰省の季節ということになった。
 神保町でも今日13日から夏休みという店が多い。今週は全部休みという店もけっこうある。

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Aug 10, 2008

バイリンガル――夏の思い出

 30年ぐらい前の夏のことである。信州某所の街道沿いのレストランで友人たちと食事をしていたところ,日本人のお父さん,西洋人のお母さん,小学生ぐらいの娘3人の家族がやってきた。父母の声はよく聞こえなかったが,娘たちはフランス語でしゃべり,はしゃいでいた。
 少しして,一人が突然日本語で「私,カレーライスがいいな」と叫び,なにやら食事の注文の相談を日本語でしていた。カレーライスというのは日本語で語るべき文化なのだろう。
 後から気づいたのだが,本業のほかに作家としても高名な某氏の一家だった。

 そのときいっしょだった友人の一人が,1984年のロサンゼルス・オリンピックの期間中に,遠くアイスランドで亡くなった。オリンピックが始まるとどうしても彼のことを思い出してしまう。前に彼のことを書いたのはアテネ・オリンピックのときだった(→参照)。

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Aug 09, 2008

『ロゼッタストーン解読』

 レスリー&ロイ・アドキンズ『ロゼッタストーン解読』(新潮文庫)を,目の手術による中断を挟んで2か月近くかかって読み終わった。ヒエログリフを解読したシャンポリオンの物語である。
 ヒエログリフ解読の経緯についてはすでに何冊も本が出ている。比較的最近では,S・シン『暗号解読』(新潮文庫)の中にも,音価推定の方法が要領よく書かれていた。それに対し,この『ロゼッタストーン解読』は,フランス革命に始まる動乱の中に生きたジャン=フランソワ・シャンポリオン(1790-1832)という人物の物語である。ただし,最初の1章は,ロゼッタストーン発見を導くナポレオンのエジプト遠征の話であり,その30年後のシャンポリオンのエジプト調査の章と照応している。
 シャンポリオンが学問を身につけ,ヒエログリフ研究をする上で,12歳年上の兄ジャック=ジョゼフ・シャンポリオンの果たした役割が非常に大きかったことを,この本で初めて知った。

 シャンポリオンはバスティーユ襲撃の翌年に生まれ,革命とナポレオンの登場・即位・退位といった荒波に翻弄された。さらに家庭の問題,自分の結婚問題,学問上の戦い,研究成果出版の困難,大学での地位をめぐる争い,エジプトへの困難な調査旅行などなど,昔の少年少女向け小説のように,どうしてこんなに次々とと思うほど苦難が襲いかかる。
 そのうち,学問上の苦難のかなりの部分は,画像情報の迅速・正確な記録・伝達手段がなかったことによる。シャンポリオンは,解読の基礎資料となるヒエログリフ文書の正確な複写を十分な量手に入れるのに苦労した。ロゼッタストーン碑面のきちんとした画像すらなかなか見ることができなかった。エジプトへの調査旅行には,記録のために画家数名が同行した。当然時間がかかり,シャンポリオンの体力は消耗した。
 シャンポリオンにデジカメをプレゼントしたかった。

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Aug 08, 2008

甲子園の決勝――夏の思い出

 子供のころ,歩いて数分のところに伯母の家があり,その家の8歳ぐらい年上の従兄がかなりの高校野球フリークだった。うちにはテレビがなかったので,しょっちゅうその家に高校野球の中継を見に行った。当時の神奈川代表は法政二高が常連で,1957年から5年連続で甲子園に出場した。60年には,柴田勲(後にジャイアンツの外野手)が投げて全国優勝したのもテレビで見た。

 夏が来れば思い出す――高校の時のある夏休み,その従兄に連れられて,夜行の客車急行に乗り(→参照),高校野球の決勝戦を見に甲子園に行った。熱海(かろうじて静岡県)より西に行くのは初めてだった。朝,大阪に着いて,そのまま甲子園へ行き,試合開始の何時間か前に入場した。
 決勝は三池工業(福岡)と銚子商業(千葉)の対戦だった。従兄はスコアブックを広げて記録をつけながらの観戦だった。炎天下の5万人の地鳴りのようなどよめきの中で,試合は投手戦となり,ずっと0-0が続いたが,8回に三池が2点を挙げ,そのまま三池が勝った。銚子の投手は後にロッテで活躍する木樽で,その名は深く刻み込まれた。
 このときは知らなかったが,三池の監督は,やがて東海大相模の監督となる原貢,すなわちジャイアンツの現監督・原辰徳の父だった。「福岡県出身」の原辰徳は,当時小学生になったばかりだったはずである。

