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December 2009

Dec 31, 2009

フォト日記――神保町の12月

  ・写真をクリックすると大きい写真が出ます。

◇集英社ビルに出現した巨大キャラ
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◇院長と医院長 どちらが偉い?
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◇博報堂旧本社
  ――本体裏側 まだら模様は三井ビルの窓ガラスの反射(1日)
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  ――北側は片付け中(25日)
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  ――10月22日の写真と同じ位置から 三井ビルが見える(28日)
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◇錦町更科は恒例紅白モード
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 ★「本拠地」の「神保町昼食ニュース1月号」は1月1日に掲出しました。
  2009年の昼食225回の記録もあります。

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Dec 28, 2009

59歳の人はあと4日で還暦

 いま普通には,「還暦を迎える」というのは「満六十歳になる」という意味で使われている。しかし,元来はそうではない。
 十干(甲乙丙丁…)と十二支(子丑寅卯…)を組み合わせてできる「干支」(甲子,乙丑,丙寅,丁卯…)は60通りある。例えば,1950年は“庚寅”だったが,この年に生まれた人は,2010年に,生まれ年と同じ“庚寅”の年を迎える。このように,生まれて61年目(満59歳)の正月に,生まれた年の干支に還るのが元来の意味の還暦である。

 “壬申”の乱,“戊辰”戦争,“戊戌”の政変など,干支で年を表すということを知ったのは歴史の時間だった。10個のものと12個のものの組み合わせは120通りあるはずなのに,なぜ60年で一巡なのだろう,と不思議に思っていた時期もあったりした。
 干支に由来する言葉で,日常的に言及される頻度がもっとも高いのは「“甲子”園球場」だろう。

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Dec 26, 2009

軽率なアモナスロ――『アイーダ』第3幕

 メトの最新の舞台を収録した高品位画像を上映する「メト・ライブビューイング」の2009-10シーズンが10月末から始まり,最初の『トスカ』はパスしたが,先月,2つめの『アイーダ』を見た。前に書いたように,スカラ座の来日公演と同じヴィオレッタ・ウルマーナ(アイーダ)とヨハン・ボータ(ラダメス)というコンビだった。
 ボータは,スカラ座のときは相撲取りみたいだったが,メトではごまかしが効く長い衣装だったせいで,なんとかサマになっていた。(幕間には,ボータへのインタビューもあった。)舞台はメトらしい豪華なもので,凱旋の場では白馬も登場した。

 『アイーダ』の物語で,今回も疑問に思ったのは,第3幕でのアモナスロ(アイーダの父;実はエチオピアの王)の行動である。捕虜の身代わりになっているはずなのに自由に歩き回っていて,宮殿でない屋外でアイーダに会うのがまず不思議だ。それはまあともかくとしても,そのすぐ後でラダメスがアイーダにエジプト軍の機密情報を話すのを陰で聞いたとき,黙ってほくそ笑んでいればいいのに,なぜ出てきて「(エジプト軍の通るのは)ナパタの谷か」などと叫ぶのだろう。そこでアモナスロが拘束されたら,せっかく得た情報を味方に伝えることができなくなって,スパイ活動をした意味がまったくなくなるではないか。
 ラダメスはエジプトを捨ててアイーダと共にエチオピアに逃げる決意をしたのだから,ラダメスからさらにエジプト軍の機密情報を得れば闘いは圧倒的に有利になり,エチオピアにとってはすべてハッピーになるはずだった。もし,どうしても悲劇にしたいのなら,アイーダとラダメスがなんらかの必要があって祖国のために犠牲になることにすればいいと思うのだが。
 しかし,アモナスロの言動がすべてをぶちこわしてしまう。

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Dec 24, 2009

国歌による行進曲

 米国国歌「星条旗」の旋律を使った「国民の象徴」(National Emblem)という行進曲がある。作曲者はこの曲1曲で知られる Edwin Eugene Bagley という人で,昔はバーグレーと書かれていたが,今はバグリーとすることが多いようだ。米国国歌は3拍子だが,もちろん2拍子に変形されて中音楽器によって堂々と奏でられ,その上で高音楽器は対位法的に軽やかなメロディを重ねていく。
 ただし,こうして米国国歌が明確に出てくるのは主部の最初の8小節だけである。その後の展開はなかなか変化に富んでいて,特に,トリオで,低音の旋律のあと高音が3度上に転調して繰り返し,やがて元の調に戻っていくあたりは,手並み鮮やかである。

