昔話

Aug 17, 2017

珍しい応援歌――2017年盛夏

 8月9日,東京の最高気温は37度を超えた。この日に用事で外出したが,ふだんなら歩いていくところを地下鉄で遠回りし,駅からは日陰を探しながらゆっくり歩くしかなかった。2020年のオリンピック期間中にはこんな日も当然あるだろう。こんな時期に開催なんて,狂気の沙汰だ。

 しかし,その後は雨ばかりで,半袖では寒いような日もある。
 8月16日,仕事場へ行くべく電車に乗ったら都心方向はがらがらだった。
 神保町も夏休みの飲食店が多く,歩いている人は少ない。しかし,比較的新しい店は張りきって(または借金を返すためにやむを得ず?)ふだん通り営業しているところが多い。休むにしても,11日が「山の日」になって,いろいろな休みのパターンができたようだ。

 高校野球の放送をつけたままパソコンに向かっていたら,昔からなじみの曲が聞こえてきた。原曲よりテンポが速いが,まぎれもなく“Love Me Tender”である。野球の応援では非常に珍しい選曲なのであわててテレビの画面を見たら,天理高校の応援団だった。吹奏楽でも名門の天理高校がもうひとつ演奏していたのはビートルズの“Ob-La-Di, Ob-La-Da”で,どちらも今の生徒はもちろん,多くの学校の監督さんも生まれていないころのヒット曲である。
 知っている曲で,テレビから多く聞こえてきた応援の曲は「アフリカン・シンフォニー」(→参照)。「あまちゃん」のテーマも何校かが演奏していた。

 火事のニュースで,「この家に住む67歳の男性と連絡が取れなくなっているということです」などという。昔だったら単純に「行方不明になっています」と言っていたところだ。
 事故のニュースで「2人が心肺停止の状態で発見されました」などという。これは昔なら「死亡」に含まれていたものだろう。そういえば,「重体」というのもあまり言わなくなったような気がする。
  「捜査関係者への取材で…」については →参照
  「容疑者」という「敬称」については →参照

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Aug 10, 2017

8月10日は本拠地サイト記念日――開設20周年

 今日8月10日,1997年に始めた私の「本拠地」ウェブサイトが開設20年の日を迎えた。今見ると,「ホームページ」というタイトルが時代を感じさせる。
 本拠地は主に「オペラの章」「鉄道の章」「神保町の昼食の章」からなっているが,いま随時更新しているのは「オペラの章」の「見たオペラ」一覧の部分だけである。まさに細々とという状態だが,思いがけず20年も続いているということには少なからぬ感慨がある。(2004年にこの「ブログ別館」を作ってからは,日常的な報告や覚え書きはブログが主になっている。)
 以下,8年前の12周年のときにこのブログに書いたものを再掲:
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 90年代半ば過ぎまで,ネットといえば「パソコン通信」という時代だった。1995年の Windows95 の登場で素人でもインターネットに接続できるようになり,パソコン通信の運営会社がインターネット・サービス・プロバイダーを兼ねるようになってきて,状況が変わってきたのだったと思う。
 私は2つのパソコン通信サービスに加入していたが,そのうちの1つ Asahi-net がインターネットに積極的な対応をし始めたので,それに乗ってインターネット接続を始めた。ダイヤルアップ回線だから,画像があるとその表示に10秒ぐらいかかったりした。当時どのようにして興味あるサイトにたどりつき,どういうサイトを見ていたのかは,もはや記憶が定かではないが,今のようにネットといえばまず検索,という感覚でなかったことは確かである。
 1977年に Asahi-net によるホームページ作成のガイドブックが出た。これが,私のウェブサイト開設の直接のきっかけになった。独立のホームページ作成ソフトはまだなくて,Netscape Communicator(当時の先端的ブラウザ)付属の HTML 編集ソフトComposer を使った。しかし,これが使い勝手が悪く,「オペラの章」の表を初めとする基本的な構造を作った以外は,文字の大きさ・色,背景の色などを指定するタグを,テキストエディタ上で大部分手作業で入力した。表の作成は Excel のデータから変換したものを元にしたが,これの整形・整備がいちばん面倒だった。通信速度が遅かったから,データを軽くすることが重要な課題だった。
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 私の2年前に,iioさんが「Classica」(このブログの左のバーにリンクあり)を始めた。会社・官庁のホームページもほとんどなかったころで,個人のサイトの偉大な先駆であり,常に私のお手本だった。一部のブログ化などもiioさんを見習った。私の知っている個人のサイトで20年以上続いているのは,Classicaがほとんど唯一の存在である。

