音楽

Oct 18, 2018

最後の公演が日本

 シャルル・アズナブールが10月1日に死去したと聞いて,来日公演のニュースを見たばかりだったので驚いた。享年94歳。そのわずか12日前,9月19日の大阪公演が生涯最後のステージになった。
 それで思い出したのは,マリア・カラスのこと。1974年12月11日の札幌での公演(ピアノ伴奏)が,最後の公演となった。当時51歳。ただし,カラスの場合は亡くなったのは2年半以上後の1977年9月だった。
 そうか,この2人は同じくらいの世代だなと気づいてデータを見たら,カラスは1923年12月,アズナブールは1924年5月の生まれで,誕生の日は半年ほどしか違わないのだった。なお,イヴ・モンタンは少し上で1921年,エディット・ピアフはさらにその6年上で1915年生まれである。

 偶数月の15日は年金の支給日である。今回は今週の月曜日で,客の平均年齢の高い某居酒屋は,いつもにも増してにぎやかだった。豊洲の魚が入荷し,早くも鍋物が始まっていた。
 飲み屋でなくても「15日」は意識されていて,「ぱぱす」の老人サービスデーは毎月15~17日だし,某中堅チェーンのスーパーでは15日をシルバーお宝デーとしている。

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Sep 25, 2018

N響のシベリウス「クレルヴォ」

 21日(金)夜は,NHK交響楽団定期演奏会(NHKホール)へ。パーヴォ・ヤルヴィ指揮で,シベリウスの短い曲3曲と初期の大作「クレルヴォ」というすべて男声合唱つきの曲によるプログラム,合唱はエストニア国立男声合唱団。近くの客席には,フィンランド人らしい人がたくさんいた。
 前半の最後は交響詩「フィンランディア」の男声合唱入りの版。中間部の旋律を無伴奏の合唱曲にしたものと原曲を組み合わせたもので,こういうのがあるということは知っていたが,初めて聞いた。感動的。

 「クレルヴォ」は40年ぶりだった。前回は1978年,渡辺暁雄が東京都交響楽団の常任を退任するときの特別演奏会で聞いた。そのときは歌詞は日本語で,合唱の始まりの部分の歌詞と旋律は今でも覚えている。そのときも,また多くのCDでも,曲名は「クレルヴォ交響曲」と表記されていたが,今回のプログラムでは単に「クレルヴォ」となっていた。初演時は「交響詩」と表記されたが,何回かの演奏ののち,シベリウスは生前の演奏・出版を禁止してしまったため,作曲者の意図がはっきりしないらしい。
 「カレワラ」を題材にした5楽章の大曲で,ソプラノとバリトンの独唱が兄妹(かつ恋人同士)役を歌う。そう,『ワルキューレ』のジークムントとジークリンデを思わせる。で,音楽は若々しく適度に野性的で,演奏も,「カレワラ」の世界にふさわしく雄弁かつ雄渾。最近では珍しく,眠くならなかった。
 合唱は見たところ47名で,豊かな響きを堪能できた。演奏後,オーケストラが退場したところで,再び拍手が起こり,合唱団を拍手でお見送りした。

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May 09, 2018

あと1年

 4月30日,平成という年号は「あと1年」となった。
 大正,昭和,平成の始まりは,いずれも天皇の崩御の翌日だった。各代とも新しい天皇が即位すると,その次の年号の選考はすぐ始まっていたはずだが,なにしろ崩御が前提の話なので,おおっぴらの議論などない。「平成の次」についても前から準備が進んでいたはずで,今回は生前退位が決まって違う要素が加わったということだろう。当然,来年4月末より前に万一のことがあったときの手筈も決まっているに違いない。
 今回,最初は新年号は早めに(当時の想定では半年前ぐらいに)発表すると言っていたのに,最近は来年2月発表が有力だという。私自身は自分からすすんで和暦を使うことはないが,年度末にそのとき限りの作業が生じるのは全体として大きな損失になる。早くしてなにもまずいことはないと思うのだが,何をもったいぶっているのだろう。さらに言えば,本当は元日改元がいちばんすっきり便利だったのに。

