スポーツ

Nov 17, 2007

大投手・稲尾和久の時代

 13日夜,駅の売店で夕刊紙の「稲尾和久氏死去」という大きな見出しに思わず足を止めた。その新聞を手に入った居酒屋で,向かいの若い人(といっても三十ぐらい)に「この人誰ですか」と聞かれた。

 昭和30年代の首都圏の子供が巨人以外のファンになるのは非常に困難だった。私も30年代半ば過ぎまでは大勢に従っていたから,日本シリーズでの稲尾・西鉄に「3連勝のあと4連敗」したのは口惜しかった。しかし,あんなすごいピッチャーが相手ではしかたがないという気もした。街の商店の店先に置かれていた白黒テレビ(家にテレビはなかった)のニュースで見た捕手・日比野の背番号12が妙に印象に残っている。

 このときの稲尾は「4連投4連勝」といわれることがあるが,実際には第3試合にも投げているから5連投であり,さらに第1戦にも先発しているから,7試合のうち6試合に登板したことになる。うち4回は完投だった。
 「神様・仏様・稲尾様」というのは,第5戦で自らサヨナラホームランを打った稲尾にファンが思わず手を合わせたところから生まれたことばだそうだ。「打撃の神様」「大魔神」など神様扱いされた選手はほかにもいるが,仏様まで加わったのは細い目の温顔の稲尾ならではのことである。

 この翌年の日本シリーズで,巨人は南海の杉浦に再び4連敗を喫することになる。当時の大投手では,この杉浦も阪神の村山も,すでに鬼籍に入ってしまった。

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May 14, 2007

マラソンのスピード

 マラソンの一流選手(男子)は,42.195km を130分以下で走る。計算すると秒速 5.4m,100m を18.5秒で走っているわけで,これは,考えてみると信じがたいスピードである。なにしろ,100m走の世界記録は10秒弱だから,この全力疾走の半分よりも速い速度で2時間以上走り続けるわけだ。
 あるいは,昔の高校のときの 1500m走を思い出してみると,5分を切るのはクラスで1人か2人だったように思う。ところが,マラソンはそれより速く,1500m を4分38秒で走っている。

 高校の時,40km を歩く会があった。「走ってはいけない」「競走ではない」という会で,速いやつは競歩のように歩いて5時間を切っていたが,平均は6時間半ぐらいだった。
 時速 8km だとマラソンを5時間16分で走れることになる。これなら一応走っているように見えるのだろうか――などと,走る気もないのに考えた。

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Apr 09, 2007

トップニュースは松井

 NHKラジオの朝7時ニュースをときどき聞いているが,9日(月)のトップニュースは,「ただいま入りましたニュースです」として,ヤンキースの松井が肉離れで故障者リスト入りしたというものだった。統一地方選挙の翌日にもかかわらず,である。選挙の結果は前夜にわかっているからということはあるのだろうが,異例の判断といっていいだろう。
 実は「伏線」は数日前にあり,その朝のトップニュースは,松坂の初登板・初勝利だった。これは,日本時間で明け方に終わったばかりの試合だから,トップになってもおかしいとはいえないが,ちょっと驚いた。さすが松坂――。

 日米で野球が始まり,夕刊紙をよく買うようになった。前に書いたことがあるが,大リーグのナイター試合が終わるのは日本時間では朝なので,夕刊紙にちょうど結果が載る。日本人の大リーガーは最初は投手だけだったので出番は数日に1回だったが,イチロー以来野手が活躍するようになると,毎日出場するするので,夕刊紙を買う回数が増えた。

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Jun 23, 2006

スポーツ新聞はつらいよ

 今日23日のスポーツ新聞は,スポニチが「中田 引退白紙」,ニッカンスポーツが「中田 引退か」と対照的な見出しを1面トップに掲げた。

 考えてみると,今日のスポーツ新聞ほど作りにくいものはない。読者はみな未明のブラジル戦の結果を知っているのに,それ以前の内容で記事を作らなければならない。しかも,プロ野球は交流戦終了後の谷間でゲームがないこともあり,やはりこの時期サッカー以外の記事をトップにするわけにもいかない。
 そんな中で,今大会後の引退を示唆するような以前の中田ヒデの発言を,この時点でどうとらえるかを,両紙が少し違う見方で記事にしたわけだ。ただし,記事の内容は,見出しほど正反対というわけではない。

