音楽

Feb 21, 2017

誕生の日に壮大なレクィエム

 わが家の大きな出来事2つ,思いがけず同じ日に重なった。ひとつは,同居人が合唱のメンバーとして出演するヴェルディ「レクィエム」の演奏会で,これはもちろん前から予定が決まっていたのだが,その本番が始まる8時間前に,初孫が誕生したのである。誕生の日にレクィエムというのも取り合わせが悪いが,予定日は2週間後だったので,まさかこの日になるとは(前日まで)思っていなかった。
 午前中,無事生まれたという知らせが,誕生からわずか36分後にスマホに届いた。ちゃんと写真付きで,まったく便利な世の中になったものだ。やや小さめの元気な女の子で,助産師さんが撮ってくれた両親と3人の写真もあった。

 夜のヴェルディ「レクィエム」の演奏会は,東京某区の主催で,公募したメンバーによる合唱団が歌うというもの。去年の6月ごろ募集があり,同居人は今年3月末で定年退職なので,自分で退職を記念して,長年のあこがれだったこの曲を歌いたくて応募した。定員250名のところ,数日で270名に達して締め切りになったという。
 オーケストラは東京フィルハーモニー,指揮は昨秋29歳(!)で東フィルの首席指揮者になったアンドレア・バッティストーニ,ソリストは安藤赴美子,山下牧子(つい10日前に新国立劇場で蝶々夫人・スズキを歌ったコンビ),村上敏明(予定の人がインフルエンザになって代役。当日のゲネプロから参加),妻屋秀和という一流メンバー。
 バッティストーニは,見た目はずんぐりしていて熊みたいな感じだが,指揮は切れがよくて,かつ遅いテンポのところも味があって,大いに堪能した。現場感覚にもすぐれているようで,「ディエス・イレ」でトランペットの別働隊が客席で吹くところでは,トランペットのために左手をわずかに早いタイミングで振って遅れないようにしていた。すでにバイエルン,スカラ座,ベルリン・ドイツオペラなどでも振っているそうで,オペラをよく演奏している東フィルとしてはいい人をつかまえたものだ(秋には演奏会形式の『オテロ』がある)。
 最後の音が消えたあと,指揮者がゆっくりと手を降ろし,なおしばらく祈りを捧げて,感動的な長い静寂は40秒(たぶん)に及んだ。それからようやく拍手が急速なクレッシェンドでわき起こった。アッバード=ベルリン・フィルの『トリスタン』(2000年,東京文化会館)の約15秒を大きく上回る最長静寂記録である。
 合唱は,まったくの寄せ集めで経験もばらばら,平均年齢はかなり高く,男声が少なくて(本番ではトラが入っていた),合唱指揮者は大変だっただろうと思う。バッティストーニ氏は,終演後,合唱団の前であいさつし,来年の(合唱付きの曲の)予定を熱く語ったという。

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Feb 17, 2017

南へ西へ,お得きっぷで

 京浜急行の「みさきまぐろきっぷ」,京王電鉄の「高尾山きっぷ」は,共に行き止まりの終点まで行く往復乗車券とその先の交通機関の運賃がセットされたお徳用切符である。2月の平日に,この2つの切符を相次いで使った。
 まずは,京急の「みさきまぐろきっぷ」。食事券と,施設利用またはお土産の券もセットになっていて,値段は,電車とバスで三崎港まで往復する運賃プラス600円ほど(品川からの場合)なので,3枚目の券をお土産に引き替えれば元がとれて,食事の分はまるまる得,という計算になる。
 食事券の使える店は30店ほどあって,三崎港の付近に多いが,電車の終点・三崎口のひとつ手前の三浦海岸駅周辺にも何軒かある。こちらの方が空いているのではと思って三浦海岸で降りたのだが,どこの店も平日なのにけっこう混んでいた。それでも入れるところに入って(混雑具合はスマホでわかる),海を眺めながらゆっくり酒を飲んで,「まるまるお得」の食事をして満足。
 三浦海岸駅前では河津桜が満開で,桜祭りのテントが出ていた。三浦海岸と三崎口の間には線路際に河津桜が咲く鉄道名所があり,こちらも,車中から見ただけだが,見事だった。河津桜は,ソメイヨシノよりずっと花のボリュームがあって色も濃く,雰囲気は陽春である。

