パソコン・インターネット

Apr 09, 2019

改元と文書作成

 4月1日,官房長官による新元号発表の記者会見が終わった後も,ネット中継は少しの間つながっていて,「いま資料をお渡しします」という声が聞こえてきた。当然,すべての元号候補について,出典等を記した資料を,あらかじめパソコン(上のワープロ)で作成してあり,閣議が終わるとすぐ「令和」の部分を事務方がコピーしたのだろう。
 選定作業の過程でも,資料はすべてワープロで作成されたに違いない。

 平成への改元(1989年)の際は,記者会見は今回と同様の形でテレビ中継されたが,資料作成はどのように行われたのだろう。そのころ,パソコンは PC9800シリーズ,ワープロは一太郎 Ver.3 の時代である。縦書きが可能で第2水準漢字が使えるようになっていたころだと思うので,文書の作成・配布については今回とほぼ同様のことができたはずだ。
 しかし,印字品質はどうだったのだろう。Windows前だから,アウトラインでない24ドットのフォントのみだったのではなかったか。あるいは,ワープロ専用機の方がプリントはきれいだったころだったかもしれない。
 当時ケータイはまだ黎明期だった。インターネットは個人が使える状況にはなく,「パソコン通信」サービスが普及し始めていて,電子メールはその会員同士でのみ使える仕組みだった。

 昭和への改元は1926年で,記者会見などが行われた形跡はない。官報などは活字組版だったが,それ以外の文書は手書きか和文タイプで作られたと思われる。もちろんコピーなどないから,数部ならカーボン紙をはさんで書くかタイプし,それ以上ならガリ版(謄写版)で印刷していたのだろう。
 こうした文書作成の事情は,基本的には1960年代まで同じである。私の年代だと,小学校から高校まで,学校からの配布物はほとんどすべてガリ版だった。60年代後半には街でコピーができるようになったが,最初は1枚80円ぐらい,つまり食堂で昼食が食べられるくらいの値段だった。

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Feb 19, 2019

網絡不通三週間之始末(下)

(承前)
 ユーザーサポートの電話は,つながるのに時間がかかるし,状況を整理して伝えるのに気力を要するので,数日してから気を取り直して,こんどはブロードバンド・ルーターのメーカーに電話した。同じような説明をして,同じような回答だったので,家電量販店に走り,新しいルーターを買った。無線LANルーターはたくさんの製品があるが,有線ルーターは種類が少なく,前のものとほとんど同じものが2000円足らずだった。
 帰ってさっそく交換,元通りに接続して電源を入れたが,ランプの状態は変わらず,接続できない。

 また数日して,もう一度,ルーターのメーカーに電話した。またいろいろなやりとりの末,こんどはその先のスイッチングハブ(ルーターと同じメーカーのもの)がおかしいということになった。これを確かめるためには,パソコンをルーターに直結してみればいいという。
 それで,ノートパソコンをルーターにつなごうとしたが,このごろの薄めのノートパソコンなのでLAN端子がない。一瞬考えて,LANケーブルをUSB端子につなぐ変換ケーブルを買いに走った。踏み台に上がって,ルーターにつなぐと,接続成功。ノートパソコンはたまっていたメールをせっせと受信し始めた。
 みたび量販店に走り,こんどはLANのスイッチングハブを買った。すべてのケーブルをつなぎ,祈るように電源を入れると――今まで消えていたルーターのWAN側ランプがつき,おお,接続成功。3週間の孤立状態,および気が晴れない状態から回復した。

 振り返ればまことに単純な話で,外からの回線の入り口からランプの状態を順番に見ていけばわかる故障だったが,スイッチングハブという単純そうなものが故障するのかなという思いもあり,なかなか考えが及ばなかった。
 この間,週2,3回通っている仕事場でネットは使えたし,メールはやむを得ずスマホでやりとりした。これまで,スマホでの文字入力がどうも億劫で,家や仕事場ではLINEもパソコンで見ていたが,今回の件で,スマホ活用力が少し上がった(かもしれない)。

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網絡不通三週間之始末(上)

 1月下旬,自宅のインターネットが不通になった。これまでにも突然切れることはときどきあったが,パソコン(デスクトップ)を再起動すれば短時間で回復していたので,今回もあわてず騒がず,再起動したり,LANケーブルを抜き差ししたりしてみたが,回復しない。
 果報は寝て待とうとその日はあきらめて寝たが,翌日になっても,翌々日になってもつながらない。
 回線はプロバイダーの提供する光回線で,回線終端装置にブロードバンド・ルーター(有線)をつなぎ,そのLAN側にからスイッチングハブを介して各部屋に送っている。(さらにLAN端子のひとつに無線LANアクセスポイントをつないで,Wifi電波を出している。)で,踏み台に上がって久しぶりに電話関係の配電盤(というのかどうか)を開けて,いろいろな電源を入れ直してみたが,状態は変わらない。

