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November 2008

Nov 29, 2008

フォト日記――神保町の11月

◇祭のあと――古本まつりの翌朝(4日)
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◇いろいろ値上がりした中で,値下げの店も(20日)
 ただし,その後も「本日より」という看板を出していた。
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◇101ビル前の紅葉(21日)
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◇三井ビル東側のイルミネーション(28日)
 これは去年と同じ
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Nov 24, 2008

『<名画で読み解く> ハプスブルク家 12の物語』

 前に買ってあった中野京子『<名画で読み解く> ハプスブルク家 12の物語』(光文社新書)を,ようやく読み終えた。「ようやく」というのは,読むのに苦労したわけではなく,自分が読む前に貸した身近な人間から返ってくるのに時間がかかっただけで,読み始めたらおもしろくて,一気に読んでしまった。

 デューラー,ティツィアーノ,エル・グレコ,ベラスケスからマネに至る12の名画を軸にして,高校の世界史にも出てくるスペインの築いた「日の没することのない帝国」と無敵艦隊,マリア・テレジア,マリー・アントワネット,第一次世界大戦の引き金になったサラエヴォでのオーストリア皇太子夫妻暗殺といった人物・事件と,オペラ『ドン・カルロ』,ミュージカル『エリザベート』が,双頭の鷲を紋章とするハプスブルクという1本の線でつながる。
 絵と見比べることによってより生々しく迫ってくるのは,ハプスブルク伯ルドルフが選帝侯によって棚ぼたで神聖ローマ帝国皇帝に選ばれて以来の650年の歴史は,血みどろの戦いと政略結婚・血族結婚の歴史だったことである。著者はこの650年という長さを,時代的に重なる徳川幕府の265年,ロマノフ王朝の300年と比較して「類のない長命」としている。そういえば,中国でも,漢が(前漢・後漢合わせて)約400年というのが最長である。
 それに比べると,神保町からも近い所に住むやんごとなきファミリーの「万世一系」1500年以上というのは,ある時期から自ら実質支配をしていなかったから実現した「安定」と言えそうだ。一応支配者だった6~8世紀ごろの「血みどろ度」「血族結婚度」はハプスブルク家に近かったと思う。

 『ドン・カルロ』のフェリペ2世は孤独な老王だが,実際にはエリザベッタと結婚したとき32歳で,その前にはイングランドのエリザベス1世との縁組みを画策したこともあったという。仮にこれが実現していれば,オペラの世界では『ロベルト・デヴェリュー』はなかったし,『アンナ・ボレーナ』『マリア・ストゥアルダ』などもかなり違う形をしていたことだろう。

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Nov 23, 2008

オーディション――ブロードウェイとベルリン・フィル

 オーディションを扱った映画を2つ続けて見た。ひとつは『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて』(→参照),もうひとつは『ブロードウェイ・ブロードウェイ』(→参照;いきなり音がするので注意)。

 『ブロードウェイ・ブロードウェイ』は,「コーラスラインにかける夢」という副題が示すように,ミュージカル『コーラスライン』をブロードウェイで再演するメンバーを決めるための8か月にわたるオーディションの記録である。初演の時の不鮮明な記録フィルムと初演関係者の座談会の音声が,進行するオーディションの間に挟まって紹介される。
 3000人の中から,選ばれるのは19人。熾烈な競争社会の中に,アメリカン・ドリームがまだある。日本人では,Yuka という沖縄出身の女性が挑戦し,コニーの役を勝ち取る。
 映画は,後に合格する何人かがオーディションに出発するところから始まる。もしすべて「記録」だとしたら,膨大な人数についてこれを撮影しなければならなかったはずだ。あるいは,後から収録した「演技」もまじっているのだろうか。

 『ベルリン・フィル 最高のハーモニーを求めて』は,2005年のサイモン・ラトル指揮のアジア・ツアーの記録で,たくさんのメンバーへのインタビューがちりばめられる。コンサートマスターの安永さん,ヴィオラの清水さんなども登場する。
 オーディション自体を扱っているわけではないが,きわめて高水準の中での苛烈なオーディションの後の1年間の試用期間を過ごしている奏者が4人いて,緊張と不安を語る。他の正規メンバーも,演奏の時は,ベルリン・フィルという器楽奏者の超エリートならではの極度の緊張の中にいる。インタビューでは「みんな変なやつばかりだよ」というような発言もあった。
 演奏都市は,北京,ソウル,上海,香港,台北,東京。台北では,演奏後にラトルらが会場のバルコニーに出て,外のパブリック・ビューイングで見ていた万単位の人の熱狂に応える場面が感動的だった。