 朝日新聞の夕刊は,その中田が試合後フィールドに倒れた写真を1面に掲載した。

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Jun 22, 2006

Friday monrning headquarters

 W杯ブラジル戦について,スポーツ新聞に「ブラジル,日本戦手抜きなし」という見出しが出ていたが,一方では「日本戦は消化試合と明言」という報道もある。実際どうなんだろうと思うが,なまじっか主力選手を休ませたりすると,控え組が張り切って華麗な個人技を見せたりして,それもしんどい。

 試合開始は23日(金)朝4時。終わった後,寝るべきか寝ざるべきか,それが問題だ。終わるのは6時前だから,まあ寝ない方がいいのだろう。
 でも,よりによってその夜は高いオペラがある。オペラで1分寝ると360円ほど損をする。昼寝をしたいところだが。

 米語に Monday morning quarterback という言葉がある。日曜日に行われたアメリカンフットボールの試合について,素人が月曜の朝に主に戦術の批判をすることに由来する表現で,事が終わってからあれこれ批判する人のことをいう。
 23日にはたぶん Friday morning headquarters が日本中にあふれることだろう。

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Jun 14, 2006

オーストラリアとクロアチア

 朝からなんとなくそわそわ,夕方は10時までに帰宅できるよう計算して飲む,というのが,W杯日本戦の行われた12日の非・非国民の行動だったに違いない。
 今日焼鳥屋で「昨日(12日)はどうでした?」と聞いたら,やっぱり「9時半に(客が)2人になって,それっきりでしたよ」

 オーストラリアでは,元来 football といえば Australian Rules,つまり楕円形のフィールドで行う18人制のものである。そのオーストラリアでサッカーを育てたのはクロアチア人が主だった,という話を最近読んだ。
 そういえば,上記の焼鳥屋で前にたまたま会ったオーストラリア人は,両親がクロアチアから来たと言っていた。(と思ったが,マケドニアだったような気もしてきた。)(参照:An American in Bukuro [偶然,ちょうど2年前])

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Jun 06, 2006

人口37万人の町ボローニャのオペラ

 ワールドカップ本番前最後の親善試合の相手をつとめてくれたマルタ共和国は,人口39万人だそうだ。

 あれ,これに近い数字をごく最近見たな,と思ったら,4度目の来日公演中のボローニャ歌劇場のプログラムでだった。ボローニャ市の人口は37万人であり,定員約1000人の Teatro Communale では年間8つぐらいのオペラが計50公演ほど行われているという。
 もちろん,ボローニャ市内だけではなく,周辺地域からの客もいるのだろうし,観光客も来るだろうが,それにしてもこれだけの規模のオペラを数十万の人口で支えていくのは容易ではなかろう。
 しかも,質的にも相当なものである。今回の日本公演は,フローレス,アラーニャ,クーラという旬のテノールに加え,ボンファデッリ,デッシー,グレギーナという名花が競う豪華版で,これだけ揃うのはまあ超よそ行きモードだが,かといって,決して単に金でかき集めたわけではない。みなボローニャには縁のある人たちであり,劇場が若い人材を発掘し,育ててきた実績が,貴重な蓄積となっているようだ。これは,現地での公演予定に,しばしばかなり名のある人が登場していることでもわかる。

 6月3日は今回の初日で,『連隊の娘』(ドニゼッティ)が上演された。『連隊の娘』は初めて見る演目だった。
 ボローニャ,メトが集中する恐怖の(?)オペラ月間の開幕である。

