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August 2009

Aug 30, 2009

『スポニチ』ご乱心

 『少年サンデー』と『少年マガジン』,『夕刊フジ』と『日刊ゲンダイ』,『スポーツニッポン』と『日刊スポーツ』という対立項おいて,かなり昔から各項の前者をひいきにしてきた。
 それだけに,『スポニチ』がこの10日間ほど連日酒井法子のことを1面にしているのには,あきれてしまった。他のスポーツ紙も大きく扱っているが,『スポニチ』ほど毎日1面ということはない。
 スポーツ紙は芸能紙でもあるわけだが,今の酒井法子関係の記事は内容的にはもはや芸能記事ではなく,犯罪についての社会面記事である。捜査とか取り調べについてのネタは大部分警察関係者からのもののはずで,針小棒大の「針」とするにも危うい。この事件は裁判員制度の対象にはならないだろうが,今後に関して重大な予断を与えてしまうことにもなる。
 2面以下にはもちろん,楽天と西武の攻防,新型インフルエンザと日ハム,松井の好調,石川遼の猛チャージなど,おもしろい記事がたくさんあったのだが。
 といいつつも,28日の「起訴・解雇」でとりあえず一段落。来週はスポーツ紙に戻ってくれるだろう。

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Aug 29, 2009

明日は選挙

 4年前の衆議院選挙のとき,小選挙区(300議席)では,自民党は,得票数は民主党の1.3倍に過ぎないのに,4.2倍の議席(219対52)を得た。このとき,昔々得た知識を基に小選挙区制というものについて書いた(→参照)が,小選挙区制の下では相対的に少数の人の「心変わり」によって結果がバタンバタンとひっくり返りやすい。今回,初めて本格的な政権交代が実現しそうなのも,小選挙区制の「威力」である。
 今回は,前回と逆,というより,前回を逆にしたのより大きな差になりそうだ。しかし,これが額面通りの民意とは言えない。得票率の差はどのぐらいになるかというのがひとつのポイントである。
 選挙区に関して,「1票の格差」が依然として大きいのは問題である。一昨日の新聞には,最高裁判所の裁判官の国民審査について「2007年の最高裁判決で1票の格差を容認した裁判官2人に×をつけよう」という趣旨の意見広告が出ていた(→関連サイト)。

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Aug 27, 2009

「本拠地」12周年

 「当日」に書くのを忘れてしまったが,1997年に開設した「本拠地」サイトが8月10日で12周年を迎えた。「パソコンやネットの世界の時間の流れは通常の7倍」という dog year 説(これ自体すっかり古い言葉になってしまった)に従えば84歳ということになり,もう人の平均寿命を超えてしまった。
 90年代半ば過ぎまで,ネットといえば「パソコン通信」という時代だった。1995年の Windows95 の登場で素人でもインターネットに接続できるようになり,パソコン通信の運営会社がインターネット・サービス・プロバイダーを兼ねるようになってきて,状況が変わってきたのだったと思う。
 私は2つのパソコン通信サービスに加入していたが,そのうちの1つ Asahi-net がインターネットに積極的な対応をし始めたので,それに乗ってインターネット接続を始めた。ダイヤルアップ回線だから,画像があるとその表示に10秒ぐらいかかったりした。当時どのようにして興味あるサイトにたどりつき,どういうサイトを見ていたのかは,もはや記憶が定かではないが,今のようにネットといえばまず検索,という感覚でなかったことは確かである。
 1977年に Asahi-net によるホームページ作成のガイドブックが出た。これが,私のウェブサイト開設の直接のきっかけになった。独立のホームページ作成ソフトはまだなくて,Netscape Communicator 付属の HTML 編集ソフトComposer を使った。しかし,これが使い勝手が悪く,「オペラの章」の表を初めとする基本的な構造を作った以外は,文字の大きさ・色,背景の色などを指定するタグを,テキストエディタ上で大部分手作業で入力した。表の作成は Excel のデータから変換したものを元にしたが,これの整形・整備がいちばん面倒だった。通信速度が遅かったから,データを軽くすることが重要な課題だった。
 いま,私がよく接している個人サイトでは,iioさんの「Classica」がほとんど唯一の「先輩」で,開設14周年を迎えている。

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Aug 23, 2009

ベーレンスが日本で死去

 ソプラノのヒルデガルト・ベーレンスの訃報が新聞に載ったのは8月19日の夕刊だった。そのとき,記事の最後の方をよく見ないでいたので,日本で亡くなったというのを少し後で知って驚いて,あわてて新聞を見直した。
 ベーレンスは生で聞いたことがない。にもかかわらず一応知っている人のような感じがあるのは,カラヤンの『サロメ』のLPの印象が強烈だったためである。このLPを私は,ウィーン国立歌劇場の『サロメ』の公演(1980;→参照)の「予習」の意味もあって買ったのだが,このときオペラのカラヤンとウィーン・フィルはすごいんだなと思い,同時にベーレンスの名も刷り込まれた。
 CDの時代になってから買ったものでは,バーンスタインの『トリスタンとイゾルデ』も素晴らしかった。映像では,レヴァイン=メトの『リング』『トスカ』などに登場しているが,上記CDほどの印象はない。