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Aug 08, 2017

ラヴェルのピアノ協奏曲を演奏――母校の記念コンサート(下)

承前
 ラヴェルのピアノ協奏曲は,今回の「両手」ト長調と「左手のための」の2曲。このうち,「左手」は40年以上昔にコーラングレ(イングリッシュ・ホルン)を吹いたことがある。「両手」の方のコーラングレもいつか吹いてみたいと思っていたが,アマチュア・オケが滅多に演奏しない曲であり,吹く機会はないだろうと思っていた。その機会が今回突然訪れ,急いで応募した(ほかにベートーヴェンの協奏曲の第2オーボエを担当した)。
 「両手」のオケは少々変わった編成で,ピッコロ/フルート,オーボエ/コーラングレ,Es管クラリネット/(普通の)クラリネットがそれぞれ「専任」(持ち替えなし)で各1,ファゴット2,ホルン2,トランペット1,トロンボーン1,ハープ,ティンパニ&打楽器,弦5部。練習では常にどこかのパートが欠けている状態で,本番前日のゲネプロでようやくメンバーが揃った。
 この曲,第2楽章のテーマ(アダージョ・アッサイ,3/4拍子)は,最初はピアノのソロで演奏されるが,後半で再現する際にはコーラングレが旋律を吹く。楽章全部で108小節のうち,このソロは33小節,つまり30%を占め,演奏時間は2分半以上で,ほとんど『トリスタンとイゾルデ』第3幕の無伴奏のソロに匹敵する長さである。コーラングレのソロというと「新世界より」の第2楽章がもっとも有名だが,これとて3回合わせて正味1分半ちょっとである。
 ただ,この曲が新世界やトリスタンと違うのは,終始ピアノの華麗な装飾句に彩られていることである。幸か不幸か,普通の聴衆はもっぱらピアノを聴いていて,テーマを演奏する楽器のことはほとんど気にしていない。
 ソリストのS君は27歳,高校を出たあとすぐフランスへ留学し,今回は本番1週間前に帰国した。ちょうど10年前,S君が高校2年のときに,同じく高校の関係者によるオーケストラでベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を演奏したことがある。そのときも素晴らしかった(→参照)が,今回はもちろんさらに輝きを増し,激しいリズムの部分からシンプルな歌まで,余裕たっぷりにラヴェルの多様な世界を見せてくれた。
 協奏曲の演奏のとき,ソロにあまり聴き惚れていると,自分が出損なったりトチったりすることがある(長い間にはいろいろなことがあった…)。今回の本番では,心を鬼にして(?)冷静に聞くように努めた。そして,第2楽章。間にまったく休符のない2分半のソロは,スタミナ切れにならずになんとか「完奏」することができた。

 急いで付け加えるが,もう1曲のベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番も名演だった。こちらは「メサイア」以外の指揮をしたN君の弾き振りである。N君はS君より4学年上で,ピアニストとしての実績を着実に積んでいる。オーケストラの大部分のメンバーは弾き振りが初めてだったようで,練習のときは途中で破綻することもあったが,本番はピアノも聞きやすく,コンサートマスターもよく見えたので,なんとかきちんとした演奏になった。
 「ソリストが弾きたい曲を全部並べ」た(プログラムより)ごたまぜコンサートではあったが,お客さんにも楽しんでもらえたのではないかと思う。母校からは,音楽以外の芸術・文芸分野にも多様な人材が送り出されているが,音楽家の層が厚くなっていることにあらためて感慨を覚えた。

