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Nov 19, 2017

銀行の合併

 文学部系の者には縁がなかったことだが,1970年代の就職先の花形は総合商社と金融関係だった。金融関係の代表は銀行で,第一勧銀,三菱,三井,住友,富士が都市銀行のトップグループを形成していた。第一銀行と日本勧業銀行が合併して第一勧業銀行になったのは1971年と早かったが,それ以外はみな明治以来の財閥系で,「護送船団」という枠の中ではあったが互いがライバルであり,合併・再編など想像もつかなかった。
 それが,80年代に相互銀行が続々と普通銀行に転換されたのに続き,再編の波は90年代には大銀行に及んだ。バブルが崩壊し,北海道拓銀,山一証券,長銀,日債銀の破綻が相次ぐ中で,かつては三井と住友の合併など冗談にもならないくらい非現実的なことだったが,素人目にはあれよあれよといううちに話が進んだ。今の3大メガバンク+りそなという体制になったのは2006年だった。(同じ2006年,阪急電鉄と阪神電鉄の合併(経営統合)にも驚いた。)

 銀行への接し方も大きく変わった。ATMもその他銀行との提携もない時代は,銀行預金の出し入れは口座のある銀行の支店でのみ可能で,それも平日の9時から3時までに通帳と印鑑を持って窓口に行く必要があった。(→参照:休日の朝――昔のATM
 私が就職した1970年代前半にはATM(正確には払い出しのみの機械(CD)だったと思う)がだんだん設置されるようになった。しかし,最初のうちはATMの稼働時間は窓口の営業時間よりわずかに長いだけで,同じ銀行でしかおろせないのはそれまでと同じだった。都市銀行のオンラインシステムが相互接続されたのは1980年代半ばのこと。
 ちなみに,今となっては想像するのが難しいが,私の職場では70年代末まで月給は現金支給で,給料日の朝には経理の担当者が会社の車で現金(金種ごとの数を計算してある)を会社に運び,会社の会議室で給料袋に詰めていた。一般には,月給やボーナスの銀行振込は70年代前半に広まったと思う。そのひとつのきっかけになったのは,1968年の「3億円強奪事件」(東芝府中のボーナスを運ぶ現金輸送車が襲われた)だった。

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