 この対戦は,民謡対決でもあった。三池工業の応援団は一貫して炭坑節を演奏し,対する銚子商業は大漁節を演奏し続けた。銚子の応援席では,大漁旗が振られていた。

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Aug 07, 2008

赤塚不二夫1000ページ

 少し前に知人がブログで『赤塚不二夫1000ページ』の初版(1975年,話の特集)を持っているという話を書いていた。オレも持ってるぞという話を書こうと思いつつそのままになっているうちに,3日,赤塚不二夫の訃報が出た。
 『赤塚不二夫1000ページ』は,文字通り1000ページの貴重な自選傑作集である。当時の「言葉狩り」を揶揄した「(自分の父親のことを)やぶ医者なんて言ってはいけません。“下手な医者”と言いなさい」「バーロー,よけいロコツじゃねえか」といったやりとりなど,すぐ思い出すことができる。
 赤塚不二夫は,少し後の谷岡ヤスジと共に,当時の若者の「常識」「必修科目」であり,友人との間では「シェー」という間投詞およびそれに伴うジェスチャーはごく日常的に使われた。主に60年代末から70年代にかけての青春が詰まったこの1冊は,その後5回の引っ越しをくぐり抜けてきた。いま,古本のネットオークションなどで,けっこうな値段がついているようだ。

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Aug 05, 2008

宮脇俊三展・歴博の「旅」展

 「没後5年 宮脇俊三と鉄道紀行展」が,世田谷文学館(京王線・芦花公園下車)で9月15日までの予定で開催されている。
 始まってすぐ出かけてみた。2階の企画展示室を,日本の旅,海外の旅,それに編集者としての宮脇の3つのセクションに分けてあり,大規模ではないが,密度が高い展示である。印象的なのは,鉄道旅行もさることながら,中央公論社の編集者としての旺盛な仕事ぶりだった。

 こちらはまだ行っていないが,国立歴史民俗博物館(佐倉)では,「旅――江戸の旅から鉄道旅行へ」という展示を開催中である(8月31日まで)。東海道の旅が中心らしい。

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Aug 03, 2008

運転再開

 右目の手術をして5週間たった。目薬2種類を1日に4回,1種類を1回さす必要があるが,それ以外はまったく普通の生活をしている。視界にかすかにもやがかかっているのと,手術前と違うゴミがあるが,視力はほぼ回復した。
 前から度が合わなくなっていたメガネを新しくしたところ,世界が明るくなったので,もうよかろうと,昨日,久しぶりに車を運転してみた。まず近所から始め,次いで都内を十数キロ走った。一般道はすいていて,快適だった。
 もともと週末たまにしか運転しないので,ガソリンは,4月の税金の関係で下がって上がった直後に入れた160円ぐらいのがまだ残っている。

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Aug 01, 2008

ホルスト・シュタイン氏の死去

 7月29日の夕刊に,名指揮者ホルスト・シュタイン氏の訃報が載った。享年80歳。
 N響で数々の名演を聞いたのだが,手元にオペラ以外の演奏会の記録がある86年以降では,95年2月の『オランダ人』全曲,98年2月の『パルシファル』第3幕しかない。とすると,たくさん聞いたのは,初来日の1973年から85年までの間ということになる。

 一時は毎年2月ごろにやってきたように思う。1973年当時はN響の定期会員だったが,その後定期会員をやめてからも,シュタイン指揮のときには当日券でしばしば出かけた。どっしりした低音に支えられた響きが3階席まで届いた。
 ワグナー名曲集が何度かあり,その中の『オランダ人』の水夫の合唱の途中の踊りのところで,左に右に足を踏み出して「踊っ」ていた姿を思い出す。
 指揮者とは関係ないが,上記95年の『オランダ人』のときは,第3トロンボーン奏者が開演直前に倒れ,急遽チューバの多戸さんがトロンボーンの譜面も並べて代役をつとめた。たくさん演奏会に通っているが,こうした形での管楽器奏者の欠場はこれが唯一の経験である。

 オペラの指揮に接したのは,1980年のウィーン国立の来日公演『サロメ』1回である。80年代後半以降,もし体調が良かったら,もっとシュタイン指揮のオペラを見ることができたのだろうに,と思う。

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