 昔,東京以外の場所にある日本の某プロ・オーケストラの女性団員と話していて,話題がオーディションのことになったことがある。「オーディションて,とっても異様な雰囲気なんです。もし“脱げ”って言われたら,ほんとに脱がなきゃいけないっていうような」 十分に若い女性の発言だったから,ドッキリした。

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Nov 21, 2008

円熟の静けさ ハンマースホイ展

 国立西洋美術館で開かれている「ヴィルヘルム・ハンマースホイ 静かなる詩情」展を見た(→参照;会期は12月7日まで)。フェルメール展の帰りにポスターを見て良さそうだなと思ったのだが,期待以上に充実した展覧会だった。
 ハンマースホイはコペンハーゲンに生まれ育った人で,1864年生まれだからリヒャルト・シュトラウスと同い年であるが,シュトラウスの饒舌とは無縁の静けさに包まれていた。

 室内の絵が多い。しかも,誰もいなくて,家具も少ししかなく,あるのは窓からの光,という絵が多い。非常に写実的なので,何枚も見ているうちに,知っている家をのぞいているような気分になる。人物がいるものもあるが,それは妻のイーダで,常に黒い服を着ていて,動きはほとんどなく,後ろ姿が多い。イーダも文字通り still life(静物)なのである。
 ピアノの前に座るイーダを斜めの光が照らす――そう,フェルメールを思わせる絵もあった。ハンマースホイはオランダの室内画もよく研究したらしい。
 デンマークの王宮など,屋外の絵もあるが,ここにも人はほとんどいない。

 静かな世界にひたった帰り道の上野駅には,フェルメール展は「入場制限中,1時間待ち」という掲示が出ていた。

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Nov 19, 2008

今夜はドーハ

 ドーハ――恐ろしい言葉である。1993年10月だから,もう15年になる。後に「ドーハの悲劇」と呼ばれたロスタイムでの失点で,日本はワールドカップ出場を逃した。
 人並みにテレビに釘付けになっていた私も呆然とするばかりだったが,テレビの中でも,解説者だった岡田武史・現代表監督が絶句し,目がうつろになっていた。

 高校の時,吹奏楽部でただ1回,スポーツの応援に出かけたのが,サッカー部が出場した県大会の決勝だった。場所は,横浜・三ツ沢競技場――今のような整ったスタジアムではなく,トラックの周りにコンクリートの観客席が一応数段ある,という程度のものだった。当時のサッカー部は,ドイツ人神父の指導に始まる伝統もあって,他の部よりずっとレベルが高かった。
 クラスや吹奏楽部でも,何かというとサッカー(とソフトボール)をした。クラスでは文化系対理科系,吹奏楽部では木管対金管という「伝統の一戦」があった。サッカー部員以外は,オフサイドなんてほとんど意識していなかった。審判がいないから判定のしようもないけれど。

 今夜はこれからドーハで,サッカーのワールドカップ予選のカタール戦がある。午前1時半開始なので,最後まで見るのはちょいときつそうだ。

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クライマックスへ

 今年のプロ野球は,両リーグともレギュラー・シーズン1位のチームが日本シリーズに出場という素直な結果となった。
 子供のころは大勢に従って巨人ファンだったのが一転してから久しいが,今年ばかりは,シーズン1位となった巨人に日本シリーズに出てもらいたいと思った。そうでないと,あの13ゲーム差からの大逆転は何だったのかということになってしまう。
 もちろん,それ以前に,あれだけの金満巨大戦力を持ちながら13ゲームも差をつけられたのがまずおかしい,とも言えるのだが。

 今年のセ・リーグのような(結果としての)大接戦は,そうそうあるものではない。だからこそ,終盤でだれてしまわないように,クライマックス・シリーズが設定されたのだが,もし今後もこれを続けるなら,2位・3位チームから日本シリーズに勝ち上がるのをより難しくする関門(たとえばもっとハンディをつけるなど)を設ける必要がありそうに思う。