 まずは,回線業者兼プロバイダーの会員サポートに電話した。すると,まず最近の接続状況を調べてくれて,「回線側に異常がないときに接続がときどき切れているのは,普通ではない」という。次いで,ブロードバンドルーターの信号ランプの状況を聞かれ,WAN側(終端装置側)のランプは点灯しているがLAN側は消えているというと,ブロードバンド・ルーターに問題が起きている可能性があるという。
          (この項,つづく)

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Jun 11, 2018

プリンターの修理

 2週間ほど前に,自宅の2012年製プリンターが「廃インク吸収パッドの吸収量が限界に達しました。(社名)の修理窓口に交換をご依頼ください。」というメッセージを出して,動かなくなった。その1か月ぐらい前に「…の限界が近づいています」というような予告が出ていたのだが,動いていたのでその後忘れてしまっていた。
 消耗品の交換なのになぜメーカーに送らないといけないのかと思ったが,ここは素直にネット経由でメーカーに修理を依頼した。梱包材料を持って集荷にやってきた宅配便屋さんに渡したところ,はるばる鳥取の工場まで行って,中4日で帰ってきた。受取りは代金引換で 5,940円也。
 この帰りの梱包がなかなか賢くて,段ボールの枠に透明のビニールを貼ったものが箱の中に作ってあり,プリンターはそこに浮いたような形になっていた。発泡スチロールなどはまったく使わず,ビニールと空気による緩衝材である。

【神保町だより】
 西神田にある「<新潟カツ丼>タレカツ」神保町本店に前に行ったことがある。卵でとじていないカツ丼なんてと思っていたが,食べてみたら,たれが甘すぎず,衣が薄くて軽い感じで,これもなかなかいいなと思った。
 先日,同じタレカツの「神保町すずらん通り店」に入ってみた。2017年8月オープンだという。カウンターの揚げ物の店には珍しく,8割が女性客だった。タレカツ丼のほかにカツサンドもあるらしい。

 神保町1丁目偶数番地,ランチョン裏の通りに「酔いの月」という居酒屋が6月4日に開店した。ポスターによると「完全禁煙」だとのこと。近くの「酔いの助」の姉妹店だというから,「タバコを吸いたい人は酔いの助へ」と言えるというゆとりが可能にした完全禁煙だろう。

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Aug 10, 2017

8月10日は本拠地サイト記念日――開設20周年

 今日8月10日,1997年に始めた私の「本拠地」ウェブサイトが開設20年の日を迎えた。今見ると,「ホームページ」というタイトルが時代を感じさせる。
 本拠地は主に「オペラの章」「鉄道の章」「神保町の昼食の章」からなっているが,いま随時更新しているのは「オペラの章」の「見たオペラ」一覧の部分だけである。まさに細々とという状態だが,思いがけず20年も続いているということには少なからぬ感慨がある。(2004年にこの「ブログ別館」を作ってからは,日常的な報告や覚え書きはブログが主になっている。)
 以下,8年前の12周年のときにこのブログに書いたものを再掲:
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 90年代半ば過ぎまで,ネットといえば「パソコン通信」という時代だった。1995年の Windows95 の登場で素人でもインターネットに接続できるようになり,パソコン通信の運営会社がインターネット・サービス・プロバイダーを兼ねるようになってきて,状況が変わってきたのだったと思う。
 私は2つのパソコン通信サービスに加入していたが,そのうちの1つ Asahi-net がインターネットに積極的な対応をし始めたので,それに乗ってインターネット接続を始めた。ダイヤルアップ回線だから,画像があるとその表示に10秒ぐらいかかったりした。当時どのようにして興味あるサイトにたどりつき,どういうサイトを見ていたのかは,もはや記憶が定かではないが,今のようにネットといえばまず検索,という感覚でなかったことは確かである。
 1977年に Asahi-net によるホームページ作成のガイドブックが出た。これが,私のウェブサイト開設の直接のきっかけになった。独立のホームページ作成ソフトはまだなくて,Netscape Communicator(当時の先端的ブラウザ)付属の HTML 編集ソフトComposer を使った。しかし,これが使い勝手が悪く,「オペラの章」の表を初めとする基本的な構造を作った以外は,文字の大きさ・色,背景の色などを指定するタグを,テキストエディタ上で大部分手作業で入力した。表の作成は Excel のデータから変換したものを元にしたが,これの整形・整備がいちばん面倒だった。通信速度が遅かったから,データを軽くすることが重要な課題だった。
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 私の2年前に,iioさんが「Classica」(このブログの左のバーにリンクあり)を始めた。会社・官庁のホームページもほとんどなかったころで,個人のサイトの偉大な先駆であり,常に私のお手本だった。一部のブログ化などもiioさんを見習った。私の知っている個人のサイトで20年以上続いているのは,Classicaがほとんど唯一の存在である。

