« October 2009 | Main | December 2009 »

November 2009

Nov 28, 2009

フォト日記――神保町の11月

  ・写真をクリックすると大きい写真が出ます。

◇にわか雨の古本市――みんなのぞき見(2日)Img_3130

 
 
 
◇古い建物で何やらロケ(2日)Img_3131

 
 
 
 
 
 
◇今日も一線を越えるらしい――占いの店にてImg_3128

 
 
 
 
 
 
◇三省堂書店が「古書館」を開店(13日)Img_3177_2


 
 
 
 
 
◇ひげ勘の雨の日サービスImg_3188

 
 
 
 
 
 
◇神保町三井ビル東側のイルミネーション――去年と同じですね(20日)Img_3192

 
 
 
◇博報堂旧本社 本体裏側の取り壊しが始まる
   ――北側の低い建物は姿を消した(27日)Img_3202

 
 
 
 
 ★追記:「本拠地」の「神保町昼食ニュース12月号」は12月7日に掲出しました。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Nov 25, 2009

大相撲10日目――李と魁皇

 前に,呼び出しが四股名を呼びにくい力士として「安馬」(日馬富士の旧名)と「阿覧」を挙げた(→参照)ところ,もっと短くて呼び出しにくいのは幕下の「」ですよ,というコメントが寄せられた。ところが,今場所になって,李はその後どうしているかなと思って大相撲のサイトの「大相撲名鑑」のページを見たが,五十音順の一覧に見あたらない。あれ,引退してしまったのかなと思ってあわてて「改名力士」の項を見たら,今場所から「栃乃若」に改名したのだった。
 引退どころか,先場所5勝2敗と好調でちょうど幕下の真ん中あたりまで番付を上げ,今場所は10日目までで5勝0敗と優勝争いをしている。

 魁皇は,10日目に幕内通算勝利数を 805とし,歴代単独2位になった。あと2勝で1位に並ぶ。一方で今年の魁皇は,これまで5場所すべて8勝7敗で,1年全場所で8勝7敗という珍記録達成かと取り沙汰されている。
 今場所は後半5連勝して7勝3敗なので,あと2勝で珍記録は「阻止」できるし,同時に通算勝利1位になる。しかし,あと5日で2横綱を含む相手から2勝以上挙げられるかどうかは微妙である。

[千秋楽を終えてからの追記] 栃乃若は好調を維持し,6勝1敗だった。魁皇は結局11日目から4連敗したあと千秋楽で勝って,1年全6場所で8勝7敗という記録を作った。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Nov 24, 2009

水上の『ヴォツェック』

 2日続けて,20世紀の対照的なオペラ『ヴォツェック』『カプリッチョ』を見た。

 新国立劇場の『ヴォツェック』は,今年6月の『チェネレントラ』に続いてのバイエルン州立劇場との共同制作で,ミュンヘンでは1年前にプレミエになったもの(アンドレアス・クリーゲンブルク演出)。もともと暗い話で,心楽しく帰るというわけにはいかない曲ではあるが,原曲では最後の場面にしか登場しないマリーの子供が全体にわたって登場し,わずかな明るさがもたらされている(もちろん,歌うのは原曲通り,最後の木馬遊びの「ホップホップ」のみ)。
 舞台には9月の『オテロ』に続いて水が張られ(『オテロ』のときよりは浅いが),人はびちゃびちゃ音をたてて歩き回る。(カーテンコールで,指揮者・合唱指揮者は長靴をはいて登場した。)衣装や小道具がかなり濡れるし,壁には子供が落書きをするので,終演後は次の上演に備えての後始末がたいへんそうだ。

 『ヴォツェック』はこれまでに二期会(若杉弘,1985),ウィーン国立(アッバード,1989),ベルリン州立(バレンボイム,1997)の3回見た。ベルリンのときにアンドレス役だったヴォトリッヒが今回登場し,鼓手長を歌っていた。それぞれの上演の詳細は覚えていないが,そのたびに素晴らしいと思うのは音楽の美しさと,精妙なオーケストレーション。不協和音はたくさんあるが,情念を抑えつつ澄んだ響きにも事欠かない。
 この曲にはバンダ(オーケストラの別働隊)がたくさん必要だが,今回は,そのうちの酒場のバンドは舞台上正面で演奏した。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Nov 21, 2009

