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October 2008

Oct 30, 2008

『一杯の紅茶の世界史』とディンブラ

 少し前の本だが,磯淵猛『一杯の紅茶の世界史』(文春新書)を読んだ。語られるのは,中国内陸部原産の茶が,ヨーロッパでどのようにして受容され,新しい文化となって広まっていったかというスケールの大きなドラマである。イギリス人がアッサムやセイロン島で茶の栽培に苦闘した話,ミルクティーを飲むようになった経緯,ティーバッグの発明など,多少雑然としているが,おもしろい話題が次々と出てくる。会社名としてしか知らなかったトワイニング氏,リプトン氏なども登場する。
 中国では元々お茶は緑茶として飲むのが普通だったというのは聞いたことがあったが,ヨーロッパ人も最初は緑茶を飲んでいたのだそうだ。
 イギリスではミルクティーの入れ方について,カップに紅茶を先に入れるか,ミルクを先に入れるかという古典的な論争があるが,2003年に王立化学協会がこの問題について「結論」を出したというのも初めて知った。

 この本の著者の磯淵さんは,1979年に鎌倉駅からすぐのところで紅茶の店「ディンブラ」を始めた。最初は普通のティーハウス店主だったが,やがて著作を次々と出し,紅茶の研究と啓蒙に走り回るようになる。店は10年ぐらいして藤沢に移転した。
 実は私は,「鎌倉時代」以来,ディンブラに行っている。本格的な通販をしていなかったころは,お金を預けておいて,紅茶がなくなりそうになると電話して送ってもらったりしていた。
 藤沢に移ってからごぶさたしていたが,今世紀に入ってからまたときどき行くようになった。磯淵さんはもはやふだんはあまり店にいない(同じビルの上の階に事務所を構えているらしい)。紅茶は,今はもちろん,ネット経由で買うこともできるが,なるべく行って量り売りをしてもらうことにしている。

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Oct 29, 2008

今年も琥珀ヱビスと古本まつり

 今年も,季節限定の琥珀ヱビスの季節がやってきた。29日発売と予告されていたが,28日夜に寄ったコンビニにもう並んでいたので,とりあえず半ダース買ってしまった。
 これまでと缶の色が少し変わって,赤がやや明るくなっている。アルコール分は5.5%で,普通のビールより少し高く,原材料は,他のヱビスと同じく麦とホップのみで,「純粋令」どおり。

 神保町で「神田古本まつり」が始まった。27日,28日は好天に恵まれ,人出はは多かったようだ。会期は3日まで。

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Oct 28, 2008

ロイヤル・オペラ1979 (1)――70/80年代の外来オペラ

 79年のロイヤル・オペラ,80年のウィーン国立歌劇場,81年のスカラ座は,まことに強烈な「3連発」で,オペラというのは見る価値のあるものという観念を植え付ける決定打となった。オペラハウス側にとっても,空前の規模によるそれぞれ初の極東公演であり,並々ならぬ意欲と緊張感にあふれていた。今となっては夢のような内容の最高水準の引っ越し公演だった。
 チケットはもちろん安くはなかったが,就職して数年たったころで,しかも独身だったから,学生だった70年のベルリン・ドイツオペラのときのようにまったく手が届かない状態ではなかった。またこのころ,音楽会のパートナーがほぼ固定して,安心して2枚買うことができるようになったこともあって,個人的なタイミングとしては非常に良かった。それまでは,見栄を張ってチケットを2枚買うと,適切なパートナーを見つけるのに当日の間際まで苦労していたのである。

 第1弾のロイヤル・オペラは,1979年の9月~10月に『ピーター・グライムズ』『魔笛』『トスカ』の3本を,東京(1公演だけ横浜)で各4回,大阪で各1回上演した。自国ものとイタリアもの,ドイツのジングシュピールという絶妙の選曲で,指揮は大部分,音楽監督のコリン・デイヴィスだった(『魔笛』のみ他の指揮者の名も併記)。

