グルメ・クッキング

Jun 15, 2008

客家料理の系譜――西巣鴨「来佑」

 1990年前後の数年間,西池袋の立教大学脇の小道に「東江楼」という中華料理の店があった。看板に大書してあるわけではないが,この店は珍しい客家料理の店で,会社の有志で「東江楼ツアー」が実施されたこともあった。
 閉店後久しく名前を聞かなかったが,今春,知人のSさん(ブログではeijyoさん)が,東江楼の厨房にいた人がやっている店を,それも2軒見つけた。ひとつは,千歳烏山の「福満楼」。Sさんが墓参の帰りに数人でそこで食事をし,豚の角煮を蒸しパンで包む料理を食べながら「池袋の東江楼と同じくらい美味しい」と話したら,女将さんが調理場のマスターを呼び「この人,東江楼にいました」というのでびっくりしたとのこと。

 その女将さんが,東江楼にいた人がやっている店がもう1軒ある,といって教えてくれたのが西巣鴨の「来佑」である。Sさんのブログでこれを知り,「西巣鴨は神保町からわずか12分だし,ぜひ行きましょう」ということで,5月の連休の合間と下旬の2回,Sさんと私の周囲の人々による「来佑ツアー」が行われた。
 Sさんはその前に下見に出かけたのだが,そのときは夜の営業の前で閉まっていて,しかも外観はちょっとうらぶれていたので,その後電話で予約したものの,きっとがらがらなのでは,と思っていたという。しかし,行ってみると,家族連れやグループ客,そして1人客でいっぱいで,大盛況だった。もちろん,普通の中華料理店としても,失礼ながらその店構えからは想像できないほど高水準なので,客家料理という意識はなく来ている客も多いのだろう。
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 2回とも数人のグループだったのでずいぶんいろいろ食べたが,2回とも食べたのは東江楼伝来の「客家風豚肉角煮込みパン付」「客家 白玉子スープ」。前者の中身の豚角煮は,東坡肉と同じく八角も入っているのだと思うが,高菜が色と味を決めていて,白い蒸しパンとの色の対照が鮮やかである。
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 1回目の帰り際,店主のYさんがあいさつに出てきた。Sさんが「家宝」として保存していた東江楼のパンフレットのカラーコピーを見て,その温顔をますますほころばせた。
  (→参照)    [6月21日に写真を追加]

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Dec 16, 2006

蕎麦屋酒@更科

 更科系統の本流の店・錦町更科で,2時から酒を出すようになったのは今年2月だった。その後,しだいにつまみのメニューが充実し,営業時間も伸びて8時までになっている。ただし,そばがなくなって早じまいすることもあるようだ。

 お徳用は,1) ビール中びんまたは酒,2) 板わさまたはそば味噌,3) もりまたはかけ,からなる「セット」\1000である。当然,そばは最後で,その前に他のつまみを頼むことになる。ただし,セットのそばはきちんと量があるので,そのつもりでつまみを頼む必要がある。
 卵焼き,焼きのりなどの定番,昼と同じ数種類の天ぷらのほか,季節のメニューがあって,12月のメニューには,鴨ぬき,鴨焼きがある。なす田楽,鳥となすの揚げびたしなど,11月登場のなす料理も健在である。

 今のところ,非常に混み合っているという様子はないので,こうしてネット上に書いてしまったが,なにしろ小さな店だから,1人または2人で静かに飲むべき店である。(3人以上のときは,最近うどん屋からそば屋に変身した「ふくるる」はいかが?)

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Oct 06, 2006

3年ぶりの牛丼

 ある日,健康診断のため,前日の晩飯以降何も食べずに出勤した。健康診断がひととおり終わって,やはりふだんとは違う空腹感を覚え,11時ごろに早い昼飯に出かけた。
 吉野家(小川町店)の前までくると,大きく「牛丼」の貼り紙があり,警備員が店の前にいて,次々とやってくる客を案内していた。5日連続の牛丼販売の最終日で,11時から牛丼を売り出したばかりだった。
 吉野家の牛丼は昔からときどきは食べていたが,特別な思い入れはないから,米国産牛肉が入らなくなって牛丼が姿を消しても,別に禁断症状が起こるようなことはなかった。しかし,久しぶりに牛丼があるといわれるとなつかしくなって,今なら並ばずにすむし,ということで入ってみた。

 牛丼のない間に開発された他のメニューもあるが,わざわざこの時間に来る人はみな一言「並」「大盛り」と牛丼を注文する。並が380円で,前よりは高い。そうだ,こういう味だったと思いながら,なつかしい味を楽しんだが,食べて終わってしまえば,またしばらく食べないでもどうということはない。
 昼食の記録を見たら,前に吉野家の牛丼を食べたのは,2003年9月だった。

