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June 2009

Jun 30, 2009

フォト日記――神保町の6月

  ・写真をクリックすると大きい写真が出ます。

◇「百歩ラーメン」が開店(9日)Img_2435


 
 
 
 
◇豆腐屋さんがちゃんとラッパを吹いて登場(10日)Img_2439


 
 
 
 
◇「闌(たけなわ)」の夏メニュー(11日)Img_2442


 
 
 
 
◇錦町更科のあじさい(19日)Img_2447


 
 
◇錦町更科の時事ネタ満載メニュー(29日)Img_2454


 
 
 ★「本拠地」の「神保町昼食ニュース7月号」は7月4日に掲出しました。

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Jun 28, 2009

リサとワンダ

 先日,マイケル・ジャクソンの死去のニュースでプレスリーのことを思い出したと書いたが,新聞の報道で,マイケルの最初の妻はリサ・マリー・プレスリー,すなわちプレスリーの一人娘であることを知った。そういえば,そう聞いたことがあったような気もするが,まったく忘れていた。
 関係ないけど連想したのは,ホロヴィッツ夫人のワンダがトスカニーニの娘であること。こちらは離婚しなかったようだ。

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Jun 27, 2009

「異稿・編曲」CDの本

 近藤健児『クラシックCD 異稿・編曲のたのしみ』,近藤健児他『クラシックCD 異稿・編曲のよろこび』(共に青弓社)というクラヲタ度のきわめて高い本を読んだ。半年以上前に買って以来ほっぽりっぱなしだったが,最近読み始めたら,データ本ではあるが読んでなかなかおもしろくできていて,一気に2冊読んでしまった。
 ここで異稿(この言葉はIMEで変換できなかった)というのは作曲者が改訂して複数の版ができたもののことで,たとえばモーツァルトの交響曲第31番《パリ》の第2楽章が2種類あったり,第40番に楽器編成が異なる2つの版がある,といったものである。編曲については,作曲者自身によるものと,他人によるものがある。
 タイトル通り,この本はCDがあるものを中心にしていて,著者の近藤氏はネットでの調査を基にすさまじい数のCDを購入し,聴いている。2冊目の『よろこび』の方は,ネット経由で協力を申し出た強者4人との共著で,共にネットの時代ならではの本といえる。
 この本がひとつの刺激になって,先日,メンデルスゾーンの弦楽八重奏曲(→参照)とベートーヴェンの弦楽四重奏曲《セリオーソ》(マーラー編)を弦楽合奏で演奏しているCDを買った。メンデルスゾーンはズビン・メータ指揮イスラエル・フィルの演奏で,1979年の録音だが「First International Release on CD」と書いてあり,『たのしみ』のメンデルスゾーンの項でも触れられていない。(ベートーヴェンはドホナーニ指揮ウィーン・フィル,95年録音)
 もともと弦楽器の八重奏ともなると室内楽の枠を越える寸前のような曲なので,そのまま弦楽合奏で演奏して何の違和感もない。ただし,演奏者の顔ぶれから想像されるように,青春がほとばしる原曲よりだいぶ濃厚・妖艶な演奏である。

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Jun 26, 2009

ミュージシャン その音楽と死

 26日朝のTVニュースが,「マイケル・ジャクソンさんが亡くなりました」とトップ記事扱いで報じた。
 それで思い出したのは,エルヴィス・プレスリーとジョン・レノンのことである。前にも書いたように,プレスリーの死(1977;42歳)はイギリスで知ったために印象深い。
 ただ,プレスリーの音楽はよく聞いていたわけではないから,さしたる感慨はなかったのに対し,ジョン・レノンのとき(1980;40歳)ははるかに強い衝撃を受けた。もちろん,殺害されたからということがあるが,ビートルズの音楽をリアルタイムで一応ずっと聞いてきていたからということが大きい。

 この3月,私の郷里・横須賀から近い三浦半島某所にある霊園に,知人の納骨のために行ったときのことである。その墓所の近くに,花が大量に飾られている墓があり,何かと思ったら X JAPAN の HIDE の墓だった。今も墓参の女性が絶えないらしい。
 山口百恵はデビュー直前まで横須賀に住んでいたが「出身」ではないのに対し,HIDE は横須賀生まれである。