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Mar 21, 2006

オペラ劇場で野球中継

 今日21日(祝日)午後の新国立劇場『運命の力』に出かけた。
 開演15分前ぐらいに会場に入ったところ,切符もぎりを入ってすぐ左に異様な密度で人が集まっている。見ると,ふだんは劇場内部を映している液晶モニター(かなり大画面)で,なんとワールド・ベースボール・クラシック(WBC)の決勝の日本―キューバ戦の中継を放映していた。
 実は6―3になったところまでラジオを聞いていたのだが,その後食事をしているうちに,10―5になっていた。9回裏キューバの攻撃で,1点返されて10―6となり,なかなか決着がつかない。まだ終わらないようだと開演を遅らせてもらわないと,などという声も聞こえていたが,大塚がなんとか踏ん張って最後のバッターを三振にとり,ロビーに大きな拍手がわいた。開演2分前だった。

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Feb 21, 2006

トリノの新種目

 トリノ・オリンピックは,あっという間にあと3分の1となった。
 ウィンター・スポーツをナマで見たことがないのだが,スキーやそりでは,コース全体が見える観客席というのは存在しないのだろう。とすると,観客席では,オーロラビジョンのようなもので前半をみて,後半を双眼鏡で見る,ということになるのだろうか。それ以前,映像がなかった時代というのはそれほど昔ではないが,全体の様子はラジオ中継を聞くしかなかったはずだ。
 そもそも,同時に滑るのが1人というのが,他の競走と違う点である。

 トリノではいろいろ新種目があるが,今まで見た中では,3人のチーム2組で滑るスケート追い抜きと,4人が競走するスノーボードのクロスがおもしろかった。
 ことにクロスは,ふつう1人ずつ滑るスキー,スノーボードの中にあって,4人が同時に滑るというのは鮮烈な見ものだった。スタートダッシュが重要なのだろうと思うが,その後も狭いコースでいろいろな駆け引きがあり,一瞬のうちに前の2人が転倒したりする。4人のうち2人ずつが勝ち進むというのも他の競技にないやり方だ。

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Aug 28, 2004

アテネの白い星印

 先週書いたように,時差6時間(夏時間)のアテネで夜になってわかる結果を,新聞は,朝刊に載せるために大奮闘している。23日午前0時にスタートした女子マラソンは,結果が出たのが2時半で,一般紙は朝刊に野口のゴールのカラー写真を載せた。スポーツ新聞は,スポニチの場合,ゴールでなく途中(20km付近)の写真だったが,もちろん結果はちゃんと特大見出しで書いてある。
 駅で買ったそのスポニチをじっくり読んでから会社へ着いてみたら,会社に来ていた宅配用のスポニチには,まだ結果が出ていなかった。スポーツ新聞はもともと宅配用と駅売り用では紙面がが異なる(普通は要するに宅配用のテレビ番組欄が駅売り用ではいかがわしい記事になっている)が,この場合は,配達にかかる時間の分だけ駅売り用は刷り上がりは遅くていいという時間差を「利用」したことになる。これだけ紙面が違うと,つっこむのはいいとして,他の記事を動かしたり縮めたりするのが大変だが,しかしまあ,マラソンの場合,結果がわかる時間がはっきりしているから,準備しておいて対応したのだろう。(1週間後の30日未明,同様のことが男子マラソンで繰り広げられる。)
 なお,1面左上欄外の表示は,私の買った駅売りは「11版B」,会社に来ていたのは「11版B☆」で,白い星印ひとつの違いだった。

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Aug 21, 2004

がんばれ,スポーツ新聞

 今週は,帰宅が毎日11時過ぎだった。しかしそれは,アテネで柔道や水泳の決勝の始まるゴールデンタイムだった。おかげで,柔道の大部分と,もう少し時間が遅かったが北島の金メダルの瞬間を,ナマで見ることができた。これだけ毎日金メダルというのは,今後たぶん経験できないだろう。暑さとあいまって,当然寝不足である。