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Sep 09, 2006

銀鱗――アジ・サバ・ホッケ

 このところかれこれ十数年ごぶさたしているが,かつては水族館にときどき行っていた。水族館では,熱帯の色とりどりの魚もきれいだし,エイがひらひらと泳ぐ姿も楽しいが,見るたびに印象に残ったのは,アジやサバなどの平凡な魚が泳ぐ姿の美しさだった。
 アジ・サバを「平凡」というのは,もちろん食べる魚としてなじんでいるからだが,その姿は精悍で,バランスのとれた機能的な形をしていて,銀鱗が微妙な色合いにきらめいている。文字通り光りものである。

 だいぶ前だが,テレビで礼文島の自然を扱った番組があり,海の中も撮影されていた。そこで初めて見たのが,ホッケの泳ぐ姿だった。ホッケは,ともすれば開きで泳いでいるんじゃないかという錯覚を起こすほど,なにしろ開きしか見たことがない。それが,これまたひときわ美しい銀鱗を輝かせて,群れをなして泳いでいる姿は,感動的だった。

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Jul 31, 2006

纏寿司 ――神保町'70s (10)

 靖国通りとさくら通りの間にある小路に,かつては小さな飲食店がいくつかあった。そのひとつが,纏(まとい)寿司である。今はさくら通りとの間には駐車場のあっけらかんとした空間が広がり,さくら通りから纏寿司のあったあたりが見えているが,ここには昔閉館した東洋キネマの由緒ある建物がだいぶ後まで残っていた。

 纏寿司は,痩身のきっぷのいいおやじさんがやっていて,おかみさんのほかに美人の娘さんが店に出ていた。夜に入ったことは2,3回しかないが,おやじさんが仕事中酒を飲んで娘さんにたしなめられていた記憶がある。
 昼飯は「ねぎま」「まぐろの刺身」「鰺のたたき」の3種で,私はこの店の昼食で,ねぎまという言葉を初めて知った。まぐろと鰺には小さいねぎまがついたが,大きいねぎまに替えて少し豪華版にする人も多かった。いずれもしじみ汁がつき,これはおかわりができた。ただし,最初にしじみがたっぷり入っているので,当然,おかわりはほとんど汁だけだった。まぐろはわさび醤油にあらかじめつけておくやり方だった。昼食としてはやや高めの値段だったが,娘さんの人気もあってか,いつも混んでいた。

 その後,纏寿司は,日本教育会館の地下に店を出し,こちらもかなり繁盛していた。元の店と両方やっていた時期もあったような気がするが,あったとしても短い間で,元の店は80年代前半ぐらいに閉店した。おやじさんが倒れたという噂を聞いたこともある。教育会館の店は90年代まであった。
 いま,かつての纏寿司に似たねぎまや刺身の昼食を出すのは,さくら通りより1本南の道にある「ひげ勘」である。纏寿司とのつながりは尋ねたことがない。

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Jul 04, 2006

三十年一日 ――神保町'70s (9)

 神保町には長い歴史を持つ飲食店が多いが,その多くは,改装や建て替えなどいろいろな変転を経ている。そんな中で,私が知っている70年代前半以降で見た場合,もっとも雰囲気が変わっていないのは,花家,スヰートポーズ,それにキッチン南海である。

 「キッチン南海」は,一時はずいぶんたくさんの店があったが,前世紀の90年代ごろだいぶ少なくなり,今はこの近くではすずらん通り(神保町1-5)と小川町(2-12あたり)の店が「健在」である。すずらん通りの店は,今も昔も通り随一の「行列の店」で,1時過ぎまで行列が絶えることがない。焦げ茶色の外装も,縦書きで黄色く「キッチン」,緑で「南海」と書かれたドアも,内装も,手入れはしているようだが,昔のままである。

 その斜め向かいの「スヰートポーズ」も「南海」に次ぐ行列の店である。4人掛けのテーブル(左奥のみ2人用)が並ぶ店内は昔より少し明るくなったような気がするが,黄色の看板も,ショーウインドウも,ほとんど変わっていない。メニューも(値段以外)すべて昔と同じで,四角い筒のような独特の形の餃子が小皿8個,中皿12個,大皿16個,定食には(中華スープでなく)ワカメの味噌汁と白菜の漬け物がつく。私は「チュウテイ(中皿定食),小ライス」を食べることが多い。

 その裏の路地にある「花家」は,門を開け,玄関に入って靴を脱ぎ,2階の座敷へ上がる古典的な和食の店で,1階の玄関脇の別の扉を開けるとカウンター席があり,1人2人だったらこちらがいい。この店は,建物や内装はもちろん,驚くべきことに女将さんを含む3人の女性も,三十年一日である。
 カウンター脇に,夜の客のボトルが置かれている。昔はウィスキーだけだったのが,今は大部分が焼酎のボトルになったのが,小さな変化である。

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Jun 20, 2006

禮華楼と楽々 ――神保町'70s (8)

 すずらん通りの中ほどには,北側に「禮華楼」,南側に「楽々」という中華の店があった。いずれも古い建物の1階だけの小さな店で,大柄のおばさんが一人で接客していたのも共通する。

