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Jan 17, 2009

ウィーン国立歌劇場1980 (3)――70/80年代の外来オペラ

承前
 『エレクトラ』が終わると,残るは10月25日の『ナクソス島のアリアドネ』のみとなった。
 しかし,11日の『サロメ』の「7つのヴェールの踊り」が視覚的には物足りなかったので,ダブルキャストのもう一人だとどうなのだろうというのがどうしても気になってきた。次はいつ見られるかわからない,22日の最後の公演に行ってみるしかない,と思考が短絡して,22日は午後から休みとしてNHKホールの当日券売り場を目指した。
 当日券を求める行列はそれほどたいした人数ではなかったので,入ること自体には問題なさそうだったが,出演者はまだ掲示されていなかった。販売が始まって行列が進み,すぐ前のおじさん(といっても今の私よりずっと若かったのだろう)の番になった。彼は私と同じことを考えていて,今日のサロメはだれかを窓口の係の男性に尋ねた。
 「カラン・アームストロングです」と窓口氏。「えーと,それは…」とおじさんが言うと,窓口氏はその質問の趣旨に気づいて「あ,若い方です」と的確な(!)答えをした。これで安心して当日券を買った。

 この日の『サロメ』は,指揮がホルライザーだったのを初め,ナラボート以外,ダブルキャストになっている役はすべて11日と違う歌手だった。
 カラン・アームストロングのサロメは,やはりリザネックに比べると少女らしさも少しはある歌いっぷりだった。こちらの耳も慣れて少し落ち着いて見ることができた。
 そして「7つのヴェールの踊り」は,リザネックとまったく違う振付だった。この日は隣にパートナーがいなかったこともあり,ずっとオペラグラスで見続けた。最後は,遠目には全裸に見えるボディタイツになり,スタイルの良い肢体を披露した。このときの不鮮明な写真が,オーストリアかドイツの新聞に掲載されたのを後で見た。隠し撮りだったのかもしれない。後に知ったところでは,実はアームストロングは当時38歳だったのだが,20代といっても通じる美しいプロポーションだった。
 彼女はそれから9年後に,東京交響楽団の定期で再びサロメを歌ったが,このときは踊りはバレリーナが担当した。(その他 →参照

 10月25日,ついに最後の演目『ナクソス島のアリアドネ』となった。8日の1回目はベームが振ったが,この日の指揮はクロブチャールだった。ベームはもう日本を離れていたのだろう。
 ツェルビネッタはこのとき初来日のエディタ・グルベローヴァ。その前のザルツブルク音楽祭で「これは“ナクソス島のツェルビネッタ”とすべきだ」と絶賛されたという話は聞いていたが,聞きしにまさる素晴らしさだった。コロラトゥーラの超絶技巧の部分も口笛を吹くように簡単そうで,しかも歌も演技もかわいらしく,ただただ感嘆するほかはなかった。特に長大なアリア「偉大なる女王様」の後の拍手は,これまでに経験したオペラ途中の拍手の中で最長だった。ほかに,作曲家役のアグネス・バルツァも良かった。
 このプロダクションについてはグルベローヴァのことばかり語られるが,舞台装置がよくできていることも特筆ものだった。序幕では,邸宅内に作られたオペラの舞台の裏側が見えていて,きわめて精巧な楽屋落ちものというべきか,そこで開幕前のドタバタが繰り広げられる。前述のように東京文化会館の4階Lの舞台寄りの席だったので,舞台上の動きが手に取るように見えた。(この演出による映画版DVDについては →参照
 もうひとつ,『エレクトラ』『サロメ』の約3分の1の36人編成の小さなオーケストラが,精妙で,しかもよく響く豊かな音を奏でた。ウィーンならではの音だった。

 かくして,夢のようなウィーン漬けの20日間が終わり,翌年はスカラ座を迎えることになる。
             (この項終わり)

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