昔話

Dec 13, 2018

フェルメール――30年で20/35

承前
 今回のフェルメール展で,分厚くて重い公式図録とは別に,AERAムック『フェルメール展 公式ガイドブック』というのがあったので買ってみたところ,画家とその作品についての基本的なデータが載っていて,保存するに足る内容だった。
 重要なデータのひとつは,フェルメール作品の来日記録である。来日は1968年に始まり,今回初来日の3点を含めて,全35点中,23点がやってきたという。私は1987年の「西洋の美術展」以降,17回のうち14回の展覧会に行って,全部で20点見たことになるらしい。さらに,今回1月9日から展示される「取り持ち女」(初来日)と大阪でのみ見られる「恋文」を見れば計22点になる。所蔵美術館まで出かけないでこれだけ見られるのは「絵画幸う東京」ならではのことである。
 同時に来日した点数がこれまででもっとも多かったのは,2008年の「フェルメール展」の7点だった。このときのことはこのブログにも,「(7点というのは)空前のことであり,たぶん絶後となろう」と書いたが(→参照),今回(同時には)これを上回る8点で,実際には「絶後」ではなかったことになる。
 上記1987年の「西洋の美術展」は,ゴヤの「巨人」を初めとする大作が目白押しで,フェルメールはやや影が薄かった。しかしその後,2000年に大阪でのみ開かれた「フェルメールとその時代展」あたりを転換点として,フェルメールの「神格化」が進んだような印象がある。

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Oct 18, 2018

最後の公演が日本

 シャルル・アズナブールが10月1日に死去したと聞いて,来日公演のニュースを見たばかりだったので驚いた。享年94歳。そのわずか12日前,9月19日の大阪公演が生涯最後のステージになった。
 それで思い出したのは,マリア・カラスのこと。1974年12月11日の札幌での公演(ピアノ伴奏)が,最後の公演となった。当時51歳。ただし,カラスの場合は亡くなったのは2年半以上後の1977年9月だった。
 そうか,この2人は同じくらいの世代だなと気づいてデータを見たら,カラスは1923年12月,アズナブールは1924年5月の生まれで,誕生の日は半年ほどしか違わないのだった。なお,イヴ・モンタンは少し上で1921年,エディット・ピアフはさらにその6年上で1915年生まれである。

 偶数月の15日は年金の支給日である。今回は今週の月曜日で,客の平均年齢の高い某居酒屋は,いつもにも増してにぎやかだった。豊洲の魚が入荷し,早くも鍋物が始まっていた。
 飲み屋でなくても「15日」は意識されていて,「ぱぱす」の老人サービスデーは毎月15~17日だし,某中堅チェーンのスーパーでは15日をシルバーお宝デーとしている。

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Oct 08, 2018

市場移転 東京日和

 築地市場が,移転のため10月6日昼で営業を終了した。直線距離で2kmちょっと離れた豊洲での営業開始は11日で,まる4日間あまり休みになる。
 某大繁華街の居酒屋Fでも,6日夜に行ったときは店内はふだんと変わりがなかったが,厨房はこの間のメニューに頭を抱えているという話だった。メニューを書いた短冊が壁一面にずらりと並んでいる古典的な店で,魚だけというわけではないので,一時的に刺身が品切れになってもまあ乗り切れるとは思うが。

 有楽町のJRの高架の下には個性的な飲み屋がたくさんあるが,中でもいつも混んでいるのは「登運とん」(これで「とんとん」と読む)。外人さんにも人気で,帝国ホテルやザ・ペニンシュラ東京に泊まっていてもここに飲みに来る人が多いらしい。レジ脇には「年中夢中,年中無休」というスローガンが掲げられている。
 レンガのアーチの壁に貼ってあるのは,東京メトロの「東京日和」というシリーズのポスターの2004年ごろの1枚で,この店の写真に「ロンドンのパブも渋いけれど,有楽町のガード下も捨てがたい」という名コピーを配している(→参照)。
 焼きとんともつ煮込みが名物かつ基本。そしてありがたいのは,樽生ホッピーがあること。
 帰りがけに見たら,道をはさんで向こう側には「ドンドン」というお好み焼きの店があった。

