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May 2009

May 30, 2009

フォト日記――神保町の5月

  ・写真をクリックすると大きい写真が出ます。

◇神田祭@神保町三井ビル(8日)
 ――北西側に神酒所Img_2388


 
 ――ロビーには御輿Img_2391
 
 
 

◇20日,麺祥来が開店(すずらん通り南)Img_2417


 
 
◇「神田神保町エリア便利帳」が登場Img_2423


 
 
 
 
◇錦町更科 5月はなんと婚活メニューImg_2427


 
 
 ★「本拠地」の「神保町昼食ニュース6月号」は6月1日に掲出しました。

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May 26, 2009

東関親方引退

 元高見山の東関親方が間もなく定年を迎えるので,5月場所が最後の本場所となった。
 今の国技館ができる前の蔵前の国技館で,西の花道のすぐ脇の席で本場所を見たことがあるが,そのときいちばん印象に残ったのは,高見山と貴ノ花(先代双子山親方)だった。小さいと言われていた貴ノ花も実は身長は 182cm あったという話は前に書いた(→参照)が,それと比べるまでもなく高見山は確かに巨大だった。公式記録では 192cm,205kg だから,その後さらに大きい力士は曙など何人も登場したわけだが,間近で初めて見る高見山は小山のよう,あるいは牛のようだった。
 高見山が相撲以外で印象に残っているのは,初めての小型ワープロ(専用機)My OASYS のコマーシャルである。あの巨体,にこやかなひげ面としわがれ声,そしてワープロという最新機器――おもしろい組み合わせだった。

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May 23, 2009

長女の変身――『三姉妹』

 先述の『赤穂浪士』の次の大河ドラマは『太閤記』だった。昨秋亡くなった緒形拳が秀吉,というより「サル」の役でテレビ・デビューした。『赤穂浪士』でできた習慣で『太閤記』も最初のうちは見ていた。音楽は入野義朗で,「ドーーミレドレララーー」という明るい大らかなテーマ音楽の冒頭が記憶に残っている。
 次の『源義経』はほとんど見なかったが,その次の『三姉妹』はときどき見た。旗本の娘3人(架空の人物)が幕末から明治初期の激動の時代を生きていく物語である。岡田茉莉子演ずる長女が,明治になってしばらくして,舞踏会へ出かけるためだったか,初めて洋装になるシーンがあった。それまでの着物姿から白いドレス(モノクロだから白としか見えなかった)になって登場したときは,美しさに息をのんだ。明治の欧化を視覚化するまことに鮮やかな変身だった。
 その後は,大河ドラマはもとより,テレビでドラマを見るということがほとんどなくなってしまった。

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May 20, 2009

蕎麦屋のスズキさん

 近くの住宅街の中に,なかなか良い蕎麦屋がある。去年の秋のある休日に,そこへ昼食に出かけたところ,見慣れないおばさんが店員をしていた。どうやら臨時に手伝っているらしい。
 ものごとをひとつずつしか処理できない人で,「山菜の天ぷらとヱビスビール」と注文しても,「えーと,山菜の…」と言いながら伝票に書いているうちに,ビールのことは忘れてしまう。「辛味大根のソバ」と言っても,「おそばですか,うどんですか」と聞き返してくる。
 そういう人って時々いるよなと鷹揚に構えてはいたが,伝票に担当者の名前の欄があるらしくて,書きながら「えーと,あたしはスズキで」と声に出したのにはちょっと驚いた。だれも名前を尋ねたりしていませんって。
 その店にはその後何度か行ったが,スズキさんには会っていない。
 (スズキというのは仮名です。そういう普通の名字でした。)

