« シューベルト晩年の長い曲 | Main | フォト日記――神保町の2月 »

Feb 28, 2009

ひとっ走り情報伝達

 ケータイもEメールもなく,固定電話も限られたところにしかなかったころのことをだいぶ前に書いた(→参照)(→参照)。
 しかし,考えてみると,電話が登場したのは長い歴史の中ではごく最近のことで,それまでは(正確にはその少し前に電信が登場したが),狼煙を上げるなどを除けば,伝言するにせよ手紙を持たせるにせよ,情報伝達の手段は人が移動するしかなかったはずである。
 ギリシャの伝令はマラトンの野からアテナイまで,到着後息絶えるほどがんばって走らなければならなかったし,江戸城内の刃傷沙汰が赤穂に伝えられるには,リレー式の継ぎ飛脚で3日を要した。

 池波正太郎の時代小説「鬼平犯科帳」シリーズを読むと,江戸の警察組織内で情報をすばやく交換するために,さまざまな形の連絡所を置き,その間を人が走る様子が描かれている。見回りや尾行の際も,手下を途中から連絡に走らせる。
 池波はこうした連絡のことを「つなぎ」という造語で呼んだ。こうしたことが,実際にどこまで組織的に行われていたのかはわからないが,電話がなければなるほどこうするんだろうな,と納得させられる。

 私の祖父は,大正時代に尋常小学校の校長をしていた。1923(大正12)年9月1日,彼が2学期の始業式を終えて家に帰り,そろそろ昼食というときに,関東大震災が起こった。家族と周囲がとりあえず無事だったので,学校の様子を見に出かけようとしたところ,学校の小使いさん(後の言葉では用務員さん)が暑い中を走ってきて,「先生,大変です。いま学校で地震がありました」と言ったという。

|

« シューベルト晩年の長い曲 | Main | フォト日記――神保町の2月 »

Comments

Post a comment



(Not displayed with comment.)




TrackBack

TrackBack URL for this entry:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/23118/44198606

Listed below are links to weblogs that reference ひとっ走り情報伝達:

« シューベルト晩年の長い曲 | Main | フォト日記――神保町の2月 »