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Jun 20, 2009

スカラ座1981 (2)――70/80年代の外来オペラ

承前
 プレイガイドで徹夜で行列することもまだ行われていた時代だが,このときのチケットは,登録した人に送られてきた往復ハガキか何かで申し込んだ。料金はS29,000円,A26,000円,B23,000円…。ただし,9月1日の『シモン・ボッカネグラ』初日は「ガラ公演」,2日の『オテロ』初日は「チャリティー公演」とされ,記念品付きとはいうものの,他の日よりS,Aは1万円,B以下は5千円高い料金設定だった。

 その高い日を避けた私の初日は9月5日の『オテロ』(NHKホール)。タイトルロールは初めて聞くプラシド・ドミンゴ,デズデモーナは77年のベルリン国立の『フィガロ』で聞いたアンナ・トモワ=シントウ,ヤーゴはその後聞く機会がなかったシルヴァーノ・カローリだった。
 74年バイエルンの『ばらの騎士』以来のクライバーは,この間に急速にカリスマ化し,盛大な拍手で迎えられた。拍手が終わらないうちに始まった第1幕は,まず嵐の場面ということもあり,パワー全開で飛ばしていく。合唱もすごい。息つく暇もなく,オテロの登場となる。
 ドミンゴはこのとき40歳,テノール歌手として「働き盛り」を迎えていた。巨大なNHKホールの3階中程の席まで声がビンビン響いてきた(NHKホールは2階の奥が最悪で,3階の方がずっと素直に聞こえる)。年配の人たちは,1959年に初来日して同じくオテロを歌って大きな衝撃を与えたマリオ・デル=モナコを思い出していたことだろう。(後でフレーニを聞いてから,デズデモーナもフレーニで聞きたかったとぜいたくなことを思ってしまった。1977年のスカラ座のシーズン開幕公演の『オテロ』ではフレーニだった。)
 第2幕で,オテロはヤーゴの奸計にはまっていく。どうしてそう思いこんでしまうんだ,オテロよ目を覚ませ!――ここのドラマの運びが巧みなのは,第一にシェイクスピアの功績である。それはヴェルディの計算通りだった。歌でもっとも印象に残ったのは,第2幕の終わりの復讐の2重唱で,メロディのほとんどないような歌なのにオーケストラの雄弁な伴奏(バッソ・オスティナートが効果的)がついて,ぐいぐいと悲劇の結末へ向かう道筋ができる。
 ゼフィレッリの舞台は,一貫して黒い柱が並んでいる。第4幕ではそれが黒い立方体の枠になり,悲劇を閉じこめる。たぶん舞台が横に広すぎるせいで,両脇の空間がちょっと間抜けに見えた。第3幕のヴェネツィアの使者の到来の場面への転換は鮮やかだった。
                (この項つづく

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Jun 15, 2009

新国立劇場『チェネレントラ』―― 鼻の差でなく

 『チェネレントラ』は今まで前世紀に2回しか見たことがなかった曲である。それが今年は,メト・ライブビューイングで見て(→参照),わずか2週間後に新国立劇場で実演を見る,という巡り合わせになった。メトのがとても良かったので,先日は「(新国立劇場のを)これと比べてしまうと…」などと心配を書いた。しかし,その後予告をよく見たら,王子ラミーロ役は,去年『どろぼうかささぎ』で名演を聞かせてくれた第一人者アントニーノ・シラグーザだったので,ラミーロに関してはメトに負けないだろうと思った。
 そして6月14日,新国立劇場は沸いた。曲が進むにつれて歌手も乗ってきて拍手も盛大になり,シラグーザは2幕で鮮やかにハイCを決め,終結部をアンコールまでした。他の歌手も,いじわるお姉さん役の日本人2人を含めてそろって好演,アンサンブルにわずかに決まらない箇所はあったが,演出(ジャン=ピエール・ポネル)の良さが決定打となって,全体としてはメトを(鼻の差でなく)首の差ぐらいで上回るすばらしい上演だった。
 メトにかなわなかったのは,アンジェリーナ(チェネレントラ)役の美貌と若さ。休憩時に飲み物カウンターの行列ですぐ前にいた小学生ぐらいの女の子が,「アンジェリーナって,なんであんなに怖い顔なの」と母親に尋ねていた。(昔見たルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニはもっと怖い顔だったが。)

