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Aug 08, 2008

甲子園の決勝――夏の思い出

 子供のころ,歩いて数分のところに伯母の家があり,その家の8歳ぐらい年上の従兄がかなりの高校野球フリークだった。うちにはテレビがなかったので,しょっちゅうその家に高校野球の中継を見に行った。当時の神奈川代表は法政二高が常連で,1957年から5年連続で甲子園に出場した。60年には,柴田勲(後にジャイアンツの外野手)が投げて全国優勝したのもテレビで見た。

 夏が来れば思い出す――高校の時のある夏休み,その従兄に連れられて,夜行の客車急行に乗り(→参照),高校野球の決勝戦を見に甲子園に行った。熱海(かろうじて静岡県)より西に行くのは初めてだった。朝,大阪に着いて,そのまま甲子園へ行き,試合開始の何時間か前に入場した。
 決勝は三池工業(福岡)と銚子商業(千葉)の対戦だった。従兄はスコアブックを広げて記録をつけながらの観戦だった。炎天下の5万人の地鳴りのようなどよめきの中で,試合は投手戦となり,ずっと0-0が続いたが,8回に三池が2点を挙げ,そのまま三池が勝った。銚子の投手は後にロッテで活躍する木樽で,その名は深く刻み込まれた。
 このときは知らなかったが,三池の監督は,やがて東海大相模の監督となる原貢,すなわちジャイアンツの現監督・原辰徳の父だった。「福岡県出身」の原辰徳は,当時小学生になったばかりだったはずである。

 この対戦は,民謡対決でもあった。三池工業の応援団は一貫して炭坑節を演奏し,対する銚子商業は大漁節を演奏し続けた。銚子の応援席では,大漁旗が振られていた。

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Comments

昭和22年生まれのわたしにとってはすべてが懐かしい名前です。(^_^)

わたしにとって「剛速球投手ナンバーワン」は今でも浪商時代の「尾崎行雄投手」です。あの荒削りで猛々しいまでのボールは素晴らしかった。あの感激を味合わせてもらったことを今でも感謝しています。

プロに入ってからは水原監督に酷使されてしまいましたね。

Posted by: 【篠の風】 | Aug 08, 2008 at 06:47 PM

リンクURLで書いたとおりに、銚子商業の校歌は大好きです。我が出身校の校歌は
なかなかに名曲で好きなのですが、そういうことを度外視しても、銚子商業の校歌は
別格として存在していますw

Posted by: HIDAMARI | Aug 08, 2008 at 09:32 PM

お二人の早速のコメントありがとうございます。
浪商の尾崎はすごかったですね。柴田を擁する法政二高は,60年は2回戦で浪商と対戦して勝ったのですが,翌年は準々決勝で延長戦で敗れ,浪商は優勝しました。あと,板東・村椿の投げ合い(58年)も全部ではないけれど見ました。

Posted by: 家主IZK | Aug 09, 2008 at 11:18 AM

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Tracked on Aug 08, 2008 at 09:27 PM

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