 日本でも同趣旨の行進曲として「君が代行進曲」がある。こちらは原曲の1拍を1小節にし,「君が代」全曲44小節にコーダ4小節がついて行進曲の主部をなす。この間高音楽器が奏するのは,対位法的に組み合わされた旋律というよりは,実質的に「君が代」の変奏曲である。

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Dec 22, 2009

オリュンポス山のふもとへ――PEN is mighter than...

 この夏,オリンパス・ペン E-P1 が発売になった。以来ずっと,量販店の店頭でときどき眺め,雑誌記事やネット上の評判なども見てきたが,今月,「大台」の誕生日を迎えて,自分でのお祝いという名目で,ズームレンズとのセットを買ってしまった。後続機 E-P2 が出たこともあって,少し前より1万円ほど安くなっていた。Img_3392

 このカメラは,「マイクロ一眼」という枕詞で宣伝されている。レンズ交換が可能だし,レンズからの画像をそのままファインダー(液晶)で見ることができるなど,一眼レフと同等の機能を持つが,reflector(反射鏡)を持たないので,一眼「レフ」ではないのである。鏡がないことが,小型化・軽量化に大きく貢献している。
 さすがにコンパクト・カメラよりはだいぶ重く,ズームレンズと電池を合わせて,実測で 560グラムあるが,今のところ毎日持ち歩いている。

 1970年代後半,最初に買った一眼レフがオリンパス OM-1 だった。その翌年,海外へ出かける用事ができて,もっと素早く撮影できるよう,自動露出の OM-2 に買い換えた(露出計を見て手動で露出を決める OM-1 は同僚に譲った)。OM-2 は,オートフォーカスの時代になるまで10年ぐらい使い続けた。
 それ以来のオリンパス回帰である。

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Dec 17, 2009

鶴我裕子『バイオリニストは目が赤い』

 鶴我裕子『バイオリニストは目が赤い』(新潮文庫)を読み始めたらおもしろくて止まらず,最後は電車を降りた後,駅のベンチに座って読み終えた。2005年に単行本で出ていたというが,これまで知らなかった。
 著者は元N響ヴァイオリン奏者。年齢は明示してなくてもだいたいわかるけど,と思いつつ読んでいたら,好きな演奏家をあげた中で,某ヴァイオリニストと生年月日が同じと書いてあって,正確にわかってしまった。
 他のプロ・オーケストラにいた友人から聞いた話を思い出して,なるほどそうだろうなと思いながら読んだところが多いが,サヴァリッシュ,ホルスト・シュタイン,ブロムシュテットといった巨匠たちの実像などは,やはりN響ならではの話題である。文章は軽妙でリズムがよいが,泣かせる部分もちゃんとある。オーボエの茂木大輔氏に続くN響奏者の名エッセイだ。

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Dec 11, 2009

仏壇の前のシスター

 五木寛之/対談者:森 一弘『神の発見』(角川文庫)を読んだ。平凡社から単行本で出ていたそうだが,これまで目にとまらず,文庫になって初めて知った。浄土真宗の信徒・五木寛之とカトリックの森一弘司教との対談集である。分類すれば宗教書ということになろうが,もったいぶったところがなく,「聖人」ではない宗教者の考えが,率直にわかりやすく語られていた。
 中に,「異教」「邪教」を含む他の宗教への接し方についての話が出てくる。他の宗教で大切にされている施設等は尊重すべきだ,という趣旨の森司教のことばを読んで,思い出したのは,祖母の通夜のときの光景である。
 私が高校生のとき,祖母が亡くなり,自宅で普通に仏式の通夜があった。伯母の一人(祖母の長女)が当時カトリック系の学校の教師をしていたので,通夜にはその勤務先の同僚の先生方がやってきたのだが,その中にシスターが2人いた。弔問客は座敷に作られた祭壇の前に2,3人ずつ順次座って焼香する。他の「俗人」の先生たちに続いて,シスター2人も正座して,どうするかと思って見ていたら,教会の祭壇でと同様にお祈りを始めた。普通の焼香は数秒で終わるが,シスターたちのお祈りは数秒というわけにはいかず,結局5分近くに及んだ。後ろの人は,せかすわけにもいかず,少々困ったような表情で順番待ちの列を作っていた。

