昔話

Apr 27, 2017

イヤホン通話に立ちふさがる警察署前

 少し前まで「自撮り棒」は,外国人がよく使うものというイメージがあったように思う。中国・韓国などからの観光客が使っているのが目立ったせいかもしれない。今は量販店にはかなり大きな自撮り棒売り場がある。
 これに対して,今でも外国人の使用率が高いと思うのは,携帯電話でハンズフリーで通話するシステムである。携帯電話以降,電話をしながら町を歩くのは珍しいことではなくなったが,電話を耳にあてずにイヤホンで話をしている人を見ると,昔,路上などで一人でしゃべるのが異様な光景だったことを,一瞬思い出してしまう。(→参照

 エレベーターで,日本人はドアが自然に閉まるのを待たずに「閉じる」ボタンを押す人の比率が高いという。逆に(というのも変だが),2つのフロアの間を往復しているエレベーターなどの場合,乗ってもだれも行き先階のボタンを押さず,出発しないで不思議な静寂が訪れるということがたまにある。
 よく利用する某駅に,階段もエスカレーターもなくてエレベーターしかない出入口がある。しかも地上に出たところがビルの構造に余裕がなくて,乗る人が待っているスペースがほとんどない。そこで普通の人はビルのすぐ外の脇で待つわけだが,時々,出口の正面に立ちふさがって待つ人がいる。そうすると中の人が出るのが遅くなって,結局自分が乗るのが遅くなるということは子供でもわかると思うのだが。

 テレビのニュースで,「逮捕された容疑者がいる○○警察署の前」から中継があったりする。ほかにネタになる映像がなくてテレビ局は苦労しているのだろうが,ニュース映像としての意味はほとんどない。

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Apr 11, 2017

同時に閉まる狭いサークルのズボンとブラ

 電車に乗ったと同時に扉が閉まったりすると,昔 simultaneous という語を「同時に閉まれば“閉まるテイニアス”」などと言って覚えたことを思い出す。もっとも,少なくとも米語では,「シマル…」より「サイマル…」という発音の方が優勢のようだ。

 米国の高校を卒業した知人(日本人)によると,数学の先生が semicircle(半円)を「セマイサークル」と発音するので,なんだか「狭い…」と言っているような感じがしたという。確かに円全体より狭いが。
 接頭辞 semi- の発音は「セマイ…」より「セミ…」が優勢だが,米国西部では「セマイ…」もけっこう多いらしい。

 英語で不思議なことのひとつは,ズボン(trousers,pantsなど)が1着でも複数形を使い,「1着,1本」というときは a pair of trousers などというということである。靴下,手袋ならまったく不思議はないし,眼鏡だったら,確かにレンズが2つ並んでいて a pair という感じがする。しかし,長ズボンのほかに,半ズボン,ショートパンツや(下着の)パンツなど,どうみても「一体不可分」なものまで複数形というのは,なんとも奇妙だ。
 はさみの類はこの中間で,普通の裁ちばさみなら,バラせないにしても2本の刃がはっきりしているから複数形というのもわからないではないが,やっとこ(pincers)やペンチ(pliers),さらにはピンセット(tweezers)となると理解しにくい。
 前に,職場の同僚(日本人男性)が,米国人女性と仕事をしているときにそんなことが話題になり,「ブラジャーは a pair of... って言わないんですか。形は眼鏡と同じじゃないですか。」と言ったところ,その女性は「確かに変ね」と言って笑い転げていたという。

