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April 2019

Apr 26, 2019

神保町花だより

 桜の季節が終わっても寒暖の差が激しく,冬と初夏を行ったり来たりした。連休中も天気は落ち着かないらしい。
 今年は空前の大連休(最初「大連級」と変換された)。引退の身には関係がないと思っていたが,家の中の片付けが待ったなしになって,これにかなりの時間を使うことになる。

 4月1日,神保町の白山通り沿い,水道橋方向へ半分ちょっと行った右側に「茶珈匠」という持ち帰りの飲み物店が開店したのに気づいた。行列が横の路地に続いていた。どうやら各種のお茶のラテの店のようで,店頭に特筆してあるのは黒糖タピオカのラテだった。

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 4月,神保町にも新社会人と大学の新入生がやってきた。
 桜は去ったが,街角はちょっとした花の季節を迎えている。

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Apr 24, 2019

金沢シーサイドライン 京急金沢八景駅に「接続」

 金沢シーサイドラインの新しい金沢文庫駅が完成し,年度末ぎりぎりの3月31日に開業,線路は150メートルほど延長された。これに先立って京急の駅も1月に橋上駅となっていて,橋上の改札口とシーサイドラインは通路で結ばれ,乗換がぐっと近くなった。
 乗りに行ったのは4月2日。周囲にはまだ工事中のところがたくさんあるが,駅前はだいぶすっきりした。
 京急の駅の西口側にも初めて行ってみた。駅の階段はできたが,周囲は工事たけなわだった。かつて真ん前にあった茅葺き屋根の沿線名物「旧円通寺客殿」(旧木村家住宅主屋)は横浜市が買い取って解体・保存してあり,この周辺を公園として整備してその中に再建する予定らしい。

 金沢シーサイドラインの開通は20年ぐらい前だったような気がしていたが,資料を見たら1989年7月で,もうすぐ30年になるのだった。この間ずっと,金沢八景駅は国道16号線の海側にあり,京急の駅までは約200メートル,乗換は地上に降りて信号待ちをして国道を渡る必要があった。当初から,いずれは国道を越えて京急駅に直結する計画だったが,結果としては30年がかりになった。
 ただし,延伸部分は今は単線で,今回は暫定的な開通,複線化は「2019年度中」の予定だとのこと。この間に,旧駅の撤去なども行われる。

◇シーサイドライン新金沢八景駅

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◇旧駅を振り返る

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◇京急西口の階段

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◇工事中でも桜は咲く

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 4月19日,87歳の人が運転する車が暴走し,2人が死亡した。場所はなじみのある東池袋で,しかも運転者は同姓で驚いた。わが家では老人や乳幼児を乗せる用事が前より多くなったこともあって,昨年末「最後の車」を買ったばかりだった。せめて75歳まであと5年半ぐらいは乗りたいと思っていただけに,衝撃は大きい。

 

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Apr 16, 2019

聖週間を前に BCJ「マタイ受難曲」

 今年は4月21日が復活祭なので,15日からが聖週間(受難週)となる。その直前の13日,バッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の演奏するバッハ「マタイ受難曲」を聴きに,さいたま芸術劇場へ出かけた。BCJ の「マタイ」は今年は19日(聖金曜日)と21日(復活祭)にも東京オペラシティで演奏されるが,さいたま芸術劇場の定員600人の贅沢を選択した。BCJ を生で聴くのは2016年11月の「ロ短調ミサ」以来2回目(→参照)。
 オーケストラは第I,第II各14人,両オケ兼務(コンティヌオの一部)が4人で計32人,合唱は第Iが13人,第IIが11人で,その多くがソロも歌うが,合唱には加わらないソリストが2人いるので,声楽は計26人(アルトは一部男性)。共にロ短調ミサのときより少し多い。指揮は鈴木雅明で,息子の鈴木優人はオルガンで加わっていた。
 席は2階の左サイドで,普通の曲ならいいが,マタイではオケ・合唱とも2群に分かれるので,下手の第I群がほとんど見えないのが少々残念だった。
 3時開演で,休憩1回,正味は2時間50分ほど。概してきびきびしたテンポでぐいぐいとドラマが進んだ。その推進役は福音史家(テノール)で,歌うのは張りのある素晴らしい声の櫻田亮,レシタティーボのリズムも良い。あと,イエス役のクリスティアン・イムラーも秀逸。2群の合唱・オーケストラは別々に登場したり,論争したり,歌い交わしたりするが,要所要所で(計13回)両群いっしょの四部合唱でコラールを歌う。コラールは福音書ではない歌詞によるもので,韻を踏んでいる。
 配布された堂々32ページのプログラムには指揮者による歌詞対訳が載っていて,保存するに足る資料である。
 終演後,外はまだ明るく,小高い丘の上の会場からの巡礼の道は春の穏やかな空気に満たされていた。

