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November 2012

Nov 23, 2012

捜査関係者への取材で――警察と報道

 ここ数年のことだと思うが,ニュースで「…していたことが,捜査関係者への取材でわかりました」という言い方がよく出てくる。内容は主に容疑者の自供の状況とか警察の動きに関することで,こうしたことはもちろん昔から報道されていた。考えてみると,警察内部のことなので,警察からしか得られない情報であることは明らかだったが,ニュースで情報源に言及することはかつてはなかった。

 複雑怪奇な尼崎の連続監禁殺人事件は,中心人物がすでに捕まっているにもかかわらず,全容がなかなかわからないことがひとつの特徴である。しかし,捜査・報道の経緯で特異だと思ったのは,ある段階まで,複数の死体がどこそこに埋められていると「(容疑者の)親族が話していることがわかりました」というような報道がたびたびあったことである。
 その親族らしい人たちも海から死体が出たあと逮捕されたが,これも従来なら,警察は「親族」などには触れず,報道も「…という可能性もあると見て,捜査を進めています」というような言い方になったのではないだろうか。

 スポーツ紙に多いが,「…と…が極秘会談」という大見出しが出ることがある。1紙によるスクープならともかく複数の新聞に載っていると,なんだか形容矛盾を楽しんでいるような感じがする。事前に特に公表していなかった,ということなのだろうが。

 「サツ」「デカ」「ホシ」「ホトケさん」といった「業界用語」を最初に一般に知らしめたのは,昔のテレビ番組『事件記者』だったと思う。最初に出るタイトルの背景は,新聞の輪転機が回っているところだった。
 そこに流れるテーマ音楽は小倉朗によるもので,鋭く緊迫した音楽だが,最後でゆったりして長調の和音で終わる。短い中にドラマがあり,「赤穂浪士」(→参照)と並んでテーマ音楽の傑作である。

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Nov 18, 2012

アスパラガス三態(プラスワン)

 子供のころ,玄関の脇に植わっていた植物は,針のように細かい葉が直径80センチぐらいの球形にこんもりと茂っていて,小さな赤い実がなっていた。これをアスパラガスというのだと教えられた。実をこっそり食べてみたこともあったが,あまり味はなかった。
 やや長じて,だれかの家に行ったとき,サラダに入っていた白くふにゃふにゃした棒のようなものを初めて食べた。なんだかおかしな食べ物だなと思った。これがアスパラガスというものだと聞いて,あれ,玄関のところにあるのと同じ名前だなと思ったが,刺身のような感じであまり植物らしくないので,どう関連するのかまったくわからなかった。今は瓶詰めもあるが,かつてはもっぱら缶詰めだった。
 グリーンのアスパラガスを食べたのはさらに後で,たぶん大学に入って以降だった。これは緑色をしていていかにも植物なので,詳しいことはわからなかったが,ようやく三者が結びついた。今,ホワイトはうっかりすると1年に一度も食べなかったりするが,グリーンは自宅でも焼鳥屋でも欠かすことができない存在である。
 近年は生のホワイト・アスパラガスも,近くのスーパーに時々登場するようになった。ヨーロッパでは春の風物詩だという。去年の今ごろには,はるばる南半球からやってきていたが,今年はまだ見かけていない。

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Nov 11, 2012

[休日閑話] ローマ数字と漢数字

 日本語のフォントにはローマ数字が含まれている。これは,縦組で「縦中横」で使うために作られた全角の活字に由来するものだろう。Shift-JIS コードでは 8754(Ⅰ)~875D(Ⅹ)で,丸数字などと同様「機種依存文字」だったが,Unicode では12まで,大文字・小文字とも規格内になった(U+2160(Ⅰ)~U+2169(Ⅻ),U+2170(ⅰ)~U+217B(ⅻ))。 (昔の金属の活字は普通は 20(XX) まで揃っていた。)
 しかし,欧文では,(起源としてはラテン・アルファベットと別という説もあるようだが,印刷に関しては)普通の文字を使って数字を記すのがローマ数字だから,欧文のフォント(および昔の活字)にはローマ数字専用の文字は存在しない。通常の I V X L C D M i v x などを用いる。


 

語   vs   Chapter VI   Conclusion

 ローマ数字は別名「時計数字」ともいうくらいで,時計の文字盤によく使われる。通常のローマ数字では4は「IV」と書くが,時計に限ってはなぜか「IIII」が用いられる(たいていは,I を密集させて上下のセリフがつながった形にデザインされている)。中には「IV」を使っている時計もあるのではないかと,ローマ数字の時計を見るたびに気をつけているが,今のところ例外は見たことがない。

 数字の文字コードは日本語でも欧文でももちろん数の順になっていて,文字コードでソートすれば「第1回」「第2回」「第3回」のように,数の順になる。
 しかし漢数字は違う。漢数字をソートすると