 1988年秋,テレビのニュースではほぼ毎日,天皇の病状を報じていた。当時5歳だったうちの息子も,テレビに見立てた段ボールの枠から顔を出して「テンノウヘーカのヨーダイは…」などと言っていた。
 1989年1月,わが家は信州某所で3泊し,1月7日の昼前に車で帰京の途についた。宿泊施設の客室や食堂にテレビはなく,ケータイもない時代で,ニュースはまったく知らないままだった。出発してまもなく,早めの昼食にしようと寄った食堂でふとテレビを見上げると,なにやら黒いスーツに黒いネクタイの人が次々に登場する。福田元首相もいた。店の人に「もしかして…?」と聞くと「そうなんです,今朝」という簡潔な返事が返ってきた。
 その後はずっとラジオをつけて走った。午後,中央高速で,あの「平成おじさん」小淵官房長官が次の年号が発表するのを聞いた。ラジオだから,すぐに文字の説明が入ったのだと思う。昭和64年は7日間で終わった。
    [追記: 日付の誤りを2018/5/17訂正]
【連休短信】
◆4/29 ヴィオラ奏者の友人が主宰する室内楽の演奏会へ。大部分ハープ入りのフランスもの。――ハープって,譜めくりが必要なんですね。
◆4/30 自オケの本番。ホールの響きに助けられた。某居酒屋での知り合いが3人来場。
◆5/2 「クラフトビール新酒解禁祭り2018」へ。体育館のような場所に屋台が40軒。
◆5/5 「ラ・フォル・ジュルネ TOKYO2018」の一環として池袋西口公園で開かれた無料のコンサートへ。女性ばかりのサックス3重奏(Sop,Sop,Ten)でモーツァルトを聴く。

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Mar 07, 2018

パーヴォ・ヤルヴィ&N響『ウエスト・サイド・ストーリー』

 3月6日,パーヴォ・ヤルヴィ&N響『ウエスト・サイド・ストーリー』(演奏会形式)に出かけた(Bunkamura オーチャードホール)。平日なのに3時開演なのが謎。当日夜,ホールがふさがっているというわけでもない。パーヴォがその夜の飛行機に乗らないと,というようなこと?
 主要歌手7人は米語話者(たぶん)を招き,日本人は6人,あと東京オペラシンガーズの男声が10人,新国立劇場合唱団の女声が8人が参加した。アニタ役は Bottoms という不思議な姓。さんざんからかわれてきたに違いない。
 全員暗譜で,出入りあり。それらしい衣装で,最小限の演技あり。「シンフォニー・コンサート版」と表示されているのは,どうやら台詞をかなりカットしたということらしい。正味は95分。
 で,結果は快演。特に金管はけっこう弾けていた。金管奏者はみなかつて吹奏楽でジャズをやっていただろうから,故郷に帰ったような気がしたのでは。一方で,ピアニッシモの精妙な部分もたくさんあるのが並のミュージカルと違うところで,特に最後は,美しい祈りの音楽だった。

 演奏会形式のいいところはオケがよく見えること。編成は,どの程度バーンスタインの意図によるのかはわからないが,なかなかおもしろかったので下に記しておく。
[木管前列]フルート3(ピッコロ1―以下かっこ内は持ち替えの楽器と人数),オーボエ1(イングリッシュ・ホルン1),ファゴット1
[木管後列]クラリネット3(バスクラ3(!)),サックス3(ソプラノ,アルト,テナー,バリトン,バス(!)の5種を分担,1人はクラにも持ち替え)
[金管]ホルン2,トランペット3,トロンボーン2
[打楽器・キーボード]ティンパニと他の打楽器が6人,別にドラム(セット)1人,キーボード1人
[弦]第1・第2ヴァイオリン,ヴィオラが3プルトずつぐらい(人数よく見えず),チェロが多くて4プルト,コンバス2プルト
 バス・クラリネットが3本も置いてあってなぜだろうと思ったら,第2部の真ん中あたりで確かに3重奏があった。オーボエは茂木さんで,Tonight では珍しい首席奏者のイングリッシュ・ホルンが聞けた。

[追記] 私のちょっとした自慢は,ミュージカル初演のわずか7年後に,中学の吹奏楽で「『ウエスト・サイド・ストーリー』ハイライト」を演奏したこと(→参照)。

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Jan 09, 2018

共に70歳で――星野仙一とフランス・ギャル

 1月6日の朝は,なんとなく朝のニュースを見ないで過ごし,昼過ぎに会った人から「星野さんが亡くなったわね」と聞いた。「えっ,星野って,あの?」「そう,野球の星野仙一」と確認して,遅ればせながら驚愕。死去は4日,膵臓がんだった。まだ70歳,長嶋よりも王よりも野村よりもずっと若いのに。
 常に「闘将」という称号が冠される星野だが,最初中日の監督のときにはほんとうに泥臭い闘将だったのに対し,楽天の監督のときには,もちろん闘志にあふれていたが,かなりスマートな闘将になったような印象がある。
 2013年に楽天がリーグ優勝したとき星野監督は66歳で,リーグ優勝の最年長監督となった。昔の大監督はかなりの年齢のような感じがしていたが,最後に優勝したとき川上は53歳,三原,水谷はもっと下,野村も62歳(ヤクルト,97年)だった。