ギターとブラス

 CD店に行ったら,ギターソロの曲が流れていた。華やかにディスプレイされている村治沙織の新しいアルバムらしい。その何曲目かで,よく知っているメロディが始まった。

ソー|ドーーレドソミ|ラーーラファーーラ|レーードシラソファ|ミーーーーー
  [カタカナの階名は1字半拍(「ファ」も1字);太字は上のオクターブ;|は小節線]
 このように単純化して書いた結果を見ればわかりやすいかもしれないが,聞こえてきた編曲は,かなり凝った和声がついていて,リズムもデフォルメされ,曲名がなかなか出てこない。やっぱり年相応の物忘れかと思ったが,最後の一節を聞いて,その部分の歌詞が蘇った――「ああ○○○○○,我らがもの」。この「○○○○○」のところがすなわち曲名である(正解は上のリンクのディスク1の 7.)。「ギターのための12の歌」という曲集にまとめた編曲者の選択なのだろう。
 この曲は,無伴奏の怒鳴り声で聞いたり(歌詞の意味は深く考えずに)歌ったりしたことはあるが,伴奏のあるちゃんとした音楽としての演奏は,CDはもちろんテレビ・ラジオでも聞いたことがない。

 このCDは買わなかったが,たまたま「Metropolitan Opera Brass」(→「専用」サイト)というのを見つけて,買った。メトのオーケストラのブラス・セクション(指揮者付き)によるオペラ曲集で,リーフレットに曲ごとに書いてあるリストによれば,演奏者は最大24人で,曲により,コルネット,フリューゲルホルン,バス・トランペット,ワグナーチューバ,および打楽器も動員されている。
 『魔弾の射手』の「狩人の合唱」,『ラインの黄金』の「神々の入城」など「順当」な曲もあるが,『アラベラ』の二重唱,『ナクソス島のアリアドネ』のツェルビネッタのアリア(いずれも,ソプラノのパートはコルネットが吹いている)など,思いがけない曲も入っていて,楽しく聞いた。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Nov 19, 2009

スカラ座1981 (4)――70/80年代の外来オペラ

承前――4か月も間が開いてしまいましたが)
 オペラ4曲のうち,「前半」の2曲は前記の9月10日の公演で終わり,15日から「後半」の2曲が始まった。私が見たのはまず9月19日の『ラ・ボエーム』(東京文化会館)である。
 クライバーはこのときも,あいさつもそこそこに振り始め,いきなりパリの屋根裏部屋に引っ張り込む。ゼッフィレッリのこの名舞台は,第2幕の2階建て舞台がよく話題になったが,第3幕の雪景色など,他の幕の舞台の美しさも特筆ものだった。
 第2幕では,日本で調達したエキストラも加えて,400人近い人数が舞台に乗った。幅はあるが奥行きの短い上野の舞台によく乗ったものである。そこではミミも4人の若者も群衆の中の一人だった。群衆がまったく動きを止めたのはムゼッタのワルツのときで,濃いピンクの衣装が鮮やかなムゼッタ(マルゲリータ・グリエルミ)が,この儲け役できちんと儲けた。大詰めで,群衆をかきわけるようにして軍楽隊がパレードしてくるところで,音楽も,舞台上の熱気も,聴衆の興奮も頂点に達した。
 第3幕は対照的に静かな夜明け前。後から思うと,街灯,酒場から漏れる光,雪,夜明けと精妙に変化する照明が視覚上の主役だった。紗幕というものの存在を意識したのも初めてだった。
 主役2人は,その後何度か接することになるフレーニとドヴォルスキーのコンビで,フレーニは遠目にはちゃんとかわいらしく,ドヴォルスキーは実際に若くて30歳になる直前だった。

