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Jun 10, 2009

スカラ座1981 (1)――70/80年代の外来オペラ

 79年のロイヤル・オペラ,80年のウィーン国立に続く「三連発」の最後は,81年のスカラ座である。
 まだ真夏の9月1日から10月1日まで1か月の間に,オペラが18公演,演奏会A(ヴェルディ「レクイエム」)2回,演奏会B(ロッシーニ「小荘厳ミサ」)が4回で,ちゃんと大阪公演もあり,さらに室内楽が2公演あるという勤勉なツアーだった。来日人数は総勢490人にもなった。
 オペラは,
・クラウディオ・アバド指揮
  『シモン・ボッカネグラ』(ジョルジョ・ストレーレル)
    4回
  『セヴィリアの理髪師』(ジャン=ピエール・ポネル)
    4回
・カルロス・クライバー指揮
  『オテロ』(フランコ・ゼッフィレルリ) 3回
  『ラ・ボエーム』(フランコ・ゼッフィレルリ) 7回
    (うち大阪2回,横浜1回)
というラインナップだった(かっこ内は演出家)。ヴェルディ2曲,ロッシーニとプッチーニが1曲ずつというイタリア・オペラの精華をバランス良く並べた絶妙のプログラムである。
 そして,ご覧のように,指揮・演出が最強,もちろん歌手もよく揃っていて,空前絶後,史上最強,天下無双…。いや,後から思うとむしろ一期一会というべきか,奇跡的に実現した公演だった。
 なお,『ラ・ボエーム』については,プログラムにはもう1人の指揮者の名も掲げられていたが,クライバーでなくてがっかりというような話は聞いたことがないので,クライバーがすべて振ったのではないかと思う。

 分厚い公演プログラムに,実質的な仕掛け人と思われる佐々木忠次氏(現NBS常務理事;若々しい写真が載っている)らによる座談会があって,公演実現までの裏話が披露されている。それによると,1966年に仮契約をし,当初は公演は68年の予定だったという。
 もし,公演が予定通り68年だったら,あるいは延びても73年以前だったらどうだっただろう。学生だった私はたぶん公演を見ることはできなかった,という個人的なこともあるが,1ドル360円の時代だし,日本の音楽界としても,オペラの引っ越し公演の経験はベルリン・ドイツオペラ(1963年)しかなかったから,受け入れ体制を整えるのは非常に難しかったのではなかろうか。オイルショックを経て,公演が結局1981年になったのが,結果的には幸いした。

 当時メールはおろか70年代後半まではファックスもなく,手紙は航空便で5~10日かかっていたし,国際電話はきわめて高価だった。たぶんテレックスが活躍したのだろう。しかも相手はイタリア人である。交渉・連絡が,ロイヤル・オペラ,ウィーン国立のときに比べて数倍たいへんだったことは,想像に難くない。
 もちろんワープロもエクセルもないから,500人近い団体の旅行と宿泊,舞台装置の運搬の手配は複雑をきわめたはずだし,メンバー表を作ってプログラムに掲載するだけでもたいへんな手間がかかったのだろうと思う。
                (この項つづく

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Comments

プログラムを引っ張り出してみたら確かに“ブルーノ・リガッチ”という名前が
クライバーの下にありました。クライバーがもしもキャンセルしたらという意味
だったのでしょうが“もしも!”そんな事態が起きたらどんな騒ぎになっていた
んでしょうねえ。結婚前だったので我が家には同じプログラムが2冊あります。

Posted by: HIDAMARI | Jun 13, 2009 at 04:49 PM

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本当は『シモン・ボッカネグラ』も観たかったのだが、それ 以外の3本を観た。 [Read More]

Tracked on Jun 13, 2009 at 04:40 PM

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