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Mar 28, 2017

新国立劇場の『ルチア』/開いたチューリップ

 定番名曲路線を走る新国立劇場の今シーズンの演目の中で,「指輪」以外の唯一の新制作演目が3月の『ルチア』だった。もともと持っていた切符を振り替えて,行ったのは5回公演の最終日。主要歌手4名はいずれも,美しいメロディがとめどなくあふれてくるドニゼッティ節を堪能させてくれて,客席は大いに沸いた。歌手はカーテンコールではかなり弾けて,オケピットやプロンプターボックスに手を伸ばして握手したり,合唱のメンバーの手を引っ張って前に出るように促したりしていた。
 「狂乱の場」のオブリガートは,フルートでなく大型のグラスハーモニカで演奏された。これが作曲者の元々の意図だという。フルートのようにソプラノにぴったり寄り添って溶け合うのではなく,神秘的な音でほわっと包み込むような非現実的な響きで,「狂乱」というより「幻視の場」だった。奏者のレッケルト氏は,50以上の歌劇場で『ルチア』を演奏してきたとのこと(→参照)。
 演出家はモナコのモンテカルロ歌劇場の総監督で,この『ルチア』はモンテカルロでも上演されるが,それはまだ2年半も先のことである。(モンテカルロ歌劇場のサイトには,東京初日の映像つきニュースが出ている。)

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 東京・靖国神社の標本木の桜はいち早く開いたようだが,その後は寒い日が続き,開花はあまり進んでいない。見ごろは来週になるのでは?

 春が来ると思い出す。今は昔,息子が3歳ぐらいのとき,ベランダに置いてあった鉢植えのチューリップを見て,「チューリップ,開いてきたよ」という。そうか咲いたかと見に行ったら,花の形がなんとなくおかしい。実は恐ろしいことにこの「開く」は他動詞で,「チューリップ(を,僕が手で強引に)開いてきたよ」という意味だったのである。

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Mar 14, 2017

ブログ記念日/『ビブリア古書堂の事件手帖』最終巻

 このブログをスタートさせたのは,2004年の今日3月14日だった。それからの13年は,その時々に書いてきたとおり,退職,2回の引っ越しなど,自分史上のけっこう大きな出来事と,そして何よりも大震災と原発事故があって,それ以前に比べてかなり変化に富んでいた。
 私が生まれるまでの13年というと,日中戦争から太平洋戦争と敗戦,戦後の復興の始まりまでの年月である。それに続く私が生まれてからの13年というと戦後の復興の主要部分であり,そのすぐ後には(前の)東京オリンピックがやってくる。
 今から13年後には,先日生まれた孫が中学生になっているはずで,やはり短からぬ年月であることをあらためて思わせる。

 第6巻で「次で完結」と示唆されてから2年あまりを経て,三上延「ビブリア古書堂」シリーズ最終巻の『ビブリア古書堂の事件手帖7 栞子さんと果てない舞台』(メディアワークス文庫)が2月下旬に出た。楽しみながらなるべくゆっくり読もうと思ったのだがやはり先を急いでしまい,最後は駅のホームのベンチで読み終えた。
 このシリーズの舞台は,横須賀線の北鎌倉駅のそばにある古書店。主人公たちが歩き回るのは主に鎌倉・藤沢と横浜南部で,横須賀から横須賀線で高校に通っていた私にとってはなじみの場所ばかりである。ヒロインの栞子さんが卒業した女子高のモデルもすぐに思い浮かぶ。
 古書にかかわるミステリーというと,梶山季之『せどり男爵数奇譚』とか,紀田順一郎『古本街の殺人』などが古典的な作品だと思う。そうした中でこの「ビブリア古書堂」シリーズは,ふつうはおじさんの趣味と思われている古書をネタにしながら,若者を主人公にしたミステリーになっているのがおもしろいところ。カバーはおじさんにはちょっと恥ずかしいようなイラスト入りで,読者も若い人が多いらしい。本に親しむ若者が増えるきっかけになってくれるといいのだが。

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Mar 11, 2017

オペラ関係の訃報――クルト・モル,アルベルト・ゼッダ

 バス歌手クルト・モル氏と,音楽学者・指揮者アルベルト・ゼッダ氏の訃報を相次いで聞いた。
 クルト・モル氏は1984年から2002年まで8回も実演に接した非常になじみ深い歌手である。まだ78歳だった。2006年7月に引退したときのことはこのブログにも書いたが,当時67歳だったことになる。以下はそのとき書いたもの:

 モルは,1984年,ハンブルク州立歌劇場来日公演の『魔笛』のザラストロを聞いたのを皮切りに,ポーグナー,騎士長,オックス男爵,マルケ王,ロッコ,グルネマンツなどで,深々とした声を堪能させてくれた。
 思い出の中で頂点をなしているのは,1988年秋のバイエルン州立歌劇場が当時のミュンヘンのフェスティバルと同じ超豪華メンバーで上演した『マイスタージンガー』のポーグナーと,1994年のクライバー=ウィーン国立歌劇場『ばらの騎士』のオックス男爵である。共に,もはや伝説の舞台となった。

 アルベルト・ゼッダ指揮のオペラを見たのは,このブログにも書いたが,2008年,藤原歌劇団のロッシーニ『どろぼうかささぎ』1回だけである(→参照)。しかし,ゼッダ氏はロッシーニ・ルネサンスの立役者であり,『どろぼうかささぎ』のほか,『アルジェのイタリア女』『ランスへの旅』『湖上の美人』などに接する機会を得られたのは,元はといえばゼッダ氏によるところが大きい。

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 相変わらず,週2~3回,神保町近くへ通っている。古書店の街,スポーツ用品店の街,カレーの街であり,またオフィスビルも多い神保町だが,学生の街という側面は今も「健在」である。
 2月の上旬・中旬には,地下鉄の出口に,明大・日大などの受験生のための案内人がプラカードを持って立っていた。3月になると,こんどは就活スーツの学生が街に多くなった。間もなく卒業式,入学式と,季節は移りゆく。

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Mar 07, 2017

フィルム・カメラの時代

 「いつでも,だれでも,カメラとビデオカメラを持っている」という状態になったのは,(20)00年代の半ばぐらいからだろうか。Wikiによると,カメラ付きの携帯電話の発売は2000年秋だったという。以後携帯電話のカメラは急速に高性能化し,やがて動画まで撮れるようになった。今はどんな事件・自然現象が起こっても,必ず動画を撮っている人がいる。フィルム・カメラの時代には,カメラを手にするのは旅行や運動会など「撮るものがあるはず」のときというのが原則で,小さいカメラといえども日常的に持ち歩いている人は少数派だったと思う。
 1970年代の終わりごろ,当時所属していたオーケストラで,貸し切りバスで地方へ演奏に出かけたことがある。途中の景色のいいところで休憩したとき,約60人のメンバーの中でかろうじて1人だけカメラを持っていたので記念写真を撮ることができ,快晴の富士山を背景にした写真が今に残っている。演奏のために出かけたので,みなカメラなど持っていなかったのだった。
 もうひとつ今と大きく異なるのは,アナログ時代はフィルムと現像・焼付に金がかかったということである。物価の上昇に逆らってだんだん安くなったけれども,たとえば36枚撮りのフィルムが1本600円,現像が1本350円,サービス判のプリントが15円×36枚,計1490円という具合だった。私は,コンパクト・カメラに続いて一眼レフをデジタルにするまでの約30年間に,フィルムと現像・焼付には総計200万円以上費やしたのではないかと思う。
 今,だれかにシャッターを押してもらうときに,1枚撮った後「もう1枚撮りますね」などと言うのを聞くと,昔はそんなに気軽には言えなかったんだよと思ってしまう。

 スマホのアプリ「プロ野球速報」は,昨年の日本シリーズ最終戦を報じたのち冬眠に入っていたが,2月初めに目覚めてバージョンアップが行われ,今年からオープン戦とWBCの試合もテキスト生中継されるようになった。今夜はそのWBC初戦である。

