本と雑誌

Mar 14, 2008

3月14日はブログ記念日――diarists and bloggers

 今日3月14日で,当ブログは開設4周年を迎えた。開設以来の記事の数は348本。平均して4日に1本だから,ときどきブランクがあった割にはそこそこの頻度といってよさそうだ(という気がする)。だいぶ前に,「ブログ:3か月続く人は全体の55%どまり」というニュースがあったが,今はどうなのだろう。
 最初の2年分は,ブログを本にするサービス MyBooks の試作の題材となり,きれいな本にしてもらった(→参照)。ここはひとつ,次の2年分も本にしてみるか。

 昔は,藤原定家,藤岡屋由蔵,サミュエル・ピープスなど,日々の見聞を克明に記録した日記をつける人がいた。彼らが日記を書くのに費やしていた時間は,たぶん1日に1時間ではすまなかったのではないかと思う。これらはたまたま今に伝えられているが,実際には,戦乱や災害で失われた日記というのもきっとたくさんあったに違いない。
 現代の日記作者=ブロガーは,昔よりずっと恵まれた環境にあるとはいうものの,何年もの間ほぼ毎日書き続けている方々(例:篠の風さん,HIDAMARIさん,iioさん)のエネルギーには感服するばかりである。

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Jan 06, 2008

『神田村通信』

 昨年最後に読み終えた本は鹿島茂『神田村通信』(清流出版)だった。雑誌・新聞に連載した短いエッセイを中心にまとめたもので,『東京人』などに載ったものは読んだことがあったが,大部分は目にしたことがないものだった。
 鹿島先生のエッセイに接するときにはいつも同世代としての勝手な連帯感があるが,著者の書庫・仕事場のある神田神保町についての話には特に,「うん,そうだよな」「あ,そうだったのか」などと心中相づちをうちながら読んだ。今回初めて知って「うん,そうだよな」と思ったのは,神奈川県の京浜急行沿線からの遠距離通学・通勤の話題だった。
 フランス文学をベースにした蘊蓄を傾けるときとは別の表情がうかがえた。

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Dec 23, 2007

中島敦と岩田一男

 だいぶ前のこと,神奈川県立近代文学館へ中島敦展を見に行ったことがある。
 その展示物の中に,岩田一男あてのはがきというのがあった。中島敦が横浜の女学校の教師をしていたのは知っていたが,そのときの同僚の英語教師に岩田一男がいたのをそのとき初めて知った。
 岩田一男は,一般にはもう忘れられているようで,Wikipedia に項目がないが,60年代前半の大ベストセラー『英語に強くなる本』の著者である。長いこと一橋大学の教授をしていた。

 『英語に強くなる本』は,たぶん出てすぐ父が買ったとみえて家にあったので,ちょっと開いてみたらこれが子供にもおもしろく,当時中学に入る前で英語は何も知らなかったのに,英語のところは抜かして読んでしまった。トイレに入っていてノックされたときに「だれかがいます」というのだとか,道に迷って「ここはどこですか」ときくには「私はどこにいますか」という,といった導入部は,今も記憶に残っている。
 今思うと,肝心の英語を抜かして読んでもおもしろいというのは希有のことであり,それだけ本の出来が良かったのだろう。ずっと後に知ったのだが,その功績のかなりの部分は,カッパブックスを創刊した神吉晴夫の功績のようだ。

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Dec 16, 2007

赤頭巾ちゃんの登場

 1969年春のこと,友人が「日比谷高校の生徒を主人公にした変な小説が『中央公論』に出てる」という。借りて読んでみたら,都立日比谷高校(その2年前まで東大合格者数トップだった)の男女の生徒(と近所の女医さん)が出てきて,たいした物語があるわけではないのにやたら饒舌にとめどなく言葉があふれてくる。しかも登場人物は同世代で,時代は同時代――ほんとうに「変な小説」だと思った。それが庄司薫『赤頭巾ちゃん気をつけて』の初出である。

 「学校群」前の日比谷高校は大学のような高校で,2期制で90分授業,個性的な名物教師が揃っていた。『赤頭巾ちゃん気をつけて』にもそのあたりのことがいろいろ書かれているが,文芸雑誌がいくつも出ているというのと並んで「馬鹿でかいオーケストラがあってしょっちゅう演奏会をやっている」というくだりには笑ってしまった。もちろん,当時,高校のオーケストラというのは非常に貴重な存在だったが,関係者によると,日比谷のオーケストラは馬鹿でかくはないし,しょっちゅう演奏会という状況ではなかったという。
 その年の夏,『赤頭巾ちゃん気をつけて』がなんと芥川賞に選ばれて再び驚いた。(その5年後,庄司薫が中村紘子と結婚したというニュースに,三たび驚かされた。)