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Oct 03, 2018

10月1日の記

 昔の10月1日は,高校などの制服が一斉に冬服になる衣替えの日だった。
 今年の10月1日,街や電車になんだか子供・未成年が多くて,運動会の翌日で休みなのかな,それにしては多いなと最初は思っていたが,しばらくして,今日は都民の日で公立学校は休みなのだと気づいた。
 同じ日の午後,たまたま通った学生街で目立っていたのは,就活スーツの学生たち。企業の内定式を終えて,大学へ戻ったところらしい。彼らに関してはその就活スーツがしっかり役に立ったことになる。

 この前日の30日,台風が24号がやってきて,首都圏のJRは「計画運休」を行った。細かくは線区によって違うが,「20時をめどに首都圏の在来線をすべてストップ」させた。
 計画運休はJR西日本では9月4日の台風21号のときに実施されているが,首都圏では初めてである。当日は多くの人が早く帰宅して,さほどの混乱はなかったようだ。しかし,翌10月1日は,当初は始発から通常運転としていたが,実際には停電があったり,線路に倒木があったりして,平常ダイヤに戻るのに時間がかかった。

 同じ10月1日夕方,長男の次女が生まれた。昨年2月,今年8月に続き,3人めの孫となる。
 長男の家では,赤ん坊を育てること自体については,上の子で大きな経験値を得ているが,こんどは2人の子を同時に育てるという大きな課題に挑戦することになる。その手伝いで,今週は,上の子の保育園への送迎を担当中。

 これで,暦年の4分の3,年度の半分が過ぎた。

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Sep 25, 2018

N響のシベリウス「クレルヴォ」

 21日(金)夜は,NHK交響楽団定期演奏会(NHKホール)へ。パーヴォ・ヤルヴィ指揮で,シベリウスの短い曲3曲と初期の大作「クレルヴォ」というすべて男声合唱つきの曲によるプログラム,合唱はエストニア国立男声合唱団。近くの客席には,フィンランド人らしい人がたくさんいた。
 前半の最後は交響詩「フィンランディア」の男声合唱入りの版。中間部の旋律を無伴奏の合唱曲にしたものと原曲を組み合わせたもので,こういうのがあるということは知っていたが,初めて聞いた。感動的。

 「クレルヴォ」は40年ぶりだった。前回は1978年,渡辺暁雄が東京都交響楽団の常任を退任するときの特別演奏会で聞いた。そのときは歌詞は日本語で,合唱の始まりの部分の歌詞と旋律は今でも覚えている。そのときも,また多くのCDでも,曲名は「クレルヴォ交響曲」と表記されていたが,今回のプログラムでは単に「クレルヴォ」となっていた。初演時は「交響詩」と表記されたが,何回かの演奏ののち,シベリウスは生前の演奏・出版を禁止してしまったため,作曲者の意図がはっきりしないらしい。
 「カレワラ」を題材にした5楽章の大曲で,ソプラノとバリトンの独唱が兄妹(かつ恋人同士)役を歌う。そう,『ワルキューレ』のジークムントとジークリンデを思わせる。で,音楽は若々しく適度に野性的で,演奏も,「カレワラ」の世界にふさわしく雄弁かつ雄渾。最近では珍しく,眠くならなかった。
 合唱は見たところ47名で,豊かな響きを堪能できた。演奏後,オーケストラが退場したところで,再び拍手が起こり,合唱団を拍手でお見送りした。

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Sep 12, 2018

台風21号と北海道胆振東部地震

 先週は,「天変」と「地異」に相次いで襲われた。こんな大災害でもどんどん記憶が薄れていくから,こうしてメモしておけば少しは思い出す手がかりになる(かもしれない)。
 まず,9月4日,関西を台風21号が直撃,尋常でない強風が吹き荒れた。そのあと関西空港の件が起きたのでその前のことは忘れてしまいそうになっているが,泉南市だったか,なぎ倒された電柱の写真は衝撃的だった。トラックが衝突しても倒れそうもない電柱が,軒並み9本,同じ方向に倒れていた。
 同じ日,関西空港が高潮で冠水して使用不能になり,さらに連絡橋がタンカーの衝突で破損して通行できなくなって,文字通りの孤島になった。かつてヴェネツィアが高潮で水浸しになったのを思い出す。