 禮華楼は,昔からの2軒の楽器屋の間で,いまは古本屋になっている場所にあった。のれんに(記憶が定かではないが)「ラーメン」と書いてあるだけで店名の看板がなく,常連でも店名を知らない人もいた。メニューはラーメン,タンメン,チャーハン,中華丼などのほか,カレーライスがあった。安くて量はかなりあったが,時には「ラーメンとカレー」といった注文をする若者もいた。カレーは,豚肉がちらほら,福神漬がついた日本的なカレーだった。おばさんは元気のいい肝っ玉母さんふう,客は圧倒的に男が多かった。
 閉店したのは90年代の始めの方だっただろうか。その後,一時信州ラーメンの店になっていたこともある。

 楽々は東京堂書店の右隣,いまは箱形のスペースを店舗として貸す店がある場所にあった。いかにも昔の中華料理屋という感じの赤い枠の外装で,ドアを開けるとコンクリートの床の上にテーブルが5,6個あった。こちらのおばさんはのんびりゆったりで,低めの声の独特のイントネーションで「ありがとざんした」と言った。
 メニューに,普通の軟らかい焼きそばと別に「ソース焼きそば」があるのと,「サンマーメン」があるのが少し変わっていた。店・地域によっていろいろなサンマーメンがあるようだが,ここのはもやしうま煮の載った麺だった。ここも客は男が多かったが,禮華楼よりは女性も入っていた。
 閉店したのは90年代前半だったか,禮華楼よりは後だったと思う。最後のころはずっといたおばさんは姿を消して,小柄な上品なおばさんが店に出ていた。

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May 23, 2006

ミュンヘン(池袋)も閉店

 先日,ビヤステーション両国の閉店のことを書いたが,池袋東口,サンシャイン60通りのビヤホール「ミュンヘン」も閉店になっているのを,5月になって知った。どこかのサイトで見たところによると,4月7日限りで閉店したという。

 この店に初めて入ったのは20年以上前である。名物は,おもちゃ箱のようにいろいろな仕掛けのある大オルガンと,それを自在に操るおやじさんだった。音の立ち上がりが少し鈍重なオルガンと軽快なリズム楽器を組み合わせて奏でるビヤホール音楽が,地下にしては天井の高い空間を豪華に満たした。誕生日を祝う家族連れがいると Happy Birthday を演奏してくれたりもした。
 このところごぶさたしていて,最後に行ったのはもう4年前である。そのとき,おやじさんはいなかった。しかし,おやじさんに似ず細面の息子さんがちゃんとオルガンを弾き,その合間にはテーブルを回って手品をしたり,細長い風船をよじり合わせて動物の形を作って子どもに配ったりしていて,おやじさんが引退しても大丈夫だなと思っていた。それだけに,今度の閉店にはびっくりした。
 なくなってみると,ごぶさたしてしまっていたことを後悔してしまう。精神的支援だけでは足りなかったのが申しわけないような気がしてきた。
 すぐれたビヤホールが2つあいついで消え,寂しい夏を迎えることになった。

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May 07, 2006

両国と神保町「リヴァース」

 先述のビヤステーション両国の関連の情報を求めてネットを検索したら,2月26日で「契約満了のため」閉店したという。JRとの契約が10年間だったということらしい。旧駅舎の高い窓から日光がさす空間を生かすのにビヤホール以上のものは考えられないのだが。
 それから,店内にあった地ビールの製造タンクはどうなったのだろう。

 ネットの検索で,神保町の昼食との接点がひとつ見つかった。
 靖国通りのマクドナルド神保町店の脇から錦華通りに入り,すぐ右に曲がって坂を少し行った左側にある「リヴァース」は,昼はサンドイッチのランチを供し,夜は(行ったことがないが)ダイニング・バーとなる店だが,その店主は,ビヤステーション両国の最初の支配人だった人だそうだ。
 この店主のブログ「脱サラ!カフェオーナー・夢のつづき」は,日々のできごとを苦労も含めて明るく語っていて,楽しい店に育てていこうという姿が快い。
 7日までの5連休で新メニューの準備をしたらしい。今週,久しぶりに行ってみよう。

PS リヴァースについては,「本拠地」の「神保町昼食ニュース」2004年1月号,および3月号で触れた。

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May 06, 2006

ビヤステーション両国が閉店

 連休中の某日の昼過ぎ,久しぶりに両国駅そばの「ビヤステーション両国」目指して出かけた。ところが行ってみると,建物(両国駅旧駅舎)全体がまったく違う店に変わってしまっている。元のビヤホールの場所にある店(夕方から営業)に人がいるようだったので入って聞いてみたら,2月で閉店したんです,とのこと。あまりのことに,しばし呆然とした。

 気を取り直して,新しくできた店のうち,昼間からやっている店Dに入った。この店がドジの連続で,飲み物より先につまみが来る,やっと来た生ビールには泡がない,取り皿が1枚しか置いていない(言ったら鍋用のを持ってきた),ジンギスカン鍋の材料だけ持ってきてコンロが来ない,(言ったらコンロがきて,煮えたが)レンゲがなくてつゆがすくえない(言ったら鍋用のお玉を持ってきた),締めの食事が出てくるのに25分,というありさまだった。
 それでも料理はまあまあだったが,ひとつだけ何とも間が抜けていたのは「辛つけめん」で,スープはお湯にトウガラシを入れただけというような味だった。
 ビヤステーションとのあまりの落差に,初夏のまぶしい陽光のもとで帰りの足取りが重かった。