 その数日後に,こんどは「高尾山きっぷ」で終点・高尾山口へ。日差しは比較的暖かかったが,やはり山の中で底冷えがする。こちらは食事券はないが,各駅で配布されているパンフレットに割引券がついていて,19店でそばが100円引きになる。
 前にも入ったことのある店で,「天狗の耳たぶ」の天ぷらを食べた。天狗は高尾山のシンボルで,「天狗まんじゅう」「天狗ドッグ」などそこらじゅうに天狗関係の商品があるが,この天狗天狗の耳たぶというのは,地元の特厚キクラゲのこと。これと自然薯豆腐ともりそばで,これまた満足という次第。

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 テノールのニコライ・ゲッダ氏が1月8日に死去したことが,先週新聞で報じられた。享年91歳。生で聞いたことはないが,オペレッタのCDなどを何枚か持っていて,なじみのある名前だった。
 これより先,指揮者のジョルジュ・プレートル氏が1月4日に死去した。享年は1つ違いの92歳。こちらも生で聞いたことはないが,プーランク作品集のCDなどを愛聴していた。ウィーン・フィルのメンバーによるブログ(今は休止中)にも,プレートルが振りにくるのを楽しみにしていることが何度か書かれていた。

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Feb 11, 2017

ガヴォット「アマリリス」/山手線の新駅

 JR赤羽駅の埼京線ホームの発車メロディーが少し前から「アマリリス」になり,何十年ぶりかでこの曲を耳にした。昔はけっこうよく知られていた曲で,私は小学校の器楽合奏で演奏した覚えがある。
 大人になってから,「アマリリス」はガヴォットであることに気づいた。ガヴォットは4分の4(または2分の2)拍子で,小節の真ん中から,つまり半小節というちょっと長めのアウフタクトで始まるのが通例。この曲もそうだ。
 最近ネットを検索してみたら,「アマリリス」の作曲者は,かつてはルイ13世と伝えられていたこともあるが,今はアンリ・ギス(Henry Ghys 1839-1908)というフランス人とされているとのこと。アンリ・ギスは,モーリス・ラヴェルの最初のピアノの師だという。
 ネット上にはこの曲の演奏も何種類かあって,聞いてみたらABACBCAというちょっと変則のロンド形式になっていた。私が中間部として知っていたのは下属調のCの部分で,短調のBの部分は聞き覚えがなかった。とすると,小学校のときにはどういう演奏をしたのだろう。当時,小節の真ん中から始まって中間部で転調するような楽譜を演奏できたとは思えない。A部分だけ,2拍移動して小節の最初からという形で演奏したと推測するのが穏当なところか。A部分は,ガヴォットであることを意識しなければ,1拍め始まりにしてもまあ大きな違和感はないのに対し,C部分は3拍めから始めないとサマにならない。

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 山手線の品川・田町間に作る新駅の起工式があった。暫定開業予定は2020年。山手線では,西日暮里駅(1971年開業)以来約半世紀ぶりの新駅となる。ちなみに,西日暮里の次に新しい駅は御徒町(1925年開業)である。
 駅名についていろいろな案が出ているが,周囲の地名の分布からは「高輪」が順当のように見える。対抗は「泉岳寺」,穴は「品田」といったところか。