 最後の演目『セビリャの理髪師』は翌日20日だった。よりによってロッシーニをあの巨大なNHKホールというので行くまでは気が重かったが,始まってみると,芝居と舞台装置(演出はポネル)が見事だったし,音楽(指揮はアッバード)も軽やかでしかも豊かな響きに不足はなく,事前の心配を忘れてしまった。
 スカラ座のそれまでの3演目はこのときが初めてだったが,『セビリャの理髪師』はその1年半前のベルリン州立歌劇場(当時東ベルリン)公演(ルート・ベルクハウス演出)で見たことがあったので,気持ちに少し余裕があった。まったくタイプの違う演出で見るという体験も新鮮だった。
 きわめてリアルに作られたセビリャの街が,特設の回り舞台に乗っていた。後で聞いたところでは,この舞台は人力で回すのだという。その上で歌い,走るのがレオ・ヌッチ(フィガロ;当時39歳),アライサ(伯爵;31歳),そしてルチア・ヴァレンティーニ=テッラーニ(ロジーナ;35歳)といった面々だったが,特に圧倒的だったのはヴァレンティーニ=テッラーニで,メゾらしい落ち着いた声だが,ソプラノの音域をほぼカバーし,アジリタは軽やかで,ロッシーニの主役のメゾソプラノというのはこういうものだと知らされた。顔が怖いのが玉にきず(と言いつつその10年後に美人役チェネレントラを見ることになる)。
          (81年スカラ座の項終わり)

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Nov 15, 2009

ランチョン100周年

 神保町の「ランチョン」が創業100周年を迎え,記念に1杯 100円のビールを出しているというので,土曜日に都心方面に出かけた帰りに神保町に途中下車して寄ってみた。Img_3180

 記念ビール(1人1日1杯限定)は,特製の 300ml ぐらいのグラスで出てきた。細かい泡がクリームのようにこんもり盛り上がっている。帰りにレジでこのグラスが1人1個もらえるので,持ち帰ってよく見たら,後ろに少しくぼみがあって,そこは滑り止めの加工がしてあり,なかなか凝った作りだった。冷たいビールを注ぐと店名のロゴの色が変わる,と箱に書いてあった。Img_3178


 いまランチョンのビールは1杯(360ml ぐらいか)590円で,安い方ではないが,戦前はビール全般がもっとずっと高級なものだったらしい。創業当時は,浅草・吾妻橋の朝日麦酒の工場(いま金色のオブジェが空を飛んでいるビルがある場所)から大八車でビールを運んでいた,という話を聞いたことがある。
 ランチョンの歴史が100年ということは,私はその3分の1以上を知っていることになる。期間が長くなっただけで,そうしょっちゅう行ったわけではないが,先々代の小柄な白髪の店主がビールを注ぐ姿や,焼ける前の天井の高い店内も,少しは覚えている。当時先々代は,たぶん今の先代――昨日も店に出ていた――より若かったのだろう。今は,いつのまにか,4代目の時代となった。
                   (→参照記事

| | Comments (0) | TrackBack (1)

Nov 14, 2009

森繁――日曜名作座とテヴィエ

 11月10日,森繁久彌氏が亡くなった。11日の新聞の1面には,某容疑者逮捕の記事と並んで訃報が載っていた。
 森繁のいちばん最初の記憶は,NHKラジオの「日曜名作座」での加藤道子とのコンビによる朗読である。子供のころのことで内容はわかるはずもなく,子守唄のようにときどき聞くだけだったが,ヨナ抜き音階のテーマ音楽(古関裕而)と共に,森繁の語り口は耳に残っている。(「日曜名作座」は,同じコンビにより,なんと2002年まで制作されていたという。)映画はあまり記憶がないが,「七人の孫」などのテレビドラマはときどき見た。
 実演に接したのはただ1回,帝劇の『屋根の上のヴァイオリン弾き』で,80年代前半だったから,70歳ぐらいだったことになる。やや演歌調の歌い回しで,昔気質の頑固で照れ屋のテヴィエにふさわしかった。このときラザール役を歌っていた上条恒彦が,少し後にテヴィエ役を継ぐことになる。

| | Comments (1) | TrackBack (1)

Nov 09, 2009

「壁」崩壊20周年の日に

 11月9日は,ベルリンの壁崩壊から20周年の日である。
 あの年1989年の夏から秋にかけて仕事が忙しかったために,新聞の2面以降の海外のニュースにあまり注意を払っていなかったので,最初はちっとも理解が及ばなかった。しかし,やがて連日新聞の1面に何かしら載るようになって,ただならぬうねりが起きていることをいやでも知らされることになった。