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Aug 21, 2009

初来日の旅

 川口マーン恵美『証言・フルトヴェングラーかカラヤンか』(新潮選書)に出ていた話だが,ベルリン・フィルが1957年に初来日したときは,南回りの飛行機で52時間かかってやってきたという。私が70年代に1回だけ体験した南回りは23時間半だった(→参照)からその2倍以上,現在のロシア上空コースの4倍以上の時間がかかったことになる。しかも,たぶん今よりずっと小さな飛行機だっただろうから歩き回る場所も少なく,機内はエンジン音が非常にうるさかったはずで,まる2昼夜以上の旅はたいへんな苦行だったに違いない。
 飛行機以前の時代,マルセイユからの船は30日以上かかっていたそうだから,ヨーロッパからのオーケストラの来日など,まったくの夢物語だった。そこへいくと,ヨーロッパと北米東海岸の間は1週間ぐらいで,ドヴォルザークやマーラーに例を見るように,音楽家の行き来は盛んだった。ウィーン・フィルは1920年代に南米に行っているし,ヨーロッパのオペラのシーズンオフにはブエノスアイレスに有名歌手が集まったりしたという。
 北回りの飛行機がすでに飛んでいた70年代に,飛行機が嫌いでシベリア鉄道とナホトカ航路で来日したのが,リヒテルとムラヴィンスキーである。毎回そうだったのかはわからないが,少なくとも初来日のときはシベリア鉄道だった。

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Aug 19, 2009

Hotel Kin

 金大中氏が死去した。波瀾万丈の生涯だった。
 金大中氏といえば,1973年の拉致事件である。当時,テレビも新聞も,韓国の人名・地名は(ソウル以外)すべて漢字で書いて日本の音読みで読んでいたから,「キンダイチュウ事件」と言っていた。
 事件の舞台は,東京・九段のホテル・グランドパレスだった。このホテルは,事件後数年間,学生時代の友人たちの間ではキンダイチュウホテルと呼ばれることになる。ここで結婚披露宴をした友人もいた。
 ホテル・グランドパレスは,プロ野球のドラフト会議の会場として毎年新聞に登場するが,その最初は事件後の1975年だったらしい。
 なお,同ホテルの前には「東京女子医科大学発祥の地」という碑が建っている。

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Aug 17, 2009

サンマ刺とイカ刺

 東京で,サンマの刺身が大衆的な居酒屋でも食べることができるようになったのは,いつごろからだったか。サンマの上がる港町では昔から刺身で食べていたのだろうが,東京の飲食店では,少なくとも80年代前半にはまだ一般的ではなかったように思う。「目黒のサンマ」以来,サンマといえば塩焼が絶対の存在だった。
 イワシも「足が速い」ということになっていて,刺身で食べるには銚子へ行かないと,などと言われていた。あとは,ホタルイカの生――ゆでていない半透明のホタルイカも,季節には,明け方に富山湾に上がったものがその晩に東京で食べられる。いずれも,冷凍と運送の体制が整ったということなのだろう。

 それとはレベルの違う話だが,二十代の終わり近くなるまで,イカの刺身をあまりうまいと思ったことがなかった。東京でたまに食べる安いイカは,なんだかゴムをかんでいるようだったり,ねちねちしていたり,という感じで,味がいいと思ったことがなかった。
 それがあるとき,仕事で行った鳥取の鮨屋で「今日は何がいいですか」と聞いたら「今日はスルメイカがいいよ」という。聞いた手前,頼まざるを得なくなって食べたイカは,こりこりの一歩手前の歯ごたえと,かすかな甘みがあり,それまでに知っていたイカとはまったく別物だった。

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Aug 14, 2009

神保町 夏の行列

 神保町の昼食の店の今年の夏休みは,8月14日(金)~16日(日)を中心にして,13日 and/or 17日を付け加える,というパターンが多いようだ。特に14日は,一時期ほど「すべて休みで町中が閑散」という感じではないが,休みの店がかなり多く,一方で勤め人の夏休みが分散化しているせいか需要が供給を上回って,あちこちで行列ができていた。
 少し前に,中年より若者の方が飲食店の行列に並ぶことを苦にしない,という調査結果が出ていた。これは,見た印象では神保町でもその通りで,人気店は炎天下でも若い人の行列が絶えない。それから,昔に比べて,ラーメン店が夏でも変わらずに若者でにぎわっているように見える。冷たい麺やつけ麺を出すなど「夏対策」をしている店もあるが,そういう店でも熱いスープのラーメンがちゃんと売れているようだ。
 そこへいくと,私,および周辺の中年男は,昼飯に行列なんてまっぴらご免,仮に待つとしてもテーブルを片付けるまでの1,2分。夏にわざわざラーメンで汗をかくような物好きなことはしない(ただし,コーヒーは夏でもホット)。冷房が効きすぎていて,後からこれなら熱いのでもよかったかと思うこともあるけれど。
 神保町の二大行列店,ラーメン「二郎」と讃岐うどん「丸香」は,今週は共に夏休みだった。

