昔話

Nov 10, 2019

ベルリンの壁 崩壊30周年

 11月9日は,ベルリンの壁崩壊から30周年の日だった。
 当時,「壁」が崩壊すれば東西ドイツの統一も検討されることになるだろうという話も出たが,それはどちらかというと希望的観測だったように思う。それから1年足らずでドイツ統一が実現するとはまったく予想できなかった。まして,2年後に超大国ソ連がなくなるなどというのは,想像すらできなかった。

 以下に,10年前,2009年11月9日に書いたエントリーを再掲する。

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    「壁」崩壊20周年の日に

 11月9日は,ベルリンの壁崩壊から20周年の日である。
 あの年1989年の夏から秋にかけて仕事が忙しかったために,新聞の2面以降の海外のニュースにあまり注意を払っていなかったので,最初はちっとも理解が及ばなかった。しかし,やがて連日新聞の1面に何かしら載るようになって,ただならぬうねりが起きていることをいやでも知らされることになった。

 団塊の世代にとっては,ドイツは子供のころから東西2つの国だった。キューバ危機で核戦争一歩手前になるという出来事があったりして,冷戦に終わりが来るなどということは想像できなかったから,ドイツ統一などわれわれが生きているうちに実現することはないだろうと思っていた。
 学生のころ,たまたま家にあった昭和10年ごろ刊行のドイツの音楽史跡写真集(属啓成(さっか けいせい)編)を開いてみたところ,閉ざされた国・東ドイツの都市だと思っていたバッハゆかりのライプツィヒ,ドレスデンなどが当然「ドイツ」の都市として載っていて,非常に不思議な感じがした。

 高校の時の先生に,ドレスデン出身のS師という神父さんがいた。あるとき生徒が「先生の出身は東ドイツなんですね」とうっかり言ったら,S師は「東ドイツじゃないよ,ドイツだよ」と諭すように言った。お姉さんがドレスデンのオペラのソプラノ歌手だったという話も聞いた。先生自身も声が良く,歌がうまくて,ドイツの登山の歌などを教わった。
 1980年前後だったと思うが,S師は来日から50年近くたってようやく故郷ドレスデンを訪れることができた。そのときのことを書いたエッセイに,西側から乗った列車が,東側に入ったとたんに,線路の保守状況が悪くなってガタガタいいはじめ,スピードも落ちたのは悲しかった,という一節があった。
 S師が2年前に亡くなったとき,通夜に集まった友人たちと,先生はドイツ統一を見ることができて本当によかったね,と語り合った。

 ベルリンの検問所が開放されて東ベルリン市民が西へ押し寄せたのは,現地時間で11月9日夜,日本では11月10日を迎えていた。その10日の未明,わが家では次女が誕生した。「ベルリンの壁「崩壊」」という大見出しと壁をハンマーで壊す若者の写真が載った10日の夕刊は,今も保存してある。次女には,東西を隔てる壁に穴が開いたことに,ちょっと牽強付会だが,少し関係のある名前を付けた。

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Nov 07, 2019

鉄道の不通その後

 10月の台風・大雨の影響による鉄道の不通はまだ続いているが,次の3つの線区は11月中に再開の見込みとなった。
  ・両毛線 岩舟~栃木駅間  11月中旬運転再開見込み
  ・磐越東線 小野新町~いわき駅間  11月中旬運転再開見込み
  ・八高線 寄居~北藤岡駅間  11月下旬運転再開見込み
 しかし,以下の線区はまだ目処が立っていない。来年ということになってしまうのだろうか。
  ・吾妻線 長野原草津口~大前駅間
  ・水郡線 西金~常陸大子駅間
  ・八戸線 階上~久慈駅間
  ・小湊鐵道 上総牛久~上総中野駅間
  ・箱根登山鉄道 箱根湯本~強羅駅間

 小湊鐵道は,9月の台風で不通になって13日後に復旧したのだが,再び不通が続いている。
 特に被害が深刻なのは箱根登山鉄道。最近のニュースの見出しに「年内をめどに」という言葉があったので,あ,よかった,と思ったのだが,よく見たら,年内をめどに「復旧の方針を決める」というニュースだった。

