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February 2009

Feb 28, 2009

ひとっ走り情報伝達

 ケータイもEメールもなく,固定電話も限られたところにしかなかったころのことをだいぶ前に書いた(→参照)(→参照)。
 しかし,考えてみると,電話が登場したのは長い歴史の中ではごく最近のことで,それまでは(正確にはその少し前に電信が登場したが),狼煙を上げるなどを除けば,伝言するにせよ手紙を持たせるにせよ,情報伝達の手段は人が移動するしかなかったはずである。
 ギリシャの伝令はマラトンの野からアテナイまで,到着後息絶えるほどがんばって走らなければならなかったし,江戸城内の刃傷沙汰が赤穂に伝えられるには,リレー式の継ぎ飛脚で3日を要した。

 池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」シリーズを読むと,江戸の警察組織内で情報をすばやく交換するために,さまざまな形の連絡所を置き,その間を人が走る様子が描かれている。見回りや尾行の際も,手下を途中から連絡に走らせる。
 池波はこうした連絡のことを「つなぎ」という造語で呼んだ。こうしたことが,実際にどこまで組織的に行われていたのかはわからないが,電話がなければなるほどこうするんだろうな,と納得させられる。

 私の祖父は,大正時代に尋常小学校の校長をしていた。1923(大正12)年9月1日,彼が2学期の始業式を終えて家に帰り,そろそろ昼食というときに,関東大震災が起こった。家族と周囲がとりあえず無事だったので,学校の様子を見に出かけようとしたところ,学校の小使いさん(後の言葉では用務員さん)が暑い中を走ってきて,「先生,大変です。いま学校で地震がありました」と言ったという。

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Feb 24, 2009

シューベルト晩年の長い曲

 昔友人と,もうすぐシューベルトが死んだ年(31歳)になっちゃうな,という話をしたことがある。自分たちで演奏したことのある大作曲家でいちばん若くして死んだのはシューベルトだから,そこには少し感慨があった。「その次」はモーツァルト(37歳)だが,それはずっと先のことと思っていた。

 27歳からの最後の4年間を「晩年」ということにすると,シューベルトの晩年の曲には「長い名曲」が多い。大ハ長調交響曲(「グレート」),八重奏曲(最初「八十箏曲」と出た),弦楽五重奏曲ハ長調,2曲のピアノ・トリオ,最後の3つのピアノ・ソナタなどである。いずれもLPの両面を費やしていた。「未完成」も,2つの楽章で25分以上かかるから,もし完成していれば大ハ長調と同様の大曲になったはずである(大ハ長調の終楽章は,2/4拍子とはいえ,1000小節以上もある)。
 これらの曲に私が親しむようになったのは,大ハ長調を,ベーム指揮ウィーン・フィルの演奏を聞き,また自分たちのオーケストラで演奏したのがひとつのきっかけだったが,ルービンシュタインらのピアノ・トリオ集,リヒテルの後期ピアノ・ソナタ集などのすぐれたレコードが,70年代半ばに次々に出たということもある。たまにゆっくりレコードを聴く時間ができると,こうした尽きぬ泉のようにあふれる長大な曲に身をひたした。
 その前の時代には,シューベルトは曲を簡潔にまとめることができなくて,同じ旋律をなんども繰り返すのだ,といわれたこともあったという。しかし,後のブルックナーやマーラーを知った身には,シューベルトのこうした時間の流れ方はおなじみのものだった。大ハ長調の第2楽章のゲネラル・パウゼには,ブルックナーにつながるものを感じたりもした。

 その後,モーツァルトの死んだ年はたちまちに越え,マーラー,そしてベートーヴェンの享年も過ぎてしまった。

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Feb 21, 2009

台湾の旧聞トリビア

 ブログには書かずじまいになっているが,2007年1月に台湾へ行った。1986年1月以来の訪問だった。21年前にはなかった地下鉄やMRTに乗って,台北市内・郊外を歩いた。
 故宮博物館にも行った。リニューアルがそのときはまだ完了していなかったが,主要部分は見ることができた。展示されている物の量は少なくなったが,時代別の見やすい展示になっていた。
 その年の秋,仕事上のある会合で,顔見知りの人に「あの,正月に故宮博物館にいらっしゃいませんでしたか」と話しかけられた。広い展示室の離れたところにいたので,そのときは声をかけなかったという。

 ところで,台湾で気づいたトリビア:
◇横断歩道の歩行者用信号は,青信号のとき,人のマークがアニメ状に歩くようになっている。そして,赤に変わる少し前になると,アニメの速度が速くなって,走り始める。
◇マクドナルドは「麥當勞」と書く。
◇台北のコンビニでいちばん多いのは「全家」,すなわちファミリーマートである。
◇書店で,前年の話題の書,酒井順子『負け犬の遠吠え』の翻訳が売られていた。タイトルは『敗犬推薦,熟女必読』

