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Oct 26, 2009

野村楽天 そして日本ハム

 プロ野球は24日,昨年に続いて,両リーグともリーグ優勝のチームが日本シリーズ進出という「穏当」な結末を迎えた。しかし,翌25日のスポーツ新聞は,このクライマックス・シリーズの試合そのものよりも,「最終試合」を終えた楽天・野村監督のことを大きく報じていた。敵地・札幌で野村コールがわき起こり,両軍選手によって胴上げされて,野村は「野球屋冥利に尽きる」と語ったという。
 今年限りということについて,本人は不服を口にしているが,「解任」ではなく契約の終了であり,年齢的にもやむを得ないところだろう。監督としての試合数は三原脩に44試合差の2位に迫っていたから,もう1シーズンあれば1位になれたわけだが,野村の南海の監督としての8年間は選手と兼任であり,その積算による「激務度」は他を大きく引き離している。通算の勝敗は,今年の楽天の活躍により,1565勝1563敗と辛くも勝ち越しになった。

 2004年から,日本ハムは本拠地を札幌に移転した。今から思うと不思議なことだが,それまで,所沢より北には球団がなかったのである。同じ2004年の6月に近鉄とオリックスの「合併」が発表され(→参照),すったもんだの末,2005年,半世紀ぶりの新球団として東北楽天イーグルスができた。
 その結果,球団が一応全国に分布するようになり,フランチャイズというものが実質的な制度になった。今回のクライマックス・シリーズ第2ステージを戦ったこの2チームの功績は大きい。

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