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真夏のオーケストラ――母校の記念コンサート(上)

 戦後間もなく生まれた私の母校(中学・高校,男子校)が,今年,創立70年を迎えたのを祝って,70周年記念管弦楽団が組織され,記念コンサートが開催された。
 曲目は,「フィデリオ」序曲に続いて,卒業生のプロ音楽家をソリストに迎えて,サンサーンスの「序奏とロンド・カプリチオーソ」,ラヴェルのピアノ協奏曲ト長調,ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番,そして関係者により続けられてきた合唱団といっしょの「メサイア」抜粋という盛りだくさん。ベートーヴェンは弾き振りなので,前のラヴェルのあとピアノの向きを変える必要があり,休憩は2回,全部で3時間を超える演奏会になった。
 オーケストラのメンバーの募集があったのは4月の初めで,曲目を見て,難曲ラヴェルの協奏曲があるのに驚いた。しかも,練習はわずかに7回で,しかも曲により,練習しない日もあったりする。
 集まったのは,学校のオーケストラのOBと現役の生徒,それに生徒・元生徒の父母・姉妹・妻・娘,その他いろいろな関係者。私は高校まで吹奏楽をやっていて,オケの発足は私が卒業してからだが,初期のころにはしょっちゅう手伝いに行っていた。OBの参加者は,別格の80歳のヴァイオリンの人を除くと,その13年下の私の学年の3人が最高齢だった。3人とも在学時は吹奏楽の仲間だったが,その後みな違う楽器に変わった。一人はユーフォニウム→ファゴット,もう一人はアルトホルン(絶滅種!)→ホルン,そして私はアルトサックス→オーボエとなって,それぞれいろいろ曲折はあったが50年以上楽器を続けている。
                    (この項つづく

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Jul 20, 2017

禁煙の歩み

 昔は,少なくとも男はタバコを吸うのが当たり前だった。遠い学生時代に,何かの集まりでの自己紹介で「タバコは吸いません」と言ったら,「じゃあ,酒と女だけか」とからかわれたりした。大学に入って間もないころだったから未成年だったわけだが,吸わないのは少数派だった。
 そのころ,というのは60年代末から70年代初めだが,ハイライトは80円,セブンスターは100円だった。狂乱物価前のことで,100円あれば学生食堂はもちろん,町の大衆的な食堂でも昼食が食べられた時代だから,タバコを吸わない私は,80円もするタバコを友人たちがしょっちゅう買っているのが不思議だった。
 習慣として吸ったことはないが,友人からもらったりして吸ってみたことはある。当時から喫煙と肺がんとの関係は指摘されていたので,ある飲み会のとき「税金払って肺がん買う気はしないよ」と言ったら,某友人は「じゃあ,今日は税金の方はオレが払う」と言って1本恵んでくれた。
 鉄道も,国電(山手線,総武線など国鉄の都内・近郊電車)や近距離の私鉄など以外は喫煙が前提となっていて,席には灰皿が備え付けてあった。国電も,駅はもちろん喫煙可だった。東海道新幹線に禁煙車が登場するのは,1976年のことである。それも最初は「こだま」の自由席1両のみだった。
 70年代前半に就職した職場でも,当時はみな自分の席で吸っていた。「タバコを吸っている方が,何か考えているみたいに見えて,いいんですよ」などと言う先輩もいたし,パイプを机に並べている人もいた。30人ぐらいの大部屋にいたので,夕方になるといつも部屋の向こうが少しおぼろげになっていた。年末の大掃除のときには,金属のキャビネットなどに付着した黄色いヤニを落とすのに何時間もかかった。

