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October 2014

Oct 26, 2014

欠けたコップとレントゲン車

 先日歯医者で,左下の1本の歯のところに麻酔をかけられた。治療は短時間で終わり,うがいをしてくださいと言われて紙コップで水を口に含もうとしたら,感触がおかしい。あれ,コップが欠けている,と思ってコップを回して別の部分から飲もうとしたが,同じく欠けている。そんなおかしなコップがあるはずがないと思って一瞬の後,治療した歯のすぐ前の唇の一部分の感覚が麻酔のせいでなくなっていることに思い至った。
 欠けたコップ状態は,その後40分ぐらい続いた。

 職場の健康診断があり,いつものようにレントゲン車がやってきた。昔は,胸部レントゲンの車と,胃のバリウム検査の車と2台来たと思うが,いつのころからか1台に両方収まるようになった。この車,塗色は明るいが近くで見ると巨大で迫力満点,装甲車のようだ。
 その数日前,某大学病院の前を通りかかったら,「職員健康診断」という看板が出ていた。病院職員の健康診断ならレントゲン車が来る必要はないのだろうなと思ったが,某関係者によると,病院内の検査設備は通常の検査で手一杯で,健康診断のときにはやはりレントゲン車が来ることがけっこうあるという。

 第3セクターの三陸鉄道は,2014年度上半期,21年ぶりに黒字になるという。まことにめでたい。ただし,下半期は乗客が減るので年度全体では赤字の見込みで,経営の厳しさは続く。
 三陸鉄道は北リアス線と南リアス線に分かれているが,その間をつなぐJR山田線は今も運休中である。

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Oct 19, 2014

10月の断章――漢字の見間違いほか

 9月27日に御嶽山が噴火し,50名以上が死亡した。5年前の浅間山の噴火のときにも書いたが,地質学の研究者だった友人が30年前に海外の火山の調査中に事故で亡くなっているから,火山のニュースがあるとかすかに胸の奥がうずく(→参照)。

 知人が SNSサイトでの発言で「前妻が…」と書いていたので,あれっと思ってよく見たら実は「荊妻」と書いてあった。国語辞典によれば,漢籍に典拠のある由緒ある言葉である。見間違えた人のは私のほかに少なからずいたようだ。
 道路の向かい側にある焼き鳥屋の店名が「炭の塊」。なんだか焦げて炭の塊になってしまいそうだなと思ってよく見たら実は「炭の魂」だった。一串入魂でがんばってね。
 その近くの新しい中華料理店が「座吐酒場」。食べ物屋でこんな字使うかなと思ってよく見たら実は「座旺酒場」だった。こちらは国語辞典には見当たらなかった。中国語か。それにしても「旺」という字は「旺盛」と「旺文社」でしか使わない字ですね。

 「題名のない音楽会」でフォスターの曲をいくつか,合唱団が歌っていた。それで連想したのが,近ごろまたぞろ出てきた政治資金の管理の問題――おお,ズサンナ!

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Oct 12, 2014

「みをつくし料理帖」シリーズを読了

 髙田郁「みをつくし料理帖」の最終巻(10冊目)が8月に発売になり,名残を惜しみつつ,1週間ずつ間隔を空けて4編を読んだ。池波正太郎以外の時代小説のシリーズを読んだのは初めてである。
 4月に1冊目をたまたま買って気に入ったのが始まりで,すぐにそれまでに出ていた8冊と別冊1冊をまとめ買いした。文庫本だが書き下ろしのシリーズで,10冊目が最終巻になることは前の巻で1年前に予告されていた。8月下旬の書店では,最終巻と既刊本が盛大に平積みされていた。
 舞台は文化文政時代の江戸,大坂からやってきた主人公の澪が女料理人として成長していくビルドゥングス・ロマンである。武士も町人も,また金持ちも庶民も登場し,それぞれなかなか複雑な過去を持ち,舞台は私にとってはなじみのある神田明神下,俎橋(まないたばし)(神保町3丁目の靖国通りに今も橋があり,交差点名にもなっている)から吉原の郭に及び,スケールが大きい。
 「料理帖」の名のとおり,澪が作る料理がおいしそうなのがこのシリーズの大きな魅力である。冷蔵庫がない時代,新鮮な食材の入手はたいへんだが,その様子が季節のうつろいを鮮やかに描き出す。ただし,実際には,この時代に女料理人というものが存在するのは非常に困難だったように思うが。

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 10月1日の東海道新幹線開通に続いて,50年前の10月10日には東京オリンピックの開会式があった。当日は土曜日で,普通なら午後は部活(吹奏楽)があったはずだが,テレビをナマで見た記憶があるので,部活は特別に休止になったのだろうか。
 開会式で演奏された古関祐而「オリンピックマーチ」は,翌年自分たちで演奏することになる(→参照)。

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Oct 04, 2014

新幹線開通50周年――特別な存在

 10月1日,東海道新幹線が開通して50周年の日を迎えた。この間,乗客の死亡事故ゼロだったというのがすばらしい。
 子供のころは特に鉄道ファンだったわけではないが,「夢の超特急」には胸がはずんだ。特に,神奈川県の二宮に作られた試験線(のちに本線の一部となる)で時速200kmを出したというニュースを聞いたときには,ほんとうに「夢」ではなくなるのだなと思った。

 開通時は,1時間に「ひかり」(新大阪まで4時間)と「こだま」(同5時間)が各1本というダイヤで,時刻表はたしか2ページで収まっていた。現在の駅のうち,品川,三島,新富士,掛川,三河安城はなかった。
 当時,国鉄の特急というのは文字通り特別な列車だったが,少なくとも開業から4,5年は新幹線はさらに特別な存在で,気軽に乗れるものではまったくなかった。在来線(東海道本線)にも急行や夜行列車がけっこうたくさん走っていたから,学生などは東海道本線を使う方が普通だった。私は開通2年後の1966年に初めて関西へ行ったが,そのときも新幹線に乗るなどということは考えもせず,夜行の座席急行で行った(→参照)。
 新幹線が一気に大衆化したのは,1970年の大阪万博のときだったと思う。このころには,「ひかり」「こだま」が1時間に各3本(必要により「こだま」を3本増発)になっていた。初めて新幹線に乗ったのは1970年4月,飛騨高山の親戚を訪ねた帰りのことで,名古屋から「こだま」で帰った。

 その後,新幹線はもっぱら仕事の道具となった。新神戸までは今は2時間48分ほどだが,かつては3時間半かかっていて,これを日帰りで往復することもよくあった。それに比べると,今よく行く京都までは「のぞみ」で2時間10分で,まったく楽勝という感じがする。
 年に何度も乗っているとは言え,新幹線に乗るのは非日常のことであり,最速の列車に乗るというときめきは,今も少しはある。

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