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May 17, 2009

海辺のクラリネット

 私の中学は,払い下げになった旧日本海軍の施設をそのまま使っていて,目の前は岸壁だった。湾の向こうには,引退した南極観測船「宗谷」が停まっていたりした(→参照)。
 吹奏楽部は,秋の運動会で行進演奏をするので,夏には岸壁沿いの道でその練習をした。夏休み中の行進の練習のときのことだった。休憩時間に,当時ホームランの量産を始めていた王貞治の一本足打法の話になり,1年上のクラリネット奏者がその真似をした。彼はバットの代わりにクラリネットを持って,スイングした。もちろん,フルスイングしたわけではなく,彼としてはほんの形だけのつもりだったと思う。しかし,あろうことか,クラリネットの上半分が離れて飛んで,海に飛び込んでしまったのである。
 木の楽器だから浮くかと思ったが浮いてこない。学校の周辺の海に入るのは厳禁されていたが,潜りに自信のある者が2人ほど飛び込んで探した。海水パンツやメガネを用意してからなので,たぶん翌日のことだったのだろう。しかし,軍艦が使っていた岸壁だから海は深く,しかも濁っていて,結局見つからなかった。

 その1年後,学校は海のそばから丘の上に移転した。旧校舎での最後の練習の日,トランペット奏者が海に向かって別れのファンファーレを吹いた。

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May 10, 2009

『赤穂浪士』――テレビと原作

 NHKテレビの「大河ドラマ」の第1作は『花の生涯』(最初,「鼻の障害」と変換された),第2作は『赤穂浪士』(1964年)だった。『花の生涯』はほとんど見なかったが,『赤穂浪士』はかなり見た。この年の東京オリンピックをきっかげにカラーテレビがかなり普及したのだが,うちは白黒(当時,モノクロという言い方はなかったと思う)だった。
 大石内蔵助役は長谷川一夫だった。内蔵助の「おのおのがた」という口調が,ちょっとした流行語になり,学校でも何かというとふざけて「おのおのがた」と呼びかけるやつがいた。若い浪士の矢頭右衛門七役は,「高校三年生」の大ヒット後間もない舟木一夫だった。(あれ,2人は同名だったのか。)
 印象深いのは,芥川也寸志のテーマ音楽である。リズムはオスティナート風に一貫していて,4拍子の2拍目にパシッというムチ(?)の音が入る。テーマが繰り返されるとそこに対位旋律が絡んできて,寄せては返すような起伏が作られていた。

 ずっと後に,原作の大仏次郎『赤穂浪士』を読んだ。ストーリーはもちろん史実通りだが,タイトルが示すように浪士たちの姿を描くのが物語の中心である。多くの浪士は単独でそれぞれに生活している。そのばらばらの動きが,討ち入りに向けてまとまっていくさまは,まさに小川が合流して大河になるようで,巻を措くあたわずという感じで読んだ。
 ずいぶん時間がたっていたので,読みながらテレビの場面を思い出すことはほとんどなかったが,架空の人物である蜘蛛の陣十郎については,宇野重吉の顔を思い浮かべた。

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May 09, 2009

早熟メンデルスゾーン

 学生時代にメンデルスゾーンの弦楽八重奏曲変ホ長調を初めて聞いて,はつらつとした若さがわき上がってくるような音楽に感動したが,それが作曲者16歳のときの作品だと知って驚いた。モーツァルトは6歳で作曲を始め,8歳で交響曲を書いたのに対し,メンデルスゾーンが本格的に作曲を始めたのは11歳のころだというが,十代半ばでの音楽の成熟ぶりは,私見ではモーツァルト以上である。
 有名な『夏の夜の夢』の序曲も17歳のときの曲で,これが,オーケストラで演奏したことのある曲の中で,作曲者がいちばん若いときの作品となっている(モーツァルトの29番より前の交響曲はやったことがないので)。
 『夏の夜の夢』の序曲以外の付随音楽は三十を過ぎてからの作曲で,序曲の16年後のことだが,続けて聞いてまったく違和感がなく自然につながっている。悪く言えばその後進歩がなかったのかもしれないが,それも早「熟」の故だろう。
 ちなみに,演奏したことのある曲で『夏の夜の夢』序曲に次いで作曲者が若いころの作品は,上記モーツァルトの29番とリヒャルト・シュトラウスのホルン協奏曲第1番(共に18歳)である。シュトラウスはホルン協奏曲を2曲書いているが,第2番を書いたのは,第1番の実に60年後だった。

