昔話

Dec 15, 2017

運転免許証と目的外使用

 11月某日,誕生日を前に運転免許証の更新をした。有効期限は「平成35年1月」となっているが,2019年5月に改元が行われるので,「△△5年1月」と読み替えることになる。
 今回は期間が5年間延長されたが,次回は70歳を超えるので3年間になり,更新には認知症のテストも必要になる。次回も無事に延長できるかどうか。車を運転すること自体はそう面倒だと思わないし,楽しいことも多いが,でも運転しないで酒を飲んでもよければその方がいいというのが正直なところだ。

 運転免許証は,本来,公道上で車を運転する能力があることを証するものに過ぎないものなのに,運転とは関係なく,顔写真付きの公的な身分証明書として「本人確認」のために使われることが多い。本来の用途以外の場面に出しゃばっているわけだ。
 それで少し大勢に逆らって(しかし体制に取り込まれて),場合によってはマイナンバーカードを使うようにしている。

 しかし,いまもっとも「目的外使用」が甚だしいのは携帯電話だ。もちろん,通話という本来の目的が忘れられているということはないが,電話以外に使う時間の方が圧倒的に長いのは,むしろ普通のことだろう。最初に Docomo が iMode を始めたときには予想もできなかった。(→参照「雑誌と通勤電車」)

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Dec 01, 2017

学生時代

 昔は有名だった英語の例文:
(1) My mother is my mother.
(2) Today is Sunday.
   (答えは末尾参照)

 昔,大学のクラスに,ある程度は意図的だと思うのだが,いつもすり切れたような服を着ている女子学生がいた。わざと古そうに見せるジーンズなどなかった時代の話である。で,ついたあだ名は「Bolacyさん」(<ミスボラシイ)。

 昔,学生のオーケストラのメンバーにハザマ君という人がいた。で,当然通称は「オケハザマ」。

 先日聞いた名言:
車で道路を暴走するのが18歳,逆走するのが80歳
自分探しをしているのが18歳,皆が自分を探しているのが80歳

  ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~
   上の英語の例文の訳:
    (1) 私の母はわがママです。
    (2) 東大は駿台である。(当時,東大合格者をもっとも
      多く送り出していたのは駿台予備校だった。)

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Nov 19, 2017

銀行の合併

 文学部系の者には縁がなかったことだが,1970年代の就職先の花形は総合商社と金融関係だった。金融関係の代表は銀行で,第一勧銀,三菱,三井,住友,富士が都市銀行のトップグループを形成していた。第一銀行と日本勧業銀行が合併して第一勧業銀行になったのは1971年と早かったが,それ以外はみな明治以来の財閥系で,「護送船団」という枠の中ではあったが互いがライバルであり,合併・再編など想像もつかなかった。
 それが,80年代に相互銀行が続々と普通銀行に転換されたのに続き,再編の波は90年代には大銀行に及んだ。バブルが崩壊し,北海道拓銀,山一証券,長銀,日債銀の破綻が相次ぐ中で,かつては三井と住友の合併など冗談にもならないくらい非現実的なことだったが,素人目にはあれよあれよといううちに話が進んだ。今の3大メガバンク+りそなという体制になったのは2006年だった。(同じ2006年,阪急電鉄と阪神電鉄の合併(経営統合)にも驚いた。)

 銀行への接し方も大きく変わった。ATMもその他銀行との提携もない時代は,銀行預金の出し入れは口座のある銀行の支店でのみ可能で,それも平日の9時から3時までに通帳と印鑑を持って窓口に行く必要があった。(→参照:休日の朝――昔のATM
 私が就職した1970年代前半にはATM(正確には払い出しのみの機械(CD)だったと思う)がだんだん設置されるようになった。しかし,最初のうちはATMの稼働時間は窓口の営業時間よりわずかに長いだけで,同じ銀行でしかおろせないのはそれまでと同じだった。都市銀行のオンラインシステムが相互接続されたのは1980年代半ばのこと。
 ちなみに,今となっては想像するのが難しいが,私の職場では70年代末まで月給は現金支給で,給料日の朝には経理の担当者が会社の車で現金(金種ごとの数を計算してある)を会社に運び,会社の会議室で給料袋に詰めていた。一般には,月給やボーナスの銀行振込は70年代前半に広まったと思う。そのひとつのきっかけになったのは,1968年の「3億円強奪事件」(東芝府中のボーナスを運ぶ現金輸送車が襲われた)だった。