 7日,フランス・ギャル(France Gall)が乳がんで死去。若いころしか知らないからまったくぴんとこなかったが(新聞の訃報の写真も1965年撮影だった),奇しくも星野と同じ70歳だった。
 このブログでは10年前にシルヴィ・バルタン来日の話題のついでに書いたように(→参照),フランス・ギャルといえば「夢見るシャンソン人形」。フランス語の歌詞で,-son,および -waa という音の語尾が韻を踏んでいるのが,高校生の耳にも甘美に響いた。日本語版(岩谷時子によるらしい)でも,-waa の部分は「…わ」と訳していた。

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Dec 24, 2017

今秋以降に読んだ本の中から

 まず,飯間浩明『小説の言葉尻をとらえてみた』(光文社新書)では,国語辞典編纂者が,現代日本語の用例を求めて小説の中の世界に入っていく。対象になるのは,1960年以降生まれの作者による,2004年以降に発表された小説15編。
 新語やいかにも若者言葉といったものも出てくるが,それよりも「さっきの今」「売るほどある」「見物しいの,拝みいの」といったフレーズや「刹那」の副詞用法(単独で「その刹那に」の意味で使う)など,人の目で見ないと採集が難しそうなものがおもしろい。新しい言葉とされるが実は昔からある言い方だったり,方言の断片だったり,その姿は多彩である。先日書いた「綺羅星」のことも出てきた(→参照)。

 読売日本交響楽団編『オーケストラ解体新書』(中央公論新社)は,プロのオーケストラの活動はどのようにして進められていくのかを,事務局が中心になってまとめたもの。指揮者や楽団員の発言はいろいろな形で伝わってくるが,事務局,特に制作部,ライブラリアン,ステージマネージャー,楽器運搬など,裏方のプロ集団の仕事がこれだけまとめて紹介されたのは希有のことだ。

 もうひとつ読売がらみで,読売新聞文化部『唱歌・童謡ものがたり』(岩波現代文庫)は,90年代に読売新聞に連載されたものが,1999年になぜか岩波書店から単行本で出たのが元版である。2013年に岩波現代文庫になってからも版を重ねているロングセラー。
 連載は大部分20年以上前なので,取材を受けている人々(おもに作詞者・作曲者)には今は故人となっているであろう人も多く,貴重な証言ばかりである。それぞれの歌に物語があり,それぞれ目頭が熱くなる。先日書いた「真白き富士の根」もとりあげられている(→参照)。

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 少し前にNHKのTVで,阿久悠を回顧するコンサートに岩崎宏美が出て「思秋期」を歌っていた。だいぶ顔がふっくらして,かわいいおばさまになっていた。

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Nov 09, 2017

「真白き富士の根」と「高校三年生」――悲しくない短調 再び

 前に,昔の日本の歌には「悲しくない短調」の曲がけっこうある,という話を書いたことがある(→参照)。
 そのとき挙げなかった例として,「船頭さん」(村の渡しの船頭さんは…)と「森の小人」(森の木陰でどんじゃらほい…)のことをちょっと調べてみたら,この2曲は,ともに開戦の年1941年の曲で,歌詞の軍国的な部分を戦後改変したという共通点があるとのこと。私の子供のころにはみな知っている歌になっていたのは,NHKラジオの「うたのおばさん」などを通じて広まったからだと思う。(今だったら「おばさん」などというタイトルはつけないでしょうね。)
 「船頭さん」の作曲者は河村光陽という人で,この人は「うれしいひなまつり」「仲良し小道」「りんごのひとりごと」といった悲しくない短調の曲を残している。

 短調と長調ということでおもしろいのは,「真白き富士の根」(七里ヶ浜の哀歌)である。1910年1月に逗子開成中学の生徒ら12人が乗ったボートが鎌倉・七里ヶ浜沖で転覆して全員死亡した事件があり,その追悼会で,鎌倉女学校(現鎌倉女学院 逗子開成と創立者が同じ「姉妹校」だった)の生徒たちによって“初演”された。原曲はアメリカの賛美歌で,鎌倉女学校の教諭だった三角錫子が詞をつけたものである。この曲,たしかに楽しげな曲ではないが,長調だし,哀歌という感じではない。しかし,『日本唱歌集』(岩波文庫)の解説ほかによると,後に演歌師などが短調で歌って全国に広まったという。
 逗子開成も鎌倉女学院もほぼ地元なので,この事件のことは私は中学のころぐらいから知っていたが,後に聞いたところでは,この事件は,生徒たちが勝手にボートを持ち出して強風の吹く冬の海に漕ぎだして起きたという。とすれば,この歌がなかったら世の人の涙を誘うようなことにはならなかった可能性が高い。