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 首里城の火災(10月31日)から1週間たった。首里城へ行ったのはその2日前だから,まだ9日しかたっていないのに,もはや遠い幻のような思い出になってしまった。
 再建について,前の復元と違って設計図が残っているということを先日書いたが,実際には,木材や瓦の材料の不足,職人の減少などの問題が深刻だという。

 沖縄のモノレールに初乗車してから2日後,上野動物園のモノレールが31日限りで運転を休止した。今の車両は,製造から17年たってかなりの劣化が見られるという。遊園地の乗り物ではなく,東京都交通局によるれっきとした都営の交通機関だった。
 開業は私が小学生のときだが,初めて乗ったのは大人になってからだった。

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Oct 23, 2019

消費税 Eight to Ten

 あわただしくしていてあまり気が回らないでいたが,10月1日から消費税の増税(8%→10%)が実施された。5%から8%になった前回(2014年4月)のような駆けこみ需要はあまり目立たなかったようだ。(前回については →参照1,→参照2
 本体価格1000円の場合,税込価格は1080円から1100円となる。20/1080,すなわち1.0185%の支払い増になるというのが,便乗値上げを伴わない「正しい転嫁」である。
 居酒屋Aでは,店員用の値上げ品目リストが冷蔵庫に貼ってあった。多くのメニューの中で20品目ほどを20円値上げしたという。居酒屋Bでは,「常任」メニューは値上げせずにがんばり,日替わり・季節メニューを20~30円上げるという方法をとった。

 今回の増税が今までと違うのは,食料品には軽減税率8%が適用されるという点である。軽減税率は外食には適用されないので,同じ商品が持ち帰るときと店内で食べるときとで税込価格が異なるという現象が生じるというのが,話題・問題になった。
 たとえばドトールでは,本体価格据え置きで,店内と持ち帰りとで同一にしたため,本体価格204円のブレンドSは,店内だと税10%で224円,持ち帰りだと税8%で220円となった。これが「原則通り」の方法だが,結果として,持ち帰りの価格は従来どおりで10円単位だが,店内では1円単位の価格が登場した。自社のプリペイドカード「ドトールバリューカード」がある程度普及しているという自信があるのかもしれないが,やはりレジでかかる時間は増えたのではないだろうか。(なお,ドトールの場合,店内では(指定しないと)陶器のカップ,持ち帰りは紙カップという違いがある。)
 これに対して,マクドナルドのように,店内での本体価格を下げて,支払額が店内と持ち帰りとで同じになるようにしたところもある。同一価格という点では確かにわかりやすいが,すべての商品について店内本体価格を下げたわけではなく,税込価格を10円値上げしたものもあるとのこと。
 医薬品は軽減税率の対象外だが,意外なことに,主に老人が薬をのみこむためのゼリーを大手ドラッグストアで買ったら,税8%だった。食料品という感じはしないが,これ自体はたしかに医薬品ではない。

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Oct 16, 2019

天変記2019――台風19号

 東日本大震災以来久しぶりに,自然災害の記録を残しておく。
 超大型の台風19号《ハギビス》による風雨のため,10月12日午後,関東地方のほとんどの鉄道が止まった。デパート,大手コンビニも多くは休業,わが家の近くのスーパーも午後は閉店になった。一度だけ経験したヨーロッパのクリスマスの日のような状態である。
 ラグビーワールドカップのプール戦はこの日の2試合と翌日の1試合が中止になった。
 新国立劇場では,今シーズンの開幕を飾る新制作のオペラ『エウゲニ・オネーギン』の公演(5回のうちの最後の回)が中止になり(私は6日に3回目の公演を見た),東京宝塚劇場では星組公演のマエラク(千秋楽の前日の公演)が中止になった。
 わが家ではつい1週間前に停電を経験しているので(→2つ前のエントリー参照),そのまま食べられる食料を2日分確保し,懐中電灯やラジオの動作を確認した。そのあと,やや高い位置にあった植木鉢を低い所へ避難させて準備は完了。風雨が強まってからの重要な任務は,雨水の排水口を落ち葉がふさいでいないかを確認することだった。