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Sep 25, 2016

原美術館で「快楽の館 篠山紀信」展

 北品川の原美術館で,「快楽の館 篠山紀信」展を見てきた。篠山紀信だから当然(?)ヌード写真なのだが,今回の趣向は,当の原美術館で撮影した写真を,その「現地」(撮影した場所)のそばに展示してあることである。
 入ると右側に受付があり,すぐ展示室につながっているのだが,その最初の壁面に,まさにその壁面で撮った写真がある,といった具合だ。しかも写真はどれもかなり大きく,中には原寸より大きいものもある。窓から庭を見ると,庭にも同様に庭で撮った写真が展示してある。
 モデルとして30人ほどの名が挙がっていた。私でも名前を聞いたことのある名が4,5人いたが,写真を見て名前と結びついたのは壇蜜1人だった(個々の写真にモデルの名は記されていない)。1枚の写真に最大12人が登場しているが,さすがに12人を同時に集めたわけではなく,合成したものだという。
 篠山だから退廃の香りはもちろんあるが,モデルの表情はあっけらかんとすっきりしている。戦前の邸宅そのままの現実の美術館と写真の中の世界が入り交じって,不思議な幻惑を覚える展示だった。
 (同展は2017年1月9日まで。他館への巡回なし。→参照

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 某日,地下鉄のホームで白人女性が英語で話しかけてきた。乗るべき電車のことを尋ねられ,難しい質問ではなかったので即答できたが,周りに人はたくさんいるのに,なぜベンチに座っていた私に声をかけたのだろうと思った。少ししてから思い当たったのは,その女性は iPad を手にして歩いていて,そのとき iPad mini を開いていた私をなんとなく選んだのでは,ということだった。これもご縁。

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Jul 24, 2016

大橋巨泉の死去

 訃報が先週流れた大橋巨泉は,大学在学中にジャズの解説者・司会者として活動を始めたという。そういえば,最初の妻はジャズ歌手のマーサ三宅だった。
 テレビ番組の司会者として華やかだったのは1960~70年代で,ちょうど我々団塊の世代が十代後半から三十代にさしかかるころだった。特に「11PM」は,高校生・大学生にとって「必修」となった。巨泉が司会する日の麻雀や競馬などは,他の番組がほとんど扱わなかった時代である。高校の時だったが,眼鏡の度を強くしたときにフレームを黒ぶちに替えたら,「お,巨泉だな」とからかわれたりもした。
 巨泉死去を伝えるNHKのニュースの中で,巨泉が司会した「11pm」「クイズダービー」など民放番組のオープニング画面が流れ,さらに「はっぱふみふみ」のCMまで登場したのは,希有の事態だった。

 今日(24日)の「題名のない音楽会」(テレビ朝日系)は,5月に亡くなった富田勲の特集だった。ここでは上記と逆に,NHKの「勝海舟」「きょうの料理」「新日本紀行」などのテーマ音楽が民放で放送された。

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 「ポケモンGO」の配信が22日10時ごろから始まった。昼になる前に職場の人が気づき,すぐにダウンロードしていた。
 夜,池袋の西口公園を通りかかったら,ざっと300人ぐらいがスマホを見ていて,異様な雰囲気だった。近くの居酒屋のオジサンたちの間でも「ここにも酔っ払ったモンスターが出てくるぞ」などと話題になっていた。
 なお,ポケモンは横文字では「Pokémon」とeにアクセントがつく。これがないと英語での普通の発音は「ポウクマン」ということになってしまう,という事情もあるのだろう。

