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December 2011

Dec 31, 2011

旅先で聞いた訃報

 1975年6月,初めて日本を出て,ロンドンで最初の夜を迎えた。簡素なホテルで,設備と言えばベッドに作り付けになっているラジオぐらいだった。そのラジオをつけ,BBC1というダイヤルに合わせたら,ニュースをやっている。そこで聞いたのが,日本の前の首相で,Nobel Prize 受賞者の Eisaku Sato が死去した,というニュースだった。
 ニュース自体にはさしたる感慨もなかったが,とりあえず内容がわかったことはうれしかった。

 10年以上前の1月だった,と思って調べてみたら1996年のこと,仕事で鹿児島に出かけた。一仕事終わって,夜は地元の関係者に連れられて飲みに行った。鹿児島で「飲む」といえば当然焼酎である。カウンターで,芋焼酎の濃いお湯割りが注がれた。
 関係者氏はやがてカウンター内のマスターや周囲の顔なじみの客と話を始めた。もちろん,地元の人同士はこてこての鹿児島弁で,ほとんど何もわからない。知らない音楽のように聞いていたが,どうやらだれか有名人が死んだという話をしているらしい,ということがだんだんわかってきた。テーマになっている人の名前は「旧情報」になってしまって出てこないが,元相方の「きよし」という名が出てきてやっとわかった。死んだのは横山やすしだった。
 今でも,たまに横山やすし・西川きよしの話題になると,鹿児島の居酒屋のカウンターを思い出す。
   (→参照

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Dec 26, 2011

ベークドで御座います

 パソコン,ワープロが,というよりかな漢字変換のシステムが,漢字の使用率を上げた。もともと,読める漢字と書ける漢字の数の間には大きな開きがあったのだが,この差が小さくなって,漢字の多い文章を書く人が増えた。
 必然性があってのことならいいのだが,かなで書くのが普通の大和言葉に漢字を使うのは意味がないし,字面がきたなくなる。「御詫び」「然し」「宜しく」に始まって,「致します」「頂きたい」「御座います」のような補助用言のたぐいにまで漢字を使うのは勘弁してほしい。

 初期のパソコンは,使える漢字はJIS第1水準のみというのが普通だった。それが,第2水準まで使えるようになって,たぶん90年代ぐらいから,「渡邉・渡邊」さん,「小澤」さんなどが増えた。手書きの時代から「團」「國弘」といった表記を使っている人はいたが,「邉・邊」「澤」については通常は「辺」「沢」と書いていた人の方がずっと多かったはずである。
 ちなみに,「辺」の異体字はJIS第2水準では上記の2種のみだが,実際には少なくとも20種,見解によっては60種以上あるとされている。

 少し別の話だが,やめてほしいと思うのはチーズケーキなどについて見かける「ベークド」という表記である。英語のth音のように日本語を書く文字ではs音と区別のしようがない場合と違って,-edの発音が有声音の場合と無声音の場合を書き分けることは一応できるのに,「ベークト」としないのはなんとも奇妙である。
 思い起こせば,かつてのパソコン用語「エンハンスド」あたりが,このことが気になった最初である。
 もちろん,今さら「タイガーズ」「ヤンキーズ」とせよとは言いませんが(これは有声・無声が逆ですね)。

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Dec 25, 2011

東京スカイツリー夕景

◇晩夏の錦糸町
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◇師走の浅草
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暗闇の中を新青森へ――延長区間初乗り

 八戸―新青森が開通したのは2010年12月だった。それまでに,東北地方の鉄道にはすべて乗っていたので(→参照),「完乗」タイトルを維持するにはこれに乗りに行かなくてはならないのだが,翌年3月にスピードアップが行われることが予告されていたので,春になったら行こうかと思っていた。
 そのダイヤ改正は2011年3月5日に実施されたが,それから7日目に震災が起こり,東北新幹線は不通になった。4月末までに全線開通したものの,徐行運転が続いていたし,用もないのに乗るのははばかられた。5か月たってようやく震災前のダイヤに戻り,一応順調に走っているようなので,そろそろいいかなと思った次第。しかし,前回書いたように,一度行こうとしたが挫折した。

 11月,ひたちなか鉄道に乗ってから数日後,今度は午後に新青森を目指すことにした。昼過ぎの列車なら大丈夫だろうと高をくくっていたら,東京駅12:56発はなんと満席で,やむなく13:56発の「はやて」に乗る。東京はかなり厚い雲に覆われていたが,関東平野を出るころには晴れた。秋の日はつるべ落としでどんどん傾いて,北上あたりで夕日が沈んだ。16:22 たそがれの盛岡着。併結の「こまち」が切り離されて先に発車し,後を追うように 16:26 に出発した。Pb184890