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Aug 09, 2009

醜い電話番号

 東京の電話の局番が3桁だったころ,神保町周辺の局番は 291,294 が主だった。町中に「ニクイ」「ニクシ」があふれていたわけである。特に 291 は「老舗」で,古くからの店舗・会社は 291が多かった。たぶん,その前の2桁の時代には 29 だったのだろう。
 かつては電話機に電話番号を記憶させておくことができなかったから,よくかける電話番号は自分で自然に記憶していた。最大30件ぐらい記憶していたような気がする。よく出前をとっていた蕎麦屋の電話は,「ニクイ兄さん…」という語呂合わせと共に今でも覚えている。そのころ,「電電公社」の番号案内係の人は1000件ぐらいは覚えていたという話を聞いたことがある。
 1991年1月に,局番の最初に3がついて4桁になって,神田地区では「ミニクイ」「ミニクシ」が町にあふれることになった。「ニクイ兄さん」ならいい意味もあったのだが,「ミニクイ兄さん」になってしまっては立つ瀬がない。

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Aug 07, 2009

森まゆみ『女三人のシベリア鉄道』

 森まゆみ『女三人のシベリア鉄道』(集英社)を読んだ。「女三人」というのは,与謝野晶子(1912年乗車,当時33歳),宮本百合子(1927年,28歳),林芙美子(1931年,27歳)の3人である。小さめの文字で 350ページとかなりのボリュームがあるが,それもそのはず,著者の2006年のシベリア鉄道の旅を軸に「女三人」の旅を重ね合わせて,計4人分の旅行記が詰まっている。
 森まゆみ氏というと,「谷根千」(東京の谷中・根津・千駄木)の雑誌や,東京の下町の食べ物についてのエッセイなどになじんでいたが,「本業」のノンフィクションの著作はあまり読んでいなかった。
 国内でさえ女性の一人旅は普通ではなかった時代に,シベリア鉄道でヨーロッパまで行ってしまう女性のたくましさにつき動かされるようにして,著者はこの本を書き始めた。特に多くのスペースをさいているのは与謝野晶子についてである。与謝野がパリに行った夫・与謝野寛を追ってシベリア鉄道に乗ったというのは何かで読んだことがあったが,それに至るまでのこと,たとえば他の女から寛を略奪するようにして結婚したこと,13人の子を産んだことなどは初めて知った。若い恋人のように寛を想う短歌がある一方で,旅で出会った男に心を動かされたりもする。他の2人と違って短歌という表現形式を持っているのが,大きな強みになっている。

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Aug 02, 2009

知恩院からルーブルへ

 関西に出張し,京都に泊まった。翌日は昼過ぎまで時間がある。どこへ行こうかと考えているときに,京都市美術館の「ルーブル美術館展」のポスターが目に入った。東京ではうっかり見逃していたので,これを見ることにし,地下鉄に乗った。

 地図を見ると,地下鉄の東山から美術館と反対側に知恩院がある。大本山なのに行ったことのなかったので,先にそちらに向かった。かつて知恩院の名は,大晦日の「紅白歌合戦」の喧噪の直後の「ゆく年くる年」の冒頭で紹介されることで覚えたような気がする。Img_2573

 川沿いの快適な道を歩いて,最初の門まではすぐだったが,そこから本当の境内までの周辺部分が広大で,「系列」の寺院や,学校,その他浄土宗関連の施設がたくさんある。雲があって日差しはそれほど強くはなかったが,さすがに一汗かいて,三門の前に到着。
 前に東福寺に行ったときにも思ったのだが,見慣れている鎌倉の寺と比べると,京都の大寺院はスケールが大きい。ここでは特に三門と御影堂が壮大である。普通の家がほとんど平屋だった時代には,なおさら圧倒的な存在だったに違いない。

 歩いて15分ほどで,京都市美術館に着いた。入場券(1500円)を買おうとして財布を出したところで,同年配の男性から「よかったら,これ使ってください」と声をかけられた。割引券かなと思ったら,なんと無料の入場券だった。券面には「譲渡・転売はできません」と書いてあるが,発売窓口の前で堂々ともらってしまった。
 入口から2室目ぐらいで,この展示の目玉がいきなり登場した。フェルメールの「レースを編む女」と,レンブラントの自画像が,向かい合っていた。フェルメールはB5判ぐらいの小さな絵だった。
 初めて入った京都市美術館は,古典的な貫禄ある建物だった。トイレが,設備は新しいのにやたら臭かったのには閉口した。
 出るころには,会場内はかなりの混雑になっていた。そして,外はどしゃぶり。バス停がすぐ前にあったので,少し待ってバスで京都駅へ向かった。

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