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Nov 17, 2016

さいたま芸術劇場でバッハ・コレギウム・ジャパン

 11月12日,彩の国さいたま芸術劇場(与野本町)でバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)のバッハ「ロ短調ミサ」を聞いた。ここは,大ホールと別に「音楽ホール」があり,当日は会場の音楽ホールの正面入り口は「楽器保護のため」閉められていて,脇のほうから入るようになっていた。
 BCJを生で聞くのは初めてで,定員600人のホールで合唱とピリオド楽器のオーケストラを聞くのは,まことに贅沢な経験だった。合唱(ソリスト5人も合唱に加わる)が25人,オケが24人。オケは,ピリオド楽器だからどうこうということをまったく超越して,みなもちろん自在に自然に演奏していたが,特に素晴らしかったのは通奏低音のチェロ(エンドピンなしで足で挟んで弾く)2人とヴィオローネで,3人ぴたりと一緒に,全体を支えていた。
 合唱は,清澄でかつまっすぐ訴えかけてくるような強さがある。各声部が2つに分かれて最大8声部の二重合唱になるが,全体としては5部合唱の部分が多く,これに応じてソプラノは左端と右端に分かれていた。アルトのソロは男性(カウンターテナー)で,合唱のアルト7人のうち,このソリストとあともう1人が男性だった。

 さいたま芸術劇場は,蜷川幸雄(今年5月に死去)の劇場でもある。駅からの通りを曲がって劇場へ上がっていく道の左側の歩道の柵には,蜷川と,蜷川のシェイクスピア等に出演した俳優たちの手形が飾られていた。
 帰りに暗くなって知ったのだが,反対側(劇場に向かって右側)の歩道の路面には,シェイクスピアの名台詞を書いたガラスがはめ込まれていて,下からライトで照らされているのだった。

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Nov 13, 2016

コチシュ死去/集中管理

 11月8日の新聞で,ピアニストのゾルタン・コチシュ(ハンガリー人だから本来はコチシュ・ゾルターン)の訃報が出ていてびっくりした。まだ64歳。私より少し下の世代のハンガリーの三羽烏,デジュー・ラーンキ,アンドラーシュ・シフ,コチシュは,いずれも音が美しくさわやかで,でもじっくり歌っていて,LP/CDを比較的よく聞いていた。
 3人のうちでコチシュは,1977年夏にたまたまダブリン(アイルランド共和国)に行ったときにリサイタルのポスターを見て聴きに行ったという縁がある。小さな会場だった。曲は,前半は覚えていない(モーツァルトなどだったような気がする)が,後半はなんとベートーヴェンの交響曲第5番の独奏用編曲だった。
 コチシュは管弦楽曲の編曲をよく演奏する人で,リストまたは自分の編曲によるワグナーの曲だけのCDも出している。その中で特に愛聴しているのは『ローエングリン』の「エルザの大聖堂への行列」。

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 会社勤めを終えてから初めての成人病健康診断に行った。これまでは会社で受けていたので,並んだ順に決まった順番で進んでいったのだが,今回は様子が違った。
 指定の番号の席に30数人座ると,前に立った看護師さんが「では1番と2番の方,後ろの心電図の部屋にお願いします。3番,4番,5番の方は視力検査に行ってください。9番,10番の方は…」という具合に,各項目の検査が並行して進むよう「指揮」する集中管理方式なのだった。モニターにだれがどれを済ませたかが表示されるらしく,検査室から1人出てくると次の人が指名される。全体として,最初の受付の順に終了していった。

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Oct 18, 2016

逆さ言葉

 音楽の主に演奏家の間で使われる隠語を「楽隊用語」ということがある。有名なのは数の言い方で,1をツェー,2をデー,5をゲーという具合にドイツ音名で言い,主に金額に関して用いる。これについては,なぜかジャズ・ポピュラー系の人もドイツ音名で言うらしいが,3は「エー」でなく「イー」ということが多いという。
 もうひとつ,音楽関係者以外にもけっこう広く使われていると思うが,「逆さ言葉」が数多くある。シーメ(食事 <飯),ビータ(演奏旅行 <旅),シータク(<タクシー)といった類である。ただし,ルーモ(女性 <モル(moll 短調))となると「楽隊」専用だろう。

 昔,職場の宴会で,逆さ言葉の歌を歌った先輩がいた。曰く,

  たで たで がきつ
  いーるま いーるま いるまんま
  んーぼの なーよ がきつ

 なんのことはない,「シーメ」と同様にごく短い単位でひっくり返しただけなのだが,酒の席でけっこうまじめに歌われると,特に「いるまんま」のあたりはなんとも言えずおかしくて,笑い転げた。

