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November 2013

Nov 26, 2013

ゲティスバーグの演説150周年

 ケネディ暗殺から50年の日の3日前の11月19日は,リンカン大統領のゲティスバーグの演説150周年の日だった。ゲティスバーグで行われた記念式典では,リンカンに扮した俳優が演説を再現したという。
 100年違いで選出され,共に暗殺されたケネディとリンカン両大統領には,昇格した副大統領が同じくジョンソン(08年生まれ)だったことを初めとして,偶然の符合がいろいろある。しかし,前にも触れたことがあるが, Wikipedia 日本版の「リンカーン大統領とケネディ大統領の共通点」によれば,多くの偶然の中の「白眉」だと思っていた「ケネディの秘書がリンカン,リンカンの秘書がケネディだった」という点については,リンカンの秘書にケネディという人がいたという記録はない,とされているのはちょっと残念だ。

 それにしても,なぜ「暗」殺なのだろう。「ひそかに(狙って)」ということらしいが,特にケネディの場合は白昼,大勢の目の前であり,「暗」いところはない。英語の assassin の語源はアラビア語でなんと「大麻常用者」だという。つまり hasheesh(ハシシュ,大麻)と関係のある言葉だった。

 高校の世界史の教科書などでは,だいぶ前から「リンカン」「ローズヴェルト」という表記が多数派になっている。「カンザス」もかなりかなり一般的になった(昔は「カンサス」と言っていた)。しかし,「ランドン」「イリザベス」にはなりそうもない。

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Nov 21, 2013

ケネディ大統領暗殺から50年

 今年11月22日は,ケネディ大統領暗殺から50年の日である。その日,海外から初めてのテレビ生中継で事件が伝えられたために,衝撃は倍加し,忘れられない日となった。
 それまで,いや,その後もしばらくは,海外のニュースは「電送写真」と音声でまず伝えられ,飛行機で運ばれたフィルムで(重要ニュースの場合は)2日後ぐらいに動画が放送されるというのが通常だった。その前年の「キューバ危機」のときも,音声と字幕で伝えられる“あわや核戦争”というニュースを,ふだん世界情勢にあまり興味のない中学生といえどもさすがに,固唾をのんで見た。

 以下,当ブログで2008年11月(オバマ大統領選出のとき)に書いたもの(→参照)を再掲する。
 "I have a dream" と同じ年1963年の11月22日(日本時間では23日朝),初めて米国からテレビ映像の衛星生中継実験が行われることとなっていた。中学生だった私は,早起きしてテレビ(モノクロ!)をつけた。米国側の衛星中継基地のパラボラアンテナの映像が映っていて,ああ,ずいぶん鮮明に見えるんだなと思った。
 予定ではたしか,大統領のメッセージが送られてくることになっていた。しかし,アナウンサーが妙に押し殺したような調子でなにか言っている。初めての生中継で飛び込んできたのは,よりによってケネディ大統領暗殺のニュースだったのである。

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Nov 18, 2013

秋の日

これは御茶ノ水からAapa110369
 
 
 
これは上野からAapb170462
 
 
 
なんともいえぬ風格 某公園にてAapb170442
 
 
 
中華街ラベルがあるんですねAapb090407
 
 
 

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Nov 16, 2013

闘う東京新聞

 どういうきっかけなのかは知らないが,物心ついて以来,実家では全国紙以外に東京新聞を購読していた。それでなんとなく,ないと寂しいというような感じで,今も購読している。東京新聞は,長い伝統を持つ「都新聞」を前身とする首都圏の地方紙であるが,かなり前から中日新聞の傘下にあり,実際上は「半全国紙」なっている。
 しかし,かつてはやはり地方紙的な色彩が濃く,地方版(私が読んでいたのは神奈川版)には,3月ともなると全国紙よりずっと多くの大学の合格者氏名が載っていたりした。全体に,全国紙に比べ,野党的というよりは少し離れてものを斜めに見るやじうま精神にあふれ,今もある「こちら特報部」ページのように週刊誌的な角度からの記事も多かった。
 ここ十年ほど,鉄道関係の記事が他紙より多いという印象がある。ときどき鉄道関係の署名記事を書いている記者もいて,かつて毎日新聞の記者をしていて後に鉄道関係の文筆家になった種村直樹氏を思い起こさせる。

 その東京新聞は,このところ政府・行政やメジャーな存在に対して闘う姿勢を強めている。特に,原発や特定秘密保護法案については,併読している全国紙と比べてトップ記事になる回数も多いし,内容も他紙と違う切り口で取り上げられていることが多い。親戚のやんちゃな子供がたくましく育って,頼もしい存在になったような感じがしている。

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Nov 10, 2013

岩谷時子と島倉千代子

 川上監督の2日前に,岩谷時子氏が亡くなった。新聞の訃報に添えられた主な作品(作詞・訳詞)リストを見ると,ちょうど歌謡曲の類をよく聞いていた時期のヒット作だからという巡り合わせもあり,ほとんど知っている歌ばかりだった。こんな作詞家は空前絶後ということになるだろう。
 特に思い出深いのは「恋のバカンス」「夜明けのうた」,それに高校の修学旅行で歌った加山雄三の曲の数々である。あとは,越路吹雪が歌ったシャンソンの訳詞。

 続いては11月8日に島倉千代子が死去した。前にも書いたが,子供のころから知っている有名人はすごく大人で,自分の親と変わらないぐらいの年のような気がしていたことが多いが,今回もまだ75歳ということにちょっと驚いた。
 思い出したのは,昔聞いた話。かつての大衆演劇の小劇団は,「美空ひり来たる」とか「倉千代子参上」といった看板を掲げて地方を巡業することがあったという。もちろん,「本物」が来るはずがないことはみな知っていて,パロディとして愉しんでいたのだった。

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Nov 02, 2013

川上哲治氏とV9

 川上哲治氏が死去した。享年93歳。比較的最近まで球界人が亡くなるとコメントを発表したりしていたりして,不死身のドンという感じがしていた。
 現役引退が1958年で,当時野球的物心がついて間もなくだった私は現役時代の川上のことはほとんど覚えていない。ただ,4,5歳のころ,自分の下駄(というものを誰でも持っていた)に墨で川上の背番号「16」を書いてもらって喜んでいたと後から聞いた。あとは,夏祭りの夜に近所の広場で映画が上映され,そのときの「前座」のニュース映画(というものがあった)で,川上の2000本安打達成のニュースをやっていたのが記憶にある。
 監督就任が1961年,65年から73年が「V9」である。この間,私の野球への興味は薄れていった。ドラフト制度が65年から始まって戦力の均衡が図られたが効果はすぐには現れず,ひとつのチームが何年も連続してリーグ優勝し,日本シリーズにも勝つというのは,やってみないとわからないはずの勝負への興味を大きく削いだ。
 よく川上野球はつまらないという。確かに,ああいうチームばかりだったらおもしろくない。ただ,今のように投手の分業が行われていなかった時代,どちらかというと打高投低だったチームが勝ち切る確率の高い方法を模索した結果だったのだろう,とだいぶ後になってから思うようになった。
 川上監督に多くを学んだという星野監督の楽天と,V9以来の連続Vを目指す巨人との日本シリーズは,この週末に大詰めを迎える。

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