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Nov 13, 2008

甘い万歩計

 篠の風さんほかを見習って,2006年3月下旬から万歩計をつけ,「ある日記」に記録している。この間2度トイレで落として水没させてしまい,1回目のときは表示がおかしくなって買い直した(2回目のときはすぐ引き上げて無事だった)。2006年の1日平均は約10900歩だった。
 何人かの話を聞いたり,ブログを見たところでは,かなりの努力をして1日1万歩を達成している人が多いようだが,私の場合,一応意識はするが,それほど特に余分に歩いたりという努力をしているわけではない。それなのに1万歩になっているということは,私の万歩計の判断が甘くて少し多めにカウントしているのではないかと思った。それで,感度調整のスイッチがあるので,それを鈍くする方向に動かしてみたのだが,その後も300歩ぐらい減っただけである。
 確かに,篠の風さんのように家の前に路面電車の停留所があるというわけではない。バスを降りて駅の入り口まではたった6歩(!)なのだが,駅の入り口からホームまで行くだけで150歩ほどを要するし,会社ではエレベーターをあまり使わないようにしているので,「基礎票」,つまり会社まで普通に往復し,仕事をするだけで6500歩ぐらいになる。昼食をごく近くですませるとプラス1000歩以下ですんでしまうが,たいていはあちこち歩き回るので,2500歩見当となり,夜少し上積みされて1万歩というわけである。したがって,大部分はぶらぶら,ふらふら,あるいはとぼとぼ歩きで,「しっかり歩き」(普通の歩行と別に記録される)はごくわずかである。

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Nov 11, 2008

ウィーン国立歌劇場 最終日の『ロベルト・デヴェリュー』

 今回のウィーン国立歌劇場日本公演の最終日8日は,演奏会形式のドニゼッティ『ロベルト・デヴェリュー』(東京文化会館)だった。
 最後が演奏会形式というのも締まらない話だ。いつかのバイエルンのようにオペラ4つの合間におまけとして演奏会形式で『パルシファル』3幕を演奏するというようなことならともかく,今回は3つの演目の1つがこれ。しかもオペラは1日の『フィデリオ』で終わりで,そのあと中2日と中3日という間の抜けた投球間隔で『ロベルト・デヴェリュー』となっている。大道具・衣装などの舞台関係者や管楽器・打楽器奏者の一部は1週間早く帰っていったのだろう。前回2004年もモーツァルト2曲だけだったし,引っ越し公演の規模は小さくなるばかりである。

 今回の『ロベルト・デヴェリュー』が演奏会形式なのは,ひたすら,グルベローヴァに免じて許してください,という魂胆である。そしてその魂胆にかなりの程度納得させられてしまったのも事実である。もちろん,昔より声は重くなっているが,貫禄ある女王の役なのでそれはそれでいいし,とても六十過ぎの声とは思えないつやと張りがある。でも,いくらなんでも,もう見納めだろうなと思ってしまった。(グルベローヴァはこれからオペラ・アリアのリサイタルが27日まであり,今回は1か月以上の滞在となる。)
 ウィーン・フィル(カール・ベーム指揮)を聞いて以来31年ぶりに,ウィーン・フィルとイコールではないものの,舞台上のウィーン国立歌劇場管弦楽団を見ることができた。ブログでおなじみのK&K夫妻の顔も見えた。