 このプロダクションはミュンヘンから借りてきたもので,プログラムには,2007年のミュンヘンの舞台の写真が載っていた。ラミーロは今回と同じシラグーザ,合唱には篠の風さんの姿(斜め後ろからだが)も写っている(→参照)。
 20年以上前に死去したポネルの演出は,その後「再演演出」のグリシャ・アサガロフが活を入れているためか,今も生き生きしていて無類に楽しい。81年スカラ座の『セビリャの理髪師』を思い出した。(ポネルの『チェネレントラ』には映画版の映像があり,フォン・シュターデがチャーミングだ。)
 今回の『チェネレントラ』は,あと17日・20日(共に2:00)に上演がある。まだの人は見るしか(←iio 調)。

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Jun 13, 2009

一人でしゃべる

 90年代後半だったと思うが,個室の寝台車に乗ったときのこと,隣の部屋の人がドアを開けたまま携帯電話で大声でしゃべっていた。ドアを閉めてくれればいいのにと思ったが,少ししてドアを閉めてからもけっこううるさかった。考えてみると,個室で声を出すという状況は携帯電話出現前はほとんどなかったわけだから,隣室との間の壁の防音性はあまり考慮されていないのだろう。
 かつては,路上や駅などで,相手の姿がないのに一人で何かしゃべっているというのは,奇異な光景だった。もちろん,「あっ,しまった」「どうしようかな」といった言葉を思わず発するのは自然なことだが,ある程度以上の長さの言葉を声に出すという状況は考えにくかった。

 子供のころ,しばしばラジオのニュースらしいものをしゃべりながら歩いている男が町内にいた。いつも「JOAK,東京第1放送です」というコールサインで一区切りとなる。近所のおばさんたちは,あの人はNHKの試験に落ちたらしいと噂していた。
 もう10年ぐらい前だが,駅のホームで突然「そのとき捜査本部では」という声が聞こえた。思わず振り返ると,ベンチで文庫本を読んでいたおじさんが発した声だった。少しの間近くにいたが,発したのはその一声だけだった(実際にはその先のフレーズも続いたがすぐフェイドアウトした)。よほど興が乗ってきていたに違いない。かつて読書というのは音読だったという歴史(→参照)を思い出した。

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Jun 10, 2009

スカラ座1981 (1)――70/80年代の外来オペラ

 79年のロイヤル・オペラ,80年のウィーン国立に続く「三連発」の最後は,81年のスカラ座である。
 まだ真夏の9月1日から10月1日まで1か月の間に,オペラが18公演,演奏会A(ヴェルディ「レクイエム」)2回,演奏会B(ロッシーニ「小荘厳ミサ」)が4回で,ちゃんと大阪公演もあり,さらに室内楽が2公演あるという勤勉なツアーだった。来日人数は総勢490人にもなった。
 オペラは,
・クラウディオ・アバド指揮
  『シモン・ボッカネグラ』(ジョルジョ・ストレーレル)
    4回
  『セヴィリアの理髪師』(ジャン=ピエール・ポネル)
    4回
・カルロス・クライバー指揮
  『オテロ』(フランコ・ゼッフィレルリ) 3回
  『ラ・ボエーム』(フランコ・ゼッフィレルリ) 7回
    (うち大阪2回,横浜1回)
というラインナップだった(かっこ内は演出家)。ヴェルディ2曲,ロッシーニとプッチーニが1曲ずつというイタリア・オペラの精華をバランス良く並べた絶妙のプログラムである。
 そして,ご覧のように,指揮・演出が最強,もちろん歌手もよく揃っていて,空前絶後,史上最強,天下無双…。いや,後から思うとむしろ一期一会というべきか,奇跡的に実現した公演だった。
 なお,『ラ・ボエーム』については,プログラムにはもう1人の指揮者の名も掲げられていたが,クライバーでなくてがっかりというような話は聞いたことがないので,クライバーがすべて振ったのではないかと思う。

 分厚い公演プログラムに,実質的な仕掛け人と思われる佐々木忠次氏(現NBS常務理事;若々しい写真が載っている)らによる座談会があって,公演実現までの裏話が披露されている。それによると,1966年に仮契約をし,当初は公演は68年の予定だったという。
 もし,公演が予定通り68年だったら,あるいは延びても73年以前だったらどうだっただろう。学生だった私はたぶん公演を見ることはできなかった,という個人的なこともあるが,1ドル360円の時代だし,日本の音楽界としても,オペラの引っ越し公演の経験はベルリン・ドイツオペラ(1963年)しかなかったから,受け入れ体制を整えるのは非常に難しかったのではなかろうか。オイルショックを経て,公演が結局1981年になったのが,結果的には幸いした。