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Feb 20, 2009

夢から覚めるとき

 かつてある同僚は,当時四十を過ぎていたが,学校で試験ができなくてあわてる夢をときどき見ると言っていた。しかししばらくすると,あれ,オレは卒業して就職したよなあ,これは夢に違いない,と「気づく」のだという。落語の「芝浜」は現実を夢だと思わされてしまう話だが,彼の場合は夢が夢とわかるというわけである。
 私の場合は,試験の夢はほとんど見ないが,自分が出演する演奏会の本番前にドタバタする夢をときどき見る。楽屋に忘れ物をしたり,楽器やリードがおかしくなったり,黒の上着が行方不明になったり,と言葉にするとありそうなことだが,これが実に妙な状況・組み合わせで立て続けに起きるので,いくらなんでも変だと思ったとたんに,かろうじて本番が始まる前に目が覚める。
 そういえば,ディズニーの短編アニメで「ミッキーのオーケストラ」というのがあった。まさに本番前の楽屋でのドタバタがネタで,最後は楽屋からのエレベーターが落下していく。

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Feb 18, 2009

over 90 の飲み友だち

 1997年ごろのこと,池袋の居酒屋Fで,いつもビールの小ジョッキを飲んでいる白いひげのおじいさんT氏と,ときどき話をするようになった。
 私はその少し前に,Nifty-Serve の「鉄道フォーラム」に書いたものを基にした鉄道紀行文集『車窓伴影』(→本拠地)というのを自費出版していたので,あるとき,T氏に酒をおごってもらったお礼に,酔った勢いでその本を1冊贈呈した。それをきっかけに名刺の交換をした。その店では顔見知りはたくさんいるが,名刺を交換して身元を明らかにしたのはこのT氏にだけである(T氏の名刺は一切肩書きなしだった)。
 その後何度か,T氏の自宅近くの店に呼ばれてご馳走になった。私が参加していたオーケストラの演奏会に来てくれたこともあった。当時もう80を過ぎていたが,耳は遠くないし,酒を飲んでも乱れず,年をとるならああいうふうになりたいと思わずにはいられなかった。

 2002年ごろから,T氏はFには現れなくなった。年賀状は毎年ちゃんと来ていたが,電車に乗って1回乗り換えてFまでやってくるのは無理なのだろうと思っていた。
 ところが,今年の年賀状には,「1月10日に東京芸術劇場に行くので,Fに寄ってみようかと思います」と書いてあった。調べてみると,その日は午後に読響の演奏会があるので,終わったころ「待ち伏せ」することにした。
 長いエスカレーターで降りてくる人を見上げていたが,なかなか現れない。すれ違ってしまったかなと思ってあたりを見回したところ,「今日の予定」の掲示板の前に,紛れもなくT氏の小柄な姿があった。
 もちろんFに同行した。昔と変わらずにビールの小ジョッキを重ねた。足取りはゆっくりだがふらつくようなことはなく,まったく元気である。私のこれまでの年賀状の内容をちゃんと覚えてくれていた。日ごろ,宇宙論や素粒子論の本を読んでいるという。90歳をいくつか過ぎているのだが,年を聞かれると「サバを読んで」90と言っているとのこと。おそらくFに来た客で最高齢だろう。
 このときT氏との再会を喜んだ店員が,その16日後に亡くなった(→参照)ことを,T氏にハガキで知らせた。折り返し,きちんとした筆跡で便箋2枚に書かれた手紙が届いた。久しぶりの手書きの手紙だった。

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Feb 16, 2009

神戸地下鉄海岸線とJR和田岬線

 10年ぶりで神戸・三宮に泊まった翌朝,少しだけ時間があったので,まだ乗ったことのない神戸市営地下鉄海岸線とJR和田岬線(通称)に乗ってみることにした。
 80~90年代には神戸へよく行ったので,地下鉄西神・山手線や神戸電鉄,その間をつなぐ北神急行などには乗った(→本拠地参照)が,今世紀になってからはごぶさただったので,2001年開通の海岸線には乗ったことがなかった。
 地下鉄海岸線は,名前に中黒(・)を持つ三宮・花時計前駅から出発する。駅の正確な位置は知らなかったが,海岸線というくらいだから南側だろうと適当に行ったら入口があった。エスカレーターで下ると,4両編成の電車が止まっていた。私の前を歩いていたおじさんがうっかり女性専用車両に乗ろうとして,車掌さんに声をかけられていた。最後尾1両はなんと終日女性専用なのだった。
 全線7.9km を15分ほどで走る。途中の旧居留地・大丸前(これも中黒付きの駅名),ハーバーランド(JR神戸駅に乗り換えられる)などでかなりの混雑になったが,和田岬でどっと降りて1両に10人弱になった。御崎公園には上下線の間に中線があって,ここで折り返す電車の設定がある。
 終着の新長田でいったん外へ出てから,折り返して,和田岬で降りた。路線図にはJRへの乗り換えが書いてあるが,案内放送はなかった。
Img_2022

 地上へ出て振り返るとすぐJR和田岬駅で,道路に面してターミナル駅の貫禄を見せていた。この線,山陽本線兵庫駅から分かれて2.7kmの行き止まり線で,通称は和田岬線だが,独立の正式名称はなく,山陽本線の一部である。開通は1888年と古く,2001年に電化されるまでは旧型客車が走っていた。Img_2025