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Apr 23, 2006

三省堂パーラー ――神保町'70s (7)

 三省堂書店神田本店の西側,「兵六」のはす向かいあたりの位置の1階に,かつては「三省堂パーラー」があった。書店の当時の建物の一部なので天井が高く,荘厳とまではいかないが落ち着いた雰囲気の「洋食店」で,学生にはちょっと敷居が高い感じだった。
 もはや断片的なシーンしか記憶にないが,白髪のボーイ長がいて,昼に集中する客を各テーブルに割り振っていた。メニューにはある程度高級なものもあったのかもしれないが,昼食に食べたのはカレーやスパゲッティナポリタンだった。ここで知った料理としてはドライカレーがある。
 これは店のせいではないが,タバスコが指についていたのに気づかず,手で目をこすってひどい目にあったこともあった。

 三省堂書店は,大震災後復興すると,文具,学生服,靴,帽子などの売り場や洋食堂を作り,「学生のデパート」を標榜していたという。その後かなり変化があったが,70年代になっても,洋服部,レコード店,それにこのパーラーは健在だった。
 先述の『荷風!』の神保町特集の記事によると,旧本店は1937年の建築で,1980年まで使われた。この取り壊しと共にパーラーも消えた。

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Apr 06, 2006

羅生門 ――神保町'70s (6)

 神保町パークタワーの北側の商店街の中ほどあたりの位置に,とんかつ専門店の「羅生門」があった。「再開発」に伴って閉店した店のひとつである。
 昼だけ営業の店で,入って右に調理場をL字型に囲むカウンター,左に小上がりがあった。メニューはロースライスとヒレライスのみ(ただし,もっと昔はその下にトンカツライスというのもあった)。みそ汁はなく,キャベツの漬け物がついていた。ヒレライスがオイルショック前には300円ぐらいで,新米社会人にとっては少し高めの昼食という感じだった(最後のころは1000円だった)。
 カツは薄目でカラッとしていて,長年のファンも多かった。

 先代のおやじさんのことは記憶になく,思い出すのは,坊さんにしたら似合いそうな柔和な顔立ちの2代目である。彼はほとんどしゃべらない。小上がりの客にはおふくろさんが運ぶが,カウンターの客には,盆にのせた料理を彼がだまってぬーっと出す。
 閉店は1999年の6月で,「34年間お世話になりました」という貼り紙が出た。ということは1965年の開店ということになる。

 羅生門のあと,「庄太郎」(駿河台下交差点から南すぐの左側半地下)もやがてなくなり,昨年「駿河」(自遊時間脇を上がった左側路地)がなくなり,とんかつの店は「いもや」「ニューポート」「まんてん」が残っている。

(このシリーズ,(5)からだいぶ間があいてしまったが,またぽつりぽつりと書いていきたい。)

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Mar 15, 2006

一人文化の日 (3)――横須賀「銀次」

 ゆっくり見たので,見終わるともう閉館時間だった。五島一族の屋敷群を見ながら駅へ戻る。日が長くなって,まだ明るいが,そろそろ居酒屋文化探訪の時間である。
 多少迷った末,ふるさと横須賀の「銀次」に行くことにし,東横線に乗った。太田和彦『居酒屋味酒覧』(新潮社)に横須賀で唯一載った店が銀次で,前から気になっていた。
 乗り換えは非常に接続が良く,京急で横須賀中央に着いたのは5時半過ぎだった。昨年夏のホッピー探訪に続く「帰省酒」である。横須賀ではたいして飲んだことはないのだが,「銀次」という看板は見たことがあったような気がしていた。行ってみたら,それもそのはず,知人のやっているとんかつ屋の向かいだった。

 引き戸をがらりと開けて入ると,そこは太田氏が書いているように「時の止まった空間」だった。まず,横須賀名物のホッピー。「横須賀風」に当然三冷(グラス,焼酎,ホッピーを冷やす)で,冷蔵庫の一升びんに入った焼酎をグラスに注いで出てきた。ただしここでは,氷を入れるかどうかを聞かれた。
 かなり広い厨房を囲んでL字型のカウンターが十数席,テーブルが数卓。厨房はおじさん1人とおねえさん4人で,注文が入ると必要な人数が一瞬のうちに連携して動き始め,多くの注文は20秒足らずで出てくる。揚げ物も,純粋に揚げている時間プラス10秒ぐらいしかかからない。

 つまみは300円から400円が大部分で,シコはなかったがアジがあったのでアジ刺と,大根煮,菜の花辛子和えなどを食べた。大根煮は大3切れ,小1切れで,煮え方の段階がいろいろで色とりどりだった。アラも少し付いていて,内容豊かである。
 ホッピーの後,燗酒を頼んだら,店名と「招徳」という酒の名の入ったとっくりで出てきた。
 となりで食べていたモツ揚げというのがおいしそうだったが,この日は昼間すでに揚げ物(カキフライ)を食べているので,やめておく。

