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September 2008

Sep 28, 2008

フェルメールが7点

 東京都美術館(上野)でやっている「フェルメール展――光の天才画家とデルフトの巨匠たち」を見てきた。
 フェルメールが7点も,ということで,混んでいるのだろうなと覚悟を決めつつホームページを見たら,ケータイサイトで現在の待ち時間がわかるというので,そのURLを読み込んで出かけた。上野で降りる直前にアクセスしてみたら幸い「待ち時間0分」だった。
 会期が4か月以上あり,まだ半分以上残っているせいか,会場は,もちろんすいてはいないが,一応自分のペースで見られる程度の混雑だった。「終盤」になるともっと混むに違いない。

 フェルメールは,当初予定から1点差し替えになったが,「7点」は維持された。現存の作品は,多少の議論はあるが37点,ひとつの美術館で所蔵しているフェルメールはアムステルダム国立美術館とメトロポリタン美術館の各4点が最大なのに,7点同時に見られるというのは空前のことであり,たぶん絶後となろう。
 いちばん印象的だったのは,唯一の街角の風景画「小路」。人はいるが,静かな風景である。
 フェルメール以外も粒ぞろいで,特に,同時代のピーテル・デ・ホーホが良い。

 ネット上の完備したリストによると,フェルメールは,これまでに16点が日本にやってきたという。数えてみたら,私が見たのはこれで15点になった。

  (2008年10月2日に一部修正しました。)

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Sep 25, 2008

名人の演奏――アンドレとパールマン

 名人の演奏に接するとその楽器の演奏がとても簡単なもののように思える,ということを実感したのは,30年ぐらい前,トランペットのモーリス・アンドレと,ヴァイオリンのイザーク・パールマンの演奏を聞いたときである。
 アンドレの演奏会は弦楽合奏の伴奏で,曲目はよく覚えていないが,最後はソプラノ歌手を伴ったバッハのカンタータ第51番で終わるプログラムだった。口笛でも吹くように決して力まずに楽に音を出すので,いくら吹いても疲れない楽器であるかのような印象を与えた。基準の音量は小さめにしておいて大きな起伏を作る運び方も鮮やかだった。
 パールマンは,アシュケナージの伴奏で,「スプリング」「クロイツェル」ほかのベートーヴェンのソナタ3曲のプログラムだった。パールマンも,本当に鼻歌のような軽やかさ(?)での演奏で,休憩時にばったり会った女性ヴァイオリニストと「ヴァイオリンって,簡単なんですね」などいう話をした覚えがある。

 2人とももちろんメカニカルな名人芸もすばらしかったが,特にそうした名人芸を必要としない部分でも,極端に言えばひとつの音を伸ばしているだけでも,人を納得させるものがあった。このあたりは,ピアノの名人芸とは少し事情が違う点がある。

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Sep 23, 2008

祝日の朝――昔のATM

 今日は祝日。ふと,70年代後半のある祝日のことを思い出した。
 一人暮らしのころだった。祝日の朝,目が覚めて,財布に現金が500円ぐらいしかないのに気づいたのである。オイルショック前と違って,500円で昼・夜外食することは不可能だった。当時,銀行のATMはもうあったが,銀行が休みの日は動かなかったから,日曜・祝日に現金がないとどうしようもないのだった。
 それで,だれか休日出勤している人がいれば借りられるだろうと思って,会社に電話をしてみた。夜間・休日には管理人さんが常駐していた時代で,アルバイト管理人のIさんが電話に出た。「いやー,起きたら金がないんで,だれかに借りたいんですけど,今日はだれか来てますか」と言ったら,社員の個々の「事情」をよく知っているIさんは「そうですか。でも今日会社に来てるのはFさんとHさんなんですよ」と気の毒そうに言う。Fさん・Hさんの2人がかなりの飲んべえでいつも小遣いに困っているのを,Iさんは知っていたのである。
 それでも会社へ行ってみると,他の人もやってきて,1日過ごすぐらいの金は借りることができた。

