本と雑誌

Jan 03, 2012

5冊の本

  ~~~~ あけましておめでとうございます ~~~~

 今年3月で開設からまる8年となるこのブログを,今年もよろしくお願い申しあげます。

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 昨年秋以降に読んだ本の中で印象に残ったものを挙げておく。

◆中野京子『<中野京子と読み解く> 名画の謎 ギリシャ神話篇』(文藝春秋)
 『<名画で読み解く> ハプスブルク家 12の物語』『<名画で読み解く> ブルボン王朝 12の物語』(いずれも光文社新書)が絵画に見る王朝史だったのに対し,こんどは美術自体のガイド。

◆池田麻里子『メトロポリタン・オペラのすべて――名門歌劇場の世界戦略』(音楽之友社)
 素人出身(?)ならではのインタビューによる聞き書き。メト・ライブビューイングを何本も見ている者にとっては,楽屋話のそのまた背景,特に経営面がわかっておもしろい。

◆三浦しおん『舟を編む』(光文社)
 珍しく,辞典編集者を主人公にした小説。前半いろいろな出来事があるのに対し,後半は辞典の完成に向けて一本道。

◆川本三郎『小説を,映画を,鉄道が走る』(集英社)
 小説と映画に出てきた鉄道についてのエッセイを集めたもの。かつて画面の中に登場した鉄道の現況を訪ね歩く章もある。

◆三田 完『草の花――俳風三麗花』(文藝春秋)
 句会に集う3人の女性を主人公にした連作『俳風三麗花』(文春文庫)の続編。時は昭和10年代,舞台は満州に広がる。川島芳子,甘粕正彦といった有名人が,主人公の前に都合良く(?)登場する。

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Sep 03, 2011

『Bloghissimo 神保町便り 3』――ブログ本3冊目

 ブログを本にするサービス「MyBooks」を利用して,これまでに2回本を作った。最初が2006年6月,2冊目が2008年7月で,それぞれ,このブログの約2年分の記事をまとめたものである。2冊目から3年が過ぎ,このたび,3冊目『Bloghissimo 神保町便り 3』を作成した。昨年暮れに会社が移転して神保町地区を離れるまでの約2年半の分をまとめたため,これまでのものより厚くなった。
 この3冊目の本の最後は,昨年11月28日の記事である。そこに書いたように,もともと神保町についての記事が多かったわけではなく,神保町はいわば気持の上での発信地だった。P7284234a


 MyBooks のシステムが前より進化して,ネット上で専用のエディタが使えるようになり,文字の大きさや写真の位置が変えられるようになるなど,自由度が増した。(ただし,目次の形式が1項目必ず2行になってしまうのは,不自由。今回ページが増えたのはこれも一因である。)
 さらに今回は,epub形式の電子書籍ファイルをボタン一つで作成できるようになった。本は製作費がかかるのでそう皆に配るわけにもいかないが,ファイル(大きさは 1MB ほど)なら気軽に知人に送ることができる。(epubファイルは読書端末用の形式だが,PC上では一部のブラウザや espur などのリーダーで,iPod/iPad では iBooks で読むことができる。)

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Aug 14, 2011

秋立つ――まもなく10月

 今年は6月中からやたら暑かったが,その後は比較的涼しくて,このまま竜頭蛇尾の夏かと思っていたら,立秋と共に暑さが戻ってきた。
 今年は「スーパークールビズ」が喧伝されていたが,これもなんだか尻すぼみになっている。考えてみると,いくら「スーパー」と言っても,ランニングになるわけではなくせいぜい「かりゆし」だから,半袖ワイシャツやポロシャツに比べて露出度が特に高いわけではない。ズボンを短くするなら別だが,上半身については「スーパー」の意味はあまりなさそうだ。
 その点,女性は,「ビズ」の内容にもよるが,タンクトップなど,いろいろな選択の余地がある。(→参照

 梅雨が早く明け,7月中旬は空気がよく澄んでいて,月が毎夜美しかった。8月になってからは夕方から雲が出ることが多くなり,にわか雨もよく降る。今夜は満月だが,先月のように見えるかどうか。
 暦の上の季節は早くやってくるが,立秋はひときわ早く「まだまだこれから暑い」という時期にやってくる。しかし,毎月早くやってくるのは雑誌の上の季節で,8月には9月号が出る。