 最初に行ったのは『ピーター・グライムズ』(ブリテン)。この曲の「初日」の9月19日だった(東京文化会館)。暑い日で,ピットの中では上着を脱いで演奏していたような記憶がある。デイヴィス指揮,モシンスキーの演出,ジョン・ヴィッカースがタイトルロールだった。
 真っ暗になったのになかなか指揮者が登場しないなと思ったら,突然コンコンと裁判の木槌の音がして,すぐプロローグが始まった。さびしい漁村を舞台とする暗い話で,舞台装置も非常に地味だが,音楽は密度が高く,雄弁で,多彩。酒場の場面など,にぎやかな部分も適度にある。プロローグ冒頭の旋律は後で accidental circumstances という歌詞で歌われるのだった。
 ヴィッカースは,後にカラヤン指揮の映画版『オテロ』のレーザー・ディスクで「再会」することになるが,それよりはるかにガラに合っていた。ほかに,無伴奏の合唱の透明な美しさも印象的。

 なにしろ「4つの海の間奏曲」以外何も知らず,直前に一生懸命あらすじを読むような状態で臨んだのに(当時字幕はなかった),緊密に構成された音楽と演出に圧倒され,身じろぎもせず見入ってしまった。その後30年近くたつわけだが,今も見たオペラのベスト3に入る衝撃的な上演だった。
 この日は元々1枚しか切符を買っていなかった。しかし,これは何としても後の同居人に見せなくてはと思い,10月5日の最終回に誘って当日券で見た。19日の客席には,かなりの空席があったが,同様の口コミのためか,10月5日はほぼ満席だった。

 再び『ピーター・グライムズ』に接したのは97年1月の東フィルのオペラ・コンチェルタンテのシリーズでのことで,ロイヤル・オペラの断片的ながら少なくない記憶をなつかしく思った。
  (この項続く

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Oct 22, 2008

『夕刊フジ』の被写体

 10月から『夕刊フジ』『日刊ゲンダイ』の価格が10円上がって130円になった。
 にもかかわらず,このところ経済の大変動,プロ野球のシーズン終盤からクライマックス・シリーズ,大リーグのプレーオフ,大相撲のドタバタなどが次々とあり,値上げ前より高い頻度で『夕刊フジ』を買っていた。

 ライバル関係の『夕刊フジ』と『日刊ゲンダイ』のうち,私はなんとなく『夕刊フジ』をひいきにしている。まさに「なんとなく」でしかないが,先に創刊され(来年40周年を迎える),創刊間もないころからときどき手にしていた(→参照)ということと,論調に少しゆとりがあってギスギス度が低いということがあるかもしれない。
 70年代前半の『夕刊フジ』に,街角で撮った女性の写真を載せて,当該の人から連絡があれば記念品を出すという,今ならたちまち問題になりそうなコーナーがあった。その被写体として一度だけ,直接知っている女性が登場したことがあった。それは学生時代の後輩で,私の同級生がその新聞をたまたま買って「発見」し,仲間に触れ回った。(数年後,その同級生はその被写体の女性と結婚することになる。)

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Oct 18, 2008

劇中劇版『トゥーランドット』

 新国立劇場(初台)の新シーズンの幕開けは,新制作の『トゥーランドット』だった。演出家ヘニング・ブロックハウスも指揮者アントネッロ・アッレマンディも藤原オペラなどで見たことがあるが,初台には初登場である。
 歌手はそろって好調。タイトルロールのイレーネ・テオリンという人は超越的な存在ではない「普通の美人」を好演した。

 今回の演出は,「外枠」を作曲当時の1920年代に設定し,オペラはその劇中劇としたのが新機軸である。舞台は「外枠」の無言劇(けっこう長かった)で始まり,その中で人々が劇のための扮装になっていき,オペラは最初から劇中劇として演じられる。中央の舞台の屋根にはバンダ(管楽器の別働隊)がずっと座りっぱなしである。
 しかし,すべてを劇中劇にするわけではなく,第3幕のリューの死まで,すなわち作曲者が自分で仕上げたところまでで終わりになる,というのがミソで,続きのアルファーノが補筆して完成させた部分は「外枠」の世界に戻って,あるいは戻りながらの上演だった。ティムール(の役を演じた人)が舞台下手で居眠りをしていたりして,外枠のリアリティを確保しようとしていた。