 これも飲みながらだが,ことわざ・慣用句などを何でも逆さにしてみたことがあった。若かったあのころ,自分たちで言いながら意味のない言葉(文字通りナンセンス)に大笑いし,安酒の杯を重ねた。

  休みもばかばか言え
  敵はぜいたくだ
  人んずれば先を制す
  たんこぶの上の目
  釘に糠
  仏が知らぬ

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Oct 09, 2016

シュザンヌ・ヴァラドン/ネヴィル・マリナー

 横須賀芸術劇場と共に郷里・横須賀が誇るべきハコもの,横須賀美術館へ,「女性を描く――クールベ,ルノワールからマティスまで」展を見に行った。
 行きは京急・馬堀海岸駅から観音崎行きのバス。このバスの行く道には,古いレンガの水道施設があったり,走水神社が見えたりして,変化に富む。海沿いの小さな峠を越えて走水の港を見下ろすあたりは,子供のころと同じようにわくわくする。久しぶりに晴れて,芝生の斜面の上の美術館から見下ろす東京湾がきらめいていた。
 「女性を描く」展は,おもにフランスの美術館からの60点あまりによるもので,じっくり見てもあまり疲れない手頃な規模の展示だった。珍しい題材で印象的だったのは,シュザンヌ・ヴァラドンの「コントラバス奏者」(今回はこういうタイトルになっていたが,「コントラバスを弾く女」とすることが多いと思う)。当時女性のコントラバス奏者はもちろんプロはいなかっただろうし,アマチュアだってどういう人がどういう機会に習って,弾いていたのかと思ってしまう。
Valadon_contrabass
 作品の説明に,作者のシュザンヌが未婚で産んだ息子が長じてモーリス・ユトリロになった,とあった。そういえばそんな話を読んだことがあったが,母の名はまったく記憶になかった。あとで調べたら,シュザンヌはエリック・サティやロートレックと愛し合ったり,後に息子の友人と結婚したり,と波瀾万丈,自由奔放な生涯を送ったとのこと。
 美術館からの帰りは,バスでそのまま京急・横須賀中央駅へ。名店「中央酒場」で遅い昼食とした。

 10月2日,ネヴィル・マリナー死去,91歳。一時名前を聞くことが少なくなっていたが,近年はN響への客演をテレビで見る機会が増えていた(今年6月にも客演の予定だった)。
 ネヴィル・マリナーは,1969年のヴィヴァルディ「四季」のレコードで一躍有名になった。それまで「四季」といえばイ・ムジチ合奏団というイメージを,鮮烈な演奏でひっくり返した。当時だからモダン楽器の範囲内ではあったが,弦楽器の奏法,アクセントの付け方,通奏低音の弾き方など,今の耳にはさほど新しくないことがすべて新鮮に聞こえた。いちばん単純にびっくりしたのは「春」の第2楽章,突然フォルテッシモでヴィオラが奏でる犬の声だった。


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Jul 16, 2016

永六輔と伊藤ユミ

 永六輔とザ・ピーナッツの伊藤ユミの訃報が同じ日に伝えられた。
 永六輔は,昔から爺さんふうの顔つき・言動だったが,享年83歳と意外と若かった。いろいろな活動をしていた人で,著書も100冊以上あるようだが,印象が強いのは作詞家としての永六輔である。そのリストを見ると,「黒い花びら」「上を向いて歩こう」を初めとして,「帰ろかな」「見上げてごらん夜の星を」「おさななじみ」など,私の少し下の世代までの人だったら誰でも知っている曲ばかりだ。
 ただし,作詞をしていたのは若いときだけで,最大のヒット曲「上を向いて歩こう」も28歳のときのものだった。