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Nov 09, 2017

「真白き富士の根」と「高校三年生」――悲しくない短調 再び

 前に,昔の日本の歌には「悲しくない短調」の曲がけっこうある,という話を書いたことがある(→参照)。
 そのとき挙げなかった例として,「船頭さん」(村の渡しの船頭さんは…)と「森の小人」(森の木陰でどんじゃらほい…)のことをちょっと調べてみたら,この2曲は,ともに開戦の年1941年の曲で,歌詞の軍国的な部分を戦後改変したという共通点があるとのこと。私の子供のころにはみな知っている歌になっていたのは,NHKラジオの「うたのおばさん」などを通じて広まったからだと思う。(今だったら「おばさん」などというタイトルはつけないでしょうね。)
 「船頭さん」の作曲者は河村光陽という人で,この人は「うれしいひなまつり」「仲良し小道」「りんごのひとりごと」といった悲しくない短調の曲を残している。

 短調と長調ということでおもしろいのは,「真白き富士の根」(七里ヶ浜の哀歌)である。1910年1月に逗子開成中学の生徒ら12人が乗ったボートが鎌倉・七里ヶ浜沖で転覆して全員死亡した事件があり,その追悼会で,鎌倉女学校(現鎌倉女学院 逗子開成と創立者が同じ「姉妹校」だった)の生徒たちによって“初演”された。原曲はアメリカの賛美歌で,鎌倉女学校の教諭だった三角錫子が詞をつけたものである。この曲,たしかに楽しげな曲ではないが,長調だし,哀歌という感じではない。しかし,『日本唱歌集』(岩波文庫)の解説ほかによると,後に演歌師などが短調で歌って全国に広まったという。
 逗子開成も鎌倉女学院もほぼ地元なので,この事件のことは私は中学のころぐらいから知っていたが,後に聞いたところでは,この事件は,生徒たちが勝手にボートを持ち出して強風の吹く冬の海に漕ぎだして起きたという。とすれば,この歌がなかったら世の人の涙を誘うようなことにはならなかった可能性が高い。

 「青い山脈」の系譜に属する「悲しくない短調」としては,「高校三年生」(1963)が思い出深い。サビの「ああ」は女声コーラスをバックに2小節延ばされ,8分音符のキザミと共に盛り上がる。レコードのジャケットの舟木一夫は学生服姿だった。
 その後も,たとえば1975年の「我が良き友よ」(吉田拓郎)も,短調で青春を歌っている。しかし,歌詞の内容は「青い山脈」などより上の年代であり,かつてのような青春賛歌とは趣を異にしている。
 いま,明るい短調の曲は書かれているのだろうか。

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Oct 12, 2017

衆議院解散 1980と2017

 首相の思いつきによる「思いつき解散」によって衆議院議員選挙が公示され,選挙戦が始まった。今回の衆議院解散はかなり突然だったにもかかわらず,28日の解散から5日後には近所に選挙ポスターの掲示板が立派にできていた。――うーん,日本人は真面目だ。
 衆議院議員の任期は4年だが,たいていはそれ前に解散がある。前回の選挙からもう2年半以上たっていたから,関係者は少しずつ準備をしていたのだろうが,全国規模で誤りなく整えるのは容易ではないだろう。しかも今回は選挙区の区割りの変更があったし。

 私が選挙権を得て以来,今回は18回目の総選挙になるらしい。その中で,あまりの突然の解散にもっとも驚いたのは,1980年5月の通称「ハプニング解散」である。
 当時私は一人暮らしでテレビを持っていなくて,解散のニュースを知らないまま寝た。翌朝は土曜日だった。寝ぼけまなこで新聞を広げたところ(今の多くの若者と違って新聞は取っていた),「大平内閣不信任案可決」「衆院解散へ」という大見出しが踊っていて目が覚めた。
 不動の自民党政権の時代で,不信任案が提出され否決されるのは儀式のようなものだった。しかしこのときは,自民党内の反主流派の多くが採決を欠席したために,通るはずのない内閣不信任案が可決されたのである。大平首相は,当然総辞職はしないで衆議院を解散,予定されていた参議院選挙と初めての同日選挙になった。

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 うかつにも先週初めて気づいたのだが,東急東横線の日吉駅の駅メロは「若き血」だった。なるほど。

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Sep 21, 2017

エスカレーターを歩く/東京外し

 駅や商業施設などのエスカレーター上を歩くことの是非をめぐって,ときどき論争が起こる。鉄道会社や店舗側は,強弱はいろいろだが,歩かないことを求める掲示を出している。しかし,少なくとも鉄道の駅では,歩かない人はエスカレーターの(東京の場合)左側に立ち,歩く人のために右側を空けておく習慣が確立している。
 確かに走るのは危険だから,私は年も考えて,エスカレーターでは原則として走らないことにしているが,正直にいうと,急いでいるときは歩きたい。せっかく速く移動する手段があるのだから使いたいと思う。
 それで私は,自分なりの原則を立てた。その1は「なるべく(特に下りは)階段を歩く」。そしてエスカレーター上を歩く条件だが,その2「先行者(前を歩く人)が複数人いるときのみ歩く」。もちろん立っている人の状況(荷物を出っ張らせていないなど)を見た上でのことであるが,前を歩く人がある程度の数いて問題なく歩いていれば,危険性はぐっと減る。これに加えてその3は「付則」で「前に誰もいないときは歩いてもよい」。
 ただし,エスカレーターの安全基準の前提は,「歩かない」ことよりも「(急停止に備えて)手すりにつかまって乗る」ということに重点があるらしい。これをどうしてくれると言われるとちょっと困るが,とっさのときにすぐ手すりをつかむという心構えをしておく,というところだろうか。