 厚生労働省のサイト(→参照)によると,男の喫煙率は1971年がピークで83.7%,以後下がり続けて,2016年には29.7%になったという。喫煙派が50%を割ったのは2002年である。
 80年代になってからだと思うが,東京文化会館のホワイエに「禁煙コーナー」ができた。しかしそれは比較的短期間で逆転し,「喫煙コーナー」に変わった。それがさらに屋外に追いやられたのはだいぶ後のことである。

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Jul 09, 2017

訃報:後藤美代子氏

 NHKでオペラを中心とする音楽番組を長く担当していたアナウンサー,後藤美代子さんが7月5に亡くなった。享年86歳。
 後藤さんといえばまずはFMの「オペラアワー」。私がオペラを見始めた1970年代,あらすじを紹介する後藤さんの落ち着いた声は,ラジオ・テレビの他のどのアナウンサーよりも耳にお馴染みだった。
 訃報での紹介によれば,1953年のテレビ放送開始と共に女子アナ1期生としてNHKに入ったとのこと。定年退職後は,オペラの会場でも,その小柄な姿をよく見かけた。

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Jun 13, 2017

森の中――祖母・伯母,曾祖母

 幼いころ,というのは4,5歳ぐらいのときのことだと思うが,血縁関係というものがなかなか理解できなかった。おばあちゃんというはお父さんのお母さんなのだということはやがてなんとかわかったが,よくやってくる3人の伯母さんがどういう人なのかはわからなかった。当時私にはまだきょうだいがいなかったし,祖父母も1人しか知らなかった。
 伯母たちは,ひとりずつ,または連れ立ってやってきては,祖母や母とお茶を飲みながらおしゃべりをしていた。どうも近所のおばさんとは違うようだが,さてどういう「知り合い」なのだろう。そこで一生懸命考えたのは,昔々,森の中で焚き火を囲んだ集会のようなものがあって,「あなたと知り合いになりましょう」という相談をして知り合いになった,という筋書きである。森の中でというのはたぶん,当時よく聞いていた「森の小人」(森の木陰でどんじゃらほい…)という歌の影響だ。
 もちろん,当時こんなことを考えたとはっきり覚えているわけではない。ただ,「森の中」の記憶がかすかにあるのは,特に大人の血縁関係がかなり後までぴんとこなかったからだという気がする。

 祖父母というのは全部で4人いるはずだが,上に書いたように私は直接には1人しか知らなかった。これにひきかえ,2月に生まれたうちの孫は,祖父母それぞれの母,つまり曾祖母4人のうち,3人が健在である。
  (参照:→「曾祖母の秘密」)

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Jun 07, 2017

珈琲店と喫茶店/交流中

 このごろ,「星乃珈琲店」という看板が,繁華街の家賃の高そうな場所に増殖している。しかも,外の椅子で待っている人が絶えない。ウェブサイトによると店舗は全国で190ほどあり,ドトール・日レスホールディングスのグループ会社だという。飲み物のほかスフレとかサンドイッチ類等の多彩なメニューで,客単価を上げる努力をしている。
 価格は店舗によって違うらしいが,最高ランクと思われる大繁華街の某店ではブレンドコーヒーが600円。カフェの値段に慣れてしまった感覚からすると高いが,40年前に200円ぐらいの昼食を食べたあと喫茶店で150円のコーヒーを毎日飲んでいたころに比べると,相対的に特に高いわけではない。
 コーヒーが1000円近くする高級店「椿屋珈琲店」のチェーンも堅調のようだ。椿屋の店舗のいくつかは,かつての「談話室滝沢」を引き継いだものだ。
 そのほか,入ったことはないが,名古屋発祥の「コメダ珈琲店」のチェーンも東京に店を増やしている。
 かつての喫茶店文化はすっかり衰えてしまったが,いろいろな形で,ある程度は生き残っている。神保町周辺でも,老舗の「ラドリオ」「ミロンガ」「さぼうる」などのほかに,町を歩いていると,狭い道に小さな喫茶店の看板がひょこっと出ているのに出会う。