 今回の台風の進路や大きさを言うのに,「狩野川台風以来」という言葉が何度か登場した。狩野川台風は1958年,私の小学生のときで,怖かったということ以外なにも覚えていない。後から知ったところでは,この台風が上陸したのは,私の故郷の三浦半島付近だった。
 数年前,修善寺へ行く予定の前日に台風がやってきたことがあった。修善寺を流れている川は狩野川の支流なので,狩野川台風を思い出して前日には少し心配だった(結果としては問題なく行かれたが)。
 狩野川台風の翌年やってきたのが伊勢湾台風だった。関東地方には狩野川台風ほどの風雨はもたらさなかったが,来襲前後のことを作文に書いたせいもあって,古い家の「雨戸を閉めて心張り棒を交(か)う」風景が記憶に残った。

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Oct 11, 2019

旭化成本社は神保町――祝 ノーベル化学賞

 9日夜からずっとニュースに登場している旭化成本社は,神保町三井ビルにある。私の職場はかつてそこから60メートルほどの所にあり,しかも友人が同社の重要ポストにいたので,旭化成はご近所として親しみを感じる存在だった。
 神保町三井ビルは,神保町1丁目奇数番地のすずらん通り南側地域を「再開発」して建てられた3つのビルのうちのメインのビルである。このあたりはかつて小規模の書籍取次の店が建ち並んでいて,「神田村」と呼ばれていた。取り壊しが始まったのはちょうど20年前のことになる。
 三井ビルが建って再開発が完了したのは2003年3月で,同年12月,その1~9階に,会計検査院が「入居」した。霞ヶ関の中央合同庁舎7号館建設のあいだということで,結局4年間の仮住まいだった。その場所プラス14階のフロアに,2008年5月に日比谷から引っ越してきたのが,旭化成本社だった。
  神保町1丁目再開発の経緯については,以下を参照:
   本拠地 →神保町の昼食の章 →神保町昼食ニュース 目次

 台風15号による被害で不通になっていたJR久留里線の久留里~上総亀山間は,10月11日午後から運転を再開した。
 しかし,もっと強力な台風19号が近づいている。

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Sep 26, 2019

昼食の終わりと始まり――神保町だより9月

 神保町の昼食の店のいろいろな動きのうち,2件ご報告:
 マクドナルドの左の路地を突き抜けた右側の「魚百」で,ランチ営業を9月27日限りで終了するという貼り紙が出た。やはり人手不足なのだろうか。翌週からは,「ディナー営業」を15時50分からするという。
 ここの昼食では「海鮮丼」を何度も食べた。だいたい食べ終えてからご飯を足して出しをかけてお茶漬けにするところまで含めて 980円と,かなりのお徳用。毎月29日には「肉の日に対抗して」この海鮮丼が 500円で提供されていた。

 同じくマクドナルド左側の路地を入ってすぐの左側地下,メキシコ料理店の「ソルアミーゴ」(昔はエル・アルボリートという名だった)で,昼のみ営業のカレー店「まんぷくカリー24」が8月13日に開店した。通るたびに絶賛客引き中。
 ランチは1000円で,カレーは豚肉角煮,キーマ,およびそのハーフ&ハーフから,ご飯の量は大・中・小から選び,付け合わせ(コロッケ,焼きビーフン,もやしの和え物),サラダ,ドリンクは取り放題。ほかにデザートが付く。
 いくつかのウェブサイトによると,この店の店主は「間借り界のレジェンド」だそうだ。しかし神保町には,20年前にすでに昼だけの間借りカレー店があった。それはランチョンの左の道を北へ進んだ右側,居酒屋「櫓」で10年近く昼に営業していた「YAGURA」(1999/3/1開店,2008/8/4閉店)である。インド人(たぶん)がやっているけっこう本格的なインドカレーだった。
  参照:本拠地 →神保町の昼食の章
      →神保町 昼食さまざま
      →目次のずっと下の方「昼だけのカレー屋」
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Aug 26, 2019