 三菱東京UFJ銀行が,来年4月に名称から「東京」を外し,「三菱UFJ銀行」となるという。UFJと合併する前は「東京三菱銀行」で,当時はこれでも長いと感じていた(業界での略称は「トーミツ」だった)(→参照)。
 東京三菱は,三菱銀行と東京銀行が合併したものである。東京銀行は,昔の横浜正金銀行が解体された後その業務を引き継いだ外為銀行で,かつては外貨,特に米ドル以外の入手には,たいてい東京銀行へ行っていた。その東京銀行に由来する「東京」が今回消えることになる。

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Sep 06, 2017

岩波文庫の新しい源氏物語/京浜急行特集の臨時増刊

 書店を歩く時間が昔より減っていて8月になってから気づいたのだが,岩波文庫の新しい『源氏物語』の第1冊が7月に出た。原文が右ページ,注が左ページの対注式で,内容は『新日本古典文学大系』を基にしている。第1冊は「末摘花」(54帖のうちの6帖目)までが収録されていて,全9冊の予定だという。ということは、第1冊だけ読んでも「須磨源氏」の半分にしかなれない。
 高校生のとき,精一杯の背伸びをして,岩波の古い方の古典大系の『源氏物語』の第1巻(全5巻のうち)を,学校の図書館から借りて読んだ。もちろん,大ざっぱにさえわかったとはいえなかったが,なんだかすごい世界があるんだなと思った。確か「須磨」まで入っていたと思うので,一応「須磨源氏」の仲間入りをしたことになる。
 その後,与謝野晶子による現代語訳で全帖を読んだ。敬語を大胆に省略したり,登場人物の呼び名を原文にないものにしていたりしていて(実際には一貫した呼び名がないとわからなくなってしまう),原文の面影があまりないことは素人にもわかったが,ともかく物語として読み通した。その中で,物語というより小説としておもしろかったのは宇治十帖だった。
 新しい文庫本で読んでみたいが,本を置くスペースがますます窮屈になっていて(かといってこの手のものは電子書籍で読む気はしない),しかもほかに未読の本の山がある現状では,さてどうしたものか。

 同じく8月になってから気づいたのは『鉄道ピクトリアル』の8月臨時増刊号「【特集】京浜急行電鉄」である。
 『鉄道ピクトリアル』は,ほぼ毎年,大手私鉄1社を特集した臨時増刊号を出しているが,今年は京浜急行に順番が回ってきた。これまでの京急の増刊号は,私の知る限りでは,1970年10月,1980年9月,1988年9月,1998年7月の4回あり,今回は19年ぶりになる。1970年のは全94ページ,うちカラーは巻頭1ページだったが,今回は316ページ,カラーは64ページにもなった。
 この19年では,京急蒲田駅の高架化がいちばん大きな出来事だった。次の10年は大師線の地下化が大きなトピックスになるだろう。

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Aug 28, 2017

横浜DeNA,3連発&3連続サヨナラ

 先週,横浜DeNAベイスターズが,首位広島を相手に3試合連続サヨナラ勝ちをおさめた。
 最初は22日(火)の3者連続ホームランである。5-2で負けていた横浜は,9回裏,筒香(2ラン)・ロペスの連続ホームランで同点とし,次の宮崎がサヨナラ・ホームランを打って勝った。3連発といえば,伝説となっているのは阪神のバース・掛布・岡田の「バックスクリーン3連発」(1985)だが,そのときと同様に,負けていたチームの3番から5番の選手による3発で追いつき,逆転した。しかも今回は,2発目でちょうど追いつき,3発目がサヨナラ・ホームランとなったので,劇的という点ではバックスクリーン3連発に十分に匹敵する。
 それだけでも歴史に残る事件だったが,翌日もサヨナラ勝ちだった。
 3日目は私はスマホのテキスト中継(→参照)で見ていた。この日は6回表まで4-1で広島リード。それが,6回裏から横浜が毎回1点ずつ入れて,同点で9回裏を迎えた。それでも,まさかまたサヨナラなどということなどあるはずもないと思いながら見ていたところ,やがて表示された「1X」の文字。そのまさかが起こった。