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Feb 11, 2017

ガヴォット「アマリリス」/山手線の新駅

 JR赤羽駅の埼京線ホームの発車メロディーが少し前から「アマリリス」になり,何十年ぶりかでこの曲を耳にした。昔はけっこうよく知られていた曲で,私は小学校の器楽合奏で演奏した覚えがある。
 大人になってから,「アマリリス」はガヴォットであることに気づいた。ガヴォットは4分の4(または2分の2)拍子で,小節の真ん中から,つまり半小節というちょっと長めのアウフタクトで始まるのが通例。この曲もそうだ。
 最近ネットを検索してみたら,「アマリリス」の作曲者は,かつてはルイ13世と伝えられていたこともあるが,今はアンリ・ギス(Henry Ghys 1839-1908)というフランス人とされているとのこと。アンリ・ギスは,モーリス・ラヴェルの最初のピアノの師だという。
 ネット上にはこの曲の演奏も何種類かあって,聞いてみたらABACBCAというちょっと変則のロンド形式になっていた。私が中間部として知っていたのは下属調のCの部分で,短調のBの部分は聞き覚えがなかった。とすると,小学校のときにはどういう演奏をしたのだろう。当時,小節の真ん中から始まって中間部で転調するような楽譜を演奏できたとは思えない。A部分だけ,2拍移動して小節の最初からという形で演奏したと推測するのが穏当なところか。A部分は,ガヴォットであることを意識しなければ,1拍め始まりにしてもまあ大きな違和感はないのに対し,C部分は3拍めから始めないとサマにならない。

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 山手線の品川・田町間に作る新駅の起工式があった。暫定開業予定は2020年。山手線では,西日暮里駅(1971年開業)以来約半世紀ぶりの新駅となる。ちなみに,西日暮里の次に新しい駅は御徒町(1925年開業)である。
 駅名についていろいろな案が出ているが,周囲の地名の分布からは「高輪」が順当のように見える。対抗は「泉岳寺」,穴は「品田」といったところか。

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Jan 31, 2017

ポケベルの第1期/直前の2場所に優勝していなくても横綱

 移動中に連絡がつく手段を,一般人が歴史上初めて手に入れたのは,ポケットベルによってだった。ネット上の資料によると,携帯電話の前身の自動車電話(→参照)が登場する10年前の1968年ことだというから,もう50年近く前のことである。
 最初は,後の自動車電話と同じく,ごく限られた人が利用するものだったが,やがて料金も下がってきて,勤務先の取引先の人たちがポケットベルを持つようになったのは1970年代の後半だったと思う。いつも出歩いている営業担当の人に電話をすると,それ前は「帰りましたらお電話させます」だったのが,「呼び出してすぐお電話させます」「はい,いまポケットします」という返事に変わった。
 同じころ,ある演奏会の会場で産科医院の開業医に会ったら,「いやあ,ありがたい時代になりました。ポケベルがあるとなにかあったら連絡が来るんで,臨月の人がいても安心して演奏会に出かけられます」と言っていた。
 ずっと後に大流行したポケベルは数字なども送れるものになったが,当時のポケットベルは単に合図のベルが鳴るというだけだったから,持っている人は,ベルが鳴ったら自分の「本拠地」(自社,自宅など)に電話して伝言を聞くというのが普通の使い方だった。そのころオフィスの電話は代表電話から内線に人間がつなぐのが一般的で,固定電話も1人1台はまだ先の話,ましてケータイなどはドラえもんの世界のものだった。

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 大相撲初場所の結びで稀勢の里は白鵬に逆転勝ちし,新聞等の論調の後押しも得て,ともかく文句のない形で横綱に推挙された。正式に横綱に昇進したのは1月25日,たった1週間前のことである。その翌日には綱打ちが行われ,2日後には明治神宮で土俵入りが奉納された。昔からこんなに手際よく,というより慌ただしく,事が進んでいたのだろうか。
 前に蒙を啓いてくれた長山聡『大相撲 あなたの知らない土俵の奥』(実業之日本社)(→参照)によると,横綱昇進のための「連続優勝またはそれに準ずる成績」という内規ができた1958年以降の横綱27人中,「直前の2場所に優勝していないが横綱になった力士」が7人もいるという。