 「青い山脈」の系譜に属する「悲しくない短調」としては,「高校三年生」(1963)が思い出深い。サビの「ああ」は女声コーラスをバックに2小節延ばされ,8分音符のキザミと共に盛り上がる。レコードのジャケットの舟木一夫は学生服姿だった。
 その後も,たとえば1975年の「我が良き友よ」(吉田拓郎)も,短調で青春を歌っている。しかし,歌詞の内容は「青い山脈」などより上の年代であり,かつてのような青春賛歌とは趣を異にしている。
 いま,明るい短調の曲は書かれているのだろうか。

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Oct 20, 2017

3拍子に変身

 三菱東京UFJ銀行の支店内のATMコーナーで,あまり音のよくないスピーカーから軽やかなワルツ風の曲が聞こえてきた。3/4拍子で階名で書くと以下のような具合:
 ソーー|ーファミ|レーー|ーミレ|ドーー|ーレミ|/ソー/ラ|/ソーー(中略)
 レ・8レレ|レドレ|ミーファ|ソーー|レーミ|ファーー|ミーレ|ドーー
   ◇カタカナと「ー」(長音)は1字が4分音符1つ分
      (「ファ」も1字扱い)
   ◇「/ソ」は(ドより)下のソ
   ◇「|」は小節線
   ◇「レ・」は付点4分音符のレ
   ◇「8レ」は8分音符のレ
 よく知っている曲なのに,曲名が出てこない。やはり,年のせいか。でも,ワルツの途中を聞いて曲名を答えるのはけっこう難しいんだよな。しかも,聞こえてくるのは上記の部分ばかりでイントロ部分などはない。
 銀行を出てしばらくして,ようやく気づいた。ワルツではない。シューベルトの「軍隊行進曲」の1曲目(ニ長調)を3拍子にしたものだった。この編曲,いくつかの支店で流れていたから,銀行がオリジナルで制作したものかもしれない。元がシューベルトだし,ウィンナ・ワルツより古風なしゃれたワルツに仕立てることもできそうだ。

 4拍子・2拍子から3拍子への編曲というと,唯一思いつくのは,パチンコ屋などの閉店のときの「蛍の光」である。ジンタの伝統によるのか,あれは昔から3拍子だ。
 逆に3拍子から2拍子系への編曲で有名なのは,バッハ『アンナ・マグダレーナの音楽帖』の中の「メヌエット ト長調」を原曲とする「A Lover's Concerto」である。(ただし,この曲は今ではバッハの曲ではないとされている。)[他の例は →参照

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Aug 08, 2017

ラヴェルのピアノ協奏曲を演奏――母校の記念コンサート(下)

承前
 ラヴェルのピアノ協奏曲は,今回の「両手」ト長調と「左手のための」の2曲。このうち,「左手」は40年以上昔にコーラングレ(イングリッシュ・ホルン)を吹いたことがある。「両手」の方のコーラングレもいつか吹いてみたいと思っていたが,アマチュア・オケが滅多に演奏しない曲であり,吹く機会はないだろうと思っていた。その機会が今回突然訪れ,急いで応募した(ほかにベートーヴェンの協奏曲の第2オーボエを担当した)。
 「両手」のオケは少々変わった編成で,ピッコロ/フルート,オーボエ/コーラングレ,Es管クラリネット/(普通の)クラリネットがそれぞれ「専任」(持ち替えなし)で各1,ファゴット2,ホルン2,トランペット1,トロンボーン1,ハープ,ティンパニ&打楽器,弦5部。練習では常にどこかのパートが欠けている状態で,本番前日のゲネプロでようやくメンバーが揃った。
 この曲,第2楽章のテーマ(アダージョ・アッサイ,3/4拍子)は,最初はピアノのソロで演奏されるが,後半で再現する際にはコーラングレが旋律を吹く。楽章全部で108小節のうち,このソロは33小節,つまり30%を占め,演奏時間は2分半以上で,ほとんど『トリスタンとイゾルデ』第3幕の無伴奏のソロに匹敵する長さである。コーラングレのソロというと「新世界より」の第2楽章がもっとも有名だが,これとて3回合わせて正味1分半ちょっとである。
 ただ,この曲が新世界やトリスタンと違うのは,終始ピアノの華麗な装飾句に彩られていることである。幸か不幸か,普通の聴衆はもっぱらピアノを聴いていて,テーマを演奏する楽器のことはほとんど気にしていない。
 ソリストのS君は27歳,高校を出たあとすぐフランスへ留学し,今回は本番1週間前に帰国した。ちょうど10年前,S君が高校2年のときに,同じく高校の関係者によるオーケストラでベートーヴェンのピアノ協奏曲第1番を演奏したことがある。そのときも素晴らしかった(→参照)が,今回はもちろんさらに輝きを増し,激しいリズムの部分からシンプルな歌まで,余裕たっぷりにラヴェルの多様な世界を見せてくれた。
 協奏曲の演奏のとき,ソロにあまり聴き惚れていると,自分が出損なったりトチったりすることがある(長い間にはいろいろなことがあった…)。今回の本番では,心を鬼にして(?)冷静に聞くように努めた。そして,第2楽章。間にまったく休符のない2分半のソロは,スタミナ切れにならずになんとか「完奏」することができた。