 そして朝は,ワールドカップのときと同様,スポーツ新聞を買う。ふだん,平日は会社で読めるので,買うのは土日だけであるが,今は特別。オリンピック以外にも,高校野球やパリーグ再編問題,松井とイチロー,ぼろぼろの巨人,辞任後のナベツネなど,読むところはたくさんある。
 だいたい日本時間で午前1時半ごろまでのことは,翌朝の新聞に間に合うようだ。カラー写真もちゃんと載る。きっと編集局は戦場の騒ぎなのだろう。がんばれ,スポーツ新聞。しかし,体操男子団体と,今朝の柴田(女子800メートル自由形)の金メダルは,翌朝には間に合わなかった。
 より詳しくいうと,体操のときは,一般紙も朝刊には間に合わず,夕刊のトップになった。スポーツ新聞は翌日,1周遅れで追いかけた。「予想外」だった柴田については,一般紙では(たぶん都内版だけ)間に合ったが,なんとか1面だけ形をつけたものの,2面以下では触れられていない新聞もあった。スポーツ新聞では,スポニチの場合,よく見たら2面の中村礼子銅メダルの記事の最初の所に,「柴田 金」という小さい見出しがはめこんであった。しかし,いくら捜しても記事はなく,いかにノーマークで準備されていなかったかがわかる。明日,ゆっくり拝見しよう。

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Aug 15, 2004

20年前――ロサンゼルス,アイスランド,モーツァルト

 40年前の東京オリンピックは,もちろん思い出深い。新聞記事を切り抜いてせっせと貼った大判のスクラップブックが2冊や,アサヒグラフの別冊,それに1000円の記念硬貨などが,実家にあるはずだ。

 しかし,それと別の意味で印象に残っているのは,20年前のロサンゼルス・オリンピックである。期間中の1984年8月10日(現地時間),友人Fが,ヨーロッパの北西の隅のアイスランドで,事故で亡くなったのである。
 Fは当時アメリカに住んでいて,そこからアイスランドに地質調査のために出かけ,氷河のとけた濁流にジープごとのまれたのだった。日本の関係者にFの遭難が伝わったのは12日で,翌13日の新聞で報道された。その朝刊は,オリンピックの柔道で優勝した山下泰裕選手の記事で埋まっていたが,その片隅で,しかしかなりのスペースで事故が報ぜられ,ひげを生やしたFの不鮮明な写真がほほえんでいた。

 Fは大学のサークルの1年上級生だから,私は話し言葉では「Fさん」と呼ぶ。しかしそれ以外に学年の違いを示すものはない。私の学年と1年上のFの学年は,大学紛争の時代の混乱の中でサークル活動を維持するために奔走した「戦友」であり,ある同級生の言葉を借りれば「泥沼的結束」を誇ってきた。
 私たちはしょっちゅうFの家に出入りし,Fの家族とも親しくなった。その結果として,私を含めて仲間3人が,結婚に際してはFの両親に媒酌人を頼んだ。

 私たちの結束の中心人物のひとりだったFの死の衝撃は大きかった。8月19日,成田へ遺骨と家族の帰国を迎えに行った。8月23日に執り行われた葬儀では,友人たちがモーツァルトの室内楽の緩徐楽章を演奏した。作曲者が若いころの曲ではさほどでもなかったが,晩年のクラリネット五重奏の第2楽章になったら涙が止まらなくなった。長調の曲があんなに悲しく響いたことはなかった。

 その後私は仲間たちの有志と共にFの追悼文集を編集し,一周忌の日に彼の霊前に捧げた。追悼文集には,海外を含め50人近い人が,事故当時1歳半だったFの長男のためにという思いをこめて寄稿し,Fの人生の充実ぶりを後生に伝えることとなった。

 日航ジャンボ機の墜落は,一周忌の直後の8月12日だった。私たちはFの家族と,512人の犠牲者のすべての家で同じような悲しみのドラマが生まれたのだろうね,と語り合った。とても他人事とは思えなかった。
     ――柔道で谷亮子・野村忠宏が優勝した日に記す

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Aug 14, 2004

夜の海

 テレビでアテネ・オリンピックの開会式をやっている。
 スタジアムのフィールドに海が出現し,また引いていったのにびっくり。マーチらしくないのべつ幕なしのリズムの曲にのっての入場行進,うーむ200か国以上ですか(東京では93か国)。
 ただし,見ているのは再放送。現地の夜8時が日本では午前2時で,夜の競技は堅気の勤め人にはきつい。午後の競技は夜見られてちょうどいいのだが。