 こういう習慣になったのは,明治時代の雑誌社同士の競争の結果らしいが,私の知る限り,「月号」との比較でもっとも早く出るのは鉄道雑誌である。『鉄道ジャーナル』『鉄道ピクトリアル』『鉄道ファン』などの鉄道雑誌の発売日は前々月の21日,すなわち(今年は21日が日曜なので)1週間後の8月22日には9月号でなく10月号が出るのである。毎年11月21日過ぎには,次年のカレンダーが付録に付いた新年号が出て,今年も残りが少ないことを告げてくれる。

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Apr 29, 2011

『ぴあ』とキャンディーズ――70年代

 『ぴあ』が休刊するという。最初の10年ほどはよく買っていたから,通算で買った冊数はある程度の数になる。
 『ぴあ』の創刊は70年代前半だった。当時,ビデオなどないから,古い映画を見るのは封切館以外の小さな映画館が頼りだったが,その上映情報を得るには,新聞の中面の細かい広告がぎっしり集まっているページを注意して見る必要があった。そこには上映のタイムスケジュールはほとんど書いてなかったし,何よりそのころ映画館が多かったから,すべてを網羅しているわけではなかった。『ぴあ』は最初,そうした細かい映画情報を提供するものとして始まったと思う。
 当時,ライバルとして『シティ・ロード』という雑誌があった。『ぴあ』は縦組み,『シティ・ロード』は横組みで,私は『シティ・ロード』の方が見やすいと思っていたのだが。
 『ぴあ』に掲載される情報はどんどん増え,月刊から隔週刊(「隔金刊」と称した)になったが,雑誌は厚くなり続け,手軽とはいいがたい雑誌になった。そのころから通常号はほとんど買わなくなり,「ぴあマップ」「ぴあホールマップ」などを愛用した。

 『ぴあ』が急成長したころ,キャンディーズが活躍していた。70年代後半にはテレビのない生活をしていて,歌番組にはぷっつりとごぶさたしていたから,キャンディーズのことをよく知っていたわけではない。それでも,キャンディーズ(とピンクレディ)は「社会現象」だったから,「春一番」や「年下の男の子」などの大ヒット曲はいやでも耳に入ってきたし,同じ部署に若い女性3人がいると「うちのキャンディーズ」とひとくくりにされたりした。
 そのメンバーの一人,田中好子の死去と『ぴあ』休刊のニュースがほぼ同時に流れたことに,多少の感慨を抱いた。

    このブログのキャンディーズ関連記事 → →

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Feb 13, 2011

ノンフィクション2冊――『反音楽史』『嬉遊曲,鳴りやまず』

 12月から1月にかけて,何年も前に買ったきり読まずにいたノンフィクション2冊,石井 宏『反音楽史――さらば,ベートーヴェン』,中丸美繪『嬉遊曲,鳴りやまず――齋藤秀雄の生涯』(共に新潮文庫)を読んだ。正確には,『反音楽史』は前に単行本で買ったのに読んでいなくて,このたび,去年秋に出た文庫本で読んだのだった。
 『反音楽史――さらば,ベートーヴェン』は,ドイツ人が19世紀後半から20世紀初めにかけて作り上げ,それを輸入した「西洋音楽史」に異を唱えたもの。音楽への関心の中心がオペラになって久しい者にとっては非常にまっとうと思える主張で,特に意外な話ではないが,存命中まったく無名だったバッハの生活の様子や,モーツァルトが神童としては名を上げたが作曲家としてはそれほどでもなかったことなどが具体的に語られていて,おもしろい。
 著者によると,ドイツ中心の音楽史観の「創始者」はシューマンだという。前掲の『シューマンの指』を読んだ直後だったので,そのあたりの経緯が特に印象に残った。

 『嬉遊曲,鳴りやまず――齋藤秀雄の生涯』は,副題にあるように,サイトウキネン・オーケストラ(ただし,改名予定だとのこと)に名を残す音楽教育者・チェリストの斎藤秀雄(1902-1974)の生涯を綴ったもので,500ページを超える大冊。直接接するのはうっとうしそうで,できればつきあいたくないと思わせる斎藤だが,物語としてはおもしろい。
 著者はソプラノの中丸三千繪のお姉さん。話の運びがいまひとつぎこちないのが残念だが,特に戦前の部分は波瀾万丈でどんどん読めた。戦後は教育者として一筋に突き進むので,やや単調になる。
 これを読んでちょっと自慢したくなったのは,この本の著者は斎藤に会ったことがないのに対し,私は,死の前年の斎藤にインタビューしたことがあるということである。この本によると当時すでに病気がかなり進行していたのだが,そのときは一応元気に話をしてくれた。聞いたのはどちらかというと,父上の英語学者・斎藤秀三郎のことが中心で,教育者として父の影響が大きかったことを語り,「音楽にもグラマーがある」と話を締めくくったのだった。

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Feb 12, 2011