 そして台風のニュースを吹き飛ばすように,6日未明,北海道で大地震が起きた。北海道では,十勝沖,奥尻島など,海の方で何度か大地震が起きているが,札幌など北海道中央部はあまり地震のイメージはなかった。
 こちらで衝撃的だったのは,厚真町の山崩れの写真。何十もの山がすべて同じ方向に崩れて,半分土を露出させていた。
 最大の火力発電所が止まって,北海道はほぼ全体が停電した。ひとつ止まると需給のアンバランスが生じて周波数が安定しなくなり,他の発電所も自らを守るために停止するのだという。かつて電力会社の人に,電気は使用量が増えるとリアルタイムで増産するという話を聞いたことを思います。

 7月豪雨で大きな被害のあったJR西日本は,姫新線,因美線などが運転を再開し,呉線も一部運転を始めた。JR四国は残っていた予讃線の卯之町駅~宇和島駅間が,明日13日運転再開だという。めでたい。
 なお,関西空港連絡橋は,鉄道線路は9月中に復旧。道路は片側のみで対面通行をしていて,もう片方の復旧の見通しは立っていないとのこと。

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Sep 04, 2018

伊勢湾台風の日に

 今年は台風が早い時期から「毎号」のように近づいているが,今日は非常に強いままの21号が襲来した。関西のJRは,「本数を減らしていき,昼以降は全面運休」というあまり聞いたことのない措置をとっている。
 台風についての古い記憶は,まずは1959年の伊勢湾台風である。被害が大きかったのは愛知県・三重県だが,関東地方でもかなりの雨と風に見舞われた。当時私が住んでいたのは古い木造の家で,雨戸を早くから閉めたが,一晩中風で家ががたがた揺れて怖かった覚えがある。ラジオなどでは「超大型」という意味で「マンモス台風」という言い方をしていたので,あとでこの夜のことを「マンモス台風」という作文に書いた。

 伊勢湾台風というと思い出すのは,伊勢湾台風がやってきたその日1959年9月26日に開店したというバーFである。
 東京某所,街道沿いだが裏は住宅地という静かな場所にあったその店に私が通うようになったのは,開店から16年後のことだった。美しい上品なママさんにはファンの客が多く,開店25周年・40周年のときには,開店の日以来の客などが発起人になって盛大な記念パーティーが開かれたりもした。
 ママさんには双子の娘がいて,開店当時は小学生だったはずだが,私が行き始めたころには学校を出て店を手伝うようになっていた。後に,ママさんが倒れて入院したときも,娘たちの手で店は立派に守られた。
 2003年6月のこと,間もなく息子が成人するのでいっしょにFで飲みたいと思い,その「下見」に久しぶりにFへ向かった。しかし,店に明かりがついていない。扉に近づくと貼り紙があり,曰く「F店主N…子は1月18日に死去しました」。その前から同年9月に閉店する予定と聞いていたのだが,予定より少し早い閉店となってしまった。翌年,「FとN…子さんを偲ぶ会」が開かれた。

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Aug 23, 2018

金足農業 準優勝の輝き

 また高校野球だが,何度も奇跡を起こしつつ決勝までやってきた金足農業高校は,8月21日,大阪桐蔭の前に玉砕し,参加3781校の中で,3780番目に敗れたチームになった。何が起こるかわからないのが高校野球だが,秋田県内出身者のみからなる公立校チームは,「全国区」の桐蔭優勢の予想を覆すことはできなかった。

