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August 2013

Aug 29, 2013

一休さんの橋

 いまの子供の世界でどうなのかわからないが,かつては「一休さんのとんち話」はよく知られていた。そのひとつに,「このはしをわたるへからす」という注意書きのある橋を小僧の一休さんが渡る話がある。
 しかし,子供のころこの話は,かんじんの落ちのところ,すなわち一休さんは橋の真ん中を堂々と渡って「端でなく真ん中を渡りました」というのがさっぱりわからなかった。まず,口語では「はじっこ」が普通で「端(はし)」という言葉はまったくなじみがなかったことに加えて,関東では,「橋」のアクセントは「シ」が高く,その後の助詞は下がるのに対し,「端」では「シ」の後の助詞は下がらない(平板型)という違いがあって,同じ発音という感じがしないことが大きかった。

 五十ぐらいになって,真夏のある日,京田辺市の酬恩庵一休寺に行ったことがある。一休禅師が死ぬまで住職を務め,葬られた寺で,なかなか美しい庭園があり,片隅に一休が真ん中を渡った橋が再現してある。
 一休の墓のあるところには立派な鉄の門があり,そこにはなんと菊の紋章があった。聞けば,一休さんは後小松天皇の落胤とされているのだという。つまり皇族なので,墓は今も宮内庁の管理下にあるのだそうだ。

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Aug 21, 2013

豪華メンバーによる校歌――甲子園短信

 甲子園で準決勝に残った前橋育英高校の校歌は,作詞が草野心平,作曲が小山清茂という豪華メンバーである。歌詞はやや古風で格調高く,蛙の鳴き声は出てこない。曲もごくまともで,木挽歌は出てこない。

 その前橋育英と戦う日大山形高校の校歌は,「ボーイズ ビー アンビシャス」で始まることで話題になっている。生徒たちの間では「ボーイズ ビー アンダーシャツ」といった替え歌が歌われているのではないかと想像する。こちらも作詞・神保格太郎,作曲・清水脩となかなかの豪華メンバーである。

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Aug 13, 2013

シンフォニーの応援歌

 甲子園の応援曲で最高の演奏頻度を誇るのは「アフリカン・シンフォニー」(ヴァン・マッコイ)である。実は去年までは聞いたことはあってもあまり意識していなかったのだが,今年3月に高校の吹奏楽で自分で演奏(OBと現役の合同演奏)してから,その直後の選抜高校野球でほとんど毎試合演奏されているのにあらためて気づいた。今夏の大会も同様である。
 ヒットしたのは40年も前だが,そのタイトル故に今もよく演奏されているのは,山本リンダの「狙いうち」。それ以外は知らない曲が多いが,そんな中で,昔演奏した「マカレナの乙女」別名「闘牛士のマンボ」が時々聞こえてきて,なつかしい。
 ところで,「アフリカン・シンフォニー」と「狙いうち」は,繰り返されるモチーフが自然短音階をラからソファを経てミへ降りてくる点に共通点がある。自然短音階の素朴で野性的な雰囲気が応援にふさわしいのだろうか。

 ほとんど毎日のように行っている近所のスーパーでは,6月に改装してから BGM がもっぱらクラシックになった。曲目は,もちろん景気のいい曲ばかりで,「ニュルンベルクのマイスタージンガー前奏曲」「ルスランとリュドミラ序曲」などいかにも買い物応援歌らしい曲のほか,マーラーの1番の第2楽章もよく登場する。
 ほかに「地味」な曲でけっこうよく聞こえてくるのは,ベートーヴェンの交響曲第1番の第3,第4楽章である。特に第4楽章は,ハ長調の音階を上っていくところが売り上げの増加につながるという考えだろうか。

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Aug 10, 2013

夏の食べ物

 早く梅雨が明けてすぐ猛暑になってから20日以上たって,猛暑の第2シリーズがやってきた。
 梅雨の末期に,昼休みに突然強い雨が降ったことがあった。そのとき,交差点のすぐ脇にあるわが勤務先の軒先に,信号待ちの人が12,3人,雨宿りに駆け込んできた。梅雨が明けてからは,しばし直射日光を避ける人が同じように訪れている。

 暑くなると冷やし中華が食べたいと思うことがある。しかし,いざ店に入ると冷房ががんがん効いていて,メニューを見ているうちに冷やし中華という気分ではなくなることがよくある。結果として,今年はまだ1回しか食べていない。

 わが家の夏の風物詩は,何度か書いているが,ヴィシソワーズである(→参照)。今年はすでに2回作った。そのうち1回は,ジャガイモがやたらと甘い品種で,セロリなどを入れて調整したが,カボチャスープのように甘くなってしまった。
 ヴィシソワーズを作るには,ある程度の手間はかかるが,特に難しいということはない。むしろ,冷蔵庫の中に鍋の入るスペースを作ることが問題だったりする。

 先日,店名に「カレーの市民」という枕詞を冠したカレー店を見つけた。店名を見てロダンを思い出す人はどのぐらいいるのだろうか。

 「オペラの部屋」以外はあまり更新していないが,1997年8月10日に開設した「本拠地」サイトが16周年を迎えた。今甲子園で試合をしている球児たちは開設の少し前ぐらいに生まれたということになる。

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Aug 04, 2013

コーヒーはブラックで――喫茶店でのアルバイト

 遠い昔,学生時代の最後の年に,大学の最寄り駅そばの喫茶店でアルバイトをした。もともとサークルの仲間のたまり場・連絡所になっていた店だが,勤め人も多い店なので,コーヒーは120円と学生街より高く,学生食堂なら安い昼食が食べられるくらいの値段だった。当時はスタバはおろか,ドトールのような手軽な店もなくて,今思うと喫茶店(と雀荘)の全盛期だった。
 4月,授業が非常に少ない身分になったのでアルバイトをしなければと思っていた矢先に,その店に「アルバイト女子店員募集」という張り紙が出た。顔なじみのマスターに,「あのう,女の子じゃないとだめですか」と恐る恐る聞いたところ,「え,君ですか」とちょっと驚いたようだったが,翌日「採用」の返事をもらった。

 そのアルバイト中に学んだことで,40年後の今日まで影響が及んでいることがいくつかある。ひとつは,コーヒーはブラックで飲むという習慣が身についたことで,それまでも砂糖は少なめではあったが,朝と昼過ぎに店員に味見を兼ねて「支給」されるコーヒーを飲むようになって,砂糖なしがいちばんおいしいと思った。
 それから,これはコストを細かく知ったわけではないが,喫茶店の飲み物ではコーヒーがいちばん客にとってコスト・パフォーマンスが良いと思うようになった。1ドル308円(固定)の時代で,焙煎したコーヒー豆の値段は1杯あたり10円以上していたように思う。今はおいしい紅茶を出す店も少なくないが,かつては普通の喫茶店は紅茶にはあまり手間も金もかけていなかった。
 食事メニューはトースト(バター,スクランブルド・エッグ,ハム)とサンドイッチ(ハム,野菜,タマゴサラダ)だけで,やがてはこれも作るようになった。ハムトーストは今でもときどき作る。
 ほかに作り方を覚えたのはミルクセーキとプリンである。ミルクセーキは,卵黄と牛乳をシェーカーで混ぜて作った。プリン(カスタード)は,店では作る機会はなかったが,ベテラン店員から教わって家で作ってみたりした。その店員はプリンを含め料理全般がマスターより手慣れていて,店員たちはマスターの作るプリンを密かに「マスタード・プリン」と呼んでいた。

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