 横浜の鶴見線と同様,海の方に向かう通勤・通学電車だが,ここは鶴見線よりさらに徹底していて,昼間は8時間にわたり電車がない。
 着いてほどなく,かつての京浜東北線と同じ青い電車が6両でやってきて通勤・通学客をはき出し,折り返しはもちろんがらがらで出発した。運転士は女性で,2人「お付き」がついて見守っていた。全線の半分ちょっとはまっすぐ淡々と走るが,阪神高速をくぐると右に急カーブを切る。「R160」という大きな看板があった。左後ろを振り返ると,川崎重工への専用線が分岐していた。Img_2029a

 120度ぐらいカーブして山陽本線と合流,兵庫駅着。今は途中に駅はないので和田岬では改札をせず,兵庫駅の乗り換えのところに券売機と中間改札があった。JR同士で中間改札があるのも鶴見線と同じである。Img_2036
 神戸の繁華街は,兵庫→神戸→元町→三宮と,重心がどんどん東に移動したという話を聞いたことがある。兵庫駅はたぶん二十数年ぶり,やはり風格ある駅だった。(右の写真は兵庫駅高架下の通路)

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Feb 15, 2009

映画館でオペラ METライブビューイング

 メトのプレミエを映画館で上映する「METライブビューイング」を初めて見てみた。曲は1月にプレミエになったばかりのグルックの『オルフェオとエウリディーチェ』(収録は1月24日)。ちょっとした解説やレヴァインへのインタビューつきで,1時間40分ほど。
 合唱が後方の「観客席」のようなところからずっと舞台を見下ろし,バレエがたくさん入った「バレエ・合唱オペラ」だった。フルートで奏される「間奏曲」(というのだったか)と「エウリディーチェを失って」というアリアぐらいしか知らなかったが,おもしろく見た。オルフェオはStephanie Blytheというメゾソプラノで,見た目はかなり問題だが,声は強靱で男役にふさわしく,特にテノールの音域は輝いていた。
 映画館は熱気に包まれていたが,この映画については中高年が多く,別世界の静けさだった。普通の映画だとある中年夫婦割引も,学割もなかった。
 この曲の上映は20日までで,次は28日から『ルチア』(→公式ページ;具体的な予定がわかりにくいけど)

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Feb 07, 2009

浅間山と磐梯山

 2月2日に浅間山が噴火した。
 地質学の研究者だった友人が海外の火山の調査中に事故で亡くなっているから,火山のニュースがあるとかすかに胸の奥がうずく(→参照)。

 かつて立原道造はソネット「はじめてのものに」

  ささやかな地異は そのかたみに
  灰を降らした この村に ひとしきり
  灰はかなしい追憶のやうに 音立てて
  樹木の梢に 家々の屋根に 降りしきつた

とうたった(詩集『萱草(わすれぐさ)に寄す』所収)。長い噴火の歴史の中では今回も「ささやかな地異」なのだろうが,今回は灰は「この村」だけでなく,東京にも降ったようだ。
 立原が滞在したのは軽井沢だが,浅間山の噴火による溶岩流で集落が呑み込まれたのは北側の鎌原(かんばら)村(現在は群馬県吾妻郡嬬恋村鎌原)である。1783年,天明の大噴火のときのことだった。だいぶ前,鬼押し出しの浅間火山博物館でこのときの鎌原村についての展示を見て息をのんだことがある。

 小説で噴火がテーマになっているのは,井上靖「小磐梯」という短編である(初出1961;文庫本では『楼蘭』所収)。1888(明治21)年の磐梯山の大噴火のときの物語で,短いながら,自然の力に畏怖させられるような迫力がある。
 磐梯山は,このとき山頂が吹っ飛んで,今のように2つの峰が並び立つ形になり,土石流で川がせき止められて五色沼ができた。小学生の時,初めて首都圏以外に出かけたのが福島で,観光バスで裏磐梯めぐりをしたが,そのときも五色沼の成り立ちについてガイドさんの説明があったと思う。噴火は,同行していた祖母が生まれたころのことで,地質学的にはほんとうに「ごく最近」のできごとなのだった。

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Feb 01, 2009

メンデルスゾーンの 30枚組CD

 1月中旬の某日,安さにつられて30枚組のCDボックスを買った。生誕200年を迎えたメンデルスゾーンの作品集である。
 その数日後に,畏友ならぬ畏サイト CLASSICA に,このCDボックスを買ったという記事が出た。「仲間」を見つけて,やっぱり買っちゃうよな,となんだか安心した。
 先日,iPod に入れたら曲目表示が一切なかったと書いたのは,実はこの中のピアノ曲集の「無言歌集」の入った1枚だった。しかし,その後もう1枚,オルガン曲集の1枚を iPod 化したら,こちらは曲名がきちんと出た。このCDボックスの内容が雑多であるように,こうした点もバラバラである。
 メンデルスゾーンのオルガン曲はほぼ初めてだったが,もちろん荘厳な響きもするけれど,軽さ・明るさのある部分が多く,新鮮に感じられた。フーガなども,いかめしさより柔らかさがあった。

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