 3連続の「中日」の23日(水)のスポーツニュースは,高校野球の決勝で埼玉県代表が初優勝,イチローが代打で特大の3ラン,本田のメキシコデビュー&ゴール,と印象に残る出来事が次々と伝えられた。

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Aug 17, 2017

珍しい応援歌――2017年盛夏

 8月9日,東京の最高気温は37度を超えた。この日に用事で外出したが,ふだんなら歩いていくところを地下鉄で遠回りし,駅からは日陰を探しながらゆっくり歩くしかなかった。2020年のオリンピック期間中にはこんな日も当然あるだろう。こんな時期に開催なんて,狂気の沙汰だ。

 しかし,その後は雨ばかりで,半袖では寒いような日もある。
 8月16日,仕事場へ行くべく電車に乗ったら都心方向はがらがらだった。
 神保町も夏休みの飲食店が多く,歩いている人は少ない。しかし,比較的新しい店は張りきって(または借金を返すためにやむを得ず?)ふだん通り営業しているところが多い。休むにしても,11日が「山の日」になって,いろいろな休みのパターンができたようだ。

 高校野球の放送をつけたままパソコンに向かっていたら,昔からなじみの曲が聞こえてきた。原曲よりテンポが速いが,まぎれもなく“Love Me Tender”である。野球の応援では非常に珍しい選曲なのであわててテレビの画面を見たら,天理高校の応援団だった。吹奏楽でも名門の天理高校がもうひとつ演奏していたのはビートルズの“Ob-La-Di, Ob-La-Da”で,どちらも今の生徒はもちろん,多くの学校の監督さんも生まれていないころのヒット曲である。
 知っている曲で,テレビから多く聞こえてきた応援の曲は「アフリカン・シンフォニー」(→参照)。「あまちゃん」のテーマも何校かが演奏していた。

 火事のニュースで,「この家に住む67歳の男性と連絡が取れなくなっているということです」などという。昔だったら単純に「行方不明になっています」と言っていたところだ。
 事故のニュースで「2人が心肺停止の状態で発見されました」などという。これは昔なら「死亡」に含まれていたものだろう。そういえば,「重体」というのもあまり言わなくなったような気がする。
  「捜査関係者への取材で…」については →参照
  「容疑者」という「敬称」については →参照

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Aug 10, 2017

8月10日は本拠地サイト記念日――開設20周年

 今日8月10日,1997年に始めた私の「本拠地」ウェブサイトが開設20年の日を迎えた。今見ると,「ホームページ」というタイトルが時代を感じさせる。
 本拠地は主に「オペラの章」「鉄道の章」「神保町の昼食の章」からなっているが,いま随時更新しているのは「オペラの章」の「見たオペラ」一覧の部分だけである。まさに細々とという状態だが,思いがけず20年も続いているということには少なからぬ感慨がある。(2004年にこの「ブログ別館」を作ってからは,日常的な報告や覚え書きはブログが主になっている。)
 以下,8年前の12周年のときにこのブログに書いたものを再掲:
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 90年代半ば過ぎまで,ネットといえば「パソコン通信」という時代だった。1995年の Windows95 の登場で素人でもインターネットに接続できるようになり,パソコン通信の運営会社がインターネット・サービス・プロバイダーを兼ねるようになってきて,状況が変わってきたのだったと思う。
 私は2つのパソコン通信サービスに加入していたが,そのうちの1つ Asahi-net がインターネットに積極的な対応をし始めたので,それに乗ってインターネット接続を始めた。ダイヤルアップ回線だから,画像があるとその表示に10秒ぐらいかかったりした。当時どのようにして興味あるサイトにたどりつき,どういうサイトを見ていたのかは,もはや記憶が定かではないが,今のようにネットといえばまず検索,という感覚でなかったことは確かである。
 1977年に Asahi-net によるホームページ作成のガイドブックが出た。これが,私のウェブサイト開設の直接のきっかけになった。独立のホームページ作成ソフトはまだなくて,Netscape Communicator(当時の先端的ブラウザ)付属の HTML 編集ソフトComposer を使った。しかし,これが使い勝手が悪く,「オペラの章」の表を初めとする基本的な構造を作った以外は,文字の大きさ・色,背景の色などを指定するタグを,テキストエディタ上で大部分手作業で入力した。表の作成は Excel のデータから変換したものを元にしたが,これの整形・整備がいちばん面倒だった。通信速度が遅かったから,データを軽くすることが重要な課題だった。
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 私の2年前に,iioさんが「Classica」(このブログの左のバーにリンクあり)を始めた。会社・官庁のホームページもほとんどなかったころで,個人のサイトの偉大な先駆であり,常に私のお手本だった。一部のブログ化などもiioさんを見習った。私の知っている個人のサイトで20年以上続いているのは,Classicaがほとんど唯一の存在である。

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