 急いで付け加えるが,もう1曲のベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番も名演だった。こちらは「メサイア」以外の指揮をしたN君の弾き振りである。N君はS君より4学年上で,ピアニストとしての実績を着実に積んでいる。オーケストラの大部分のメンバーは弾き振りが初めてだったようで,練習のときは途中で破綻することもあったが,本番はピアノも聞きやすく,コンサートマスターもよく見えたので,なんとかきちんとした演奏になった。
 「ソリストが弾きたい曲を全部並べ」た(プログラムより)ごたまぜコンサートではあったが,お客さんにも楽しんでもらえたのではないかと思う。母校からは,音楽以外の芸術・文芸分野にも多様な人材が送り出されているが,音楽家の層が厚くなっていることにあらためて感慨を覚えた。

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Feb 21, 2017

誕生の日に壮大なレクィエム

 わが家の大きな出来事2つ,思いがけず同じ日に重なった。ひとつは,同居人が合唱のメンバーとして出演するヴェルディ「レクィエム」の演奏会で,これはもちろん前から予定が決まっていたのだが,その本番が始まる8時間前に,初孫が誕生したのである。誕生の日にレクィエムというのも取り合わせが悪いが,予定日は2週間後だったので,まさかこの日になるとは(前日まで)思っていなかった。
 午前中,無事生まれたという知らせが,誕生からわずか36分後にスマホに届いた。ちゃんと写真付きで,まったく便利な世の中になったものだ。やや小さめの元気な女の子で,助産師さんが撮ってくれた両親と3人の写真もあった。

 夜のヴェルディ「レクィエム」の演奏会は,東京某区の主催で,公募したメンバーによる合唱団が歌うというもの。去年の6月ごろ募集があり,同居人は今年3月末で定年退職なので,自分で退職を記念して,長年のあこがれだったこの曲を歌いたくて応募した。定員250名のところ,数日で270名に達して締め切りになったという。
 オーケストラは東京フィルハーモニー,指揮は昨秋29歳(!)で東フィルの首席指揮者になったアンドレア・バッティストーニ,ソリストは安藤赴美子,山下牧子(つい10日前に新国立劇場で蝶々夫人・スズキを歌ったコンビ),村上敏明(予定の人がインフルエンザになって代役。当日のゲネプロから参加),妻屋秀和という一流メンバー。
 バッティストーニは,見た目はずんぐりしていて熊みたいな感じだが,指揮は切れがよくて,かつ遅いテンポのところも味があって,大いに堪能した。現場感覚にもすぐれているようで,「ディエス・イレ」でトランペットの別働隊が客席で吹くところでは,トランペットのために左手をわずかに早いタイミングで振って遅れないようにしていた。すでにバイエルン,スカラ座,ベルリン・ドイツオペラなどでも振っているそうで,オペラをよく演奏している東フィルとしてはいい人をつかまえたものだ(秋には演奏会形式の『オテロ』がある)。
 最後の音が消えたあと,指揮者がゆっくりと手を降ろし,なおしばらく祈りを捧げて,感動的な長い静寂は40秒(たぶん)に及んだ。それからようやく拍手が急速なクレッシェンドでわき起こった。アッバード=ベルリン・フィルの『トリスタン』(2000年,東京文化会館)の約15秒を大きく上回る最長静寂記録である。
 合唱は,まったくの寄せ集めで経験もばらばら,平均年齢はかなり高く,男声が少なくて(本番ではトラが入っていた),合唱指揮者は大変だっただろうと思う。バッティストーニ氏は,終演後,合唱団の前であいさつし,来年の(合唱付きの曲の)予定を熱く語ったという。

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