 当時のATMは,同じ銀行のキャッシュカードしか使えず,平日の稼働時間も,銀行の窓口の営業時間よりわずかに長いだけだった。もちろん,駅やスーパーにATMがあるということもなかった。だから,銀行選びの重要なポイントは,自宅近くと会社の近くの両方に支店があるということだった。地方への出張の多い人たちは,ATMはなかったが,巨大な全国ネットを持つ郵便局を使っていた。

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Sep 21, 2008

『水滸伝』――峠の酒

 小学校6年のときだったと思うが,先生かだれかに勧められて岩波少年文庫の『水滸伝』を夢中になって読んだ。ジュニア用としては大長編だったが,これでも全訳ではない。しかし,ずっと後で知ったところでは,これは非常にすぐれた訳だとのことで,梁山泊に集う一人一人が個性豊かに息づいていた。
 次に『水滸伝』を読んだのはそれから10年近くたった学生時代で,たしか駒田信二訳だった。その間,少年文庫版を読み返すことはなかったが,そこで知った人物や風景が鮮やかに蘇ってくるのに,自分でも驚いた。
 今は北方謙三の『水滸伝』が評判である。これもいずれ読んでみたい。

 『水滸伝』では,登り道を歩いて峠にさしかかると酒を売っている,という場面が何度も出てくる。そこで登場人物たちは,酒を勧められると必ず飲んでしまい,その後,密書を奪われたりといった事件が起こることになる。
 物語中では,酒は樽に入っていて,たいていは歩いてきてのどが渇いていたのでたまらずに飲んだ,ということになっていた。少年文庫版のころは,酒というのはよほどおいしいものなのだろうと想像するばかりだった。
 当時の中国の酒というのはどういう酒だったのだろう。渇きをいやすものだったというから,ビールのような感覚である程度ごくごく飲めるような度数のものだったのではないだろうか。

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Sep 16, 2008

ゼフィレッリの映画『トラヴィアータ』

 ずっと前にタモリが,ミュージカル映画は嫌いだという話をしていた。なんでいきなり歌い出すんだよ,それも街中で伴奏がついたりしてさ,というわけである。確かに歌の導入がちょっと強引なこともあるが,そこがなんとかなってしまうのが「歌の力」でもあるのだが。
 ミュージカル映画,オペラ映画は,歌手が自分で演技をする場合でも,当然,先に収録した音楽に合わせて演技する「口パク」になる。オペラ・ファンの中には口パクを嫌う人がときどきいるが,映画のリアルな画面で見るオペラにはステージ収録とは別の魅力がある。

 『ラ・トラヴィアータ』は,第1幕および第2幕第1場で,広間でのパーティの場面と1人または2人の場面とが交互にあり,ステージでは群衆を自然に移動させるのが難しい。
 第2幕第1場で,ヴィオレッタが心ならずも言う言葉にアルフレードが激怒し,パーティの客を呼び集める場面がある。館内放送もないのに大勢の客を短時間で集合させるのはなんだか不自然だが,ゼッフィレッリ監督の映画版(『トラヴィアータ――1985・椿姫』という妙な邦題がついていた)では,皆を呼び集めるのではなくて,皆のいる広間へヴィオレッタを引きずっていく。美しい屋敷のセットの中で,十分なリアリティがあった。

 この映画,最初に日本で公開されたとき,映画館に見に行った。リアリティと字幕のある天下の大悲劇に,最後は涙を浮かべてしまったが,終わった後,後ろの席の女の子たちは,「なにこれ,なんで歌ばっかりなの」とのたまわった。

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Sep 14, 2008

顔と名前,目の色・髪の色

 昔,山歩きをしていたころ,名前を知らない花が咲いていると悔し紛れに「ミヤマシラネバナがきれいだなあ」,鳥が鳴いていると「ミヤマシラネドリが鳴いているね」などと言っていた。花の場合は帰ってから図鑑を見たりはするのだが,「レパートリー」はなかなか増えなかった。

 人の顔と名前を覚えるのは,得意というほどではないが,苦手ではない。しかしこれは直接会った人のことであって,テレビや映画の俳優の名はなかなか覚えられない。(もちろん,若いころ見た俳優は覚えている。今はみな大長老または物故者であるが。)