アメリカの州と州都――今日の雑知識

 あるとき,米国の州の州都はけっこう小さな都市,あるいは知らない町が多いことに気づいた。そのとき気になったのは
  イリノイ州の州都は Springfield  シカゴではない
  カリフォルニア州は Sacramento  ロサンゼルスではない
  ミシガン州は Lansing  デトロイトではない
  ネヴァダ州は Carson City  ラスヴェガスではない
  ニューヨーク州は Albany  ニューヨークではない
といったあたり。
 その後ネットを調べたら,Wiki にずばりこの件を扱った項目があるのを初め,一部では話題になっていた。それらを総合すると,州都が州内最大の都市でないのは,50州のうち33州にのぼるという。
 米国はその名の通り州の連合体(United States)であり,州の独立性が高いから,州都にはそれなりの役割があるのだと思うが,それは大都市でなくてもよいということなのだろう。

 アラスカとハワイが米国の正式な州になったのは 1959年で,州の数は50となった。このとき小学校の先生が,星条旗の星の数は州の数を表すと教えてくれたことがかすかな記憶にある。私の小学校はすぐ隣りが米軍基地で,星条旗はいつも目にしてした。
 ネット上の資料によれば,米国国旗のデザインが正式に50星に変わったのは,1960年の独立記念日のことだった。48星のときは8個×6行で整然と並んでいたが,50星では6個の行と5個の行が交互に9行(1行目と9行目が6個)並ぶ互い違い配列になった。

 アラスカは面積が最大の州である。アラスカの州昇格前は最大だったテキサス州の2倍以上ある。当時のテキサスでは「北部の連中から,アラスカを2つに分けてテキサスより大きい州を2つにしてやる,と脅された」というジョークが語られたという。
 面積の3位はカリフォルニア,4位がモンタナで,以上の4州は日本より大きい。
 人口はアラスカが最少かと思ったら,ワイオミング,バーモントに続いて下から3番目だった。当然,人口密度は最小である。
    (星条旗については →参照

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Aug 19, 2019

相鉄西谷駅

 真夏の某平日,相鉄・JR直通線(11月30日開通予定;→参照)の現況を見ようと,相模鉄道本線とJR直通新線の分岐駅・西谷(にしや)へ出かけた。
 小田急に乗り,居眠りしていて目を覚ましたら乗換駅の海老名だった。相鉄の駅に行くと,ちょうど特急が発車するところだった。特急は2014年から走っているようだが,乗ったのは初めて。大和に停車したのみで,14分で二俣川着,各駅停車に乗り換えて8分で西谷着。
 西谷は横浜市保土ケ谷区。昔,友人が西谷に住んでいて,「西谷ってどこ?」と聞かれると「新幹線で新横浜を出てすぐ飛び降りたとこ」と答えていたのを思い出す。東海道新幹線が「唯一の新幹線」だったころの話である。
 西谷は2面4線の分岐駅に改造された。中の2線が本線,外側2線が分岐して地下へ入るJR直通線だが,上りホームの分岐線側は柵がしてあってまだ使用されていない。ホームの端からは地下へのトンネル口が見える。まあしかしそれだけのことで,ほかに見るものもないなと思っていたら,「まもなく4番線に回送電車がまいります」というアナウンスがあって,柵がしてある側にのっそりと無人の電車が入ってきた。すぐ発車して,地下の新線へ入っていく。新線ですでに試運転が行われているというニュースは見ていたが,タイミングよく試運転電車に出会えたのだった。
 JR直通線が開通すると,西谷は特急停車駅になり,特急と各停がJRに直通する。西谷の次は羽沢横浜国大(新駅)に停まり,その先でJR貨物線に入り,次いで横須賀線・湘南新宿ラインに合流する。次の駅は武蔵小杉で,そのまま新宿まで行く(一部は埼京線経由で大宮および川越方面に向かう)。
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 猛暑だが,電車の中や建物の中は冷房が強すぎることが多く,軽い上着は手放せない。かつては,冷房は別に好きではないにしても特に弱いということはなかったのだが。
 小学校のころ,というのは1960年代初めごろだが,街の中心の商店街で冷房のある店は7,8軒にに1軒ぐらいだった。夏の帰り道には,冷房のある店の前ではゆっくりゆっくり歩いたり,数歩戻ってまた前を通ったりした。

 