 団塊の世代にとっては,ドイツは子供のころから東西2つの国だった。キューバ危機で核戦争一歩手前になるという出来事があったりして,冷戦に終わりが来るなどということは想像できなかったから,ドイツ統一などわれわれが生きているうちに実現することはないだろうと思っていた。
 学生のころ,たまたま家にあった昭和10年ごろ刊行のドイツの音楽史跡写真集(属啓成(さっか けいせい)編)を開いてみたところ,閉ざされた国・東ドイツの都市だと思っていたバッハゆかりのライプツィヒ,ドレスデンなどが当然「ドイツ」の都市として載っていて,非常に不思議な感じがした。

 高校の時の先生に,ドレスデン出身のS師という神父さんがいた。あるとき生徒が「先生の出身は東ドイツなんですね」とうっかり言ったら,S師は「東ドイツじゃないよ,ドイツだよ」と諭すように言った。お姉さんがドレスデンのオペラのソプラノ歌手だったという話も聞いた。先生自身も声が良く,歌がうまくて,ドイツの登山の歌などを教わった。
 1980年前後だったと思うが,S師は来日から50年近くたってようやく故郷ドレスデンを訪れることができた。そのときのことを書いたエッセイに,西側から乗った列車が,東側に入ったとたんに,線路の保守状況が悪くなってガタガタいいはじめ,スピードも落ちたのは悲しかった,という一節があった。
 S師が2年前に亡くなったとき,通夜に集まった友人たちと,先生はドイツ統一を見ることができて本当によかったね,と語り合った。

 ベルリンの検問所が開放されて東ベルリン市民が西へ押し寄せたのは,現地時間で11月9日夜,日本では11月10日を迎えていた。その10日の未明,わが家では次女が誕生した。「ベルリンの壁「崩壊」」という大見出しと壁をハンマーで壊す若者の写真が載った10日の夕刊は,今も保存してある。次女には,東西を隔てる壁に穴が開いたことに,ちょっと牽強付会だが,少し関係のある名前を付けた。

| | Comments (2) | TrackBack (1)

Nov 07, 2009

吾妻渓谷の紅葉狩り

 晴れの特異日である11月3日に紅葉狩りに出かけようと思い,前夜にネットを検索したところ,「今が見ごろ」としてまず出てきたのは鳥取の大山。そりゃすばらしいんでしょうがそう急に言われても,とつぶやきつつパスして関東地方を検索し,吾妻線の駅から近い吾妻渓谷に行ってみることにした。Img_3588

 上越線の水上行き(特急「水上」)と吾妻線の万座・鹿沢口行き(特急「草津」)を並結した列車は,高崎から上越線に入る。吾妻線は上越線の渋川が起点だが,その手前の新前橋で2本の特急が分離され,「草津」が先に発車した。吾妻線に入るとぐっと田舎の風景となり,吾妻川に沿って登っていく。日本一短い樽沢トンネルをくぐり,12時22分に川原湯(かわらゆ)温泉駅着。Img_3599


 歩いて5分ほどであっけなく吾妻渓谷の遊歩道入口が現れた。橋の周辺が一番の紅葉スポットで,一面の紅葉というわけではないが,川の上に張り出したカエデは色鮮やかだった。遊歩道自体は短いので,少し行きつ戻りつしてから,その付近で唯一の飲食店である蕎麦屋へ。混んでいたが,なかなか要領の良いおかみさんがてきぱきと客をさばいて,麦とろとそばのセットにありついた。Img_3600

 昼食後,駅の反対側の川原湯温泉の方へ歩いてみた。そう,ここは例の八ツ場ダムに沈む予定の温泉街で,以前から「あと2,3年のうちに行っておかないと」と言われていた。すでに移転したり廃業したりした旅館も多いようで,お世辞にも活気があるとはいえないが,趣のある和風旅館ががんばっていたりもした。川沿いの道からだいぶ登ったところにあるこの温泉街までダムに沈むということは,向かいの山の同じ高さまでの広大なダム湖になるということで,そのスケールの大きさにはあきれるばかりである。ダムを建設しても中止しても,空しさが残ることになるに違いない。(なお,吾妻線の線路も一部移転し,上記の樽沢トンネルもなくなる予定になっている。ダムが中止になった場合でも,線路の安全性の点などから,吾妻線の付け替えは行われるらしい。)

 駅に戻って,帰りの特急に乗った。夕闇に追われるように関東平野を快走した。右に富士山のシルエットが見え,しばらくすると左に満月が上った。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

« October 2009 | Main | December 2009 »