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December 2012

Dec 31, 2012

Memory in December

 前項の免許証の期限のことでわかるように,私の誕生日は12月である。
 昔,生まれた日の新聞のコピー(マイクロフィルムからのコピー)を売る商売を,書店の店先などでやっていた(もちろん誕生日以外の日も買えたのだろう)。そこで手に入れた私の誕生日の新聞のトップ記事は,湯川秀樹博士がノーベル賞授賞式のためにストックホルムに着いたというものだった。当時の飛行機は南回りで,ヨーロッパまで50時間以上かかったはずである(→参照)。
 1面の下の方には,10月に発足した中華人民共和国の動きが載っていた。

 何年か前の12月に,日光でスケート場開きが行われたというニュースをやっていた。神主さんが祝詞をあげたあと一同で初滑りということで,なんとその神主さんも滑っていた。日光では神主さんもスケートが「必修」らしい。

 1941年12月の太平洋戦争開戦は,日本時間では「本八日未明」だが米国では7日だったから,真珠湾の日は米国では12月7日として記憶されている。
 ジョン・レノンが殺害されたのは1980年の12月8日だった。米国時間で深夜だったから,日本では9日になっていた。
 今年の12月5日,ジャズ・ピアニストのデイブ・ブルーベックが死去した。モーツァルトと同じ命日である。

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Dec 27, 2012

運転免許証の昔話

 先日,運転免許証の更新手続きをした。軽微な交通違反の年季が明けて,新しい免許証は有効期間5年なので,次の更新の期限はなんと平成30年1月である。
 私のころはすでに学生時代に運転免許を取るのが普通になっていたが,金とヒマのうち主に金がなくて,取らないまま卒業した。三十を過ぎてから,結婚して子供が生まれることになって,あわてて教習所に通い始めた。
 通ったのは,今はもうないが,赤羽駅の北西の荒川の土手下にあった小さな教習所である。平日夕方と休日の教習所通いは1週間以上間隔が空くこともしばしばで効率が悪く,当然時間がかかった。休暇をとって「集中講義の日」にしたりもした。教習コースは狭く,教官は「所内ではサードまで入れてる暇はないから」などと言っていた(まだオートマ限定免許はなかった)。
 かつて自動車学校の教官は,特に男に対しては態度の悪いのも多かった。私の一回り年上のいとこなど,四十近くなって自動車学校に入ったところ,教官に「これ,ハンドルっていうんだぞ。知ってるか」などとからかわれて腹を立て,やめてしまったと聞いた。私のときは,そのへんはだいぶ改善されてきたころで,教官のうちの何人かは今も名前を覚えている。

 休日など,教習の間に空き時間ができることがあって,近くを歩いていたら,囲われた土地でコンクリートの柱を作っていた。看板は「国鉄用地」,東北・上越新幹線と埼京線の工事なのだった。(埼京線開通後,その教習所は北赤羽駅から徒歩5分の好立地になった。)

 教習に時間がかかったが仮免・卒業の検定は一発でパスして,結局,子供の誕生に1週間ほど遅れて修了証を手にした。その2日後,鮫洲の運転免許センターに手続きに出かけた(東陽町のセンターはまだなかった)。当時,京浜急行の鮫洲駅はまだ地上にあり,高架化工事の真っ最中だった。
 手続きを終わって免許証ができるまでの間,昼食に近くの食堂に入ったところ,テレビが報じていたのは「大韓航空の旅客機がサハリン付近で行方不明になった」というニュースだった。後に「大韓航空機撃墜事件」と呼ばれることになるが,昼の時点では,ソ連機に撃墜されたことは判明していなかったのである。

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Dec 24, 2012

続・CD 発売から30年

承前
 LPレコードは日本では1951年に発売開始になったが,一般に普及してきたのは1950年代の後半であり,すぐにステレオの時代になった。ショルティ指揮ウィーン・フィルによるワグナー『ラインの黄金』(1958)は,ステレオLP初期の目玉商品として録音された。LPの生産終了は1990年ごろだから,実質30年あまりの寿命だったことになる
 LPの衰退が明らかになったころ,友人が雑談の中で「CD(という規格)は何年もつかなあ」と言った。CDを聞く習慣がようやく定着したころだったからまともに心配していたわけではなく,CD一辺倒になってきた時流にちょっと逆らってみたという発言だったが,それに対して私は,次はモーターがなくなって,回転しない媒体になるという予測をおずおずと述べたのだった。
 この予測は,固形メモリーによるMPSプレーヤーという形で実現した。しかしそれは,音楽を買う媒体ではなかった。思い立ったら音楽をすぐ取り寄せるという時代になろうとは思わななかった。ただし今のところ,LPのときと違って,音楽のダウンロード販売が広まっている一方で,CDが単純に衰退しているわけではない。CD,およびそれを引き継いだDVDは,音楽以外のデータの媒体にもなったが故に,しぶとく生き残っていくのではないかと思う。