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 16日朝,パリのノートルダム大聖堂が炎上中というニュースで飛び起きた。前日には,地震で壊れた熊本城天守閣の修復が進んでいるというニュースを見たばかりだったのだが。

 

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Apr 09, 2019

改元と文書作成

 4月1日,官房長官による新元号発表の記者会見が終わった後も,ネット中継は少しの間つながっていて,「いま資料をお渡しします」という声が聞こえてきた。当然,すべての元号候補について,出典等を記した資料を,あらかじめパソコン(上のワープロ)で作成してあり,閣議が終わるとすぐ「令和」の部分を事務方がコピーしたのだろう。
 選定作業の過程でも,資料はすべてワープロで作成されたに違いない。

 平成への改元(1989年)の際は,記者会見は今回と同様の形でテレビ中継されたが,資料作成はどのように行われたのだろう。そのころ,パソコンは PC9800シリーズ,ワープロは一太郎 Ver.3 の時代である。縦書きが可能で第2水準漢字が使えるようになっていたころだと思うので,文書の作成・配布については今回とほぼ同様のことができたはずだ。
 しかし,印字品質はどうだったのだろう。Windows前だから,アウトラインでない24ドットのフォントのみだったのではなかったか。あるいは,ワープロ専用機の方がプリントはきれいだったころだったかもしれない。
 当時ケータイはまだ黎明期だった。インターネットは個人が使える状況にはなく,「パソコン通信」サービスが普及し始めていて,電子メールはその会員同士でのみ使える仕組みだった。

 昭和への改元は1926年で,記者会見などが行われた形跡はない。官報などは活字組版だったが,それ以外の文書は手書きか和文タイプで作られたと思われる。もちろんコピーなどないから,数部ならカーボン紙をはさんで書くかタイプし,それ以上ならガリ版(謄写版)で印刷していたのだろう。
 こうした文書作成の事情は,基本的には1960年代まで同じである。私の年代だと,小学校から高校まで,学校からの配布物はほとんどすべてガリ版だった。60年代後半には街でコピーができるようになったが,最初は1枚80円ぐらい,つまり食堂で昼食が食べられるくらいの値段だった。

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Apr 03, 2019

新元号 頭文字はR

 4月1日,新元号が発表されるのをネット上の生中継で見た。当日午前中は,仕事場のある千代田区周辺では,皇居周辺を飛び回るヘリコプターが騒がしく,室内にいても尋常でない雰囲気が伝わってきた。
 昨年書いたことだが,大正,昭和,平成の始まりは,いずれも天皇の崩御の翌日だった。各代とも新しい天皇が即位すると,その次の年号の選考はすぐ始まっていたはずだが,なにしろ崩御が前提の話なので,おおっぴらの議論などない。「平成の次」についても前から準備が進んでいたはずで,今回は生前退位が決まって違う要素が加わったということになる。間際になってからばたばたと元号選定の最終作業が進められたようだが,これとは別に,退位の前に万一のことがあったときの手筈も決まっていたに違いない。

 頭文字Rは意外だった。元号の一覧を見たところ,「れ」で始まる年号は「霊亀」(715-717) ただひとつ,ら行の他の字で始まるのも「暦仁(りゃくにん)」(1238-39),「暦応(りゃくおう)」(1338-42) の2つしかない。
 また,これまでに年号に使われた字は72種しかなく,「令」は初めて使用される。ら行で始まる読みの字としては,「暦(りゃく/れき)」が12位で16回とかなり多く,次が「禄(ろく)」の7回。

 1989年に続き,改元は2回目の経験だった。「この次」は最低30年先だろうから,3回目を経験する可能性は非常に低いだろう。

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