 ずっと後で知ったのだが,庄司薫は,日比谷高校で塩野七生と同級生だった。(ちなみに,私は中村紘子さんと郷里で一時ご近所だった。)

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Oct 27, 2007

Beethoven Conspiracy

 国立新美術館にフェルメールを見に行ったら,フランク・ウイン著『私はフェルメール――20世紀最大の贋作事件』(ランダムハウス講談社)がちゃんと置いてあった。フェルメールの贋作者であるハン・ファン・メーヘレンという人の伝記である。

 iioさんのブログでは,この本を紹介するとともに,音楽の贋作について思いをはせていた。それで久しぶりに思い出したのはトマス・ハウザー『死のシンフォニー』(創元推理文庫)である。この本のカバーには Beethoven Conspiracy という原題が書いてあってそこですでに半分ネタバレだが,ベートーヴェンの未発見の作品をめぐるミステリーで,非常に珍しいことにヴィオラ奏者(女性)が主人公である。
 ミステリーをあまり多くは読んでいない者としては,最後の方はミステリーとはいえなくなってしまうような感じもしたが,おもしろく一気に読んだ。
 音楽や演奏家に関するディテイルも実によく書いてあって,主人公のリサイタルの曲目など,友人のプロのヴィオラ奏者が感嘆していた。

 映画の邦題はそのままカタカナということが非常に多くなっているから,この小説が今もし映画化されたとしたら,邦題は『ベートーヴェン・コンスピラシー』となりそうだ。
 ただし,映画化するには,ベートーヴェンの有能な贋作者が必要だ。まあ一部分あればいいのだけれど。

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Sep 29, 2007

『ごくらくちんみ』読中記

 読んでいる途中の本のことをもうひとつ――

 前に買って読んでいなかった杉浦日向子『ごくらくちんみ』を読んでいる。2005年7月の著者の早すぎる死去の後に出た新潮文庫版である。
 「からすみ」「ふきみそ」「ほやしょうゆづけ」「にがうるか」といった珍味をタイトルとした掌編小説が68篇収まっている。1篇はわずか2ページと数行だが,わけありの人物の過去と現在の様子をいろいろ想像させるしかけがある。登場人物がタイトルの珍味を,多くの場合おいしそうにちゃんと食べる。

 短いから,その気になれば電車を待っている間にひとつ,次の駅に着くまでに2つぐらい読めてしまう。しかし,それではもったいない。実際の珍味のように,少しずつゆっくり味わうようにしている。

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Mar 17, 2007

『カラヤンとフルトヴェングラー』

 このところ日ごとに寒くなり,昨日は東京では初雪が舞った。――と,3か月前に書くのだったら普通だが,今は3月も半ば過ぎである。神保町三井ビルのアンズも,咲き始めたところで立ち止まって,寒さに震えている。

 中川右介『カラヤンとフルトヴェングラー』(幻冬舎新書;→参照)を読んだ。ベルリン・フィルの音楽監督の座をめぐる事件・エピソードは個々にはいろいろ読んだことがあるが,この本の「文脈」の中で読むと,なるほどそうだったのかと興味は尽きない。
 タイトルからは外されているが,この本のもう一人の主人公はチェリビダッケである。戦後のベルリン・フィル再建にチェリビダッケが果たした役割を始め,チェリについては知らないことが多かった。

 一般に,音楽監督や常任指揮者の地位・権限やオーケストラと指揮者の関係が大きく変わったから,この本にあるような「闘い」は今後はほとんど起こりえない。ただ,一定の地位にある指揮者が,常に若い指揮者の登場を警戒しているということは,今もあるようだ。
 昔聞いた話だが,日本の某オーケストラで,西欧系名誉指揮者が,若手の指揮者を客演指揮者にどうかと紹介してくることがあったが,ほとんどがダメ指揮者だったという。しかし考えてみると,有名指揮者は世界中を忙しく飛び回っているから,他の指揮者の演奏を聴く機会は非常に少なく,「業界事情」にうといに違いない。