 金足農業は,県予選以来,固定した9人のメンバーのみで戦い,代走すら使わなかった。つまり,控え選手はまったく出番がなかったことになる。これはベンチ入りできなかったその他の部員よりましということになろうが,生殺しのようでかわいそうとつい思ってしまう。控え選手は全員2年生という事情はあるのだろうが,だからこそ,来年につなぐための配慮があってもよかったような気がするのだが。(表彰式では控え選手ももちろん準優勝メダルを受賞した。)
 決勝戦の5回まで全イニングを投げ,快進撃を引っ張ってきたのは話題の吉田輝星投手。この人の名は「こうせい」だというが,「輝」を《コウ》と読ませるのは大いに無理がある。この字の音を示すのは「光」ではなく右側の「軍」で,音読みは「揮」「暉」と同じく《キ》である。(調べたら,「輝」の部首はなんと「車」(くるま)なのだった。「光」の部分は部首でもないし,そもそも漢和辞典にはなぜか「光」という部首はない。)
 なお,吉田投手の11歳の弟の名は「大輝(たいき)」だそうで,こちらは穏当に《キ》と読んでいる。やはり野球をやっていて,「甲子園で優勝」をめざしているとのこと。

 翌22日のスポニチでは,1面の隅に,1969年の決勝の時の同紙の記事が小さく「引用」されていた。見出しは「太田,君にも深紅の大旗を」。太田とは,東北のチームとして戦後初めて決勝に進出した三沢高校(青森)のエース太田幸司で,決勝では延長18回を投げ抜いたあと再試合で敗れた。今年の決勝戦で「レジェンド始球式」をつとめたのは,奇遇にもその太田だった。

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Jul 24, 2018

7月23日の気温

 昨日7月23日は,暑さが当面のピークを迎えるという予報どおり,関東地方の気温が岐阜,京都などを上回って,熊谷で史上全国最高の41.1度,青梅で40.8度(都内で40度超は初),東京都心部でも39度を記録した。(京都は38.7度,那覇は31.3度だった。)
 「だれも出てはならぬ」というお触れを無視して,39度になったころ少し外出したが,柔らかくてまとわりついてくる湿気に包まれて不思議な感覚だった。気温が39度ということは,コンクリートの街は45度以上あったはず。

 都心部は,昨日の最低気温が28.5度もあった。最低気温を記録したのはこの日の日の出前だと思うが,熊谷でさえ28度,青梅は25.8度で,ちょっと見た範囲では都心部がどこよりも高い。

 当ブログを検索してみたところ,東京で観測史上最高の39.5度を記録したのは2004年7月20日だったらしい(→参照)。

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Jun 24, 2018

交流戦終了/短信2

 プロ野球交流戦は,6月21日に全日程を終え,ヤクルトが1位になった。
 順位表がちょっとおもしろくて,1位ヤクルトの下にオリックス以下パリーグが5チーム並び,その下に巨人以下セリーグが5チーム,最下位は楽天。トータルではパリーグ59勝,セリーグ48勝で,例年通りパリーグ圧勝だった。
 交流戦前,セリーグ内でヤクルトは最下位だったが,交流戦中に一時は3位にまで上がった。その後また下がったが,3位から6位まで0.5ゲーム差しかない(23日現在)。

【ワールドカップ短信】
 ワールドカップのグループリーグは,3分の2が終わった。やっぱり見ればおもしろいので,特に21時開始の試合はいくつか見た。
 第1戦を落としたドイツや引き分けたブラジルは,第2戦ではきっちり勝ったが,アルゼンチンはクロアチアに0-3で敗れ,グループリーグ敗退の危機に瀕している。しかし,当ブログの記録によれば,2010年南ア大会ではフランス,イタリアが,2014年ブラジル大会ではスペイン,イングランド,イタリア,ポルトガルが,トーナメントに進めなかった。勝負はやってみないと。
 2006年ドイツ大会の直前に,日本の強化試合の相手をしてくれたのが人口39万人のマルタ共和国だった。今回アルゼンチンと引き分けたアイスランドは,人口がもっと少ない35万人で,本大会史上最小の国。アイスランドにはちょっとした縁があるので(ただし,悲しい縁 →参照)陰ながら応援しているが,第2戦はナイジェリアに敗れた。

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