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Dec 28, 2016

火事記――横須賀市立病院 1962

 糸魚川で大火があった。ビル火災は別として,市街地の広い地域の火災は久しぶりで,ニュースで「大火」という言葉が使われるのもこの前はいつだったのか記憶がない。大火があった都市というと酒田,新潟,飯田,函館,八戸などといった名が思い浮かぶが,調べたら酒田(1976)を除いてみな60年以上昔の話で,実はなんとなく聞いたことがあるというだけだった。
 大火でなくても昔の方が火事が多く,私も何度か現場に遭遇した。郷里の横須賀には20年あまり住んでいたが,その間に自宅から徒歩3,4分の範囲で3回火事があった。その中で最大だったのは,1962年3月の横須賀市立病院の火災である。自宅との間には丘があって飛び火の心配はなかったが,町内最大だった建物が焼け落ちるのは恐ろしい光景だった。ちょうど小学校の卒業式を終えた直後に,自分が生まれた病院が焼けたということで,自分史の中でも印象に残る事件となった。
 横須賀市立病院の前身は,旧日本海軍の横須賀海軍病院だった。ということは横須賀市に払い下げられたのは戦後だと思い込んでいたのだが,今回ネット上の資料をあさってみたところそれは誤りで,関東大震災の後のことだったという。明治時代に建てられた建物が大震災で壊れたので,海軍病院は鎮守府近くに移転し,元の場所は横須賀市に移管されて,横須賀市はそこに1931年に市立病院を建てたということらしい。焼けたのは建築の31年後だったことになる。玄関には優美なカーブを描いた車寄せがあって,後から思うとなかなかしゃれた建物だった。
 火災後,病院は再建されず,3年後に横須賀市文化会館が建って,三浦半島随一の演奏会場となった。しかし29年後に,その地位は,オペラハウス仕様の横須賀芸術劇場に譲ることになった。
 私が通っていた小学校の校舎は旧海軍の施設で,米軍基地に接していた。金網の向こうには米海軍の病院があり,ときどき車椅子の人が看護婦さんに押されてその静かな庭を横切ったりしていた。震災後移転して新築された横須賀海軍病院の建物は,現在も米海軍が病院の一部として使用しているというから,私が見ていたのはその建物の裏側だったのかもしれない。後にヘミングウェイの『武器よさらば』を読んだとき,舞台となった病院の風景としてこの米海軍の病院を重ね合わせたりした。

 勤め人生活を終えて,年末だから特に忙しいということもないはずだが,実際には何かと気ぜわしい。ブログの更新もだいぶ間が空いてしまった。この間,暖かい日が多かった。

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Nov 27, 2016

米国大統領選挙の得票数/事件の舞台

 米国の大統領選挙はもはや旧聞と思っていたが,最終得票数はどうなったのだろうか。ネットをいろいろ探してみたが,「公報」のようなものは見当たらない。
 見た中でいちばん新しいデータは,the Cook Political Report による数字を引用した英国 Independent社の11月22日の記事で,得票はヒラリー・クリントンが6360万票(48%),ドナルド・トランプが6190万票(46.7%)となっていて,クリントンが170万票多い。全体から見れば僅差とはいえるが,選挙結果と逆でしかも170万票差というのは小さな数ではない。獲得選挙人数は232対306で,決して僅差ではないのだが。
 こういうことが起きるのは,州ごとに多数となった候補者が選挙人を総取りする制度のためだ(メイン州を除く)。総取り制度により,各州が巨大な小選挙区の状態になっているということになる。小選挙区制では,死票が多くなり,得票数との逆転現象が起きることがあるということについては,このブログでも書いたことがある(→参照――あれ,もう10年以上前か)。

 こちらはほんとうに旧聞だが,9月に慶応大の広告学研究会の集団暴行事件というのがあった。報道されていたように,この研究会(というサークル)は長い歴史のある団体で,葉山でキャンプストア(海の家)を長年運営してきた。
 私は,40年以上前の学生時代に,この葉山のキャンプストアに1日だけ関わったことがある。手引きした友人は慶応ではなかったし,どういう経緯だったかは思い出せないが,そこでのバンド演奏に参加したのだった。休憩時には,この事件の舞台となった合宿所(今と同じではないかもしれないが)で,昼飯をご馳走になったように思う。

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より以前の記事一覧