音楽ミステリー2冊――『シューマンの指』『おやすみラフマニノフ』

 12月から1月にかけて,日本のクラシック系演奏家を主人公にした2冊のミステリーを読んだ。奥泉 光『シューマンの指』(講談社)と中山七里『おやすみラフマニノフ』(宝島社)である。
 『シューマンの指』は,天才ピアニストの高校時代と「現代」が重層的に語られる「幻想ミステリー」。主に扱われる音楽はシューマンの「幻想曲ハ長調」で,ほかに「子供の情景」「ピアノソナタ第2番」「アベッグ変奏曲」などが登場する。シューマンにならって「ダヴィッド同盟」を結成している主人公が,ショパンに比べて冷遇されているシューマンを正しく評価してほしい,と語る。
 最後の部分で,結末に向けていろいろな流れが合流し,クレッシェンドする。ミステリーをあまり読み慣れていない者にとっては,こういう結末もあるのか,と驚かされた。

 これに対し,『おやすみラフマニノフ』はずっと普通のミステリーで,主人公はヴァイオリンの音大生,舞台は名古屋にある音大である。普通でないのは,扱われる事件が殺人ではなく,ストラディヴァリウスの盗難,および演奏会が開催できるかという問題であるという点だ。
 音楽上の設定やオーケストラの練習のディテイルには変なところが多かった。まず,日本人の「ラフマニノフ弾きとして世界的なピアニスト」というのはまあいいとして,それがいま70歳台というのは時代錯誤だ。1950年代という設定なら少しはいいかもしれないが,現代ではこういう扱い方をされることはありえない。しかもそれが,ある時期のホロヴィッツやミケランジェリのようにめったに演奏しない「幻のピアニスト」で,自らが学長を務める音大の大学祭の演奏会に久しぶりに出演する,ということになっていたりする。
 しかしそれよりも,ラフマニノフのピアノ協奏曲の練習に,音大のオーケストラが「あと3か月しかない」といってやたらあせって練習で指揮者が怒鳴り散らしたり,たかが大学祭での演奏会への出演がプロへの登竜門だったりしているのは,まったくリアリティがない。と文句をいいながら,話はだんだんおもしろくなって,最後まで読んでしまった。

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Jan 25, 2011

三島由紀夫と「豊饒の海」

 昨年の11月25日は,三島由紀夫が45歳で「自決」してから40年の日だった。昨年6月,三島の戯曲によるオペラ『鹿鳴館』(池辺晋一郎作曲)が新国立劇場で初演されたが,これをめぐる文章の中で,三島の結婚生活がわずかに12年だったという指摘があり,その後の年月の長さをあらためて思った。

 あの日,市ヶ谷の自衛隊に三島らが立てこもったというニュースが流れたのは昼ごろだったと思う。当時私は,大学紛争後の不規則な学生生活を送っていた。その日は大学へ午後から行くつもりだったが,ニュースを見ていたら出かける気がしなくなって,テレビを見続けた。
 細かい経緯はもはや覚えていないし,そのとき死を賭して主張した内容(詳しく伝えられたのは後からだが)にはまったく共感できなかった。ただ,自決という結末を聞いたとき,「豊饒の海」の最終巻がどうなったかというのがいちばん気になった。
 私は,三島の特に熱心な読者ではなく,『潮騒』『金閣寺』など比較的有名な数冊を読んだだけだったが,何かのきっかけで「豊饒の海」四部作のうちの第1部『春の雪』を読んで圧倒され,続いて第2部『奔馬』を読み,次の『暁の寺』を読まなければと思っていたところだった。「豊饒の海」の初版本は,輪廻転生の壮大な物語にふさわしい華麗な箱入りで,旧仮名・旧漢字表記だった。いずれも『新潮』で連載され,最初の2冊が1969年,次が70年に単行本となり,当時第4部が連載中だった。
 三島が第4部『天人五衰』の連載最終回の原稿を書き上げてから「決起」に向かったことが報じられたのは,その夜だったか。ただし,翌年出た『天人五衰』は,他の巻よりだいぶ薄かった。

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Nov 18, 2010

『イギリス王室の物語』『月の下のカウンター』

 君塚直隆『<肖像画で読み解く> イギリス王室の物語』(光文社新書)を読んだ。中野京子『<名画で読み解く> ハプスブルク家 12の物語』『<名画で読み解く> ブルボン王朝 12の物語』に続く絵画を見ながら読む王朝の物語である。
 イギリスは,ノルマンの征服以降,王朝の名は何度も変わっているが,血のつながりは細々と保っている。その「細々」の過程がまさに波瀾万丈でおもしろい。フランスやスペインと違うのは,女王が何度か登場し,在位中に結婚したり出産したりしていることで,現代でも,王子・王女が離婚するなど,波瀾の伝統は続いている。