 これとは少し違う話だが,特に西洋人の場合,1本の映画の中でも,ちょっと衣装が変わったりするだけで一瞬 identification に迷うことがある。別の人物の場面を挟んで,髪型が変わったり,衣服を脱いだ場面に跳んだりするとなおさらである。
 歌劇『魔笛』に,パミーナの目の色・髪の色などを絵姿と比べる場面があるが,目の色・髪の色を重要な身体的特徴として瞬時に記憶するのは,日本人にとっては「練習」が必要なことのようである。もっとも,西洋人が日本人を見分けるのはもっと難しいのかもしれないが。

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Sep 13, 2008

双頭の鷲の旗の下に

 中学の吹奏楽で初めて演奏したマーチは「双頭の鷲の旗の下に」だった。「双頭の鷲」がハプスブルク家の紋章であることはレコードの曲目解説で知ったが,もちろんハプスブルク家が何かは知らなかった。
 作曲者はフランツ・ヨーゼフ・ヴァグナーというオーストリアの軍楽隊長。調べたところ,マーラーとほぼ同時代を生きた人で,このマーチの発表は1893年,その名もフランツ・ヨーゼフ1世の治世である。
 
 このマーチは,イントロが16小節もあるのがユニークな点である。ほかにこれと同じぐらいのイントロを持つマーチは「ロレーヌ行進曲」(ガンヌ)ぐらいか。
 質実剛健という感じのタイケの「旧友」などに比べると,流麗で優雅さもあることは,中学生にも感じられた。

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Sep 07, 2008

横須賀から北京へ その後

 前に横須賀の北京オリンピック出場選手応援の横断幕のことを書いた(→参照)が,その後行ってみたら,女子ソフトボールで金メダルの西山麗選手を祝福するものに変わっていた。Img_1604
 出身校が「田戸小・常葉中」と注記してある。共に,実家から近い。よしよし。


 夕方は,ホッピーの聖地・横須賀を形成する居酒屋のひとつ「銀次」(→参照)で乾杯した。

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Sep 05, 2008

神保町の晩夏

◇グリューネアレーの屋根撤去
 8月下旬,靖国通り北側,神保町の交差点から東へ Bagel & Bagel の前までの歩道上の屋根が撤去された。私が気づいたのは8月25日で,突然あっけらかんと広がった空がまぶしかった。歩道と車道を区切っていた少し背の高い花壇も取り壊されている。Img_1603_2
 この通り,かつてはグリューネアレーという名がついていたが,その表示も見あたらなくなった。

 たぶん70年代までのことだが,昔はすずらん通りの歩道にも屋根があった。片側ずつ改修工事が行われたりしたような記憶がある。なくなったときはやはり空が明るくなって開放感があった。

 そういえば,アーケードという言葉もあまり聞かれなくなった。商店街の歩行者のための屋根は,アーチ形でなくてもアーケードと呼ばれていた。方々の駅で,駅から続くアーケードが,駅前商店街の活気を包み込んでいた。

◇「<元祖>櫓」閉店
 「本拠地」の「神保町昼食ニュース」と重複するが,ランチョンの左脇を行った右側の比較的古い和風居酒屋「<元祖>櫓」が8月4日に閉店した。建物がかなり老朽化していたようだ。Img_1595

 この店,1999年から,昼はインド人(たぶん)が本格的なカレー店を営業していた。「Yagura」という昼用の看板は出るが,店の内部は居酒屋のままで,いわば二毛作である。
 9月になって通りかかったら,もうすっかり取り壊されていた。

◇甲飛予科練会Img_1596

 9月に入った某日,神保町1丁目のある寿司屋が,「全国甲飛予科練会解散式典に出席の為」という貼り紙を出して休業していた。
 調べたら「甲飛」というのは「甲種飛行予科練習生」のことだった。終戦時最年少の15歳だったとしても,いま78歳か――おやじさん,そんな年にはとても見えない。

◇ストリートビュー
 話題かつ問題になっている Google の「ストリートビュー」で,神保町を少し見てみた。
 すずらん通りでは,ドトールの建物(東京堂別館)がまだ工事中でシートに覆われているので,今年3月以前の撮影だとわかる。

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