« June 2015 | Main | August 2015 »

July 2015

Jul 27, 2015

メール事始め

 1991年に最初のパソコンを買い,Nifty-Serveに加入して「パソコン通信」を始めた。このとき初めて電子メールというものが使えるようになった。もはや記憶があいまいになっているが,このころはNiftyの会員同士でのみメールがやりとりできるシステムだったと思う。それでもNiftyは最大手だったから,少しすると非常に便利な通信手段となった。Niftyでは「XYZ01234」という形のIDがそのままアドレスになっていた。
 1995年ぐらいだろうか,ある会の名簿で XYZ01234@nifty.or.jp(以下,@は実際には半角)という形のアドレスを初めて見た。Niftyのアドレスをもっと広く使う方法があるらしいと思ったが,これがなんなのかはわからなかった。インターネットという言葉を聞くようになっていたが,自分で関わることはまだなかった。だれでもインターネットのアドレスを持つようになったのは,Windows 98の時代以降のことだった。
 98年ごろだったと思うが,フランスのP研究所に派遣されたスズキ君(仮名)が suzuki@p…….fr. というアドレスでメールを送ってきた。こんな簡単なアドレスで世界の中の1人を特定できるというのが大きな驚きだった。
 ちなみに,@は英語では at sign という方が普通である。

 3年ぐらい前のこと,五線紙が必要になってネット上を探したら,ちゃんといろいろな大きさ・段数のものがPDFファイルで提供されていた。これの「類推」で,方眼紙が急に1枚必要になったときも,ネット上でたちどころに見つかった。
 もう5,6年になるだろうか,オーケストラのパート譜などもネット経由で配布されるのが普通になった。

| | Comments (0) | TrackBack (0)

Jul 16, 2015

病欠4日

 先週の金曜日,1泊で静岡県方面へ出かけ,よく飲みよく食べた。その間,実はなんとなく気分がすっきりとしなかったのだが,久しぶりに飲み過ぎたせいだと思っていた。
 ところが,今週月曜日の朝,夏風邪なのか,起きたら熱が出ていた。最高37.7度ほどで,熱以外に自覚症状はなく,気分もその前に比べて良かったのだが,猛暑の予報だったこともあり,自重して仕事を休んだ。
 テレビでは,特に老人は熱中症に注意するよう呼びかけがあり,ときどき都県ごとの救急車搬送人数が表示された。室内でも水分の補給が足りないと熱中症になるといっていたが,こんなことも旧名「日射病」が不適当とされた理由のひとつなのだろう。結果は,最高気温34度。
 まあのんびり過ごすしかないということで,1時からテレビで大相撲名古屋場所を見た。1時というと,三段目の終わりの方である。幕下が残り5番となったところで,十両の土俵入り。十両では,新十両の2人,御嶽海(みたけうみ)と高立(たかりゅう)が元気よく連勝した。幕内でも新大関照ノ富士が快調。暑さが名物の名古屋場所で,見ているだけで暑そうだったが,実際にはこの日名古屋も最高34度だった。

 その後,熱は簡単には下がってくれず,一日の中でもかなりの乱高下があり,結局今日まで4日休んでしまった。7年前の眼の手術のときを別にすると,4日続けての病欠は初めてである。年とともに自然治癒力が衰えているようだ。

   ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
 一時減っていたスパム・コメントが,この半年ほど,やたらと多い。それも,以前は古い特定の記事が対象になることが多かったのだが,このところ新しい記事にまんべんなく付される。なるべくこまめに掃除するしかないか。

| | Comments (1) | TrackBack (0)

Jul 05, 2015

ダイヤル式電話と大代表

 携帯電話の登場には及ばないが,ダイヤル式電話からボタン式電話への変化も,生活史の上ではかなり大きなできごとだった。
 昔は,電話をかけることを示すジェスチャーは,ダイヤルの穴に指を入れて回すしぐさだった。マンガなどで電話を示す擬音も,「ジーコジーコ」とダイヤルに由来する音だった。ダイヤル式電話機には番号を記憶する機能はなかったので,だれでも10件やそこらのよくかける電話の番号を覚えていた。今でも,何人かの友人の当時の家の電話番号を思い出すことがある。
 それが変わったのはボタン式電話が登場してからである。ただし,最初は普通の電話より基本料金が高く,なかなか普及しなかった(当初の商標は「プッシュホン」)。急速に普及したのは,それまで電電公社から貸し与えられるものだった電話機が自由化された1980年代半ば以降のことだった。

 ダイヤルの時代,法人の電話は今のようなセクション直通の電話は少なくて,「代表」「大代表」という扱いになっていた(外線の回線が10本以上だと「大代表」と名乗る)。電話は代表番号で受けて,受付の係や交換手が内線につなぐ体制になっていた。
 大法人の代表番号は,ダイヤルを回すのに時間がかからない「2111」といった番号が割り当てられるのが普通だった。そんな中で,銀座にあった日産自動車の本社の代表番号はゴーゴーニッサン(5523)だった。その後同社は横浜に移転したが,今の本社も5523という番号を保持している。

  ◇参照: →ケータイの黎明  →呼び出しの電話史

| | Comments (1) | TrackBack (0)

« June 2015 | Main | August 2015 »