 続いては,太田和彦『月の下のカウンター』(本の雑誌社)を読んだ。得意の居酒屋紹介もあるが,この本は,それ以外,特に祖父・父を含む自伝的な文章と,大学教授としての生活をめぐるエッセイが中心をなす。
 太田氏の『ニッポン居酒屋放浪記』三部作(新潮社)を初めとする居酒屋探訪記はずいぶん読んで(→参照),飲み歩き記録の枠を超えた味わい豊かな文章に惹かれていた。きっと他の題材のエッセイもいいに違いない,という判断は正しかった。
 『ニッポン居酒屋放浪記』には,長野県の教師の家に育ち,県内での転勤に伴ってたびたび引っ越しした,といった著者の生い立ちが断片的に記されていたが,それが「自伝」によって一本の糸でつながった。

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Nov 07, 2010

神保町 森崎書店

 日ごろ神保町を歩いていると,自分のことは棚に上げて,古本屋の客の平均年齢が高いなと思う。それが,神田古本まつりのときはふだんより若い人が増え,しかも女性の割合が上がるようだ,と思っていたら,11月5日の『東京新聞』朝刊に「神保町女子化 おじさんの街おしゃれに進化」という記事が出た。『森崎書店の日々』という古書店で働く女性を主人公にした映画も公開されているという。

 神保町の古書店が4階建て以上のビルを建てたのは,1970年代後半の小宮山書店のビルが最初だという。その頃ならもう神保町を歩いていたわけだが,低い建物ばかりの風景がとんと思い出せない。ただ,1980年の地下鉄新宿線の開通前の数年間は,大手町から神保町へビルが押し寄せてくるような感じがしたことを覚えている。
 スポーツ用品店が神保町のもうひとつの顔になったのも同じ頃だろう。一時はそこらじゅうにヴィクトリアがあって,そのうち千代田区神田ヴィクトリアという町名になるんじゃないの,などという冗談も出ていた。
 世界一の古書店街・神保町だが,ネットでの検索が便利になったので,売る方も買う方も必ずしも神保町でなくてもよくなった。一時は従来型古書店は衰退するのではという予想もあったが,ビルの賃貸料の低下などもあって,実際にはここ数年,神保町の古書店は増えている。

 上記『森崎書店の日々』は実際に神保町で撮影され,森崎書店は倉庫になっていた建物を使ったという。それはどうやら,すずらん通りからドトールの角を南へ行って次の角の右側,ドアが斜めにある建物らしい。あれは確か,今は徳萬殿の隣にある「ふらいぱん」が昔あった場所ではなかろうか。
 珈琲店のシーンは「きっさこ」(昔は「李白」だった場所)で撮影されたそうだ。

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Oct 30, 2010

船員から雑誌編集者へ

 池袋の居酒屋で出会った背が高い鳥打ち帽の男は,船員と雑誌編集者をしていたと言った。その店にはずいぶん前から来ているということだったが,私は彼とは話をした記憶はなかった。年はたぶん七十少し前のはずだが,見た感じはもっと若く見える。
 飲んだ上で聞いたとりとめのない話の断片をつなぎ合わせると,彼は北陸の生まれで,高校を中退して大手の船会社に入り,当時まだあった貨客船の船員になったという。何年かして,雑誌で旅行記の募集があったので,船員として世界中に行った経験を書いて応募したところ入選した。原稿の依頼が来るようになり,本も出た。しかし,そういう形で世間で話題になると,地味な会社では波風が立って,結局辞めざるをえなくなった。
 その少し前から,仲間とヨットに乗るようになっていて,やがてヨット関係の雑誌や書籍の編集を手伝うようになった。少ししてSh社でマリン・スポーツの雑誌を出すことになり,スカウトされて,三十になる前にその初代編集長になった。
 最初は順調だったが,間もなくオイルショックとそれに伴う紙不足に見舞われて状況はにわかに厳しくなり,Sh社は同誌を3年あまりで休刊とした。それで彼は雑誌の権利を譲り受けて独立し,会社を興して雑誌の編集・発行を続けた。その雑誌は今も続いている。

 以上の「本筋」も十分波瀾万丈だが,そこにちりばめられた「挿話」も多彩だった。中でもおもしろかったのは,貨客船の船員をしていた17歳のときのこと,パナマ運河を越えて初めてニューヨークへ行き,2週間停泊したので,思い立ってメト(メトロポリタン・オペラ)へ行った。タクシーに乗ってメトと言ったら,運転手が「オペラを見るのか」というので「そうだ」と答えたら,「それじゃこれを使え」と言って,なんと蝶ネクタイを貸してくれたのだそうだ。

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