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Sep 27, 2015

国勢調査でネット回答

 5年に一度の国勢調査で,今年はインターネット回答が本格的に実施された。ネットによる回答期間は9月10日~20日だったが,13日を過ぎても回答のガイドやID等の必要書類が来なかった。それで,総務省統計局の特設ページを見て,記されていた問い合わせ先に電話した。しかし,わざわざ電話の開設期間が「10月末まで」と明示されているのに,「この電話は現在使われておりません」という。他のページにあったほかの問い合わせ番号に電話したら通じて,住んでいる場所の役所の国勢調査担当の部署に言えという。
 で,区役所に電話したら,「担当に連絡して,(必要書類を)すぐお持ちします」。夜,帰宅したところ,通常の回答のための調査票なども入った国勢調査の封筒が届いていた。ところが,中をあらためてみると,ネット回答用のIDや初期パスワードを書いた紙は入っていたが,入っているはずのネット回答の「ガイド」が入っていなくて,どこへアクセスすればよいのかわからない。
 翌日,また区役所へ電話,再び「すみません,すぐお持ちします」。で,その夜,やっと回答できた。始めれば,所要時間は1世帯5分足らずだった。
 さらに翌日,記入を忘れたことがあるのに気づいたので,もう一度アクセスして回答を修正した。こんなことができるのもネット回答の利点である。

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 2年前に東北新幹線で,盛岡へ移動中のヤマハのラグビー・チームの一行に乗り合わせた。縦も横も大きな男が20人以上も乗っていると,新幹線の車内が狭く感じた。今回のワールドカップで活躍中の五郎丸選手もいたはずだ。

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Aug 12, 2015

Windows 10 と一般男性

 7月29日から Windows 10 への無償アップグレードが始まった。あわてる必要はないと思って少し様子を見ていたが,特に「初期不良」が起きているという話もないようなので,アップグレードが始まって1週間ぐらいたったころ,ツールバーに勝手に居座っていた「Windows 10 を入手する」というボタンを押してみた。翌日ぐらいに必要なファイルがダウンロードされて準備が整ったというので,開始ボタンを押したところ,あとは全自動で,アップグレードはあっけなく完了した。
 おもな設定はすべて引き継がれ,手動での変更は,優先プリンタが変わってしまっていたのを直したぐらいである。アプリケーションソフトもほぼそのままで動いたが,ハイレゾ音源再生ソフトだけは「異なるOS上にインストールされています」という表示が出て止まってしまった。これはネット上のFAQを見て,新しいバージョンをダウンロードしてインストールし直したら解決した。
 復活した「スタートメニュー」は,従来のものとちょっと違うがまあまあ使いやすく,やれやれ。新しいブラウザ Edge は従来の Internet Explorer とは感じが違うが,Chrome を使っていた身にはほとんど違和感なく使える。

 今朝のテレビ・新聞で,女子サッカーの澤穂希の結婚のニュースが飛び交った。こういうときにのみ登場するのが,相手を記述する「一般男性」という言葉である。ここでいう「一般」というのは,芸能人・スポーツ選手などではない,というほどの意味のようだ。一部報道によると,澤選手の相手は元Jリーガーで今もサッカー関係の仕事をしているとのことなので,元選手なら一般男性に入れてもらえるらしい。

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Jul 27, 2015

メール事始め

 1991年に最初のパソコンを買い,Nifty-Serveに加入して「パソコン通信」を始めた。このとき初めて電子メールというものが使えるようになった。もはや記憶があいまいになっているが,このころはNiftyの会員同士でのみメールがやりとりできるシステムだったと思う。それでもNiftyは最大手だったから,少しすると非常に便利な通信手段となった。Niftyでは「XYZ01234」という形のIDがそのままアドレスになっていた。
 1995年ぐらいだろうか,ある会の名簿で XYZ01234@nifty.or.jp(以下,@は実際には半角)という形のアドレスを初めて見た。Niftyのアドレスをもっと広く使う方法があるらしいと思ったが,これがなんなのかはわからなかった。インターネットという言葉を聞くようになっていたが,自分で関わることはまだなかった。だれでもインターネットのアドレスを持つようになったのは,Windows 98の時代以降のことだった。
 98年ごろだったと思うが,フランスのP研究所に派遣されたスズキ君(仮名)が suzuki@p…….fr. というアドレスでメールを送ってきた。こんな簡単なアドレスで世界の中の1人を特定できるというのが大きな驚きだった。
 ちなみに,@は英語では at sign という方が普通である。

 3年ぐらい前のこと,五線紙が必要になってネット上を探したら,ちゃんといろいろな大きさ・段数のものがPDFファイルで提供されていた。これの「類推」で,方眼紙が急に1枚必要になったときも,ネット上でたちどころに見つかった。
 もう5,6年になるだろうか,オーケストラのパート譜などもネット経由で配布されるのが普通になった。

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