 伊藤ユミは,双子の妹の方。姉の伊藤エミは2012年に亡くなっている。ザ・ピーナッツも知っている曲が多いが,印象的なのはまずは「恋のバカンス」,次いで「ウナ・セラ・ディ東京」「恋のフーガ」,あとは映画『モスラ』挿入歌(タイトルは「インファントの娘」というそうだ)。
 初期の「情熱の花」を初めとして「洋楽」の曲を歌うことが多かったが,その中ではテレビの「シャボン玉ホリデー」の最後にいつも歌っていた「スターダスト」が思い出深い。「スターダスト」の作曲者ホーギー・カーマイケルが来日したときに,たまたま「シャボン玉ホリデー」を見てザ・ピーナッツの歌が気に入り,それが縁で「シャボン玉ホリデー」にゲスト出演した,という話を聞いたことがある。
 今回,シングルレコードのリストを見ていたら,「若い季節」があった。NHKテレビの同名連続ドラマの主題歌で,作詞は永六輔である。

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 できたてのヱビスビール(350ml缶)が1年間毎月1ケース,工場から直送される会員になり,6月下旬に第1回が届いた。蒸し暑い中の至福のとき。

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Jul 07, 2016

ビートルズ来日50周年――高校2年

 6月29日は,ビートルズの来日50周年の日だった。
 1966年6月29日,ビートルズの4人は羽田に着き,半纏を着て飛行機のタラップを降りてきた。公演は翌日から3日間で計5回。当時高校2年生だった私のクラスからも,2人が学校を半日欠席して日本武道館に出かけて行った。このわずか2か月後,ビートルズは公開のコンサートをしなくなった。
 ビートルズがグループとして存在した1962年から1970年,私の学年は中学から大学の時期だった。大学は大学紛争の時代である。後に「団塊の世代」と呼ばれる世代の終わりに位置する私たちは,ビートルズが日本で知られるようになってから解散までを知るほぼ最後の世代になったのだった。
 (ビートルズについての私記は →本拠地参照

 同じく高校2年ぐらいだったと思うが,隣に住むおばさん(と思ったが,後から考えると三十そこそこだったようだ)がやってきて,航海に出ているアメリカ海軍軍人の夫(まだ夫ではなかったかもしれない)からの手紙を読んでくれという。自分では英語が読めないが,聞けばわかるので読んでほしいというのである。
 聞いてわかるように読めるかなと不安だったが,比較的読みやすいブロック体で,難しい単語は使わずに書いてあったので,5分ほど待ってもらってリハーサルをしてから,当人の前で読んだ。
 内容はまったく覚えていないが,最後に with body and soul という句があった。それを聞いたおばさん,「あら,body だって」と身もだえしそうになって,女性とほとんど話をしたことのない男子校生としてはとまどうばかりだった。

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Jun 12, 2016

今期の買い物応援歌

 4月某日,近所のスーパーに入ったら,ドヴォルザークの交響曲第8番の第4楽章のファンファーレで歓迎された。この店のBGMは半年ごとに一部が入れ替わる。今期の曲はほかに,チャイコ「悲愴」の第3楽章,モーツァルト「リンツ」の第1楽章など。「悲愴」は,なるほど,他の楽章は買い物の意欲を削ぐのでありえない。
 その前は,モーツァルト39番のメヌエット,「ローマの謝肉祭」序曲などだった。モーツァルトはほぼ毎期登場していて,その前は「プラハ」のフィナーレだった。
    (始まったころのことについては →参照

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 ワイシャツの袖が長すぎるとき少し「短絡」するために,アームバンドを時々使っている。要するに,両側にクリップがついた短いバンドである。前に居酒屋で隣になった人が使っていたので,これは何と言って売っているものか聞いたところ,「アームガーター」だと教えてくれた。
 少ししてデパートのワイシャツ売り場で「アームガーター」はあるかと尋ねたところ,なかなか通じない。そこでは「アームバンド」と呼ばれているのだった。

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 湯飲み茶碗や紅茶のカップは,ちゃんと洗ったつもりでも,翌日に早くも茶渋が出ていることがある。――茶渋は一日にして成る
 「激落ち君」などの名で売っている白い固いスポンジで洗うと気持ちよくきれいになるが,何日かするとやっぱり茶渋が現れる。何日持つかが時によって違うのが不思議。

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