 プロ野球は5月末から交流戦の季節になった。各チームとも相手リーグの6球団と各3連戦,計18試合で,今は3カードめがパリーグ本拠地で開催されている。今日は,BSでは交流戦3試合の中継があった。
 交流戦はいつもパリーグが強い。去年はセリークで勝ち越したのは広島だけだった。今年はセリーグもこれまでよりはまあがんばっていて,順位でいうと上位半分はセパ3チームずつである(7日終了時現在)。ただし,ヤクルト・巨人が共に0勝(ヤクルトは1分あり)で,総計ではパリーグが54勝40敗2分と大きく勝ち越している。

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Apr 30, 2017

消えた赤羽「まるよし」

 先週,赤羽の名居酒屋「まるます家」に行ってみたが,店の前には10人近い行列ができていた。これはまあ想定内だったので,すぐにUターンして駅のすぐ近くの「まるよし」を目指した。ところが,店から数十メートルのところまで行っても,あの黄色い看板が見えない。向かい側まで行ったら,店は跡形もなく,なんと更地になっていた。縄が張ってあるだけで,あいさつ等の掲示はまったくない。
 「まるよし」は,この何年かはいちばんよく行くFの次に訪問回数の多い居酒屋で,私の「ある日記」(→参照)によると2015年,2016年は各9回行ったが,今年は2月に1回行っただけだった。コの字型のカウンターと小上がりがある古典的な店で,つまみは200円台が中心。焼き鳥・焼きとんが看板だが,一番人気は「キャベ玉炒め」だ。

 行ったら居酒屋が消えていたというのは実は2回目である。「前回」は,埼玉県の東武東上線某駅のすぐ近くの店で,これも行ったらきれいに消えていて,なんのあいさつも出ていなかった。しかしこの店は近くにいくつか店がある地元のチェーン店で,駅に近いいい場所だし,簡単につぶしてしまうとは思えなかった。予想は当たって,1年半ぐらいたって元の場所に,ほぼ同じ構造の建物が再建された。
 「まるよし」は,確かにいつ建て直しになっても不思議はないかなり古い建物だったから,建物と共にひとつの時代が終わったということなのだろう。復活はあるのか,チェーンでなくまったく単独の店だから心配だ。

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Apr 27, 2017

イヤホン通話に立ちふさがる警察署前

 少し前まで「自撮り棒」は,外国人がよく使うものというイメージがあったように思う。中国・韓国などからの観光客が使っているのが目立ったせいかもしれない。今は量販店にはかなり大きな自撮り棒売り場がある。
 これに対して,今でも外国人の使用率が高いと思うのは,携帯電話でハンズフリーで通話するシステムである。携帯電話以降,電話をしながら町を歩くのは珍しいことではなくなったが,電話を耳にあてずにイヤホンで話をしている人を見ると,昔,路上などで一人でしゃべるのが異様な光景だったことを,一瞬思い出してしまう。(→参照

 エレベーターで,日本人はドアが自然に閉まるのを待たずに「閉じる」ボタンを押す人の比率が高いという。逆に(というのも変だが),2つのフロアの間を往復しているエレベーターなどの場合,乗ってもだれも行き先階のボタンを押さず,出発しないで不思議な静寂が訪れるということがたまにある。
 よく利用する某駅に,階段もエスカレーターもなくてエレベーターしかない出入口がある。しかも地上に出たところがビルの構造に余裕がなくて,乗る人が待っているスペースがほとんどない。そこで普通の人はビルのすぐ外の脇で待つわけだが,時々,出口の正面に立ちふさがって待つ人がいる。そうすると中の人が出るのが遅くなって,結局自分が乗るのが遅くなるということは子供でもわかると思うのだが。

 テレビのニュースで,「逮捕された容疑者がいる○○警察署の前」から中継があったりする。ほかにネタになる映像がなくてテレビ局は苦労しているのだろうが,ニュース映像としての意味はほとんどない。

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