 16:55 に八戸を出て,いよいよ新規開通区間に入る。もう日はとっぷり暮れたが,そもそもトンネルばかりの区間なので,ずっと暗闇の中を疾走する。17:07 ごろ,唯一の途中駅・七戸十和田を通過した。あたりには人家の明かりは見えない。
 ひたすら暗闇の中を走り,17:19 終着の新青森着。あっけない初乗りだった。駅の中の店で地魚で一杯飲み,1時間ほどの滞在で帰途についた。

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Dec 24, 2011

復旧したひたちなか海浜鉄道 晩秋

 11月の某土曜日,東北新幹線で最後に開通した八戸―新青森に乗るべく,9時前に家を出たが,JR駅で指定席を買おうとしたら,11時まで満席だった。いさぎよくあきらめ,多少迷いつつさすらったあと,茨城県の「ひたちなか海浜鉄道湊線」を目指すことにした。元の茨城交通という私鉄の時代に乗ったことがあるが,2008年に第3セクター化されてからは初めてである。この鉄道は,震災で被害を受け,全線復旧したのは7月23日だった。Pb124827
 始発駅は常磐線の勝田である。折り返して13:16発予定の列車がなかなか来なくて,到着したのは13:26ごろ。なんのアナウンスもなく,13:29ごろあわただしく発車した。2つドアの超ロングシートのディーゼルカー1両で,50人ぐらい座り,立つ人が10人ほどの盛況だった。
 周辺の田畑などは特に変わった様子はなく,どういう被害があったのかはわからないが,鉄道は路盤がかなり流出したとのことで,真新しい部分が多かった。セイタカアワダチソウがところどころに密集している。各駅の駅名の看板は,図形入りデザインの漢字でできていた。Pb124828

 終点阿字ヶ浦で折り返し,最大の駅・那珂湊で降りる。10分ほど歩いて,おさかな市場そばで遅い昼食とした。店の入口に,床から120cmぐらいのところに「津波はここまで来た」という印がつけてあった。
 市場でハマグリとメカジキを買った。東京のスーパーの半額以下だった。その夜はハマグリの酒蒸し,翌日はメカジキのステーキにした。Pb134847_01


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Dec 20, 2011

神保町を離れて1年

 職場が神保町を離れてまる1年になった。あっという間という感じがするが,一方で,震災があったせいか,けっこう長かったような気もする。

 朝下車する地下鉄の駅にはエスカレーターがない。以前はエレベーターに乗っていたが,震災後乗るのをやめた。
 階段を上がったところは某公共的施設の敷地で,その中を通り抜けていくと少し近道になる。ところが,その敷地内で新しい建物の建設工事が始まり,その近道の一部がふさがれて道のりが長くなってしまった。勝手に敷地内を通っているので文句を言えた義理ではないが,近道の意味が薄れた。

 近道の利用と矛盾するが,朝ときどき,ふだんよりひとつ手前の駅で降りて,大通りの一本裏の道を会社まで歩く。途中に,2つの銀行の裏口が並んでいるところがあり,ときどきそこに現金輸送車らしき車が来ている。現金輸送車のルートや時間は毎日変わるという話を聞いたことがあるが,それほど大きく変える余地はないとみえて,何回かに1回は布の袋を運んでいるのにお目にかかる。

 神保町近辺は飲食店が非常にたくさんあり,「本拠地」でレポートしていたように,毎年100~140軒の店で昼食を食べていた。今の場所は,もちろん神保町にはかなうはずもないが,昼食の店は予想していたよりはずっと多く,歩いて6,7分程度まで足を伸ばせば100軒ぐらいはあるのは幸いなことである。

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Dec 01, 2011

師走・年賀状・新世界

 11月にしては暖かい日が続いていたが,今日から12月。そのとたんに冬の寒さがやってきた。
 前より少しは時間があるはずなのに,11月はブログ記事を4本しか書けなかった。

 そろそろ年賀状を書く季節だが,今年は,喪中のはがきが例年より多く来ている。いずれも本人または配偶者の親の死去によるもの。団塊の世代なので,そんな年回りになる。
 30代前半までは独身または子供が小さいカップルで海外へ赴任していた友人が多く,毎年10枚以上海外に年賀状を出していた。海外あてには年賀状の特別扱いはないから,1日から3日ぐらいに着くように12月下旬の適当な日に出したのである。それが,みな子供が大きくなる40代には海外あてはがっくり減った。50代に以降,少しまた増えたような気がする。

 某プロ・オーケストラの管楽器奏者の知人が,11月に定年(60歳)を迎えた。彼によると,少し前の演奏会でこれまで数知れず演奏した「新世界」を吹いたが,これで最後と思うと少なからぬ感慨があったとのこと。

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