 当時メールはおろか70年代後半まではファックスもなく,手紙は航空便で5~10日かかっていたし,国際電話はきわめて高価だった。たぶんテレックスが活躍したのだろう。しかも相手はイタリア人である。交渉・連絡が,ロイヤル・オペラ,ウィーン国立のときに比べて数倍たいへんだったことは,想像に難くない。
 もちろんワープロもエクセルもないから,500人近い団体の旅行と宿泊,舞台装置の運搬の手配は複雑をきわめたはずだし,メンバー表を作ってプログラムに掲載するだけでもたいへんな手間がかかったのだろうと思う。
                (この項つづく

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Jun 07, 2009

ボリスの死

 オペラ演出家のボリス・ポクロフスキー氏の訃報(6月5日)が新聞に載った。享年97歳。
 ポクロフスキーの演出は,ボリショイ・オペラの来日公演で『エウゲニ・オネーギン』(2回),『ジャンヌ・ダルク』『イーゴリ公』のほか,91年にはモスクワ室内オペラという実験劇場のような団体の『劇場支配人』『賭博師/ラヨーク』(ショスタコーヴィチ)を見た。91年のときは79歳だったはずだが,会場にその巨体を現し,元気に拍手に応えていた。
 今月また,といっても14年ぶりにボリショイ・オペラの公演(→参照)があるが,今回の『オネーギン』は新しい演出である。

 ついでといっては申しわけないが,音楽評論家の黒田恭一氏が5月29日に死去した。ジョン・カルーショーの「指輪」手記の最初の翻訳(→参照)などずいぶん昔から活躍しているが,また71歳だった。

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Jun 04, 2009

汐留でヴォーリズの展覧会

 汐留へ行ったついでに,松下電工改めパナソニック電工のミュージアムで開かれている「ウィリアム・メレル・ヴォーリズ 恵みの居場所をつくる」(→参照;6月21日まで)という展示を見た。建築の写真が中心だが,遺品のほか,軽井沢の山荘の内部の再現もある。20棟あまりの建物がある神戸女学院の模型は,特に印象的だった。
 ヴォーリズは,何よりもまず宣教師であり,布教のために建築家として教会や学校を建て,「メンソレータム」の事業を起こした。建築については,リチャード・ロイド・ライト(自由学園明日館,旧帝国ホテルを設計)のような完成された技術を持つ大家ではなく,結果だけ見ると「素朴派」のように見える。それだけに,展示のタイトルにあるように,大きな建物でも個人の居場所がちゃんとあるようなほっとする空間が快い。なにしろ25歳で来日したのだから,実地経験を重ねながら,持ち前のセンスを磨いてきたのだろう。
 神保町近くにも,ヴォーリズの作品として,「山の上ホテル」と「主婦の友社本社ビル」がある。後者は今残っているのは外観だけだが。ほかに,かつてはお茶の水・水道橋間のお堀端にあった受験生の宿「日本学生会館」もヴォーリズだと初めて知った。これは,元「日本文化アパートメント」という高級アパートだったそうだ。

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Jun 01, 2009

METライブビューイングで『チェネレントラ』

 「METライブビューイング」の今シーズン最後の演目『チェネレントラ』に行ってきた。2月の『オルフェオとエウリディーチェ』に続いて2回目である。『オルフェオ』よりだいぶ長く,トーマス・ハンプソンによる口上と歌手へのインタビュー,休憩などを含めて3時間20分の上映で,小さい会場ではあるが満席の盛況だった。
 5月9日収録の舞台で,聞きもの・見ものは,タイトルロールのエリーナ・ガランチャ。ロッシーニのアジリタが鮮やかなのはもちろん,ゆっくりの歌も立派で,しかも原作どおり(!)の美人でHDのアップに耐える。王子役はローレンス・ブラウンリーで,背が低いのが唯一の難。ガランチャという人は初めて,と思ったが,調べたら2003年の新国立劇場の『ホフマン物語』でニクラウス/ミューズをやった人だった。
 今月は新国立劇場で『チェネレントラ』がある。こちらも期待していたのだが,これと比べてしまうと……。別の楽しみがあるだろうと頭を切り換えることにしよう。

 METライブビューイングの次のシーズン(今年10月から)のラインナップも発表され,予告編をやっていた。『トスカ』『アイーダ』『トゥーランドット』など,ポピュラー路線である。来年2月の『シモン・ボッカネグラ』ではドミンゴがバリトン役(としか言ってなかったが,もしかしてシモン?)を歌うという。(その後,上記ホームページに次シーズンのラインナップが掲出された。)

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