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May 06, 2009

阪神なんば線とポートライナー

 4月某日,神戸へ行くことになったので,少し早く出て,3月20日に開通した阪神なんば線に乗ってみることにした。2005年2月に南海の古いターミナル駅・汐見橋で降りたとき(→参照),駅前の道路を半分ぐらい占領して,この線の工事が行われていたのを見たことがある。開通はずいぶん先の話だと思っていたが,たちまち4年たってしまった。Img_2294

 地下鉄の難波を降りると,「近鉄・阪神電車」という案内表示がある。近鉄難波駅は大阪難波駅と改称され,今まで接点のなかった阪神と近鉄の接点となった。阪神本線と接続する尼崎までの電車に乗った。
 新しく開通したのは大阪難波―西九条間3.8kmで,途中駅は桜川,ドーム前,九条の3つ。各駅で地下鉄と接続している。4年前に降りた汐見橋から近いのは桜川だった。新線区間はわずか8分ほどで,地下だから景色も見えず,あっけなく過ぎた。西九条からは地上に出て「西大阪線」と呼ばれていた既設区間に入り,大物で本線と出会ったあと,次の尼崎で本線と合流する。
 尼崎駅では,本線の三宮方面行き電車と違うホームに到着したが,2つのホームの間の線路に止まった車両の両側のドアが開けてあって通り抜けることができるようになっていた。階段の上り下りがないので1分の接続でも問題がない。こうした乗り換えは,話には聞いていたが,初めて経験した。甲子園駅では,新装なった甲子園球場が見えた。
 用事のある場所の最寄り駅である御影で下車し,つかの間の「鉄」モードは終わりにした。

 翌日は,帰京前にポートライナー,正式には神戸新交通ポートアイランド線に乗りに行った。
 もともと博覧会「ポートピア」のために1981年に開通した「新交通」の元祖で,三宮を起点にb字型に反時計回りの一方通行で運行されていたが,神戸空港へのアクセスとして,b字の直線部の下端が2006年に延長された。元の部分にはポートピア期間中に乗ったことがあるが,それ以来の長いごぶさただった。Img_2304

 時刻表を見ると,三宮から空港への系統と,元のb字型系統が交互に運転されている。まず空港まで乗った。分岐駅の市民広場駅を出ると新線区間で,それまでの一応生活感のある町からいかにも埋め立て地という風景になり,建設中の建物も多い。左へ直角に曲がってからもう一度右に直角に曲がって橋を渡り,離れ小島の神戸空港に着く。最後の区間だけ駅間距離が2.8kmある。三宮から所要18分。この日は風の強い日で,海は一面に白波が立っていた。
 市民広場まで戻って,b字型系統に乗る。ところどころにポートピアの名残と思われる建物がある。再び直線部分に合流する中公園駅では,両線のホームに段差があって,その後の線路の合流部分は複雑な曲線を描いていた。

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May 02, 2009

フォト日記――神保町の4月

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◇まずは桜
 ――お茶の水小学校(3日)Img_2208_2

 
 
 
 
 
 
 ――三井ビル東側のしだれ桜(6日)Img_2277_2

 
 
 
◇16日,チェンバロも神田祭(神保町三井ビル)Img_2288_2

 
 
 
 
 
 
◇20日,神保町三井ビル南側のつつじImg_2290

 
 
 
 
 
 
◇22日,ボンディ<小川町店>改装オープン――吉本から花がImg_2293

 
 
 
 
 
 
◇28日,「さいたま屋」が開店Img_2314

 
 
 
 

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