 うーんすばらしい,と一人つぶやいて,そろそろ満席になった店をあとにする。外はもうすっかり暮れていた。
 充実した半日の「文化の日」だった。

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Dec 13, 2005

廬山菜館と大雅楼 ――神保町'70s (5)

 すずらん通りの西側の入り口近く,いま郵便局がある場所には,むかし「廬山菜館」という四川料理の店があった。黒っぽい建物で,1階と2階にテーブルがあり,2階の奥には座敷もあった。2階へ上がる階段がぎしぎし音を立てた。
 昼の定食はいつも5種類あって,うち4種は日替わりだが,5番目は麻婆豆腐で固定されていた。今でこそ非常にポピュラーな麻婆豆腐だが,職場の先輩たちはみな,この店で麻婆豆腐というものを知ったという。他の4種のおかずは炒め物やうま煮が主で,4~5人のグループで行って違うものを注文して分け合って食べたりした。
 この昼の定食の印象が強く,他に麺類などもあったと思うがほとんど記憶がない。
 今ある店で,雰囲気が少し似ているのは,専修大交差点の南の「源興號」である(建物はもちろん新しいが)。
 廬山は四川料理を神田に広めた店といえるのかもしれない。閉店したのは,80年代始めだったように思う。

 現在,郵便局の向かいには「冷やし中華の元祖」ともいわれる「揚子江」がある。揚子江は,前は向かい側の廬山の左隣にあった。きちんとした位置関係は定かではないが,郵便局のあるビルの場所に廬山と揚子江が並んでいたのだと思う。さらにその前には,反対側の今の場所(またはその右隣だったかも)にあったような記憶がある。
 揚子江は,昔からずっとやや高級な店という感じだったが,このところ少し路線変更して1000円以下の昼食を設定している。

 すずらん通りの東寄りの方から南に少しはずれたところには,「大雅楼」があった。こちらは中国の南方系なのだろうか,夜はかなりちゃんとした料理を出す店だったが,ここも昼食の印象が強い。五目そば,五目やきそば,中華丼,天津丼など,いずれもボリュームがあり,味にもさりげない主張があった。天津丼・天津麺のあんに酢を使っていないのが少し珍しかった。夜は出前もやっていた。
 大雅楼は,神保町1丁目南地区再開発の計画がまとまる少し前,90年代前半に姿を消した。

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Sep 22, 2005

神保町回游――『散歩の達人』で特集

 『散歩の達人』10月号が「神保町回游」という特集を組んでいる(→ホームページ)。内容は,書店・古書店,喫茶店,トイレ地図,深夜酒場,レトロ学舎などもりだくさんである。オジサンには字が小さいのが玉に傷だ。

 特におもしろいのは昭和11年の神保町の航空写真と,当時の地図を並べたページで,今もある店,最近まであった店もたくさん載っている。

 食べ物屋で取り上げられているのは,サラファン,yoshino(ステーキ),*ルー・ド・メール(内神田),カレー饂飩のアツマル,サンドイッチの London City,京城園,富士山のやさい塾,魚玉,*ハンバーガーのI-Kousya(水道橋),メナムのほとり,ラーメンの麺者服部,龍水楼,スヰートポーヅ,野らぼー(*印は私が知らなかった店)。
 ほかに,大盛りの店の紹介ページがあり,ここには徳萬殿,まんてん,キッチン南海,キッチンカロリーが登場する。

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Sep 17, 2005

蒲田でホッピー

 愛読しているブログ「鉄馬と酒と旅と」「おさまり発見記」(URLは左欄下の方の MYLIST 参照)とそこに集うブログに何度か登場した蒲田の「鳥万」へ,ある夜,急に思い立って行ってみた。
 テーブル席に座ろうとしたときに,ちょうどカウンターの串焼きを焼いているのが見える席が空いたのでそちらへ。このカウンターが白木でなく,赤茶色に塗ってあり(もしかして漆?),それが磨きこまれてつやがでているという貫禄あるものだった。
 品書きは壁いっぱいに貼られている。序章は生ビールとコハダ刺,本編はホッピーと串焼き数本(1本80円!),あとはポテトサラダ,とうふステーキとした。肴はどれも安く,1人で何種類か食べるのに必要十分な量がある。
 ホッピーは,氷グラスの焼酎とホッピーのびんで出てくる。上記ブログの写真ほどではなかったが,焼酎はけっこうたくさん入っている。「中」だけおかわりするとちょっと濃すぎると思われたので,結局,中・外両方おかわりした。
 店は3階まであるが,12人の団体がやってきて,入り口脇のおかみさんは「○○ちゃーん,4階開けてー」と緊急指令を出していた。「この店はいつから?」ときいたところ,「オリンピックの次の年なのよ」 ということは今年で40年になるわけだ。