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Dec 11, 2006

道後温泉の『復活』

 どの程度珍しいことなのかはわからないが,私は47都道府県すべてに足を踏み入れたことがある。

 首都圏以外の場所へは,小学校4年のとき,福島にあった親戚に行ったのが最初である。上野駅で何時間か並ぶ覚悟で出かけたが,予定の列車の前の臨時列車に乗ることができた。東北本線の全線電化の前で,蒸気機関車が引いていた。
 以来,東北には何かと縁があり,学生時代に全県を訪れ,また北海道へも行った。
 近畿は,京都・大阪・兵庫・奈良へは仕事でよく行ったが,その他の県を訪れたのはだいぶ後で,乗ったことのない鉄道に乗りに行った結果である。
 ふつうは行く機会の少ない鳥取へは,たまたま出張があり,ついでに島根に足を伸ばした。九州へは,90年代半ばに何度か用事ができて,全県へ行き,帰りに山口県にも寄った。四国は,香川・徳島は80年代に行ったが,高知に行ったのは90年代後半だった。

 結局,20世紀中に唯一行けなかった県は愛媛だった。
 世紀が変わって間もない2001年4月,高知・愛媛へ出かけた。行きは寝台特急「サンライズ瀬戸」に乗り,朝日にきらめく瀬戸大橋を渡った。土佐くろしお鉄道と予土線で四万十川沿いの新緑を堪能してから愛媛県に入り,宇和島に泊まった。
 翌朝は松山。路面電車で市内を回り,道後温泉本館の湯に入った。
 その脱衣所兼休憩室で,裸のままなにやら厚い本を読んでいるおじいさんがいた。おじいさんが本を置いて席を立ったときにちらりと見たら,世界文学全集の1冊で,トルストイの『復活』だった。

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Apr 28, 2006

ネットで注文,ブログが本に

 3月14日の項に予定ということでちょっと書いたが,ブログの内容を手ごろな値段で印刷・製本して本にするサービス MyBooks がスタートした。
 ネット経由で注文し,PDFファイルで仕上がりを確認してから製造するというやり方である。本の大きさ,縦か横か,文字の書体・大きさ,表紙のデザイン・色,序文・目次の有無,コメント・トラックバックを含めるか,など多様な選択肢がある。
 料金は,基本料金+ページ単価で,1冊から注文できるが,冊数が増えればかなりの割引がある。

 知人の依頼で,その開発のためのサンプルデータとしてこのブログの内容を提供したところ,いろいろな試作を経て,このほど,写真のB6判のおしゃれな本ができあがり,MyBooks サービス開始の発表の席で関係者に配布された。
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 タイトルは『Bloghissimo―神保町便り』とした。Bloghissimoというのは「とってもブログ」というような感じの造語である。内容は2004年3月14日の開始から2006年4月11日までのもので,まったく一過性の記事は除いたが,244ページの立派な本になった。
 ネット上に浮かんでいる言葉がこうして手に取れる形になるのは,何ものにも代え難い喜びである。思いがけず「著書」が誕生して,昨夜は一人祝杯を上げた。

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Aug 08, 2005

太田和彦『東京・居酒屋の四季』

 ここ数年愛読している居酒屋紀行文の第一人者・太田和彦の新刊『東京・居酒屋の四季』(新潮社)が出た。雑誌『東京人』の連載を元にしたもので,春夏秋冬,各9軒,計36軒が紹介されている。「とんぼの本」のシリーズなので写真(飯田安国)が中心で,太田氏が写っている写真もところどころにある。太田氏の文章は短いが,短くとも味があるのがこの人らしいところだ。
 36軒のうち,私が行ったことのある店を数えてみたところ7軒だった。7軒という数字自体は多いとは言えないけれど,気に入って何度も行っている店が4軒あるのは,提出した作品が佳作になったような感じでうれしい。

 太田和彦の『ニッポン居酒屋放浪記』三部作(新潮社)を読んで,居酒屋紀行文というものが成立するのだなと思った。
 この本は,各地に2,3泊滞在し,昼間はじっとしていて夕方からひたすら飲み歩くという旅の話である。酒飲みの直感で良さそうな店を見つけ,飲みながらその店と店の主人の物語をそれとなく聞き出す。そこで他の古い店を紹介してもらって次の店に行く。たまには郷里の長野県での著者の過去の物語がさりげなく挿入され,淡々とした語り口であるがゆえに,ほろりとさせられる。

 『東京・居酒屋の四季』のコピーに「今宵も,ツイー……」とある。放浪記三部作で,この「ツイー」という擬態語は何度出てきただろうか。うまそうに飲むときの描写は,ビールについては椎名誠,そして日本酒,特に燗酒については「ツイー」の太田和彦にとどめを刺す。