 もうひとつ,90年代初めまでは予想できなかったのは,机の上でCDを作れるという状況である。CDのプレスはかなりの規模の工場で行われるものだったから,部屋の中の小さな機械でCDはおろかビデオディスクまで簡単に作れるようになるとは,まったく想像がつかなかった。

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Dec 16, 2012

小春日和選挙

 今日は(東京では)晴れて比較的暖かくなり,選挙日和である。私のところでは投票所が変わって近くなり,散歩としてはあっけないくらいの距離になった。
 前回2009年8月は民主党が勝って政権交代を果たしたが,その前2005年9月は自民党がもっと大差で勝った。このようにばたばたと勝者が変わるのは小選挙区制という制度によるところが大きい。そして,その都度書いてきた(→参照;→参照)ように,比例区によって「調整」されているものの,両党の得票率には議席数ほどの差があるわけではない。これ自体は今回も変わらないと思うが,今回は,この両党以外にかなりの数の候補者を立てた党が複数あるので,事情は複雑化した。

 今回は1票の重みの格差に関して「違憲状態」のままの選挙である。格差は「2倍以内」というような物差しも示されているが,理屈としては2倍などというのはとんでもないことで,せいぜい「1.1倍未満」とでもすべきものではなかろうか。

 ところで,比例区の各党の名簿登載の順序は,ほとんどの党が選挙公報には書いていない。「全員1位」という裏技はあるものの当選はこの順によるわけだから,これも政党というものを考える基本資料として公報に掲載してほしい。

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Dec 09, 2012

雑誌と通勤電車

 週刊誌状態が続いているこのブログだが,昔,週刊誌業界では,「ある週刊誌を読んでいる人が,山手線の各車両に1人ずついると,その売り上げ総部数は40万部」という経験則が語り伝えられていた。それほど,電車の中では雑誌を読むという行動パターンが一般的で,雑誌は通勤電車と深い関係があった。都道府県別の1人あたりの雑誌発行部数は,最高の東京と当時鉄道のなかった沖縄とでは数倍の差があった。
 ケータイが普及し始めても,当初は通話以外の用途など想像がつかなかったから,それが電車の中の時間の過ごし方に影響を与えるとは思わなかった。変わり始めたのは iMode の登場からだったか。
 ケータイ化の波から取り残されていた東京の地下鉄でも,今年度中に全線でケータイの電波が来るようになるという。iPad mini の売れ行きが好調なのも,電車の中で立ったままなんとか扱えるということが大きいように思う。

 昔,東海林さだおの漫画にあったシーン――電車内で,読んでいる週刊誌を隣の人がのぞこうとする。うるさいので見せないようにしたところ,隣の人は「ケチだなあ。じゃあいいよ,自分の見るから」といって自分の持っている同じ週刊誌を取り出した。
 (→参照

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Dec 02, 2012

大学と街

 学生時代に,というのは四十何年か前だが,北海道大学にいる先輩を訪ねて札幌に行ったことがある。当時はメール,ケータイはおろかファックスもなく,固定電話は下宿にひとつで(→参照),しかも長距離電話(これも死語か)は3分何百円もしたから,いつ行ってどこで待ち合わせるかを決めるだけでも事前にハガキを何往復かさせる必要があった。
 北大は,札幌駅にほど近く,駅の北西部の広大な面積を占めていた。キャンパスが広いだけではなく,街で学生が大切にされ,街が学生を育てようとしているらしい様子が印象的だった。先輩によれば,その少し前までは,北大の学生証を見せればツケにしてくれる飲み屋もあったという。

 その後,京都に行ったときも,京都大学だけでなく他の大学を含めて,街の中で学生を大事にする伝統は感じられた。金沢でも,金沢大学は当時は城跡にあってまさに城主であり,街の中での地位は高かった
 東京でも「学生の街」はあったが,分散し,巨大都会に埋もれている。明治以来,神田駿河台周辺は学生街だったが,70年代後半から80年代に大学は次々と郊外へ移転した。大学紛争以来,学生を見る目が厳しくなった時代でもあった。

 それとはちょっと違う話だが,かつては,県の名を冠した国立大学(今は正確には独立大学法人)に電話をすると,交換手が「大学です」と言うことがあった。その県にとっては「the 大学」といううわけである。

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