 リューの死までとそれ以降を見た目にはっきりわかる区別をする上演は,2006年のホールオペラ(→参照)でもあったが,最後の場面を外枠に追い出すことによって区別の必然性を主張したわけである。
 おもしろいアイディアだし,劇中劇が相対的に軽くなって,おとぎ話という要素が強い上演になったのはおもしろかった。しかし,広場の雑踏の中で,市民としてのトゥーランドット(役の人)が「彼の名は…愛」などと叫び,人々が大合唱で祝福するというのは,大いに無理がある。ここは,お祭りの中でのことで,歌詞にはあまりリアリティを持たせない,ということなのだろうか。

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Oct 17, 2008

『居酒屋ほろ酔い考現学』

 橋本健二『居酒屋ほろ酔い考現学』(毎日新聞社)を読んだ。著者の専門は社会学で,この本も「趣味と研究を兼ねて居酒屋をフィールドワーク」した成果である。
 この本は,書店では飲食店ガイドのところに置かれていて,実際,そうした「実用的」な用途にも応えられるだけのデータは載っている。著者の観察は細かく,暖かい目で紹介されていて,それはそれで楽しい。
 しかし,実はこの本は,格差社会とはどういうものなのかを突きつける書なのだった。著者によれば,何日かに一回居酒屋に寄るのはごく「普通の暮らし」だったのだが,近年大きく変わり,1989年から15年間で,大部分の所得階層で1か月あたりの飲酒代が2分の1から3分の1に激減しているという。また,東京の中での地域格差もより顕著になってきているという。暖かい目と鋭い目が交錯している。

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Oct 06, 2008

婉曲に――Fのこと

 中学でドイツ人神父に理科を習ったときのことである。天秤と分銅数個を使って重さを測るに際して,先生は分銅に名前をつけた。「フンドーA」「フンドーB」の次の「フンドーシー」で生徒はどっと笑った。先生は一瞬とまどったがすぐ気がつき,別の名前にした。「フンドー1」「フンドー2」「フンドー3」そして「フンドー4」――結果は同じだった。

 学生時代の友人某の家では,お父さんが越中褌を愛用していた。お母さんや兄嫁など女性陣は,洗濯の関係などでこれに言及しなければならないときは,「褌」という言葉を口にするのをはばかって,「F」と呼んでいた。
 昔,女性の腰巻については「ゆもじ」という婉曲語があったが,男性用についてはわからない。婉曲語を使おうとするような階層の人にはFは縁がなかったのだろうか。

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Oct 02, 2008

燕尾服と支度部屋

 英語で大相撲の「(組織としての)部屋」は stable,「支度部屋」は dressing room というのが普通である。すなわち,相撲部屋は「馬屋」であり,支度部屋は劇場やホールの「楽屋」と同じということになる。
 しかし,楽屋と違って,相撲の支度部屋はむしろ undressing room じゃないの,と思ったりもする。

 それで思い出したのは,アメリカのプロのオーケストラにいたことのある知人(日本人男性)に聞いた話である。
 あるとき,同僚の女性から「Shall we dress up tomorrow?」と聞かれた。「明日の(演奏会本番の)服装は正装だったかしら?」という意味である。この場合の dress up は,男性は燕尾服,女性は黒の上着とロングスカートを着ることを指す。翌日の演奏会は正装ではないので,彼はとっさに「No, dress down.」と答えたところ,聞いた女性は笑いながら「私を脱がせたいのね」と応じたという。
 dress down には「(正装でなく)略式の服装をする」という意味があるから,彼の答えは決して間違っていないのだが,ちょっとからかわれたというわけである。

 燕尾服は世間では「超正装」だが,プロのオーケストラのメンバーにとっては本番の衣服のひとつで,感覚としては一種の作業服だという。
 NHK交響楽団で団員による釣りの会が催されたとき,「汚れてもいい服装で来てください」という注意書きがあったので燕尾服で来た人がいた,という話が,昔のN響のプログラムに(昔話として)載っていたことがあった。

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