 帰りの電車で,川本三郎『東京の空の下,今日も町歩き』(講談社)を読んでいて名言を見つけた。「私見では,いい居酒屋とは,カウンター主体で,一人で飲みに来る,いい意味で孤独な酒好きを大事にしてくれること。もうひとつは,安い肴が豊富で,品書きが店内にぐるりと張ってあること。」

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Sep 05, 2005

「まつや」の片隅から

 神田の蕎麦屋「まつや」で,「狭いんですけどいいですか」ということで通されたのが奥の方の4人掛けのテーブルで,3人の先客がいた。その3人も,30代ぐらいのカップルと,中年男との合い席だった。ここはいつも混んでいて合い席が常態である。
 飲み屋でたまたま隣に座った人と話をすることは,時におもしろいが,わずらわしく感じることも多い。そんな中で,まつやは,知らない人とでも自然に話をする雰囲気がある。このときも,3人の先客の間で話が弾んでいて,次第にそこに加わる結果となった。

 その中年男は《ほんとの江戸っ子じゃあねえ》と言っていたが,べらんめえの下町言葉をしゃべり,「てめぇ」を一人称代名詞とする。目がぎょろっとしていて白髪混じりの短い髪で,見た目はちょっとこわいが,本人によると,《てめぇはまあ真面目だから》どこへ行ってもやがて《あやしいけどでぇじょうぶだ》と評価されてきたという。長年演劇活動をしながら,いろいろな職業についたそうだ。
 閉店時間が近づいて食べ物の注文が最後になると,まつやの店員さんが「ラストオーダー」と言ったわけではないのだが,話はなぜかカタカナ語批判に及び,《ラストオーダーなんて言わねぇで,しめぇだのみ,って言やあいいんだ》と言う。しかしそれから3分もたたないうちに「キャッチフレーズ」と言ってしまい,カップルのうちの女性の方に「えーっ,売り文句,でしょう」とつっこまれていた。

 彼の口からは,たくさんの名文句が飛び出した。ほんのわずかしか覚えていないのが残念だが,合い席の客にうけていることを確認して別れ際に口にした自らの「売り文句」は《今日も元気だ,まわりは迷惑》。

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Aug 14, 2005

横須賀ホッピー巡礼 その2

 続いて,ささやかな夏休みのうちの1日(平日),第2回の巡礼に出かけた。今回は日曜休みの店を目指し,前回と同じく,昼を少し過ぎて横須賀中央に着いた。

 まず駅から近い「中央酒場」へ。10時からやっている。ここはホッピーの三冷のうち二冷は同時で,焼酎はジョッキについだ状態で専用の冷蔵庫に入っていた。
 カウンターとテーブル席があり,姉妹のような感じのおばさん2人がカウンターの中にいて,1人が揚げ物・炒め物など火を使う仕事をしていた。そのうち亭主らしい人や若い従業員も現れて,計6人ほどが働いている。店内は明るく,つまみには地元の魚もいろいろある。久里浜のタコぶつ,イワシのぬた,豆腐ステーキ(ここでは単に「ステーキ」というと豆腐)をつまみ(兼昼食)に,ホッピーの白・黒各1杯飲んだ。前回の2軒と比べると純粋な居酒屋で,魚に力を入れているようだ。(下の写真は,夕方,帰りがけに写したもの)
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 もう1軒の開店待ちと酔い覚ましを兼ねて,京急で数駅離れた町へ行ってみた。二十数年ぶりのセンチメンタル・ジャーニーである。町の基本構造は変わっていないが,目立つのはコンビニとケータイの店で,古くからの地元の商店はひっそりとしている。

 バスで横須賀中央に戻り,こんどは「太田屋」(4時半開店)に入ってみた。小さいが活気のある店で,ここもホッピーはもちろん三冷。おねえさん2人で注文を要領よくこなしていく。
 ここは,辛子を塗る独特の湯豆腐を考案した店だというので,その湯豆腐を半丁食べてみた。なぜ湯豆腐に辛子なのかと思ったが,まあおでんの仲間だと思えばよい。おでんと同様,あらかじめ煮てあった豆腐を温めて出す。ほかにカツオぶつ,なす焼き,ちくわ磯辺揚げと,ホッピー2杯。
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 時間が早めだったせいもあって,みな1,2杯でさっと引き上げていく。平日の日常的な暮らしが淡々と続いていた。

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Aug 13, 2005

横須賀ホッピー巡礼 その1

 7月15日の本欄で書いたように,わが故郷・横須賀は,ごく限られた文献によると,ホッピーの聖地だという。それを見て以来にわかに望郷の念がつのり,夏の某日曜日と某平日の2回,帰省兼聖地巡礼に出かけた。