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Jul 31, 2019

ドラム缶のベースギター――夏の思い出

 夏が来れば思い出す――中学のとき,というのは五十何年も前のことだが,毎年3泊4日の海のキャンプに出かけた。場所は三浦半島の先端近い小さな湾の奥にある合宿施設。学校にプールはなくて,このキャンプが水泳を習う唯一の機会であり,それまで泳げなかった私は,そこで中学1年のときに特訓を受けてやっと泳げるようになった。
 水泳以外の時間には,歌を歌ったり,ゲームやレクリエーションに興じた。このときに登場した年配のA先生は,生徒に歌を歌わせるために,なんと自作の楽器を持ってやってきた。それは,ドラム缶を立てて,上面に木の棒を水平に取り付け,そこに弦を張ったベースギターだった。
 弦は3本で,フレットはない。で,どうするかというと,弦を適当な調のド,ファ,ソに調弦し,主要三和音(ドミソ,ファラド,ソシレ)の根音を弾くのである。もちろん,簡単な歌でも主要三和音以外の和音を使うことはよくあるが,そのときは根音でなくともその和音に含まれている音で代用してしのぎ,最後をソ→ドと進行して終止すれば,けっこうそれらしくなる。で,私も弾かせてもらった。それまでメロディ楽器しか知らなかったので,ベースを弾くのはまったく初めてで,短い時間だったが低音楽器の快感を味わった。
 そのときの曲で覚えているのは「こおれる月影,空に冴えて」という歌詞で始まる「灯台守」である。原曲はイギリス民謡で,勝承夫の作詞だという。

 A先生は,中学生からするとかなりのおじいさんに見えたが,当時たぶん六十少し手前ぐらい。すでに学校を定年になっていて,嘱託かなにかで理科や技術家庭の授業をし,そのときは海のキャンプの手伝いにやってきたらしかった。ずっと後で知ったところでは,A先生の父は海軍の軍人でかつ東京帝大の教授,A先生自身も海軍の軍人で,A先生の弟は一人は戦前から戦後にかけて活躍した音楽評論家,もう一人の弟は古代日本語の音韻の研究で名を残して早世した言語学者なのだった。

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Jun 22, 2019

フランコ・ゼッフィレッリ死去

 6月15日,映画監督・演出家フランコ・ゼッフィレッリ氏が死去した。1923年生まれの96歳だった。
 初めてその監督作品に接したのは映画『ロミオとジュリエット』だった。1968年製作なので,ゼッフィレッリは当時45歳だったことになる。昔も今も私は映画にあまり熱心ではないが,このときは何かで紹介を読んで,珍しくちゃんと封切館で見た。十代の終わりごろのことである。
 シェイクスピアの原作どおりの年齢のジュリエットとして起用されたのは,撮影時15~16歳のオリヴィア・ハッセー。華麗なセットの中で,きらめくようにかわいく,初々しかった。ジュリエットだけでなくロミオ役のレナード・ホワイティングも私より若く,年下の俳優が主演する映画を見るのはもちろん初めてだった。ずっと前に書いた(→参照)が,そのオリヴィアが1980年に布施明と結婚するとは思いもよらないことだった。
 『ロミオとジュリエット』から10年あまりたって,ゼッフィレッリをオペラ演出の巨匠として知るようになった。今回調べてみたら,ゼッフィレッリ演出のオペラはこれまでに14回も見ていた(曲目の異なりは9曲)。
 [ロイヤル・オペラ](1979):『トスカ』
 [スカラ座](1981,1986,2009):『オテロ』『ラ・ボエーム』(2回)『トゥーランドット』『アイーダ』
 [メト](1997):『カルメン』『カヴァレリア・ルスティカーナ』&『道化師』『トスカ』
 [ウィーン国立](2004):『ドン・ジョヴァンニ』(以上すべて来日公演)
 [新国立劇場](2009,2013,2018):『アイーダ』(3回)(→参照;→参照
 たいていは舞台装置や衣装も演出家によるもので,『アイーダ』『トゥーランドット』が絢爛豪華なことは話題になるが,もちろんそればかりではなく,いつも具象的で精巧。舞台を見る歓びを味わわせてくれた。ちなみに,『トゥーランドット』のきんきらきんの宮殿は発泡スチロール製だとのこと。

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 先日,赤羽の「まるます家」の全面禁煙のことを書いた(→参照)が,神保町の薩摩焼酎の名店「兵六」は4月からすでに禁煙にしていたことに気づいた。

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