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Dec 05, 2009

曾祖母の秘密

 昔いくつかあった国民的テレビ番組のひとつ,NHKの「私の秘密」は,主に中学生のころよく見ていた。なんらかの「秘密」,すなわちユニークな技術,経験,環境などを持っている人が出てきて,回答者が質問してその秘密をあてる,という番組である。
 この番組で記憶に残っている「秘密」が2つある。ひとつは「私はフルート奏者のジュリアス・ベーカーです」というもの。ベーカーはアメリカのオーケストラ・プレーヤーで,後にニューヨーク・フィルで活躍した。たまたま来日した演奏家が回答者を含む一般人に顔を知られていない地味な人だったから秘密として成立した,ということなのだろうか。
 もうひとつは,小学校低学年ぐらいの男の子の「秘密」で,「僕のひいおばあさんは4人とも元気です」というものだった。正解が判明したのち,実際に4人のひいおばあさんが元気に歩いて登場したのは壮観だった。私は4人いるはずの祖父母でさえ1人しか直接には知らなかったので,曾祖母というものが理屈上4人存在するというのは新鮮な知識だった。

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Dec 02, 2009

『カプリッチョ』――マドレーヌの幻想

承前
 『ヴォツェック』の翌日は,二期会・日生劇場の『カプリッチョ』。若杉弘指揮,東京オペラ・プロデュースによる日本初演(1980年)以来,見るのは2回目である。一転して優雅なサロンが舞台で,人が死ぬこともなく,「言葉が先か音楽が先か」という芸術論争が繰り広げられる。
 しかし,演出家(ジョルジュ・ローウェルス)としては,この美しいオペラが書かれたのが第二次大戦真っ最中の1942年であるということを意識せざるを得ない,ということなのだろう。舞台は原作どおりパリのサロンだが,時は戦時中で,屋敷は占領したナチに破壊されている。弦楽六重奏の前奏曲の間に,そこに人が集まってきてサロンを修復し,シャンデリアを灯してオペラが始まる。後半で芸術論争が終わると,最初の破壊された状態に戻り,老いた伯爵令嬢マドレーヌが最後の長大なモノローグを歌って,それまでのすべてはマドレーヌの回想または幻想だったことを明らかにする。音楽のあくまで優雅な表情と作曲当時の時代背景の「折り合い」をつけるための卓抜なアイディアだった。

 リヒャルト・シュトラウスは作曲当時78歳で,これが最後のオペラとなった。このとき作曲者が戦争の状況をどの程度超越していたのか,あるいは脳天気でいたのかはわからないが,ほどなくしてミュンヘン,ウィーン,ドレスデンの歌劇場の焼失の報を聞き,悲痛な「メタモルフォーゼン」を書くことになる。
 歌手はそれぞれ水準以上の好演。長いドイツ語の歌詞との戦いでいちばん立派だったのは,女優クレロン役の加納悦子さんだった。あと,技巧をこらした長い室内楽を舞台上で奏でた楽士3人の演奏が光っていた。

 『カプリッチョ』の1週間後の29日,テレビ朝日「題名のない音楽会」を途中から見たら,95歳のピアニストが弾いていた。フランス人のすてきなおぼさまで,さすがに高度な技巧を要する曲は弾かなかったが,まったく自然でしっかりとした音楽だった。名はマドレーヌ・マルロー ――なんとアンドレ・マルローの夫人だった。
 レジスタンスの闘士だったマルローの夫人,そして名は同じマドレーヌというのは,おもしろい偶然だった。

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