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Jul 11, 2004

意外と若かった人々

 1998年に阪神の名投手・村山実が死去したとき,たった61歳だったのに驚いた。
 子どものころから知っている「有名人」は,当然,当時大人だったわけで,すべて自分よりはるかに年上の,少なくとも自分の親の世代のように思っていた。そのまま感覚的に「平行移動」して,こちらが中年になったのだから,そういう昔からの有名人は,私の中では70代・80代になっているような感じがしていた。
 それが,村山の場合,実は一回りとちょっとの違いだった。
 長島・王は村山より少し上だが,こちらはずっと「消息」を知っているから,自分といっしょに年をとっているという感じがあるが,若いころから活躍して死亡記事で久しぶりに目にする人というのはその年齢に驚くことになる。

 もっと年が近くて驚いたのは,2000年7月に死んだ歌手の青江三奈だった。青江三奈は,私が高校生のころ「恍惚のブルース」でデビューした。最初から大人のムードで売っていたこともあり,まあこれは「はるかに上」ではないにせよ,8~9歳ぐらい上のような感じだったのだが,実はデビュー時21歳だったのだった。

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Jun 19, 2004

5チームのリーグ戦

 近鉄とオリックスの合併が報道されたのは13日(日)夜,巨人を分割して一方をパリーグにという「飯尾構想」が発表されたのが14日午前2時すぎ,それを受けて(!?)『朝日新聞』は15日朝刊の社説で「巨人を分割したら」と書いた。
 さらにその尻馬に乗ったのが『東京新聞』18日朝刊で,普通の新聞の中でもっとも週刊誌的または野次馬的な「こちら特報部」という欄で朝日社説の「巨人分割案をマジメに検証」している。そこではチーム名は「東京巨人」「大阪巨人」で,大阪巨人は,現巨人の中の関西出身者と近鉄の一部メンバーで構成されている。
 最初は冗談と思ったが,実はナベツネさえその気になれば意外と容易に実現するかもしれない。まことにiioさんの慧眼である。

 でもまあ,その前に,5チームでのリーグ戦というのはどうなるだろう。
 6チームが5チームになると,組み合わせ(カード)は15種から10種に減る。これが魅力減のいちばんの要因で,実際にはインターリーグをやるしかないと思うが,とりあえずそれはなしにして普通に各チーム140試合とすると,総試合数は420から350に減る。(逆に1カードあたりの試合数は28から35に増える。)
 現在は1日に3試合できるので,所要日数は420÷3で140日だが,これが5チームになると1日に2試合しかできないので,350試合行うのに175日かかる。だからナベツネは「ダブルヘッダーやらないとできない,それじゃ選手がかわいそう」と言ったのだろうが,考えてみると,あぶれた1チームは休みだから,びっしり連日のシングルゲームのスケジュールでも各チームは3日に1日は休みとなり,それほどの無理は出ないのではなかろうか。
 実際には6連戦のあと3日休みということが多くなり,移動や雨の時の処置が大変になるということはあるだろう。

 この件で思い出したのは,東フィルと新星日響の合併。「人員削減なし」でスタートし,メンバー表には今も他のオケの7割増しぐらいの人数が載っているのはまあ立派といえるかも。もっとも,オケは「対戦」するわけではないので,1チーム減っても全体への影響は少ない。

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Mar 31, 2004

ヤ印

 28日の日曜日,テレビの野球中継で,当たり前のように「ヤ―巨」という表示が出ていておもしろかった。この4日間に限り,「ヤ」はヤクルトではない。
 翌月曜の朝はスポーツ新聞を買った。スポーツ新聞は,平日は会社で読めるので買わないのが普通だが,この日は「ヤ―巨」戦,パリーグの開幕シリーズ,高校野球,大相撲千秋楽と,話題が多かったので,つい手を出した。
 テロ警戒で,駅には警官がうろうろし,ゴミ箱はふさがれている。読み終わった新聞が捨てられない。

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