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Jul 06, 2005

萩原葉子氏――梅ヶ丘にて

 1日に亡くなった萩原葉子氏に,一度会ったことがある。
 もう5年半前になるが,1世代上の「飲み友だち」T老人に呼び出されて,世田谷の梅ヶ丘でご馳走になったことがあった。食事のあと,T氏行きつけのバーに行ったところ,そこにやってきたのが,同じくそこの常連の萩原葉子氏だった。

 紹介されて驚きながら,とっさに『蕁麻の家』というタイトルを口にしたら,「あら,ありがと。ずいぶん昔の話なんだけど」という言葉が返ってきた。ダンスに打ち込んでいるとのことで,話の中心はダンスだった。その引き締まった体つきと軽い身のこなしはダンスの練習の賜物で,八十歳近く(当時)とはとても見えなかった。
 東京新聞(7月5日夕刊)に載った追悼記事によれば,萩原氏は父・朔太郎の膝につかまってダンスをよくし,芥川からも前途有望だとほめられたという。

 2,3杯飲んで,さっぱりした表情ですっと帰って行った。それまでに会った人には類のない素敵なおばさまだった。

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Jun 25, 2005

チケットの配達

 故・柴田南雄(作曲家)のエッセイで読んだのだと思うが,戦前,新交響楽団(N響の前身)では,定期公演の会員券の配達サービスをしていたという。郵送ではなく「自力」で配達し,もちろん代金を回収するわけである。会員は数百人かはいただろうが,配達を希望する人はその何割かで,地域も東京の山の手寄りの中心部が主だったから成立したものだろう。

 ということは,プレイガイドはまだなかったのだろう。プレイガイドが成り立つには,かなりの数の公演が日常的に行われている必要がある。すると,たまの音楽会の宣伝とチケットの販売はどのように行われたのだろうか。

 と書きながら,プレイガイドという言葉もほとんど死語になったことに気づいた。70年代後半まで電話予約はあまりなくて,有力なオーケストラの来日公演などというと,プレイガイドに徹夜で行列した。繁華街の有力な店のほか,クラシックファンのあまり行かない「穴場」とされていた上野の赤札堂(現ABAB)などに並んだこともある。繁華街の大行列ともなると,ホームレス(という言い方はなかったが)の人が並び,翌朝来た人にその「場所」の権利を売ったりしていた。
 今のNHKホールができる前,N響の定期公演は東京文化会館で行われていた。A・B両チクルス,各2回公演だったと思う。その会員券も,売り出し日の前夜に車を持っている友人宅に泊まって,当日の始発前に並んでようやく入手した。

 チケットの配達は経験がないが,小学生のころ,本を配達してもらったことはある。そのころの本屋さんは,月刊誌を定期購読者に配達していて,そのついでに,取り寄せを頼んだ本を持ってきてくれたりした。
 いま再び,ネット通販という形で,チケットも本も自宅に届く時代になった。

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Feb 11, 2005

雑誌6トンの重み

 最近のニュースの中で,東京・目白の木造アパートで,古雑誌の重みでの2階の6畳間の床が抜けた,というのがあった(→参照記事例)。ため込んだ本人(56歳の男)のケガだけですんだから,まあおもしろいニュースといってもよいと思うが,すごいのは雑誌が(ある記事によると)6トンもあったことだ。なにしろ,2階から落ちて雑誌の山に埋もれたのを救出するのに2時間もかかったというから,想像を絶する量だ。(1階の真下の部屋の住人は,天井がギシギシいうので警察に相談に行き,警官と共に戻ってくるところだったそうだ。)
 上記の記事では「救出の際に運び出した分だけでも高さ50センチに積んで幅1メートル,長さは約30メートル」というから体積は15立方メートル,ということは,高さ2メートルに積んだとして7.5平方メートル(たとえば2.5×3メートル)の床面積が必要である。6畳間は9.9平方メートルだから残りはかろうじて寝るスペースしかない。実際には押し入れなどにも入れていたのだろうが,それにしても雑誌の山に囲まれて,もしかしたら雑誌を敷き詰めた上に寝ていたのだろう。
 雑誌の中身は「昭和50年代後半からの「週刊プレイボーイ」「サンデー毎日」,さらに「少年ジャンプ」などの漫画誌や古新聞」だという。少年ジャンプなんて,一時は厚さ5センチにもなっていた。平均で4センチとすると,20年分ではそれだけで高さ40メートルとなり,高さ2メートルの山が20本になる計算だ。
 長期間にわたる雑誌を保存しておくというのは,スペースの高い都会では最高の贅沢である。中年になった「男おいどん」が雑誌の上で安眠する,という新しい漫画ができそうだ。

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