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Jun 20, 2009

スカラ座1981 (2)――70/80年代の外来オペラ

承前
 プレイガイドで徹夜で行列することもまだ行われていた時代だが,このときのチケットは,登録した人に送られてきた往復ハガキか何かで申し込んだ。料金はS29,000円,A26,000円,B23,000円…。ただし,9月1日の『シモン・ボッカネグラ』初日は「ガラ公演」,2日の『オテロ』初日は「チャリティー公演」とされ,記念品付きとはいうものの,他の日よりS,Aは1万円,B以下は5千円高い料金設定だった。

 その高い日を避けた私の初日は9月5日の『オテロ』(NHKホール)。タイトルロールは初めて聞くプラシド・ドミンゴ,デズデモーナは77年のベルリン国立の『フィガロ』で聞いたアンナ・トモワ=シントウ,ヤーゴはその後聞く機会がなかったシルヴァーノ・カローリだった。
 74年バイエルンの『ばらの騎士』以来のクライバーは,この間に急速にカリスマ化し,盛大な拍手で迎えられた。拍手が終わらないうちに始まった第1幕は,まず嵐の場面ということもあり,パワー全開で飛ばしていく。合唱もすごい。息つく暇もなく,オテロの登場となる。
 ドミンゴはこのとき40歳,テノール歌手として「働き盛り」を迎えていた。巨大なNHKホールの3階中程の席まで声がビンビン響いてきた(NHKホールは2階の奥が最悪で,3階の方がずっと素直に聞こえる)。年配の人たちは,1959年に初来日して同じくオテロを歌って大きな衝撃を与えたマリオ・デル=モナコを思い出していたことだろう。(後でフレーニを聞いてから,デズデモーナもフレーニで聞きたかったとぜいたくなことを思ってしまった。1977年のスカラ座のシーズン開幕公演の『オテロ』ではフレーニだった。)
 第2幕で,オテロはヤーゴの奸計にはまっていく。どうしてそう思いこんでしまうんだ,オテロよ目を覚ませ!――ここのドラマの運びが巧みなのは,第一にシェイクスピアの功績である。それはヴェルディの計算通りだった。歌でもっとも印象に残ったのは,第2幕の終わりの復讐の2重唱で,メロディのほとんどないような歌なのにオーケストラの雄弁な伴奏(バッソ・オスティナートが効果的)がついて,ぐいぐいと悲劇の結末へ向かう道筋ができる。
 ゼフィレッリの舞台は,一貫して黒い柱が並んでいる。第4幕ではそれが黒い立方体の枠になり,悲劇を閉じこめる。たぶん舞台が横に広すぎるせいで,両脇の空間がちょっと間抜けに見えた。第3幕のヴェネツィアの使者の到来の場面への転換は鮮やかだった。
                (この項つづく

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