 まず,某日曜日,湘南新宿ラインと京浜急行で,午後,横須賀中央に降り立った。
 その限られた文献『散歩の達人』7月号には10軒の店が出ているが,日曜日の昼間からやっている店は少ないので,選択肢はあまりなく,まず「もーり」へ行ってみた。K劇場という奇跡的に残っているピンク映画館の並びである。ここは月曜以外朝9時からやっている。
 カウンターが奥に向かって伸びて,その奥の厨房でおやじさんが1人で料理を作っている。食堂としても普通に機能していて,昼食の客がかなりいた。生ビールをグラス1杯飲んで景気をつけて(?)から,いよいよホッピーを注文したところ,冷蔵庫から取り出したジョッキに,冷やしてポットに入っている焼酎を注ぎ,同じく冷やしたホッピーのびんと共に出てきた。なるほど,三冷(グラス・焼酎・ホッピーを冷やす)である。氷を使わないと,ホッピーのほのかな甘みが感じられて,違う味がある。昼食代わりのおかずと共に2杯飲んだ。

 街を歩いて,この店は昔からあるな,この店は同級生の家だったな,などと市内視察をしてから,もう1軒,文献に載っていた「忠孝」に行ってみた。しかし,開店のはずの時間になっても開く様子がない。もう少し時間をつぶすかと思って別の方面へ歩いていくと,同じ「忠孝」の別の店がやっているのを見つけ,入ってみた。
 カウンターは,床に座って,掘りごたつ式に溝に足をおろすようになっていた。さっそくホッピーを注文。ここも三冷で出てきた。各種串焼きは,炭火の入ったミニこんろが運ばれ,自分で焼くようになっている。火で暑いので,よけいに飲みたくなる。おかわりは黒ホッピー。

 外へ出るとまだ明るい。しかし焼酎がかなり量があったので,2軒でじゅうぶん満足した。

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Aug 08, 2005

太田和彦『東京・居酒屋の四季』

 ここ数年愛読している居酒屋紀行文の第一人者・太田和彦の新刊『東京・居酒屋の四季』(新潮社)が出た。雑誌『東京人』の連載を元にしたもので,春夏秋冬,各9軒,計36軒が紹介されている。「とんぼの本」のシリーズなので写真(飯田安国)が中心で,太田氏が写っている写真もところどころにある。太田氏の文章は短いが,短くとも味があるのがこの人らしいところだ。
 36軒のうち,私が行ったことのある店を数えてみたところ7軒だった。7軒という数字自体は多いとは言えないけれど,気に入って何度も行っている店が4軒あるのは,提出した作品が佳作になったような感じでうれしい。

 太田和彦の『ニッポン居酒屋放浪記』三部作(新潮社)を読んで,居酒屋紀行文というものが成立するのだなと思った。
 この本は,各地に2,3泊滞在し,昼間はじっとしていて夕方からひたすら飲み歩くという旅の話である。酒飲みの直感で良さそうな店を見つけ,飲みながらその店と店の主人の物語をそれとなく聞き出す。そこで他の古い店を紹介してもらって次の店に行く。たまには郷里の長野県での著者の過去の物語がさりげなく挿入され,淡々とした語り口であるがゆえに,ほろりとさせられる。

 『東京・居酒屋の四季』のコピーに「今宵も,ツイー……」とある。放浪記三部作で,この「ツイー」という擬態語は何度出てきただろうか。うまそうに飲むときの描写は,ビールについては椎名誠,そして日本酒,特に燗酒については「ツイー」の太田和彦にとどめを刺す。

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Jul 23, 2005

ホッピー・ストーリー その2

 ホッピーの製造元はホッピービバレッジという会社である。同社のホームページによると,1995年にこの社名にしたという。そういえば,つい最近まで,元の社名「コクカ飲料」が記されたビンも出回っていた。
 あと,ホームページで初めて知ったのは,ホッピー自体にアルコールが 0.8% 入っているということである。1%未満なので酒類ではないが,場合によってはちょっと効く度数だ。

 さらに同社のホームページを見ていて,楽しい偶然に驚いた。前々回の「池袋・横須賀ホッピー・ストーリー」を掲出した7月15日は,57回目の「Hoppy Birthday」だった。あらためて,ホッピーで乾杯!

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Jul 18, 2005

神保町・水道橋の立ち飲み屋

 4月に開設以来,精力的な展開を見せているブログ「ひだまりのお話」は,酒でも音楽でも,私のツボをぴたりと刺激してくれる。
 前回の「池袋・横須賀ホッピーストーリー」でも同サイトの4月の記事にトラックバックを送ったが,そこ紹介されていた水道橋の立ち飲み屋「U]に,先日初めて行ってみた。私は神保町方面から行ったが,駅は水道橋の方が近い。道が斜めになっていて方向感覚が狂う地域の小道にあった。

 暑い日だったこともあり,かなり混んでいて,外まで人がいたが,混んでいても何とかなるのが1人酒のいいところで,\3000のチケットを購入し,めでたく生ビールにありついた。「ひだまりさん」はいないかなあと,何人か点在する1人客をちらちらと観察したが,もちろんわかるわけはない。
 食べたつまみは湯葉とイクラ,アジの刺身,卵焼きなど。湯葉は好きなのでよく食べるが,イクラとの組み合わせは新鮮だった。ビールの次は当然,黒ホッピーで,「中」(焼酎)を1回お代わりした。見ていると,焼酎のロック,水割り,お湯割りなどの場合は,それぞれ氷や割りものの入ったグラスが供され,カウンターに置いてある好きな焼酎を自分で注ぐシステムになっている。当然,みなグラスの縁まで一杯につぎ,こぼれないようにゆっくりと自席まで運ぶ。次は水割りにしてみよう。チケットはまだ残っている。