 カーテンのないカーテンコールが始まって少しすると,最終日恒例の垂れ幕が降りてきて,「2012年にまたお会いしましょう」と書いてあった

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Nov 09, 2008

ロイヤル・オペラ1979 (2)――70/80年代の外来オペラ

  (承前)
 『ピーターグライムズ』の2日後,こんどは『魔笛』を,アウグスト・エファーディング演出の美しい舞台で見た。パミーナは予定のコトルバシュは出演せず,かなり大柄で,割と若いらしいのに老け顔の人(名前は記録していない)が代役として出てきた。その絵姿にタミーノがほれてしまうことはなかろうと思ってしまった。コトルバシュだったらなかなか可愛いパミーナになったはずなのにと,ずっと後でコトルバシュの顔をレーザーディスクを見て思った。(結局,コトルバシュは生では聞けなかった。)他の歌手は,特に男声がスチュアート・バロウズ,ロバート・ロイド,トーマス・アレン,イングヴァー・ヴィクセルという充実した顔ぶれだった。
 このとき『魔笛』を見るのは3回目だったが,第2幕大詰めの「パ,パ,パの2重唱」で小さなパパゲーナ,パパゲーノが飛び出してくるのは初めてで,びっくりした。たまたまこの日のカーテンコールで,指揮者・音楽監督のサー・コリン・デイヴィスに赤ちゃんが生まれたことが紹介され,花束が贈られたということもあって,印象に残っている。

 次は10月4日に『トスカ』を見た。少し間が空いたのは,NHKホールを避けて神奈川県民ホールを選択した結果だが,結果的にはこれが幸いして,予定通り若きホセ・カレーラスのカヴァラドッシを聞くことができた。
 後から聞いたところでは,カレーラスは最初はちゃんと歌ったが,その後何回かはキャンセルし,その間実はカラヤンの『トスカ』のレコーディングのためにベルリンへ行っていたのだという。
 プッチーニを見るのは『蝶々夫人』に続いて2回目。演出は贅沢にもフランコ・ゼフィレッリ。トスカはモンセラット・カバリエで,カレーラスより14歳年上というのはともかくとしても,なにしろ大柄で貫禄十分だから,最初に登場したときは,「マーリオー,マーリオー」「なんだい,おっかさん」という感じだった。でも,歌は意外なほどかわいらしくチャーミングなのはさすが。スカルピアはイングヴァー・ヴィクセルで,すばらしい悪役ぶりだった。
 圧倒されたのは,第1幕の終わり,後にメトのレーザーディスクで見ることになる古典的・写実的な舞台で,合唱が「テ・デウム」を歌い,スカルピアがトスカへの欲望を独白する場面である。特にそのころ,オペラで合唱が出てきて舞台がいっぱいになってくると,それだけでわくわくしていたりしたのだが,このときはそれまでと違う次元の興奮を覚えた。あわせて,プッチーニはすごい,聞かなければ,と思った。
  (この項終わり)

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Nov 08, 2008

訃報 筑紫哲也氏

 筑紫哲也氏の訃報を今日の朝刊で知った。
 このところ病気だったようだが,数年前までは,オペラの会場でよく姿を見かけた。平日は夜のニュースの本番があるが,彼はオペラがあると夕方からの打ち合わせをさぼってオペラに出かけてしまい,周囲をはらはらさせる,という話を読んだことがある。
 一方的認定による「オペラ仲間」として,哀悼の意を表したい。

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ウィーン・クラシックス

 11月2日にサントリー・ホールで行われた「ウィーン・クラシックス」の演奏会に行ってきた。
 弦楽器が vn3人+2人,va2人,vc2人,cb1人の10人,管楽器が ob,hn 各2人からなる合奏団で,ウィーン・フィルのファゴット奏者ミヒャエル・ウェルバがリーダー(指揮)を務める。弦楽器はウィーン国立歌劇場のメンバー(したがって,大部分がウィーン・フィルのメンバー),管楽器もウィーン風の楽器でウィーンの伝統を受け継ぐ人たちである。オーボエの2番はウェルバの子息だった。ウィーン・フィル目指して修行中なのだろう。
 曲目は,ハイドンのニ長調の方のチェロ協奏曲,モーツァルトのヴァイオリン協奏曲第4番ニ長調,モーツァルトのファゴット協奏曲,ドヴォルザークの弦楽セレナーデ。ファゴット協奏曲以外けっこう長い曲ばかりなので,アンコール(モーツァルトの交響曲第29番のフィナーレ)が終わったのは(7持開演で)9時半だった。
 ウェルバの指揮はちょっと不器用な感じで,協奏曲は指揮者なしの方がよく合うんじゃないのと思う場面もあった(実際,ウェルバ自身が「吹き振り」をしたファゴット協奏曲はほとんど問題がなかった)が,前日のオペラ(『フィデリオ』)と気分を変えてゆったりした気分で,ミニ・ウィーン・フィルの響きを堪能できた。ウィーン・フィルのメンバーを中心とするアンサンブルはいろいろ聴いたが,こういうサイズの合奏は初めてである。
 休憩の後,後ろの席のお父さんが「いやあ,グルベローヴァが来ていて,握手しちゃったよ」と興奮して声高に語り,娘さんにあきれられていた。