〇 一 九 五 三 四 七 二 八 六 

という順になる。漢数字といえども普通の第一水準の漢字なので,文字コードは音読みの五十音順になっているからである。(実際には,上の「〇」は漢字ではない。)

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Nov 10, 2012

宿題は日本教育テレビ

 テレビ朝日は,首都圏では,地上デジタルで5チャンネルになったが,アナログ時代は10チャンネルだった。「お父さんが見ていてすぐ寝てしまうテレビ局はなあに?」というなぞなぞがあったりした。
 そのテレビ朝日の元の名前は NET だった,というのも昔話だが,それが最初の名前「日本教育テレビ」に由来する,というのはもはや半世紀前の知識になってしまった。日本教育テレビは当初は教育番組を50%以上放送することになっていて,実際に学校向けの番組を放送していた。(もちろん,NHK教育テレビの方が多くの教育番組をやっていたが。)
 小学校のとき(たぶん1960年ごろ),行事の関係か何かで平日が休みになったとき,日本教育テレビのある番組を見るように,という「宿題」が出たことがあった。その時自宅にはテレビがなかったので,近くの伯母の家に行って見せてもらった。モノクロの14インチのブラウン管のテレビである。(今14インチのテレビというとおもちゃのような感じがするが,昔のテレビの画面は角が丸くて今よりもっと小さかった。チャンネルを変えるときはダイヤルをガチャガチャと回した。)
 見たのは社会の番組で,そのときの題材は裁判だった。法廷の様子が短いドラマ仕立てになっていて,「誘導尋問」ということも紹介されたりした。伯母は,夜の一般番組しか知らなかったので,「へえー,教育テレビって,ほんとに教育番組やってるのね」と「感心」していた。

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Nov 04, 2012

13年目の夜明け――京急蒲田高架化完成

 10月21日,京浜急行の京急蒲田駅およびその前後の平和島―六郷土手間の下り線が地上から高架に切り替わり,始発から電車が走り始めた。上り線は2年前に高架になっていたから,これで高架化は完了である。旧運輸省の審議会が立体交差事業を答申したのが1985年だというから,以来27年,実際に着工してからでも13年目ということになる。
 「地上線」の最後の姿を見に出かけたのはその50日ほど前だった。下り線は,高架下の柱の列の間を肩をすぼめるようにして走っていた。羽田空港線は京急蒲田から分岐し,国道を横切る。箱根駅伝のときにはここで電車が一時停止して選手の通過を待つ「名所」だったが,それも2012年正月が最後になった。Aap9017144Aap9017141

 「初日」の10月21日の午後,品川からまず快特に乗車した。平和島を出て,いままでは地上へ急降下していた所が平になり,真新しい高架の上を威風堂々の行進である。京急蒲田の高架駅は2年前にすでに完成し,これまで3階はふさがれていたが,このたび地上の下りホームが,2階ホームを飛び越えて3階に引っ越した。2階・3階はまったく同じ構造で,1面のホームの山側を本線が走り,空港線は海側から分岐する。山側の横浜寄りには,普通電車が待避できるように切り欠きホームがあるので,ホームは快特+普通(18両分?)の長さがあって非常に長大である。
 高架は完成したが,当然地上の整備はこれからである。1階の改札口や駅施設は横浜寄りに移動し,西口に出たときの風景はだいぶ変わった。駅前広場がまったくないのはどうしようもなくて,3階建ての駅が商店街を圧してそびえている。Aapa217407_2Aapa217424_2

 この駅が他の大部分の分岐駅と違うのは,分岐先から他の分岐先へ,つまり線路をY字型と見て右上の横浜から来て方向転換し,左上の羽田へ(およびその逆向きに)行く電車が走っていることである。このために,羽田空港行きが2階・3階の両方から出発し,空港線は複線のそれぞれに両方向への電車が走る(次の糀谷(こうじや)駅手前でクロスして一方向に「統一」される)。(ホームごとに同一方向の電車が出発するようにするにはホームが3面必要で,うち2面のそれぞれの山側を折り返し専用とし,かつ空港線の上り・下り双方に分岐を設ける必要があると思われる。当然,構造ははるかに複雑になるだろう。)
 今回の高架化によって,品川の次の北品川(実際には品川より南にある)の先から京急川崎の次の八丁畷(はっちょうなわて)の手前まで連続で高架になったことに,長年の京急ウォッチャーとしては感慨もひとしおである。京急の高架化は1966年完成の川崎付近が最初だから,ここに至るまでにざっと50年かかったことになる。
  (2010年の上り高架化については →参照,それ以前の状況については →参照

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Nov 03, 2012

掲示・表示・変示 補遺

◇コバケンの看板かAapa287439


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