 神保町の立ち飲み屋では,神保町交差点の北西ブロック,白山通りからちょっと入ったところに「G」という店がある。完全な立ち飲みではなく,高い椅子の席もかなりある。どうやら,俳句関係の人がやっているらしい。
 ここはキャッシュ・オン・デリバリーなのだが,そのたびに財布を開く必要がないようにということなのか,テーブルの上の籠に現金を入れておき,店員が注文の品を運んでくるとそこから代金を持って行く。自分の「予算」の額を入れておけば飲み過ぎる心配がないシステムである。

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Jun 20, 2005

荷風――オペラとカツ丼

 荷風と西洋音楽,特にオペラの関わりは,松田良一『永井荷風 オペラの夢』(音楽之友社)に詳しいが,最近になって読んだ瀧井敬子『漱石が聞いたベートーヴェン』[中公新書](中央公論新社)にも荷風についての章があった。
 この本は文豪たちの西洋音楽体験をたどるもので,「森鴎外とオペラ」(本ではもちろん「鴎」の左側は「區」)に始まり,以下,露伴,藤村,漱石&寺田寅彦が順に扱われ,最後の章が荷風となっている。荷風の章は長くはないが,他の人と違うオペラ実践者の面が印象に残る。

 荷風がニューヨークやリヨン,パリでオペラを見たのは,今からちょうど100年前,1905年から08年だった。『オペラの夢』を読んだときも思ったのだが,荷風が見たオペラの作曲家では,ヴェルディは死んだばかりであり,プッチーニやマスカーニはばりばりの現役だった。特に『トスカ』(1900年初演)はまったくの新作だったことになる。
 古典的名作に新作として接した人々の感覚は想像もつかないが,考えてみると,荷風にとっては何でも初めてで,「現代の作品」だからどうこうという思いはなかったのだろう。

 数年前,荷風が毎日のように通った本八幡駅前の「大黒家」で,カツ丼を食べたことがある。グリンピースがのった「古典的」なカツ丼で,かなりのボリュームだった。これを死(1959年)の前日まで食べていたというから,80歳の胃袋としては並ではない。荷風の注文はいつもカツ丼と上新香,酒1合だったという。
 原則として外でパン粉の衣の揚げ物を食べないことにしている私にとって,それがこの10年で食べた唯一のカツ丼である。

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Dec 06, 2004

神保町昼食ニュース12月号

 「本拠地」の「神保町昼食ニュース」の章に,12月号を掲出しました。(こちらはほとんど純粋に「昼食ニュース」)

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Aug 08, 2004

ヴィシー風に

 藤岡屋さんを見習って,夏の料理の話題をひとつ。
 私の夏の定番料理はヴィシソワーズ,要するにジャガイモで作る冷たいクリームスープである。ほとんど毎週末に作り,火曜日ぐらいまで食べる。多少の手間はかかるが,フードプロセッサーがあればたいしたことはないし(私はほとんどこのためだけにフードプロセッサーを買った),技術もあまりいらない。
 材料は,ジャガイモ1袋(1kg弱ぐらい。皮をむいてざくざくと切る),タマネギ(大)半個(薄切りにする),牛乳3カップ,スープ(市販のコンソメスープの素で作ればよい)3カップ,バターと調味料。

(1) 鍋にバターを溶かし,タマネギとジャガイモを入れ,牛乳を注いでそのまま,ジャガイモがくずれかけるまで弱火でゆでる。
(2) フードプロセッサーにかけてクリーム状にする(あわてずに少しずつした方がよい)。
(3) 鍋に戻して,スープを加え,塩・コショウで味を調える。
(4) 冷やす(私は,流しで鍋の外に水を流し,中にはビニール袋に入れた氷を入れておき,20分ぐらいしたら鍋ごと冷蔵庫に入れる)。
(5) 食べる直前に味を見て調整,好みによって牛乳を足す。パセリを散らしてサーブ。

という非常にシンプルな作り方で十分おいしいと思うが,ものの本によると,生クリームを使う,セロリを入れる,長ネギを少し入れる,パセリでなくセルフィーユをあしらう,などいろいろな流儀があるようだ。
 ただし,生クリームやバターを多く使ったのを,冷たくてのど越しがよくいからといってたくさん食べると,胃にこたえるからご注意を。

 今年はまだやっていないが,だしと白しょうゆ,牛乳で作る和風ヴィシソワーズもなかなかいける。西洋風よりだしを多くして吸い物の感じにするとよい。あしらうのはジュンサイなど。

 ところで,ヴィシソワーズ(Vichyssoise)というのは,フランスの温泉地ヴィシー(Vichy)の形容詞(および住民を表す名詞)である。ヴィシーはスープに名を残すだけならよかったのだろうが,第二次大戦中の親ナチ政権所在地としても名を残してしまった。

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