大投手・稲尾和久の時代
13日夜,駅の売店で夕刊紙の「稲尾和久氏死去」という大きな見出しに思わず足を止めた。その新聞を手に入った居酒屋で,向かいの若い人(といっても三十ぐらい)に「この人誰ですか」と聞かれた。
昭和30年代の首都圏の子供が巨人以外のファンになるのは非常に困難だった。私も30年代半ば過ぎまでは大勢に従っていたから,日本シリーズでの稲尾・西鉄に「3連勝のあと4連敗」したのは口惜しかった。しかし,あんなすごいピッチャーが相手ではしかたがないという気もした。街の商店の店先に置かれていた白黒テレビ(家にテレビはなかった)のニュースで見た捕手・日比野の背番号12が妙に印象に残っている。
このときの稲尾は「4連投4連勝」といわれることがあるが,実際には第3試合にも投げているから5連投であり,さらに第1戦にも先発しているから,7試合のうち6試合に登板したことになる。うち4回は完投だった。
「神様・仏様・稲尾様」というのは,第5戦で自らサヨナラホームランを打った稲尾にファンが思わず手を合わせたところから生まれたことばだそうだ。「打撃の神様」「大魔神」など神様扱いされた選手はほかにもいるが,仏様まで加わったのは細い目の温顔の稲尾ならではのことである。
この翌年の日本シリーズで,巨人は南海の杉浦に再び4連敗を喫することになる。当時の大投手では,この杉浦も阪神の村山も,すでに鬼籍に入ってしまった。
