福知山線の事故のニュースを聞いて反射的に思い出したのは,1963年11月9日の横須賀線鶴見事故である。横須賀線は,神奈川県南東部にいた私にとって,京浜急行と並んでもっとも身近な鉄道だったから,その衝撃は大きかった。家族や知人が乗っていてもまったく不思議はない状況であり(本拠地の「横須賀線私記」参照),実際死者161名の中には私の高校のOBも何人かいた。
テレビで初の米国からの衛星生中継放送が行われ,ケネディ大統領暗殺のニュースが飛び込んできたのは,その2週間後,23日のことだった。
世間的に鶴見事故の衝撃が大きかったのは,その前年5月3日に常磐線三河島事故があって死者160名を出してからわずか1年半後であり,しかも,夜9時半過ぎに貨物列車が脱線したところに上下2本の電車が衝突するという事故の状況がよく似ていたからである。
三河島では,電車から乗客が線路に降りたところに別の列車がやってきて被害を大きくした。そのため(だったと思うが),非常時にドアを開けるコックの脇に「車外に出る場合には他の電車に注意してください」というようなステッカーが貼られるようになった。しかし,皮肉なことに,非常用ドアコックというのは,乗客が車外に出ることができなかったために多数の乗客が焼死した「桜木町事件」を教訓に,乗客にわかる位置に設置されるようになったものだという。
数年前から仕事の関係で三河島駅で乗降することが何度かあり,あるとき同行していた取引先の若い人に「三河島駅というとまず三河島事故を思い出しちゃうんですよ」という話をした。三河島事故の死者では,1人だけ身元のわからないまま近くのお寺に葬られた人がいると聞いたことがある。
福知山線の事故の2日後の夜,埼京線に乗ったところ,ダイヤが乱れていて,「5分ほど遅れての到着です。ご迷惑をおかけして申しわけありません。」というアナウンスがあった。ふだんなら乗客の間には「急いでるのに困るんだよなあ」というJR非難の雰囲気がひろがるのだが,このときばかりは「いいよいいよ,もうスピード出して取り返さなくていいからね」と一同暖かく見守った(ような気がした)。