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Nov 06, 2008

オバマとケネディ

 マーティン・ルーサー・キング Jr.牧師の演説 "I have a dream" から45年,米合州国初の黒人大統領が誕生した。ずっとオバマ氏(ATOK君は当然「小浜市」としか変換しない)優勢が伝えられてはいたが,それがついに現実のものとなって,アフリカ系住民が喜びを爆発させる姿が感動的だった。
 オバマ氏はプロテスタントだが,イスラム教徒の父親に由来すると思われる Hussein をミドルネームに名乗っている点でも,特異な存在である。

 "I have a dream" と同じ年1963年の11月22日(日本時間では23日朝),初めて米国からテレビ映像の衛星生中継実験が行われることとなっていた。中学生だった私は,早起きしてテレビ(モノクロ!)をつけた。米国側の衛星中継基地のパラボラアンテナの映像が映っていて,ああ,ずいぶん鮮明に見えるんだなと思った。
 予定ではたしか,大統領のメッセージが送られてくることになっていた。しかし,アナウンサーが妙に押し殺したような調子でなにか言っている。初めての生中継で飛び込んできたのは,よりによってケネディ大統領暗殺のニュースだったのである。

 これを書いていて,100年違いで共に暗殺されたケネディとリンカン両大統領をめぐる偶然の符合のことを思い出した。
 試しにネットを検索してみたら,Wikipedia 日本版にちゃんと「リンカーン大統領とケネディ大統領の共通点」という項目があった。しかし,多くの偶然の中の「白眉」だと思っていた「ケネディの秘書がリンカン,リンカンの秘書がケネディだった」という点については,リンカンの秘書にケネディという人がいたという記録はない,とされていて,ちょっとがっかり(?)した。

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Nov 04, 2008

ジャン・フルネ逝去

 ジャン・フルネ氏が95歳で亡くなったことが,今日11月4日の夕刊で報じられた。
 フルネ氏の端正な指揮には,70年代後半から,主に東京都交響楽団での演奏に接してきた。最初のころの演奏では,ドビュッシーの「海」が特に印象に残っている。演奏のあと,チェロ全員を立たせて,「健闘」を称えていた。
 最後に聞いたのは2004年4月で,ショーソンの交響曲を聞いた。演奏機会の少ないこの曲をフルネ氏の指揮で聞くことができたのは,まことに貴重な体験だった。
 2005年1月に都響の600回定期を振ったあと,601回ではリハーサルの途中で倒れ,本番は指揮者なしの演奏会となった(→参照)。その後回復して,同年12月の演奏会が「世界最後の引退公演」(都響ホームページ)となった。

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Nov 01, 2008

ウィーン国立歌劇場 日本公演100回

 ウィーン国立歌劇場が第7次の来日公演を行っている。その会場で,「日本公演100回」の記念誌というのが販売されていた。そこに記されたデータによると公演は前回(第6次)までで96回なので,今回の4回め,すなわち10月26日の『フィデリオ』で100回になったはずである。
 記念誌は英文で,ホーレンダー総裁,オザワ音楽監督,NBSの佐々木氏へのインタビュー,オーストリア劇場連盟総裁のシュプリンガー氏の序文,日本公演の歴史,写真,公演データからなり,104ページ,カラー写真多数で,頒価1500円はなかなかのお買い得である。

 これをわが「見たオペラ」データベース(→本拠地)と比較してみたところ,前回までの96回のうち,23回見たという結果が出た。これまでの各次の各演目の公演1回ずつだと計22回だが,80年の『サロメ』を2回見たために23回となる。
 データ部分には,指揮者・歌手の出演演目・回数も出ていて,これが非常におもしろい。指揮者でもっとも出演が多かったのはクラウディオ・アッバードの16回。歌手では,当然のことながら,いろいろな役をこなす脇役の人たちの出演回数が多いが,圧倒的な第1位はハインツ・ツェドニクの56回で,2000年までの89公演の63パーセントに出演していることになる。

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